流行りの匿名文通というものをやってみた。
いま王都では、匿名文通というものが流行っている。
これは、一般的な書類の受け渡しや、親交を深めるためのものではなく、どちらかというと、娯楽に分類するもので、互いの正体を明かさないでやり取りするものだ。
文通事業を手掛けている会社があり、こちらが手紙をその会社に預けると、受取人が取りに来て、そして数日後に返信を……というシステム。
やり取りしたい頻度や、内容などの条件提示をして、マッチした人と、文通契約を結ぶ。
相手の名前・顔はわからない。こちらも本名ではなくレターネームというものを使用し、手紙は会社を介してやり取りされる。
一般的な文通とは違う、匿名性のあるものとして、貴族たちの軽い遊びとして認知されているものである。
◇ ◆ ◇
僕は王都にいる、そこらにありふれている貴族のひとりだ。
シゴレトーザ伯爵家の次男坊で、いわゆるスペア。
長男が家を継ぐため、次男の立ち位置というのは、なんかあったらの代理。
けれど、内戦も外戦も起きていない平和そのものな国だし、長男は健康そのもの。スペアとしての僕の出番はなさそうである。
近い将来、婚約者のところへ婿入り予定だ。
今は、家を継ぐ婚約者の補佐ができるよう、領地経営を覚えたりと、色々学ぶことが多いが、息抜きに匿名文通をしている。
もちろん、相手の家も本名も知らないし、向こうに僕の正体だって明かしていない。
やりとりする内容のテーマは『日常』だ。
ただ、近況をぼやかしながら報告しあう。
世間話を文でしているようなもので、この匿名文通は、貴族の間でしか出来ないものだ。
書いた手紙は、家の使用人が文通事業をしている会社へ届けるルールがある。
匿名性を守るための、絶対のルールとなっている。
相手の名前はわからずとも、貴族という身分保証がされている安心感があるし、それが匿名文通の売りである。
僕は、この手紙のやり取りをしていることは、家族や婚約者にも伝えているし、中身も見せている。
健全な手紙交換であることを証明しているので、家族もこの娯楽を安心して続けさせてくれているし、僕もやましい気持ちがないために堂々と趣味として口を開ける。
「ぼっちゃま。本日、匿名文通のお手紙を受け取ってまいりました。どうぞ」
匿名文通の手紙は執事が開けて、読んでから渡してくれる。
別に家族の誰かが先に読んでも構わない。どうせ、相手の正体も知らないし、僕だってフェイクを織り交ぜて返信している。
匿名文通の相手は、男爵家の令嬢で、まだ婚約者も決まっていない未成年だ。本人がうっかり漏らしてるのか、そういう設定なのかは知らないが、特に探るつもりもない。
僕には婚約者がいることも、家族に匿名文通のやり取りをオープンにしていることも、文通相手には伝えている。
「ありがとう」
手紙を受け取ると、執事がお茶を淹れてくれる。
そして、ちょうど妹のロロナが、お茶会から帰宅してきたようだ。
「あら、ちい兄様。戻りましたわ」
「おかえり、ロロナ。お茶会お疲れ様」
「そのお手紙は何ですの?」
「匿名文通のものだよ」
「あぁ、例の趣味ですわね」
僕は手紙をロロナに渡す。
僕が見る前に見てもらっても、どうせ問題は何も無い。
が、彼女は手紙を見た瞬間、目を見開いてぐしゃっと紙を握った。
「はっ……、申し訳ありません、ちい兄様。お手紙を……」
「いや、読めるから大丈夫だよ。それよりも一気に顔色悪くなったけど……ロロナこそ大丈夫?」
血の気が引く、という言葉がぴったりな顔色になったロロナ。
貴族たるもの、家族といえども、なかなか顔色の変化を悟らせまいよう、日々訓練と言わんばりに、顔を作るよう努める。それが驚きを含む何かの場合、尚更だ。
そんなことも忘れて、ひどく驚愕の顔を浮かべている。
「匿名文通の今までの手紙も、持ってきて」
ロロナは告げると、サッと一礼し部屋を後にする執事。
「え、ど、どうしたの?」
別に見られても、やましいことはないため、焦ることはないけれど、ロロナの様子がおかしいのだ。
何かに怯えているような。
そして、彼女は控えていたメイドにも、何かを伝えていた。ものすごーく嫌そうな顔をして……。
言葉を受け取ったメイドも、ものすごーく嫌そうな顔をして頷いている。
それを咎めないところを見ると、とても酷いお願いをしたのかな?
少しして、執事が持ってきた手紙の束。
こちらは家族へ匿名文通をオープンにするために、もらった手紙の次に、自分の書いた手紙の複写を作り、保管してある。
複写文は使用人が書いてくれたものだけど。
返信文も保管することで、やましい行ないは無いと堂々証明し、趣味を楽しめている。
ロロナはその束を最初から見ていく。僕の返信部分はざっと見るだけだ。むしろ読んでいない。
全部を見終わった後、ロロナは持ってきてもらった匿名文通とは別の紙の束が入った大きな封筒を、メイドに開けさせる。
メイドも手袋をした状態で封筒を取り扱う。貴重なものなのかな?
「ちい兄様……一年前、わたくしにストーカーがいたのは、覚えておいでですよね?」
「あぁ、もちろんだ。お前に恐怖を植えつけた、とてつもなく気持ち悪い、男の風上にも置けない、最低野郎じゃないか。確か、勘当されて平民となり、西の砂漠地帯へ送られたって聞いたけれど」
ロロナの質問に、当時を思い出しながら、苦々しい気持ちになる。
「ぼっちゃま、こちらストーカーくそ野郎が、お嬢様へ送っていた手紙の数々です。返信がなくとも、連日送ってきたりと、鬱陶しいことこの上なく、ストーカー自身、婚約者がいたにも関わらず、破廉恥な内容の手紙などなども送ってきておりました」
汚いものをつまむように手紙を扱い、メイドが僕に見せる。
メイドのしていた嫌そうな表情や、つまんで手紙を取り扱う意味を理解した。
ストーカーからの手紙、本来ならば燃やしてしまいたい物ではあるが、何か遭った時のために保管していたらしい。
そして、その手紙をテーブルへ広げて見せてくれた。
ストーカーからの手紙に書かれていた文字は、どこかで見たことのある字だ。
僕は慌てて、先ほどロロナがグシャリと潰した手紙を手に取る。
文字の癖がそっくりだ。
メイドが咳払いをひとつして、口を開く。
「というかですね、ぼっちゃま。申し上げようか迷っておりましたが、その字、男性の字ですよ」
その言葉に、僕は首を傾げる。
文字に個人差はあれど、男も女もないはず。
字がきれいか、きれいじゃないか、くらいの認識しかない。
すると今度はロロナが深呼吸をし、呼吸を整えてから、手紙を扇子で指し示す。
「今、社交界では女性たちの間では、丸みを帯びた上で、細い線にて文字を書くのが流行りですわ。そんな力強くペンを走らせて字をハネさせたり、太い線の文字書いていたら、嘲笑されますわ、本当に」
メイドが僕の前に、ストーカーからの手紙も置いて見比べさせるが、じっくり見なくてもわかる、そっくりな文字。
「……え、ってことはこれ、ストーカーの?」
「でしょうね、令嬢たちの流行り文字を知らない、男の字そのものでしてよ」
言い終わるとロロナは扇子を広げて、手紙が視界に入らないようにした。
「まだ信じられないのでしたら、照合魔法をかけることくらいはできますわよ」
「い、いや……魔法を使うまでもなく、そっくりな字だから……」
ロロナほどじゃないけど、僕の顔も青ざめているだろう。
というか、匿名だからとはいえ、妹のストーカーと文通していたなんて……。
「じゃ、じゃあこの手紙に書かれている、お母さんが亡くなってしまった……とかは?」
「王都の貴族が亡くなったなら、情報くらい手に入りますわ。そんな方、いらっしゃいませんことよ」
妹は、一応個々のやり取りということで、今まで匿名文通に触れないでくれていた。けれど内容は会話で伝えていたんだ。雑談のタネとして。
しかし、匿名文通という、中身フェイク混じりの可能性がある文通では、真偽を問うことはしていなかったそうだ。
だけれども、相手がストーカーをしていた男となれば、話は別だ。
「王都に戻ってきた可能性があるということは、新たな被害者が出る可能性もあるぞ。下手したらまた……っ!」
一年前、憔悴しきっていたロロナを思い出し、僕は取り乱してしまった。
手紙が来るたびに怯え、手紙を送ってこないでほしいと、かわるがわるシゴレトーザ家の面々から訴えても、何度も何度も手紙を送ってくる粘着令息。
ロロナだけではなく、ロロナの友人や、僕の友人たちの姉妹も同じ被害に遭っていたらしい。
紙を見るのですら恐怖に顔を引き攣らせ、友人との手紙のやり取りすら、できなくなってしまっていた。
やめてという言葉が届かないのは、とんでもない恐怖だと、妹はたまに思い出して、未だにため息を落とすこともある。
半年くらい前から、ようやく手紙を書けるようになったし、今は乗り越えていると彼女は笑うが、傷ついたのは紛れもない事実なわけで。
慌てふためく僕の隣で、妹はストーカーからの手紙を下げさせ、便箋セットをメイドに持ってこさせて、手紙を書き出した。
「あの時の被害者は、わたくしだけではなくってよ。被害を受けた友達へお伝えしなくては」
テキパキと手紙を友人へ送るべく、ペンを走らせるロロナ。
その文字が踊る線は、とても滑らかで繊細なものだ。
これが令嬢たちの間で流行っている文字なのか。
ってか女性たちって、流行りに合わせて文字の練習してるの?
ペン先も僕の持っているものとは全然違う、細くて丸い筒型をしているし、紙を走らせた時に出てくるインクの先はとても細い。
そして、ペン軸も僕の持つものとは違い、可愛らしい曲線を帯びたデザインだ。
女性の間では、ペン軸の流行もあるようだ……。
「あ、僕も手紙書こう」
粘着令息が、王都に戻って来た可能性があることを、友人たちへ伝える手紙を僕も認める。
妹のペンとは違う、ごくごく一般的な少しごついペン軸に、さじ型のペン先だ。
もしかして、男性の間でもペンの流行、あるのかなぁ。
◇ ◆ ◇
粘着令息が戻って来たかも、という噂は、あれよあれよという間に王都に広がって、粘着令息の家――ネトリー子爵家の耳にも入るようになる。
噂の出始めの時は笑いながら否定をしていたが、あまりの拡がり方に収拾つかなくなる頃には、開き直って息子を庇う発言をし出した。「たかが、友人だと思っていた人へ、手紙を出しただけだろう」と言い放つ始末。
何度断っても、しつこく手紙を送り続けたという部分は、親子揃って無かった事になっているらしい。
親が親なので、子も子だ……と、いう気分になってしまう。
娘を溺愛する各家の家長たちは、その態度に激怒して、ネトリー家は王都の至るところから爪弾きに遭って、貴族が関係している店からは、物を売ってもらえなくなり、生活が立ちいかなくなったらしい。
◇ ◆ ◇
「まだ実は解消されていなかった、粘着令息の婚約。そして婚約者と結婚して、彼女の家が持つ領地で、粘着野郎は滅私奉公らしいですわ」
「婚約を続けていた向こう側も、ある意味すごいね」
「結婚相手の家が治める領地の隣に、ネトリー家は鉱山を持っていたらしいので、そうそう婚約を手放したくはなかったらしいですわよ」
ロロナの情報網は、相変わらずすごい。
色々な人と交流して情報を集めるし、集めた情報を適切な場所へ拡げる力もある。見習わなきゃな。
男と女では飛び交う情報のジャンルが、かなり異なるというのを、今回身を以て知った。
「ちい兄様が、オープンに匿名文通をなさる方でよかったですわ」
「もう懲り懲りだよ。お母さんを亡くした可哀想な未成年の令嬢かと思いきや、成人している粘着ストーカーでした、なんて……恐怖でしかないね」
次の被害が起きる前に、粘着令息は王都から消えた。
本人は、ストーカーをして多数の女性を怖がらせた加害者であるにも関わらず、前の時から、謝罪の言葉を、口や文にしておらず、もちろん反省の色もなし。
粘着令息の部屋からは、また女性宛に送ろうと書き溜めていた、破廉恥・卑猥な内容を含む手紙が多数出て来たにも関わらず、「自分は悪くない! みんな自分の言葉を待っている」と叫んでいたらしい。
この書き溜めた手紙がなければ、追放はできなかったであろうが、一度事件を起こしているにも関わらず、再び同じことを行なおうとする彼は、本当に反省というものをしていなかったのだろう。
「今回の件で、一番被害を受けたのは、匿名文通の会社ですわね。何も悪くないのに、ネトリー令息が利用していたと言うだけで、評判がダダ下がり。可哀想に」
「彼は一度裁きを受けた犯罪者な上に、再犯手前だったからね……。犯罪を犯した者が利用した施設を使うのは、ちょっと遠慮しちゃうよね」
匿名文通の申込みに、しっかり身分確認をするように、世間から糾弾を受けてしまった匿名文通の会社。
貴族だからと信用し、秘密を守る姿勢を見せ匿名性を強めたことが、最初は良かったものの、犯罪者に使用される可能性もある点が、今回危険視されたそうだ。
世間の意見ひっくり返しの速さも、怖いものだね。
「それにしても、懲りてないって、怖いですわね」
「罪名をつけられて、いっときながら勘当されて、西の砂漠地帯に送られてと、罪を認識する出来事があったのに、認めなかったんだよね」
それどころか、こっそり戻ってきて、再び活動しようとしていた上に、同じ事を繰り返そうとしていたのだから、きっと彼は、この先も反省をしないだろう。
ロロナやその友達も、僕の友達の姉妹も、すごく嫌な目に遭った事件なのだが、粘着令息は彼女たちを傷つけたとは、一切思っていなかったらしい。
嫌だと伝えていたのに。
本当ならば、向こうが反省の姿勢を見せ、更生に励んでくれれば良かったのだが、そうキレイにめでたしとはならなかった。
しかし、再び妹に傷が残る事態にならなくて良かったと、僕は安堵し、情報の集め方を見直す機会になったと、将来に向けての勉強になった事件だった。