第四話 『追放』
気付けば、日は中天に差し掛かっていた。
午前を歩き通して疲れは溜まっていたが、もうあと一時間も歩けば送迎部隊のいる原野に辿り着く。
──もう少し、だ。
疲れで重くなった脚を持ち上げ、一歩一歩を踏み締めて歩いていく。
遠目に煙が見えた。部隊の炊事の煙だろうか。
ふ、と息が漏れた。その瞬間、周りの空気が変わった。重苦しく、湿った空気だった。
──もう少し、だったのに。
地の底から響いてくるような低い唸り声とともに、ヒョウのような“魔物”が現れた。
如何にも俊敏そうなしなやかな四つ脚には、これ見よがしに大きな爪が付いている。
グルグルと低い唸り声を漏らしている、頬まで裂けた大きな口には、ひけらかすように鋭い牙が光っていた。
──死ぬのか。
いや、死ねない。今ここで死ぬわけにはいかない。
だが、戦って勝てる相手ではないだろう。
──どうする。
逃げる算段を立てようとしたが、それもどうにも難しそうだ。道は一本しかなく、両側は森になっている。部隊のいるはずの原野へ続く道に“魔物”は立ちはだかっている。森に逃げ込んだとて、ヤツは森から出てきたのだ。むしろ森に追い立てようとしているかもしれない。
このままでは逃げられないなら、戦うしかないだろう。なんとか戦って、隙を作って逃げるしかない。
そんな覚悟を決めながらふと“魔物”の背後に目を遣ると、土煙を挙げながら何かが近づいてきていた。
地響きのような音と振動を伴って、こちらへと接近してくるそれは、どうやら騎馬隊のようだった。
“魔物”もその音と振動に気付き、俊敏に振り向いた。
騎馬隊はあっという間に“魔物”の目の前まで至り、先頭で指揮を取る騎士が右手を挙げると、全隊がピタリと停止した。
と同時に先頭の騎士が、
「抜剣!」
と号令をかけると、騎馬隊が一斉に剣を抜いた。剣身が鞘を滑る音に一拍の乱れもなく、全員が同じ態勢を取っていた。
“魔物”も俺も、圧倒されていた。まるでその隊は全員をして一つの“生き物”のように見えた。
“魔物”は果敢にも威嚇を続けていたが、騎馬隊が剣を突き出すと尻尾を丸めて森へと逃げていった。
──助かった、のか。
ふうと長く息を吐いた。瞬間、目の前に剣の切先が突きつけられた。
「貴様、何者だ」
先頭の騎士がそう問うてきた。静かだが、鋭利な声だった。表情は兜に隠れていて見えなかったが、その奥にある瞳からは、冷たい視線が注がれていたように思う。
まだ助かったとは言えなさそうだった。
◆
俺はまず礼を言おうとして立ちあがろうとしたが、鋭利な剣の切先に押し留められた。
「動くな。私はお前に聞いている。『何者だ?』」
俺は切先を鼻先に突きつけられた状態だったが、務めて笑顔を作り、
「まずは助けていただいてありがとうございます」
と返した。他人に笑いかけるという行為も、随分と久しぶりにやったので上手く出来ていたかはわからない。
剣の切先が、鼻の頭に軽く触れた。
「礼はいい。それよりも、質問に応えろ」
これ以上、質問に答えなければ斬る、という意志が、鼻の頭に触れた剣先から伝わってきた。
「俺──私は『勇者』様の“奴隷”であります。『勇者』様は、残念ですが──『魔王』の討伐に失敗し、討ち死にと相成りました。『王妹』様も、共に」
淡々とそう告げると、目の前の騎士の気配が変わった。一瞬の“動揺”と──その後に見えたのは“怒り”であった。
「──なんだと?ならば貴様、何故ここにいる?否──何故“生きて”いる?」
兜の中から俺の首元へと、視線が飛んだ気がした。そして見えたのは──“驚愕”の気配だった。
「──待て。貴様“奴隷”だと言ったな。ならば何故“紋”が無い──?」
俺はその質問には答えず、首に掛けた一対の指環を外し、そのまま差し出した。
「こちらが『勇者』様と『王妹』様の“遺品”でございます」
騎士はそれをひったくるように受け取ると、環の内側の名前を確認していた。
「確かにこれは『勇者』と『王妹』様の指環──」
騎士はそのまましばらく何か考え込んでいたが、すっとこちらへ向き直り、
「とりあえず、貴様は『王都』へ護送する。この件は私の判断出来るところにない」
騎士はそう告げると、目線で自分の馬の後ろを指し示した。乗れ、ということなのだろう。乗ろうとしたが上手く乗れずにもがいていると、騎士が軽く持ち上げて助けてくれた。少し恥ずかしかった。
初めて乗った馬の背は、想像していたよりもずっと高かった。
──生き残った。
とりあえず、あとは『王都』に行き『王』に会うだけだ。
──それさえ済めば、あとはどうなろうと構わない。
騎士が軽く手綱を扱くと、馬が走り出した。
初めて体験する馬の走りは、想像していたよりずっと速く感じた。
顔に受ける風が心地よかった。
◆
送迎部隊と合流してからは速かった。彼らは速やかに野営地を畳み、『王都』への帰路に着いた。
だが『王都』までの間、部隊の空気はそれは重苦しいものだった。『勇者』と『王妹』の死は部隊内に通達され、皆一様に痛切な顔をしていた。中には涙を流すものさえいた。
──やはりあいつらは慕われてはいたんだな。
そんな中でも俺は拘束され『王都』への道を歩かされたが、『魔王』の城から部隊への道のりに比べたら、随分と気は楽であった。
合流してから七日ほどで『王都』へと到着した。
そこから更に三日ほど投獄された後、『王』への謁見が許されたのである。
『王』は出発する前にちらりと見た時よりも、明らかに憔悴していた。前に見た時は若く溌剌としていた印象だったが、今は十歳ほど歳をとったように見えた。
無理もないだろう。可愛がっていた妹とその婚約者を、一度に失ってしまったのだ。その心痛は察するに余りある。
「其方が『勇者』の“奴隷”を名乗る者か」
『王』の玉座の前まで連れていかれ、両脇から兵士に頭を抑えつけられながら『王』の言葉を待っている内に、そう言葉をかけられた。
「だが、“紋”は無いと聞く。“奴隷”だと言うなら“紋”があるはずだがなぁ……」
『王』の紡ぐ言葉からは、覇気が感じられなかった。一国の王の言葉としては、酷く軽いものに思えた。
「まあ貴様が何者であろうと、最早どうでも良い。二人の“指環”を持ち帰ってくれたことは感謝している──」
『王』の言葉は、俺に投げ掛けている、と言うよりはむしろ自分に言い聞かせているように聞こえた。
「だが、俺はもう疲れたのだ──」
声に吐息を多く混じらせ、絞り出すように『王』は言った。
「本当は貴様を処断するつもりであった。“奴隷”ならば主人が死んだ時に死ぬべきだったのだ、と。だが聞けば“奴隷”だと名乗るが“紋”は刻まれていないと言う。“紋”が無いのであれば、理由なく処断はできぬ。それどころか貴様は“恩人”となる──」
『王』の掠れた声は続く。
「なれば“礼”はしなければならない。だが妹とその婚約者を亡くしたばかりで、素直に“礼”を出来るほど俺も人間が出来てはいない──」
ここで『王』はすうと息を大きく吸い直した。
「だから“礼”代わりの金子は取らせよう。だが、疾くこの国から出てゆくが良い」
『王』はここで初めて声に力を込めて、
「貴様は『追放』する。それで“手打ち”とせよ」
と突き放すように言い渡した。
かくして俺は一袋の金貨を持たされ、この国を出ることとなった。
何処にも行くあてはない。誰に頼れるつてもない。
これが「自由」だと言うのなら、「自由」とは随分“不自由”なのだな、と思った。
──それでも。
俺は“生きて”いく。“あの娘”と寄り添えるように。
「──マリー」
口をついて出た、“あの娘”の名前。
彼女が死んだ時、俺は彼女の為に涙を流すことすら出来なかった。
俺は泣いた。涙を流して泣いた。生まれて初めて、誰かのために泣いた。
これが”生きて”いるということなのだろう。
そう、強く思った。
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