第六話
捜査が始まって数日が経ったある日、田中は険しい表情の署長の前に立たされていた。おおよそ何のことかは予想がついていて、署長室の壁にかけられた端末ではこれ見よがしに最新ニュースが流れている。
「田中、弁明はあるか?」
「時間の問題でした」
「それをどうにかしろと言っていただろう!」
ニュースでは田中らが捜査をしていた猟奇殺人について報道されている。具体的な殺害方法や遺体の状態はまだ知れ渡っていなかったが、シェルターで三人分の他殺体が発見されたことが驚きを持って伝えられている。署長は声を上げて田中を強く追及し、なにより今後を絶望しているように見えた。
「上から文句があったんですか?」
「今のところはない。その代わり、本部から応援が寄越されることになった」
「政治大会までそちらに集中すると言っておきながら一貫性のない集団ですね」
「お前がそうさせたんだ。我々に任せていてはさらに問題が起こると判断したんだろう。これで今後五年はこの署から本部への栄転はなくなったな」
田中はそれを聞いてなるほどと合点がいく。この部屋に来るまでに数人から睨まれた理由がようやく分かったからだ。吉野や鈴木はどんなに功績を上げたとしてもこの署中での昇進に留まる。そんな二人のことは気にしていたつもりだったが、さらに上の世代については考えが及んでいなかった。左遷を経験して正規のルートを外れた田中にとって、本部に魅力的な要素は一つもない。
「九里とは良好にしてました」
「今後はもう必要ない。またいつもの雑用に戻ってもらう」
「俺たちは完全に外されるんですか?」
「誰が残すか。九里先生もやっとこんなところを離れられると安堵されることだろう。捜査資料を整理しておけ。分かったな?」
「いやでも」
「話は終わりだ。出ていけ」
一方的に話を終わらされて田中は部屋から追い出される。事件の捜査はまだ何ら進展がない。こんな形で終わりというのは心外だった。田中は早速署長の意図とは正反対の方向で物事を考え始める。部下の二人も納得してくれないと分かっていた。
デスクに戻っていると廊下の壁にもたれかかっていた九里と鉢合わせる。いつものように偉そうに腕を組んでこちらをじっと見ている。田中は近づいてから話しかけた。
「一緒に仕事をするのもこれで終わりだな」
「本部から応援が来ることを聞いたんですね」
「ああ。言われなくても引き継ぎはちゃんとする。じゃ元気で」
田中はそれだけ伝えて立ち去ろうとする。しかし、九里はその横に並んで一緒に歩き始めた。田中はまるで貧乏神に取りつかれた気分になる。
「まだ何かあるのか?」
「ええ、私もうしばらくここに留まるので」
「神原は本部の警官さえ信頼してないのか。そういう奴らを身近に残してるんだろうに」
「いいえ。先生が信頼していないのは田中さんです。本部から急遽応援が来ることになったのも、シェルター内で殺人事件が公になったからではありません。初期対応を田中さんがしていると私が報告したからでした」
九里が裏事情を教えてくれる。それを聞いた田中は驚いた。言い合いが始まると思ったのか、九里は田中の顔を見上げて備える。田中は疲れた頭で考えてから質問した。
「俺が何かしたか?」
「印象が悪いんです。何しろ田中さんは神原先生に盾突いた稀有な存在ですから。私を送り付ける程度では扇署をコントロールできないと考えたのでしょう」
「捜査のやり方にまで口を挟むなんて、ってそんなこと言い合っても仕方ないな。俺はこの事件から外された。もう関係ない。だからまあ、九里さんも頑張ってね」
お互いに関わり合うことはストレスの源でしかない。田中はまだ耐えられるが、吉野の九里に対する嫌悪感は相当なもので、それを気にしながらの仕事は苦しい。田中がこの場所で満足できていたのはそんな人間関係のしがらみから解放されたからで、九里の存在は迷惑だった。
しかし、九里は田中の別れの言葉を聞いても不思議そうに首を傾げている。そこで田中は気付いてしまう。ぞわっと鳥肌が立って背中に冷たい感覚が走る。
「私はもう少し田中さんと行動を共にします。そのように先生から指示があったので」
「なぜ?」
「さっきも言いました。印象が絶望的に悪いからです。田中さん、捜査から外れたとして本当にその指示に従いますか?その点で不信感があるようです」
「ストーカーでもするつもりか?」
「事件解決まで出勤停止にされたい?田中さんの勝手な行動でシェルターが混乱するなんて許されない。この数日を見ていただけでも分かります。捜査、止める気ないですね?」
九里ははっきりと断言して田中の反応を待つ。田中は隠すことなく大きくため息をついた。
本部の警官は午後の内に到着し、田中らから資料を受け取るなり扇署の人間を締め出して捜査を始めた。ただ、人手は必要なようで雑用として数名の扇署の警察官が駆り出される。当然、その中に田中の班は入らない。
「聞いた話によると、本部はカルトが関与しているって方向で捜査するみたいです。僕の同期がシェルター内の宗教施設、カルト施設を洗うように指示されたって言ってました」
「あの殺し方、そういう風に考えるのか」
「ミイラでも作ってたと思ってるんですかね?」
鈴木から内情を聞いて田中はぼんやりと捜査の妥当性について考える。田中らは殺人事件の捜査を外れたことで急に時間が与えられた。雑用は溜まりに溜まっているが、やはり殺人事件が気になって噂話をしてしまう。少し離れた場所で仕事をしている九里の視線が定期的に刺さる。
「でも田中さんはそう思っていないんですよね」
「確証はないけどな」
「お喋りはそれくらいにして仕事をされてはいかがです?」
九里から説教じみた冷たい言葉が飛んでくる。吉野は眉間にしわを寄せて睨み返し、鈴木は黙り込む。田中は話を続けた。
「もしどこかの宗教が遺体をあんな処理する儀式をしてたとして、どうして今まで知られなかった?シェルターでは人が死ぬと国の管理下で資源化される。これまでのところ、死亡者数と処理遺体数が合わなかったことはないはず」
「死亡届が出されていないとか?」
「考えられるけど可能性は低い。これだけ管理された世界だ。この三人が初めての被害者だとすれば辻褄は通るけど、そんな偶然あるか?」
九里が端末をデスクに置いてこちらに近づいてくる。言うことを聞かない小学生を相手にする教師のつもりでいるのか、少し馬鹿にするような口調で三人を問いただす。
「私の話を聞いていますか?」
「今は休憩中だけど?」
吉野が噛みつくと、九里はこめかみに手を当てる。
「事件に関わるなと遠回しに言っているのが分かりませんか?あなたたちにはもうあの事件に関わる権利はありません。神原先生の心配した通りでしたね」
「さて、そろそろ仕事に戻るか。あの窃盗事件、またこっちに回ってきたんだろ?」
田中は仕方なく二人に指示を出す。九里はそれを聞いて引き下がっていった。
九里はこの事件が解決するまで田中の監視につくと明言した。ただ、本部の捜査方向を聞いた田中は永久に監視が解かれないのではないかと考えてしまう。田中には別の視点から調べてみたいことがある。しかし、九里が大きな足枷になっていた。
恐れていたことに、この日の夜は勤務時間を過ぎても九里の執拗な干渉を受けることになった。田中が残業をすると伝えたところ、九里もそれが終わるまでは帰らないと言い出したのだ。田中が逃げるように狭い休憩室にこもって夕食を取っていても、九里はわざわざ探し出して隣に陣取る。そこで二人はあるニュースに釘付けとなった。
『今日の夕方6時頃、民自党の大塚議員が党事務所を出た先で男に刃物で襲われる事件が発生しました。警備にあたっていた警察官によって撃退され、大塚議員に怪我はなかったということですが、男は今も逃走中です。警察は反体制的なカルト集団による犯行とみて男の行方を追っています』
「ちょっと不用心じゃないか」
「私に言われても」
「政治家様を襲うなんて事件の方がシェルターに与える影響は大きいだろ。事件があって数時間ってところか。本部が扱っていた割に情報が流れるの早くないか?」
田中の問いかけに九里は返事をしない。気になってそちらを見てみると、真剣な顔つきで画面に食い入る九里は深く考え込んでいた。しばらくして田中の視線に気付くとそそくさと自らの端末に視線を戻す。
「これで捜査の方向が宗教で固まると最悪だな」
「あなたは気にしなくて良い」
「もしそうなったら政治家ってのは大馬鹿野郎だって言ってやる」
「ご勝手に」
九里は可愛げなく返事して自らの仕事に戻ってしまう。田中は食事を取り終えた後、ここで仮眠を取ることにする。そして小一時間後、目を覚ますと九里の姿はなかった。