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十五話_再会

二人が解析した理論に基づき、幾重もの魔法障壁を解除しながら、一行はついにその場所へと辿り着いた。

ダンジョン最深部。そこには、記録にもない漆黒の石扉が静かに鎮座していた。


「……さあ、開けるわよ」


イシスとカイルが視線を交わし、同時に魔力を流し込む。

千年の眠りにあった巨大な石扉が、胃の腑に響くような重低音を立ててゆっくりと回った。

だが、開かれた闇の先から溢れ出したのは、失われた叡智などではなかった。


「――っ! 全員、下がれ!!」


カイルの悲鳴に近い絶叫が木霊した。

扉の奥から這い出してきたのは、不定形の泥のような魔力を纏った巨体。

それは伝説に語られる、神代の怨念を核とした古の魔物だった。


「ひっ……あああああ!」


調査に同行していた学生の一人が腰を抜かし、逃げることもできずに震え上がる。

魔物はその凶悪な鉤爪を振り上げ、無慈悲に振り下ろした。


「させない!」


カイルが即座に割り込み、指先を空に走らせる。


「『七重の聖壁(セプタム・ウォール)』!」


帝国の魔法学院教授としての実力を示す、最高位の多重防御魔法。光り輝く七層の盾が学生を覆う。

だが、魔物の放った泥状の奔流が触れた瞬間、その鉄壁の障壁はガラス細工のように容易く粉砕された。

幸い、魔法障壁がクッションとなって、学生は無事だ。


「嘘だろ……、僕の防御魔法が、たった一撃で……!?」


カイルの顔から血の気が引く。彼はすぐさま反撃に転じ、学院でも禁忌とされる高密度圧縮火球を連続で放った。

閃光が走り、洞窟全体を揺らすほどの爆炎が魔物を包む。

並の魔物なら灰すら残らない一撃。しかし、煙の中から現れた魔物は、傷一つ負っていなかった。


「カイル、下がって! 」


イシスが叫び、無理やり魔力を絞り出す。修行中の身であり、魔力出力はかつての数分の一。

それでも、彼女は学生たちの前に立ち、かつてユリウスに教わった「魔力の核を突く」感覚を研ぎ澄ませた。


「火よ、螺旋らせんとなって穿()がて!」


放たれた細い火線が魔物の表皮に突き刺さる。

一瞬、魔物の動きが止まった。

だが、出力不足は明白だった。魔物は苛立ちをあらわにし、咆哮を上げた。

その余波だけでダンジョンの天井が崩れ、地上へと至る大穴が開く。

魔物は大穴から這い出し、光の差す地上へと姿を現した。

逃げ惑う学生たち、崩落に巻き込まれる調査員。

カイルは学生たちを庇い、血を吐きながらも魔法を撃ち続ける。


「逃げろ……! 早く、逃げるんだ!」


カイルの魔力は底を突きかけていた。

眼鏡は割れ、その知的な顔は絶望に歪んでいる。

魔物が、残された全ての獲物を一度に押し潰さんと、その巨大な質量を振り上げた。


(……ここまでなの?)


立ち込める土煙と魔力の残滓ざんしのなかで、イシスの視界は白く霞んでいた。

限界を超えて絞り出した魔力は、彼女の細い血管を内側から焼き、意識を遠のかせる。

それでも、背後にいる学生たちの震える気配が、彼女をかろうじて踏みとどまらせていた。

いっそ、この身を触媒にして――。

自らの生命力を燃料に、最大火力の氷結魔法を放ち、この災厄を凍てつかせて相打ちになろうとした、その瞬間。


「――そこを動くな」


冷徹な、けれど魂を震わせるほどに重厚な声が、混沌の戦場を支配した。

直後。

空間そのものが断たれたかのような、鋭利な一閃が奔った。


「――ぎ……っ!?」


魔物が、理解不能といった様子で動きを止める。

次の瞬間、学生たちが死を確信した魔物の巨大な鉤爪が、付け根から音もなく切断され、宙に舞った。

砂塵が舞う中、銀色の光を纏った一人の男が、イシスたちの前に静かに降り立つ。

一振りの聖剣を抜き放ち、その翠眼(すいがん)に冷酷なまでの闘志を宿した男――。

帝都へ帰還するはずだったユリウス・カーライルが、そこにいた。


「ユリ……ウス……」


イシスの声に、彼は振り返らない。

ただ、目の前の災厄を「掃き掃除」するかのような、圧倒的な覇気。


「カイル・クロムウェル。学生を連れて下がれ」


ユリウスは短く告げると、地を蹴った。

魔物が放つ黒い泥を、彼は一瞥(いちべつ)すらしない。

剣筋さえ見えぬ高速の連撃。翠の閃光が幾重にも交差するたび、古の魔物の巨体は豆腐のように容易く切り刻まれていく。

それはもはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙だった。

魔法学院の天才たちが束になっても傷一つ負わせられなかった絶望を、彼はたった一振りの剣で無へと還していく。

やがて、魔物が断末魔を上げる暇もなく霧散し、戦場に静寂が戻った。

ユリウスは返り血を一滴も浴びることなく、聖剣を鞘に収める。


そしてゆっくりと、イシスの方を向いた。  

そこには、自分以外の男――カイルに守られるようにして立ち、肩を荒く上下させているイシスの姿があった。


二人の視線が、交差する。

ユリウスは、先ほどまでの「剣聖」の表情を捨て、一人の男としての、悲痛なまでの愛をその瞳に湛えていた。


「……イシス」


地を這うような低い声。


「ユリウス……」


数週間の失踪を経て、剣聖と、その死んだはずの妻は、最悪で、そして必然的な再会を果たした。

ユリウスは、剣を収めたその手でイシスを抱き締めることも、連れ戻そうと腕を引くこともしなかった。

ただ、立ち尽くしていた。

泥に汚れ、けれどかつてないほど強い意志を瞳に宿した妻を、ただ見つめていた。


「ユリウス……」


その声が風に乗って届く。

数週間ぶりに自分の名を呼ぶ愛しい人の声。

ユリウスは身に染みるように一度瞳を閉じると、ひどく名残惜しそうに、けれど決然と彼女から視線を外した。


その一瞬の仕草。イシスは直感した。

彼は今、かつてないほどに、粉々に傷ついている。


ユリウスは何も言わず、踵を返した。

そのまま一歩、また一歩と彼女から離れていく。

当然、何かを問われる、あるいは問い詰められると思っていたイシスは、一瞬反応が遅れた。


「ユリウス待って…!!」


自分から彼のもとを離れたのに、いまさら何を口にしているのだろうと自分を軽蔑した。

しかし、引き止めねばと直感的に叫んでいた。

このまま、彼を行かせてしまえば、彼はきっと――。


イシスは、もう一度ユリウスの名を呼ぶ。

いや、叫びに等しいものだった。


走り出した足に、負傷による激痛が走る。

それでも、少しでも遅れれば、彼は風のようにこの場から消えてしまう。

背後から自分を止める声が聞こえるが、そんなものはどうでもいい。


「ユリウス!」


焦りに突き動かされたイシスが、国宝に値する彼の漆黒のマントをひったくるように掴んだ。

ユリウスの動きが止まる。


「離してくれ……」


彼の声は驚くほど穏やかで、けれど脆く震えていた。

これは怒りではない。

彼はまた、自分のことなど二の次にして、イシスの幸せのために、何も言わずにこの場から消えようとしている。

どこまで、あなたは――。


イシスは、自由を願ったはずなのに……、いつまでも変わらない彼の献身的な姿に、泣き出しそうになった。


「離さない」

「……離してくれ!」

「離さないわ」


死んでも離さないという、強情な視線を彼に向ける。


「なぜだ!? 君から去ったんだろう!」


ユリウスが、初めて声を荒らげた。

剣聖となって以来、一度も聞いたことのない悲鳴のような大声。

イシスもそんな彼の姿に目を見開く。


ユリウスは、狂おしいほど彼女と話し、触れたい気持ちを、鋼の理心で押し殺していた。

自分がいない方が彼女は幸せになれると覚悟を決め、対話の機会すら捨てて去ろうとした。

なのに、彼女は心底心配したように自分を繋ぎ止める。決意が揺らぐ前に、その手を放してほしかった。


そんな彼の苦悩を背中越しに感じ取ると、イシスは子供をあやすような、どこまでも慈愛に満ちた声を出した。


「ユリウス。何か……私に聞きたいことはない?」


彼女の声もまた震えていた。

その言葉が、ユリウスを縛っていた「剣聖」という名の壁を粉砕した。


「……ただ」 


言葉が漏れた。少しだけのつもりだった。

だが、せき止めていた感情のダムが決壊するように、今までの想いが濁流となって溢れ出した。


「聞きたかった。あの日、君が言った『解放』という言葉の真意を。君の口から、君の本当の心を聞かなければ、私は一歩も前に進めなかったんだ」


ユリウスはゆっくりと振り返り、一歩、彼女に歩み寄った。

その距離は、かつての邸宅での「主と従」のような遠いものではなく、一人の男が、愛する女の心に触れようとする切実なものだった。


「私は、君の天恵を資源だと思ったことは一度もない。君を、カーライル家の道具だと思ったこともない。……私はただ、君という一人の女性を、この命よりも大切に思っていた」


ユリウスの声は静かだが、その奥底には抑えきれない感情が渦巻いている。


「だが……私のその思いが、君にとっては息もできないほど重い鎖だったのか?」


問いかけは、刃のように鋭く、それでいて哀しいほどに脆かった。



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