泡沫の夢から覚めても君と
駅前のバスターミナルに到着したバスから若い男女が降り立った。
「新幹線の時間まで、たぶんお土産買ってももうちょっとあるかな」
スマートフォンで時間を確認した橙也が隣の玲にそう言うと、玲はそうだねと頷く。
「ちょうどいい時間のバスなかったからね」
「まぁとりあえず先に買い物しようか」
「そうだね」
駅舎に向け歩き出す玲。いつもは無造作に纏め上げられている髪は、今日はハーフアップで。目的地が牧場だったので下は動きやすいデニムパンツだが、トップスはいつものラフなシャツではなく、動くとふわりと揺れるシフォンカットソー。
大学では見かけることのないそのうしろ姿は、いつもに輪をかけてかわいらしい。
普段と違う装いは、日帰りとはいえプチ旅行だからか、それとも――。
(……ふたりで出かけるから、なんて)
そうだったらいいな、と。自意識過剰かな、と。
浮かぶ正反対の考えに内心溜息をつき、橙也は玲を追った。
高校の同級生で同じ部活だった玲。学部は違えど大学も同じで。校内では時々一緒に昼食を食べたりするものの、ふたりきりで出かけるのはこれが初めて。
片思い歴はもう七年目になる。
大学生活最後の夏休み、玲が日帰りひとり旅をすると聞き、一緒に行きたいと思わず言ってしまった。
嬉しいと返してくれた玲。計画を練る間もとても楽しそうで。
もしかして玲も自分を、と。そう思いながらも、今までと変わらぬ距離感にその確信を持てないまま。ついに当日を迎えてしまった。
今日もとても嬉しそうな玲。
時折どころか終始見せる幸せそうな笑顔は、念願の牧場のソフトクリームを食べられたからか、それとも――。
核心部分に触れられないまま。
日常に帰る時間は、刻一刻と近付いてきていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「やっぱりまだ時間あるね」
買い物を済ませたふたり。時間を確認すると、まだ半時間以上余裕がある。
時間を潰しがてら少し休憩をしようということになり、目についた駅前の喫茶店に入った。
「玲はなんにする?」
向かい合って席につくと、玲に向けてメニューを開く橙也。
そうだねと考えた振りをしながら、黒縁メガネの奥の瞳がメニューを見ているのをいいことに、玲はこっそりとその顔を見つめる。
いつもこうしてさり気なく気遣ってくれる橙也。
七年目の片思いは、少しだけ進展して。
自分ひとりで行くつもりだった日帰り旅行に、一緒に行こうかと言ってくれた。
自分の好きにさせてくれつつも、橙也自身も希望を出して一緒に楽しんでくれた。
橙也も自分と同じ気持ちなのかもしれないと思いつつ、面と向かうとそれだけで嬉しくて。その状況にもういっぱいいっぱいで、自分のことをどう思うかなんて尋ねられない。
訳あってあまり女子らしさを見せないようにしてきた自分なのに、橙也の前では全然取り繕えなくて。
今日だって、柄にもなくこんな格好をしてきてしまった。
一目見るなりいつもと雰囲気が違うねと言われて。おかしいかと聞いた自分に、橙也は微笑んで似合ってると返してくれた。
嬉しくて嬉しくて。思い切ってよかったと思う一方で。
こんな浮かれた自分の様子を橙也はどう思っているのだろうかと心配にもなる。
隠しきれない自分の想い。
橙也は気付いているのだろうか――?
決まったかと橙也に聞かれ、玲は我に返った。
「俺はアイスコーヒーかな。玲は?」
「クリームソーダ」
答えると、一瞬きょとんと橙也が玲を見る。
「……玲、向こうでソフト三回食べてなかった?」
「だからパフェはやめたんだって」
甘いものが欲しいけど、パフェやケーキまではいらないし、飲み物も飲みたい。
クリームソーダはそんな今の気持ちにうってつけだった。
「橙也だって二回食べてたよね」
「だからコーヒーにしたんだけど」
そう答えた橙也が、玲らしいけど、と相好を崩す。
高鳴る鼓動に橙也から視線を逸らし、玲はごまかすように店員を呼んだ。
お待たせしました、とグラスが置かれた。
透き通るエメラルドグリーンのメロンソーダ。グラスの中には涼しげに気泡を纏う氷のキューブが積み上げられ、その上に半球のバニラアイスとチェリーが載せられている。
「これはソフトじゃなくていいんだ?」
「クリームソーダはバニラアイスだって!」
からかうように聞いてくる橙也にそう断言し、玲は端にストローを挿した。
しゅわっと昇る炭酸の泡が落ち着くのを待ってから、スプーンでメロンソーダに浸るアイスを掬う。
まだ凍ってないなと思いながらもうひと掬いすると、不意にアイスが半分ほど沈んだ。
「玲っ」
途端ぶわりと膨らむ白混じりのメロン色の泡に、玲は急いでストローをくわえる。
弾けながら喉を抜けるメロンソーダ。
結局はグラスの縁から数本垂れてしまった泡を見て、やっちゃったと内心慌てながらストローを離した。
「ごめん、橙也」
みっともないところを見せてしまったと落ち込む玲に、橙也はふっと表情を崩す。
「なんで俺に謝るの」
紙ナプキンで軽くグラスを拭いてくれた橙也は、ゆっくり食べなよ、と笑った。
粗相をした自分に、それでも向けられる優しい笑顔。
恥ずかしくて見ていられなくなり、玲は白の混ざり始めたグラスに視線を落とす。
「ありがと」
小さな呟きは聞こえなかったのか、橙也からの応えはなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
からり、とアイスコーヒーを混ぜながら、橙也は向かいの玲を見つめていた。
吹きこぼれてしまったクリームソーダに慌てる様子も、そのあと恥ずかしそうに礼を言ってくる様子もかわいくて。
こうしてふたりでいられるということと、旅先という高揚感も手伝って、浮かれ込み上げる楽しさと嬉しさ。
帰りの新幹線ではまた隣に座って。美味しそうに駅弁を食べる姿を間近で見られるのかと喜びかけて、はっとする。
新幹線に乗れば、あとはもうもう帰るだけ。
次の約束も何もない、大学でしか会えない日々に戻るだけ――。
「ここ、好きなんだ」
突然耳に飛び込んだ「好き」に心臓が大きく跳ねた。
玲はこちらを見ておらず、淡黄色のバニラアイスに張り付くミントグリーンの薄氷を掬いながら、ふふっと笑う。
「だからアイスを沈めたくって。こんな風によく零してた」
すぐに勘違いだとわかったものの、一度早まった鼓動はすぐには戻らず。
「……うん、なんか美味しいよね」
「やっぱり橙也もそう思う?」
これしきのことでバクバクとうるさい動悸を情けなく思いながら、橙也はアイスコーヒーを一口飲んだ。
目の前の玲が沈んでしまっていたチェリーをスプーンで救出し、柄を摘んで口に運ぶ。プツンと柄を引っ張って、暫く口を動かし、紙ナプキンで口元を隠しながら種を包む。
視線が合うと、見られていたことに気付いてはにかんだ笑みを向けてくる。
「なんか恥ずかしいからそんなに見ないでよ」
「ごっ、ごめん」
慌てて視線を逸らすと、今度はクスクスと笑われる。
逸らした視線の先の見慣れぬ店は、未だ続く楽しい夢。
もうすぐ覚める、泡沫の夢――。
今日一日、楽しそうな玲の隣にいられるのが嬉しくて仕方なかった。
こんな喜びを味わって。今更いつも通りになんて戻れない。
今までの距離になんて戻りたくない。
膝の上に落とした手を、橙也はテーブルの下で握りしめる。
夢の中だけじゃなく。
自分は本当は。
いつだって彼女を見つめていたいのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「玲」
すっかり炭酸が抜けて白濁したソーダを飲んでいると、不意に橙也に名を呼ばれた。
切羽詰まったようなその声に違和感を覚え、玲はストローから唇を離して顔を上げる。
こちらを見る橙也からは、緊張と、いつもはない熱を感じた。
真剣そのものの眼差しにどきりとする。
何をと思う間もなく、橙也が口を開いた。
「好きなんだ」
聞こえた言葉を受け止めきれず、玲は橙也を見返す。
黒縁メガネの奥、じっと自分を見つめる瞳。徐々に赤みを帯びる頬。込められ向けられる気持ちを前に、もうまさかなんて疑いすら浮かばない。
熱の籠るそれは、今まで何度も自問してきた問いの答え――。
一気に顔に昇る熱にすぐには声が出せず、唇がはくはくと無音を刻む。
「……クリームソーダ、が……?」
「クリームソーダも」
やっと出たのは玲自身思ってもいない見当外れな言葉で。橙也は仕方なさそうに笑ってから、それでも律儀に返してくれた。
もう惚けて見返すだけの玲。丸わかりだろうその様子に、橙也の頬も少し緩む。
「玲が好き」
周りに聞こえないように少し落としたその声。
それでもしっかりと届いた想いに、玲の眦に涙が浮かんだ。
「……私も、好き」
更に小さなその呟きは、しかしそれでも十分響いたらしい。
目の前の橙也が幸せそうに笑み崩れる。
「クリームソーダが?」
「ばか」
照れ隠しの言葉に笑い返し、玲は零れた涙を拭った。
「ありがとうございましたー」
店員の声に見送られ、ふたりは店を出る。
「行こっか」
振り返った橙也が手を差し出す。
「うん」
その手を取り、玲も並んで歩き出す。
「玲が美味しそうに食べてるから。俺もクリームソーダ食べたくなっちゃった」
「じゃあ、次はクリームソーダ食べに行く?」
そう答えてから、はっとする玲。
今回日帰り旅行に付き合わせたばかり。バイト代にも限りはある。そうそう遠出ばかりもできない。
「もちろん近場で」
足された言葉にくすりと笑い、橙也が握る手に力を込めた。
「うん。近くも遠くも、色んなとこに行こう」
嬉しそうなその声に、期待のドキドキが重なって。
橙也の手をぎゅっと握り返し、玲は満面の笑みで頷いた。
お読みくださりありがとうございます。
コロン様主催『クリームソーダ祭り』参加作品となります。