第二話 『自由』
──あれから三年ほど経っただろうか。
いよいよ『勇者』は『魔王』のいる城へと侵攻するという。
当然、俺も連れて行かれるのだが、意外なことに『王妹』もついてくるという。
どうやら護衛として王都で鳴らした腕っこきを五人ほどつけるらしい。物見遊山のつもりでついてくるようだ。
『勇者』は「君は僕が守るよ」などと歯の浮くような台詞をのたまっていた。
“あの娘”も──いや“自分の子”すら守らなかったのに。
そんな声が自分の中から聞こえたが、すぐに喧騒に溶けて消えた。
しかし何故この二人は『魔王』討伐へ向かおうというのに、こんなに余裕なのだろうか。確かに『勇者』は強いが、『魔王』がそれ以上に強いとは考えないのだろうか。
俺は何も言わなかった。いや、言えなかった。
俺の声は何処かに溶けて消えてしまうのだから──
◆
──あっけない。
そう思った。
俺には戦う能力は“持たされていない”。
だから戦場からは少し離れた位置でいつも待機している。
『魔王』が腕を薙いだ。
『勇者』の首が跳んだ。
『王妹』は叫び、護衛たちは次々と斃れた。
涙で汚れた顔を見ても、特に何も思わなかった。
『魔王』の腕が『王妹』の頭に伸び、叫び声が途切れた。
死んだか、と思った。自分でも驚くほど冷徹な心の声だった。
『魔王』の足元に、七つの屍が転がっていた。
ゆっくりとこちらを振り向いた『魔王』と目が合う。
『魔王』は緩慢な動作で、ゆっくりと近づいてきた。
ここで死ぬのか、と思った。
死ぬのは恐ろしくない。そもそも”生きている”と言えるほど生きていない。
だが”殉死”は嫌だった。『勇者』と『王妹』が死に、それに”殉じた”と思われるのは耐えられなかった。
死ぬ時くらいは、せめて自分に”殉じて”死にたいと思った。
『魔王』が目の前に立った。
俺の手に武器はない。戦うための技術も持たない。他人を殴ったことすらない。
それでも、戦おうと思った。戦いたいと思った。
『勇者』の、ましてや『王妹』のためなどでは決してない。
強いて言うなら自分の、そして”あの娘”のためだった。俺が『勇者』や『王妹』に“殉じた”と“あの娘”が知れば、きっと悲しむだろうから。
目の前に立つ『魔王』と、もう一度目が合った。
わからないなりに拳を握り、殴りかかった。
だが大きく振りかぶって放たれた一撃はあっさりと躱され、俺は勢い余って地面に突っ伏してしまった。
その間に『魔王』が倒れ込んだ俺の顔を覗き込んできた。
『魔王』は何もしゃべらない。ただ俺の目を見つめてくる。
いよいよか、と俺は覚悟を決めた。
誰も知らない、誰も見ていない。だが俺は俺のために戦った。不格好でも、歯が立たなくても。
だから、俺は満足だった。あとは、死ぬだけだ。“あの娘”にあの世で会っても、きっと笑える。
す、と『魔王』は指を差し出してきた。その指は俺の首元にある”紋”に触れた。仄温かい感覚が首筋に走り、“何か”を喪失した感触があった。
「つ──い──ほう、する」
不意に『魔王』が声を出した。低いような高いような、美しくも濁っている、不思議な声だった。
気が付くと、俺は『魔王』の居城の外にいた。
◆
『魔王』の居城の外に放り出された後、俺は途方に暮れていた。
──生きている、のか。
俺はあの瞬間、死を覚悟していた。いや、寧ろ望んですらいたかもしれない。
懐をまさぐると、“指環”が二個出てきた。『勇者』と『王妹』が『魔王』を討伐した時にお互いに嵌めあって“愛”を確かめあう為のものらしく、無くさないように俺が持たされていたものだった。
それぞれの環の内側に『勇者』と『王妹』の名前が刻印されていた。
──本当に自分達が死ぬとは考えていなかったんだな。
あいつらが死ぬ瞬間にはなにも思わなかったが、死んだと実感した今は少しだけ、哀れに思えた。死んでしまったら、誰だって同じだ。こいつらも、“あの娘”も。
──届けよう。
『王』に届け、事の顛末を伝えてやろうと思った。
誰かに命令されたわけではない。こうしろと言われていたわけでもない。
“俺”がしてやりたいと思ったのだ。
反射的に首元に手が伸びた。だがいつものような首を締め付けられる感覚はなかった。
やはり『魔王』が“紋”に触った時に“紋”は消えていたようだ。
そんなことが出来るのか、と不思議には思ったが、“紋”が無くなれば俺は“奴隷”ではないということなのだろう。
──なんだか、変な感じだな。
立って、一歩踏み出した。
その脚は、少しだけ震えていた。
“奴隷”になってから初めて、声を上げて笑った。