第三話 『指環』
着ていた衣服の端をちぎり、それを撚り合わせて紐を作り、それを二人の“指環”に通した。
──この二人は、死んだ後も寄り添えているんだな。
少しだけ憎らしく、でも羨ましかった。
──俺はもう、“あの娘”に寄り添えない。
今だからこそ、“あの娘”が死ぬ時に何かしてやれなかったのか、と後悔が襲ってくる。きっとしてやれることは何もなかっただろう。それでも、考えてしまう。
だが“あの娘”の死に顔は──美しかった。“怨み”も“後悔”も滲んではいなかった。
だからこそ、この“指環”を届けてやろう。
二つ寄り添う“指環”を首に掛け、歩き出した。
この道を一日ばかり歩けば、『王都』からの送迎の軍が待っているはずである。そこで一旦事情を説明すれば良いように計らってくれるだろう。
──問題は一日歩けるか、だな。
道はある。水も食糧も無いが、一日くらいなら問題ない。
問題は“魔物”の存在だった。そんなに数多くいるわけでもないから、一日くらいなら大丈夫だと思うが、それも絶対ではない。襲われたら、多分俺は死ぬ。
──俺は、死ねない。
少なくとも、この“指環”を届けるまでは死ねないのだ。
そう思うと笑えてくる。ほんの少し前までは死を望んでいた俺が、今は死ねない、いや、死にたくない、と望んでいる。
祈りを捧げるように、首元の指環を握りしめ、踏み出す脚に力を込めた。
──この一日だけは“理不尽”よ、降りかかるなよ。明日以降はどんな“理不尽”にも耐え抜くから──
だが俺は忘れていた。
“祈り”というものは、いつだって届かないものだということを──
◆
日が暮れ始めた。
少し考えたが、火を焚くのはやめておいた。“獣”は火を恐れるが、“魔物”は火を怖れない。徒党を組んでの冒険中ならまだしも、戦闘能力のない一人旅で火を焚くのは、危険の方が大きいと判断してのことだった。
道を外れたところに大きな木のウロを見つけた。
──ここに隠れて夜をやり過ごそう。
中に入ると思っていた以上に広かった。膝を抱えてうずくまると、不思議と懐かしい気分になった。眠るつもりもなかったのに、俺はそのまま眠ってしまっていた。
──夢を、見た。
幼い頃の夢だった。
“あの娘”が商館に来た頃、いつ見ても泣いていた“あの娘”に初めて話しかけた時の夢だった。
「おまえ、いつもないてるな」
「わたし、“どれい”じゃない」
「そうなのか?おとなはみんな、このいえにいるのは“どれい”だけだっていってるぞ」
「“どれい”じゃないもん!すぐにおとうさまがたすけにきてくれるもん!」
「“おとうさま”ってなんだ?」
「おとうさま、しらないの?おかあさまは?」
「わかんない。なんなんだ?“おとうさま”と“おかあさま”って」
「あなた“おや”はいないの?」
「わかんないけど、このいえのおとなのことはみんな“おや”だとおもえ、っていわれたきがする」
「あなた、かわいそうな“こ”なのね。いいわ、きょうからわたしが“おねえちゃん”になってあげる」
「よくわからないけど、おまえがげんきになったならよかった」
どれくらい眠っていたのだろうか。外を見ると朝もやが白く張りつめていた。
眠ってしまった自分にも驚いたが、それ以上に夢を見たことに驚いていた。
──初めてだ。“夢”を見たのは。
幸せな過去の幻想。だが確かにあったもの。
今はもう無いし、取り戻せもしないもの。
大切な──“夢”。
恐る恐るウロを出て、道に戻った。
薄くもやのかかった静かな朝は不気味に思えたが、昇る朝日はいつも以上に明るく映った。
──行こう。
まだ先は長い。
それでも、歩いていける。
そう思った。