表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/16

第七話

 「今日はどこへ?」

 「窃盗事件のことで少しね」

 田中が外出の準備をして駐車場に向かっていると、どこからともなく九里が現れてついてくる。一週間も経てばこんな監視生活にも慣れてしまったが、すれ違う警官から受ける視線は変わらない。決して面倒は起こしてくれるなという願いが強く込められていた。いつも乗っている車両の運転席のドアを開けると、九里は慌てて反対側に回って助手席に乗り込む。田中はシートベルトをするように促してから電源を入れた。

 「自分で運転するんですか?」

 「いい気分転換になる」

 「危ないです。自動操縦にしましょう」

 「嫌なら降りてくれ」

 田中はそう言って少しの猶予を与える。シートベルトを握る九里に降りる気配はなく、それを確認した田中は慎重に車両を発進させた。今回は緊急走行ではないため大人しく地面を這って移動しなければならないが、幸いなことに道はそれほど混んでいない。しかし、せっかくのドライブにもかかわらず車内で会話が発生することはなかった。最初は田中の運転を気にしていた九里だったが、しばらくすると端末を取り出して自分の仕事を始めた。

 運転すること一時間、田中が窓を開けて初老の男と会話を始めると、顔を上げた九里は車窓の風景に目を奪われる。この男は係員で、入校証を受け取った田中は再び徐行で運転する。歩道には若い学生が歩いていて、周囲にはいくつもの大きな建物が鎮座していた。

 「ここは?」

 「九里さんもよく知ってるでしょ」

 「え?」

 九里は忙しく首を回して何か目印を探し、最終的にはナビから正解を知る。ここは二人の母校である新帝都大学だった。シェルター唯一の大学であり、入学できる者は一握りしかいない。5年前までここで過ごした大学生活を思い出した田中は懐かしむ。

 「九里さんは法学だったからこっちの門は使ったことないのか。理学や工学の学生は棟がこっちだからいつもあの裏門を使ってたんだ」

 「どうしてここに?窃盗事件の捜査に来たんじゃ?」

 「まあね」

 田中は詳しいことは説明せずにある建物の裏側に車両を止める。ドアを開けて降りると懐かしい匂いが漂ってきた。白い建物にはいくつものダクトが設置されていて、そこから独特の匂いをした排熱が放出されている。九里は顔をしかめていた。

 「こっちだ」

 田中はかつて毎日のように歩いていたメインストリートを横目に裏道に入り、老朽化したコンクリート造りの建物まで九里を案内する。ここの三階が今日の目的地だった。九里はずっと怪訝そうな顔をしていて、視線で田中に説明を要求してくる。田中は一言も話さずに歩き続けた。

 守衛に警察であることを伝えて中に入れてもらい、エレベーターで三階まで上がる。そこから廊下を進んで一番奥がかつて田中が在籍していた研究室だった。扉の出欠表から目的の人物が来ていることを確認する。ノックして居室の扉を開けると、まだ学部生と思われる眼鏡をかけた学生が出てきた。

 「こんにちは。福井先生はいるかな?」

 「隣の准教授室です」

 「そっか、ありがとう」

 田中はお礼を言って扉を閉め、廊下を少し戻る。よく見ていなかったため気付かなかったが、確かに一つ前の扉には福井准教授室と書かれていた。

 「福井は後輩なんだけど、そういえば准教授に昇進していたことを忘れてたよ」

 「その先生がどうしたの?あなたまさか」

 「まあまあ」

 後ろでぶつぶつと言っている九里を無視して田中は扉を叩く。奥から返事があって中に入ると濃いコーヒーの匂いが最初に出迎えてくれた。整理された部屋はそれなりに広く、窓際の机で一人の男が作業をしている。目が合うと田中は手を振った。

 「久しぶり」

 「え、田中さん!どうしたんですか!」

 福井は入室者の顔を見て驚き、作業を止めて慌ててこちらにやって来る。まずは握手をして久しぶりの再会を祝った。福井は理系を極めてきた者としては珍しい爽やかなイケメンである。今日も無精ひげひとつ生やしていない。

 「福井はここの研究室を主宰してる。ま、九里さんと同じエリートってやつだ」

 「田中さんだって学位取った後は当然残るものと思ってました。警察の方はどうです?上手くやってますか?」

 「それが見ての通り、どこに行くにも監視がつく酷い状況なんだ。彼女は九里さん。法学部を首席で出てる」

 「それはそれは。福井です」

 「どうも」

 九里は訳が分からない様子で挨拶する。福井はニヤニヤと笑って田中に視線を戻す。

 「監視って何ですか?こんな美人に?」

 「彼が変な行動をしないか見ているだけです。政治側にも迷惑をかける問題児ですから」

 「政治?」

 「九里さんは神原の秘書なんだ。なのに訳あってこんなしょうもない仕事をしてる」

 「いやあ変わってないですね。流石です」

 九里の嫌味は届かず、福井はそれを聞いて大笑いする。引きつった顔の九里が首を傾げていると福井が続けた。

 「何の不思議もないです。最初から田中さんに組織の仕事が務まるとは思ってなかったですから。で、何したんですか?」

 「何も。ちょっと偉い人に逆らって左遷されたくらいだ」

 また福井が腹を抱えて笑う。こんな環境を経験したことがない九里は困っている。このシェルターで研究者として上り詰めた者は大抵、社会適合性を犠牲にして秀でた才能を獲得する。九里のように世渡り上手な人間はいない。

 「で、今日は一体何の用ですか?大学に戻りたくなったとか?」

 「それは毎日考えてる。でも違う。実は少し協力してほしいことがあって」

 「田中さん、やっぱり!」

 田中がそう言って端末を取り出すと、九里が大きな声を出して二人の間に割り込んでくる。ずっと疑っていたことが確信に変わって九里は田中を強く睨む。

 「許しませんよ。捜査資料は機密です。それにあなたはもう捜査する立場にない」

 「とまあ毎日こんなことをね」

 「真剣な話です。職を失いたいですか?」

 「神原に報告したいならすればいい。その間に見せちゃうけどね」

 田中は聞く耳を持つことなく端末のロックを解除する。すると、九里はそんな田中の右手を掴んでやめさせようとする。今日はいつもになく過干渉だった。

 「彼にも迷惑をかけるつもりですか?昇進したばかりだと言ってましたけど」

 「大学には自治権がある。神原でもここの人事にまで文句は言えない。俺の首が飛ぶだけなら軽い話だ」

 「馬鹿ですか」

 「そんなやばい話持ってきたんですか?」

 田中と九里が言い合っていると、福井が場を収めようと話を取り持つ。邪魔されたと感じた九里に睨まれても平然としていて、来客用のコップに濃いコーヒーを作っていく。この無鉄砲さはここで研究するにあたり最初に教え込まれる心構えだった。

 「殺人の話はニュースで見たか?」

 「ああ、あの」

 「田中さん。それ以上はもう引き返せませんよ」

 「その遺体の処理があまりにも猟奇的で警察は手を持て余してる。少し意見がほしい」

 「はあ」

 九里はとうとうその場の椅子に座り込む。田中がその姿を見下ろしても頭を抱えて動かくなってしまった。福井は九里の反応を楽しそうに見ている。

 「連絡しないのか?」

 「あなたがどこまで情報をリークしたか把握してからにします。どうせ止められません。だったら報告は一度にまとめた方が良い」

 「そうか」

 九里は半ば自分の仕事を放棄し、田中はそれを良いことに端末を操作していく。写真が表示されると何度も見ている田中であっても少しのけ反ってしまう。

 「福井、ちょっとやばめの写真大丈夫か?」

 「スプラッター映画は好きです」

 「これだ」

 「おお、これは」

 田中はまず、遺体の全体写真を見せる。福井の反応は九里の時と似ていた。田中は写真を送りながら発見時の状況を説明していく。福井は複雑な表情でそれを聞いていた。九里も耳を傾けているが考えていることは違うことらしい。15分ほど田中が一方的に話した後、今度は福井から意見をもらうことにする。

 「率直にこれ、何のためだと思う」

 「うーん。まあ脱水か乾燥ってのは間違いなさそうですね。あと、嫌気下ってことはただの酸化的な分解を嫌がってるように見えます。似ているのは炭づくりでしょうか」

 「炭づくり?」

 「過去の時代に行われてた燃料の作成法です。木材などを不完全燃焼させることで炭素を取り出す行為ですね。この写真を見るに温度が低くて炭化はしてないですけど、この管が繋がった先の水の濁り具合から見て遺体から出る揮発成分は除去されてるみたいです」

 炭は田中も学生時代に少し触ったことがある。真っ黒な物質で触ると粉が手につく。そして、なにより高価な物質という記憶があった。

 「確かに炭は手に入りにくかったな」

 「ええ。炭素は特に厳しく規制されてる資源ですからね。実験で使う有機物質もかなり管理が徹底されてるくらいです。純粋な炭素となるとそれなりに値が張ります」

 「それで?その炭って何に使うの?」

 ここで九里が初めて話に参加してくる。田中の行動には反発しているが、事件については興味があるらしい。田中と同じ情報は持っているため、九里も捜査できる立場にあることは間違いない。ただ、田中は今更なんだと思ってしまう。

 「一番は燃焼材です。でもシェルターでそんな使われ方はまずされないから吸着剤とか、電極とかかな」

 「爆発物の可能性は?政府は常にそういったテロを気にしています」

 「火薬ですか。あり得ますけど、そのためには他にも色々と材料が必要です。最近他に何か盗難にあったものは?」

 「この事件の直前、下水処理場からリン酸塩が盗まれた」

 「リンは火薬に使わないですね。そもそも、炭といってもこんな荒い作り方じゃまともな用途での利用は無理でしょう」

 「そうか」

 田中はここまでの情報を総合して考えを巡らせてみる。福井の話を聞いた感想は、全ての可能性が排除できないという単純なものだった。この遺体の処理方法が犯人に何らかの利益をもたらすということは間違いない。しかし、炭素は全ての物質の根幹であるため犯人が何を必要としていたのか絞り込むことができない。こうなってはカルト的な可能性も無視できなかった。そうして部屋が静かになったとき、田中の端末に着信が入った。

 「すまない」

 席を立って壁際に寄ってから電話に出る。相手は吉野だった。電話越しにも興奮していることが分かり、報告を受けた田中も驚くことになった。ただ、直ちに後ろを気にして普通の会話であるように偽装する。そうして席に戻った田中だったが既に九里に怪しまれており、早々に隠すことは諦めた。

 「何の報告ですか?部下二人にもまだ捜査をさせてるみたいですね」

 「それが実を結んだらしい。被害者の身元が割れた」

 田中はその情報を端末に書き込んでいく。九里の視線がなかなか外れない。田中がそのまま黙っていると九里が机に体重をかけて顔を近づけてくる。

 「それで?」

 「いいのか?この情報は本部もまだ知らないことだぞ」

 「今更なにを」

 「言わせたのは九里さんだからね。被害者は異邦人だった。三週間前にシェルター14に到着した3人が国の施設から行方不明になっていたらしい」

 「それだけで一致?」

 「その内2人は司法解剖で明らかとなっていた胃の内容物と施設での最後の食事が一致した。読み取れる中での身体的特徴も一致しているらしい」

 田中は口調を早めて説明を行う。被害者が異邦人である可能性は田中も考えていなかった。異邦人がシェルターに避難してきた場合、数ヵ月の取り調べと教育をもってシェルター内での生活に参加することができる。しかし、行方不明となっている3人はその期間中だったため、社会にまだ出ていなかった。そう考えると一気に捜査すべき幅が狭まってくる。

 「それが本当ならお手柄ね」

 「だから本部の奴らを頼るなと言ったんだ」

 「処分は覚悟しなさい」

 「はい?」

 九里が端末を持って立ち上がる。どうやらここまでの内容を神原に報告するらしい。田中にとってそんな脅しは大した意味を持っていないが、九里がなおも凝り固まった考え方を捨てようとしないことに苛立つ。

 「被害者が異邦人なら誰かから恨みを買うことはないし、そもそも国の施設から消えたとなれば誰が関与したのか絞れる。宗教が関係してるとか間違った捜査方向を正すことができる情報だ」

 「だとしてもあなたは近道を求めすぎる。政治側は最悪、シェルターの治安が維持されるならば犯人逮捕に固執しないでしょう。田中さん、あなたは自分勝手な行動で政治の顔に泥を塗ったことに気付きませんか?」

 「そんな考えが間違ってる。政治の面子を気にして犯人を逃すなんてまかり通っていいはずがない」

 「もっと大きな視点を持ってください。真実ばかり追い求めて世界が壊れては意味がない。では、私は連絡をするので」

 九里は力強く扉を開け放って廊下に出ていく。田中は頬肘をついてこめかみを押さえる。あまりに考え方が違っている。妥協点など見つかるはずがなかった。

 「思ったよりギスギスしてるみたいですね」

 「まあな。でも、言ってた通りなら今度こそおさらばだ。出勤停止でも言い渡されるんじゃないかな」

 「良いんですか?僕に助言求めたばかりに。あまりいい意見出せませんでしたし」

 「そんなことない。被害者が割れて考えが纏まってきた気がする。出勤停止になったら休暇でも楽しむよ。今はどんな研究を?暇になったら論文読もうかな」

 田中はそれほど処分を重く見ていない。再び左遷されて交番勤務になったとしてもやっていける自信はある。ただ、福井に心配させたのであれば申し訳なかった。

 「最近は放射化学をしてます。ここだけの話、国はこれから外界調査に本腰を入れるみたいで、それに向けた研究が色々と水面下で始まっています」

 「ここのところ異邦人との接触が続いてるからか?」

 「みたいですね。僕らのところに詳しい話は降りてきてないですけど、放射性物質で汚染された環境があるかもしれないという話で、だからこんな研究を」

 「へえ。面白いのかさっぱりだな」

 「論文送りますよ。暇になったら言ってください」

 福井が冗談半分に笑う。そうしていると九里が戻ってきた。いつもになく険しい顔をしている。

 「電話中に帰ってしまうかと思いましたけど」

 「そんな子供じみた嫌がらせはしない。福井、今日はありがとう」

 「はい。田中さんも上手くやってください」

 二人は互いを激励する。科学を仕事にする福井と久しぶりに話して、田中はいかに人間社会が荒み切っているのかを再確認することができた。科学はあまりにも誠実で嘘をつかないが、人間は自分勝手を優先するあまり嘘と偽りにまみれる。そんな世界に慣れてしまったからこそ、九里も今の状況に苦慮していた。

 「田中さんのせいで私の立場まで危うくなりかけてます」

 「貧乏くじ引いたな」

 これまで失敗してこなかった九里は人のせいにすることで自らの正当性を噛みしめる。田中は勝手にすればいいと取り合わない。それからの二人は全く会話を交わすことなく扇署に戻った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ