1.転校
俺がその学校に転校したのは、単純に親のせいだ。父親が単身赴任からの母親が浮気して家族の終わりはあっさりしたものだ。
母親は俺よりも新しい恋人に夢中で出て行ってしまった。まだ仕事が途中の父は、俺の一人暮らしにひどく不安になったらしい。あっという間に寮付きの学校への転校が決まっていた。
元の学校に友人もいたけど、思春期のアホな俺は孤高の人物を演じていたから、俺の周りには、別れを寂しがってくれる奴なんかいなかった。
唯一、小学生の時からの友人が「さみしくなるね」と、お菓子をくれた。それが、前の学校の唯一と言っていい、いい記憶だった。
さて、俺が転校した寮付きの学校は、正直に言えばクソみたいなところだった。だいたい、寮ってことで男だけでの生活だ。
潤いがない。それだけで普通にクソだ。
友人がいない俺がいう権利がないこともわかっているが。
両親はすでに海外に飛び、親が用意したらしい学校までのタクシーに一人揺られながら、俺の気持ちは下降する一方だった。
だって、都心を離れ、さらに目新しさのないチェーン店が並ぶ国道沿いも離れて、あたりの景色からは、人家すら消えていく。濃い緑が景色を覆い、道はゆっくりと坂道を登り続けた。
誰もすれ違わない一本だけある舗装された道。
それが一気に開けて、目の前に大きな建物群がいくつか現れた。
「ここが、学校ですよ」
今までの道中、一言も喋らなかったタクシーの運転手が
最後通告のようにそんなは言葉を発したのだった。
俺はスポーツバッグを一つ持って、外へ放り出される。
目の前には、大きな案内看板があった。どうやら、学校内の地図の一緒にあるらしい。それを見上げていると、タクシーは、用は済んだとばかりにバックして元きた道を帰って行った。
「牢獄だよ、牢獄」
入寮手続きをしたときに笑いながら、部屋の鍵をくれた寮母……寮の管理人さんはそんなことを言った。
「君、どんだけ、やばいことやったん?」
ヘラヘラした口調なのに、視線は俺を値踏みするように舐め回すように眺められる。近くに来られると、まだ昼間だというのに、アルコールの匂いがする。
自分の父親と同じくらいの年の男の人に、そのように見られることがなく、ただただ俺は戸惑う。
寮は、石造りにみせかけたコンクリート製らしく、外国の街にありそうなどこか浮世ばなれした蔦が這う赤い屋根と白い外壁が眩しい洋館だ。
一階は全員で使う食堂や風呂などがあるらしい。俺たち生徒が寝泊まりするのは二階から上だ。
「てか、こっちに部屋借りられるってことは、そこそこお金あんじゃん? 羨ましいな」
いちいち神経をさかなでする言葉を繰り出してくる管理人にイラついてくるが、この人に案内してもらわないとどこに何があるかわからない。
入学説明書には、最低限の記載しかないのだ。
「ここ、君の部屋ね。四人部屋だけどぉ、今は一人しかいないからラッキーだよ」
そう言って、三階の階段を登り、左右にのびた廊下を右側に曲がった一番奥の部屋を案内された。
「え、エレベーター? そういうのは、上の階、特別料金払える生徒のみ使えるんだよねぇ、四階以上ね。君にはその資格ないの残念」
最後まで管理人の男は、いけすかない。部屋を案内したら仕事は終わったと、さっさと帰っていく。ドアの前に取り残された俺は、とりあえずドアをノックしてみた。
残念ながら、中からの反応はない。
時間は休日の一五時に差し掛かろうというところだ。寮内には人のいる様子があまりない。
静かだった。
「……失礼します」
小さい挨拶と共に、部屋の扉を開けると、学校説明の写真で見たのと同じ部屋が目の前に現れた。二段ベッドが両脇に二つ、ベッドの脇に、それぞれの勉強机として四つの机が配置してあり、その一つの机の上にはいくつかの文房具や教科書が散乱していた。
二段ベッド片方の下段は、人がいたんだろうなという布団の形でそのままになっていて、もう一つの二段ベッドの上に自分が先に送った日用品の段ボールが二個乗っていた。
「いない、なんだよ」
少し詰めていた息を吐き出す。
窓は大きなものが一つ、付いているが、締め切られていて、外の木の葉が大きく揺れている様子が見えた。
「風、強い……」
そう思ったのも束の間、俺の目の前のガラス窓にダンッと大きな音を立てて、手が現れる。
「ぎゃ、ああああ?!」
ここ、事故物件? 手形の出る部屋とか、マジ無理。
「ちょっと、ここ、開けて!」
声が聞こえた、外からだ。それとともに、ガンガンと外の手が窓を叩いてくる。
「……にん、げん?」
ここにきて喋ったのは、変な大人しかいない。もう嫌だと思いつつ、恐々と窓に近づくと、幽霊にしては元気な日焼けした腕が見える。
「な、」
「ちょ、転校生いるんだろ!」
声をかけられ、ビクっと震える。しっかりした男の声だ。窓を閉めている金具を外す。その大きな窓は、外側に観音開きに開いた。
ざっと、風とともに外の空気が部屋に入り込んでくる。さっきまでいた外の木の匂いと、砂利と、汗の匂い。
「え」
窓の桟に指かかかる。そうして現れたのは、
「……っっ」
声を出すのを忘れるほど、ぞっとする綺麗な男だった。
何がとは言わないが、さらさら流れる髪と外の景色に透ける肌にびっくりする。その男は、よっと掛け声と共に窓から部屋に入って来る。
「助かった! 301B君」
変な言葉を言われ、目の前の少しだけ背の高い男は、俺の肩を叩く。
「え、何?」
「あ? ああ、そうか。はじめてだもんな。俺の名前は325Aだ、よろしくな」
男は、埃なのかふくについたものをぱんぱんとはらい、その人好きする笑顔を俺に向ける。
「なに、その番号は」
「この学校での名前。お前は、301号室に二番目に入ってきたから、301B。俺は向かいの325号室だから325Aな」
名前? なに、牢獄ってマジなの?
「囚人番号みたいじゃん」
「はは、まぁ、正しくそうだと思うよ。ともあれ、すごく助かった。あいつらしつこくてさ。あ、なんかあったら、向いだし頼ってね」
そういいて、男、325Aは、部屋を通り過ぎて出ていく。
向かい側の扉が開く音がして、ああ、本当に向かいの部屋にいるんだなとは思った。
「囚人番号……」
それよりも、番号で呼ばれた衝撃が忘れられない。
開けっぱなしの窓から流れる生暖かい風が、俺の頬を撫でていく。気持ち悪くて、窓を閉めにいく。
その時に外を見た。木々のざわめきと、虫の声。そして奥の、多分校舎から何か音楽が聞こえて来る。
「……変なの……」
バタンと窓を閉めると、音は何もなくなり、俺の足音のみになる。
同居人は、結局夜まで現れることはなかった。