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第三話

 翌朝、いつもより早く出勤した田中は署内での月例会議に参加していた。警部以上の者が顔を合わせ、現在進行形の案件や国からの指示について協議を行う。田中はリン酸塩の窃盗について報告する予定だったが、話題のほとんどが開催が差し迫った政治大会についてだった。

 大会中に重大事件が起きることは絶対に避けなければならない。それが役職に就く者の共通認識である。シェルターの治安に関わるからというのもそうだが、一番の理由は各自の出世に大きく影響するためだった。上層部は特にそれを怖がっていて、その結果、田中のような現場を指揮する中間管理職に細かく指示を出す。同様に出世を目論む者はそれを真剣に聞いているが、田中にとっては興味のないことだった。

 気だるい会議も終わりに差し掛かる。そんな時、唐突に会議室の扉が大きく開かれた。飛び込んできたのは顔なじみの若い巡査だった。

 「何事だ!会議中だぞ」

 「申し訳ありません。緊急事態です!」

 「何だ」

 管理官から怒号が飛び、巡査は扉の前で硬直する。メモを読もうとしているが、手が震えて上手くいっていない。そんなことをしている間にも多くの視線が集まり緊迫感が増してくる。

 「たった今、扇署管内の廃工場で配管に繋がれた三名分の遺体が発見されたと緊急通報。本部から直ちに対処に当たるよう指示が」

 「え、死んでるのか」

 「殺しか?」

 「繋がれたというのはどこが?自殺ならよくあることだ」

 「だとしても集団自殺だなんて」

 一気に会議室内が騒がしくなっていく。田中もその報告には興味を持った。ただ、周りを気にしていても憶測が飛び交うだけで対応案がなかなか出てこない。田中が嫌な予感を持つと大体が的中する。今日もなぜか署長と目が合ってしまった。

 「田中、初期対応しろ」

 「俺らは雑用係じゃないです」

 「とにかく最悪の事態を想定して対処する。捜査員をできるだけ派遣しよう。とにかく情報の扱いには注意しろ」

 「あの、さっきも報告した通り、俺らはこれまた押し付けられた窃盗の対処が」

 「そんなの後回しだ。宇田のところに回せ」

 田中がどんなに抵抗しても決定が覆ることはない。田中はキャリア組でありながら左遷され、扇署でも爪弾き者として扱われている。出世を強く考える者は面倒な事件に関わりたがらない。能力不足を指摘されれば二度と同じ道に戻ることができないからだ。一方、田中は既にそれから大きく外れてしまっているため面倒事を押し付けられる傾向にあった。

 「田中、返事は」

 「分かりました。うちの二人を呼び止めておいてください。窃盗の捜査ファイルは我々の席にあるので」

 「いいな、とにかく情報は絶対に漏らすな」

 「はい」

 「田中待て。それと、本部の応援があった場合は全面的に協力しろ。殺しならシェルターで半年振りだ。本部も相当本腰をいれるだろう」

 「だとすれば最高の人選ですね」

 「早く行け」

 嫌味を言っても意味はなく、田中は会議室から追い出される。外はすでに大騒ぎとなっていて、多くの警官が現場に向かうために準備を進めていた。田中はひとまず自分のデスクに戻る。

 「また僕らですか?」

 「署長直々の仕事だ。ありがたく思え」

 「田中さんの下にいるとこんなのばかりですね」

 穏やかな口調の吉野が物怖じすることなく文句を言う。それは上に言ってほしい。そう思いつつ田中は上着を羽織った。反発して評価が落ちるのは三人まとめてである。それを踏まえて田中は身の振り方を考えているつもりだった。拳銃を携帯した後、田中班も車両に飛び乗って現場に急行する。事件現場は市街地の外れにある中規模の廃工場であり、到着した時にはすでに規制線が張り巡らされていた。

 「いつもお疲れ様です」

 「ああ」

 到着すると、一人の若手警官が近づいてくる。田中らがこんな役回りであることは扇署では有名な話で、現場で駆けずり回る者同士顔馴染みとなっている。歩きながら早速状況が伝えられた。

 「発見者は7歳の男児二人。廃工場で遊んでいたところ屋内で偶然遺体を発見し、直ちに所持していた端末から通報を行いました。この廃工場では5年前まで産業廃棄物のリサイクルが行われていましたが、現在は閉業しています。土地の所有者はすぐ隣の民家に住む60代の男で、現在こちらからも事情を聞いています」

 「それで、どんな遺体なんだ」

 「それは見てもらった方が早いかと」

 三人は廃工場の中に案内される。すでに鑑識作業が始まっていて内部はライトで照らされているが、発見時にはかなり暗かったことが想像できる。多くの配管が入り組んでおり、その中の一角に人が集まっている。近づくと顔色を悪くした警官とすれ違った。

 「なんだこれ」

 「うえぇ」

 遺体の目の前まで近づいて、鈴木と吉野が同時に声を漏らす。田中も思わず目を背けてしまった。しかし、気をしっかりと持ってもう一度遺体と向き合う。

 遺体は伝えられていた通り三人分あり、そのどれもが地面に平行に通っているステンレス製の太い配管の上でうつ伏せに寝かされていた。両手足が配管を抱くように回され、胴体の反対側で針金のようなものできつく縛られている。いずれの遺体も赤黒く変色しており、想像していた人間の死体とはまるで違っていた。奇妙なことに、それらの遺体は全て透明のプラスチック製の袋で覆われている。

 「配管には触らないでください。我々が到着するまでここには蒸気が通されていて表面温度は300度ほどありました。遺体が変色して縮んでいるのはそのせいでしょう」

 「この管は?」

 遺体を包んでいる袋のどれもに不透明のプラスチック管が取り付けられており、その反対の端が近くのコンテナに溜められた水の中に浸かっている。その水も茶色く変色して異臭を放っていた。あまりにも異様な光景に頭が上手く働かない。

 「おそらく袋の中に外の空気が入らないようにしているんでしょう。それが腐臭の拡散を抑えるためなのか、そもそも腐ることを抑制するためなのかは分かりません」

 「結構時間が経ってそうだな」

 「はい。詳しく調べてみないと分かりませんが、袋の外から触った感触からして遺体の乾燥はかなり進んでいます。処理を簡単にするためかもしれませんね」

 「すみません。私ちょっと外に」

 鑑識から話を聞いていると、とうとう吉野が口元を押さえて早歩きで外に出ていく。鈴木はまだ大丈夫そうだが顔は真っ青となっている。それでも警察官としての職務を全うするためか弱々しい口調で問いかけた。

 「生きた状態で繋がれたんでしょうか。それとも殺されてから」

 「それも調べてみないと。ただ、ほぼ間違いなく他殺でしょう。生きたままだったとはあまり考えたくない」

 「身元は特定はできそうですか?」

 「それも今のところは何とも。被害者の所持品はこの辺りにありませんでしたし、少なくとも顔や見た目の印象は全く使い物にならない。指紋も取れないでしょう。DNAも遺体がここまで傷んでいると破壊されている恐れがあります。歯型は口内の状態次第です」

 「分かりました。私たちは土地の所有者と発見者の子供に話を聞いてみます」

 田中はもう一度遺体を凝視して目を瞑る。廃工場から出ると規制線の外側には多くの野次馬が集まっていた。最初から気にしていなかったものの、情報を漏らすなという署長の指示は守れそうにない。

 「吉野、大丈夫か?」

 「ええ。ちょっとああいうのは苦手で」

 「得意な奴はいないよ」

 吉野は外壁に寄りかかって呼吸を整えている。鋼のメンタルを持っている吉野であってもこればかりは仕方がない。しばらく天井をぼんやりと見つめている間にも警察車両が次々と着陸と離陸を繰り返している。駐車場代わりに使っている空き地では一人の男が複数の警官に取り囲まれていた。

 「いけるか?」

 「はい」

 「多分あの男がここの所有者だ。あっちは俺が話を聞くから二人は子供の方お願い」

 「分かりました」

 二人と別れると、田中は早速男の観察を始める。白い髪とたっぷりと蓄えた髭が特徴的で目つきは鋭い。体格は年齢の割に良い方で、話している間も両手を振り回しながら警官に文句をぶつけていた。田中は両手をポケットに突っこんだままその間に割り込んでいく。

 「あなたがここの土地の持ち主?」

 「お前は」

 「捜査官です。どこまで話を?」

 「土地の所有者であることを認めたところまで。中で死体が見つかったことを伝えると知らないと」

 「俺は知らねえ!何もしてねえよ!」

 「そりゃ、何かしたって言われたらこっちも困ります」

 田中は男の風貌をもう一度確認した後に質問を考える。そんな視線に男は眉をひそめる。

 「名前は?」

 「大野義久」

 「遺体がどんな状態で見つかったかは聞きました?」

 「ああ。惨い状態だったってことくらいは」

 「高温の蒸気が通る配管の上で半分焼かれたような状態でした。工場を閉めたのはいつですか?稼働していなくても配管の中に蒸気を通していたのですか?」

 発見時、配管の中には蒸気が流れ続けていたという。何が稼働していたのかは分からないが、廃工場にしてはおかしな状況といえる。

 「閉めたのは五年前の春だ。扱ってた産廃のリサイクルを国が管理することになって事業をやめた。見てないから分からないが、多分その配管は反応釜の加熱に使う流路だろう。工場を閉める時に当然止めた。電気もその時に解約した」

 「電気を通すことができれば再び動かすことはできる」

 「それと水がありゃな。いつからまた電力供給があったのかは知らねえ。解約したんだから分かるわけねえだろ」

 「それはこちらで調べてみます。あと聞きたいのは、その機械は誰でも扱うことができるものですか?」

 「やり方を知ってたらな。でも、もう何年も使ってなかったんだ。再起動にはメンテがいるはずだからそうなると少ないかもな」

 「あなたもできますね?」

 「なんだぁ?」

 田中が何気なく質問すると大野が一歩前に踏み出して威圧してくる。疑われたと思って気分を悪くしたらしい。実際、田中はそのつもりで質問していたため変に弁明することはしない。

 「工場で働いていた者の名簿を提出してください。その機械を扱っていた者に印をつけてくれると助かります」

 「あいつらはやってねえ。そんなことができる奴らじゃねえから」

 「それはこちらで判断します」

 田中の言い草に再び大野は苛立つ。ただ、その怒りの矛先は田中らとは別のところに向かった。

 「そういや、ガキが勝手に入って見つけたんだって?そいつらちゃんと捕まえてくれるんだろうな」

 「注意はしますよ」

 「逮捕しろ。勝手に入ったんだろ?俺の建物だ」

 「そもそも年齢的に逮捕できません。そんなこと言うなら管理不行き届きで機械が動いていたわけですから、あなたもその過失を問われる可能性があります。大人しく捜査に協力する方が身のためですよ」

 「俺を脅してんのか!」

 「忠告です。では」

 田中は文句を背中に受けながらその場を離れる。何の根拠もない直感に委ねるとあの男はこの事件に関与していない。しかし、元従業員が犯人という可能性は大いにあり得ることだった。そんなことを一人で考えていると吉野が近づいてくる。

 「子供から話を聞いてきました。あまり有益な情報はなくて、施錠されていなかった裏口から探検で入って、偶然見つけたのだと」

 「そうか」

 「それより問題なのは、この事件をどう秘密にさせるかですよ」

 「保護者には伝えていい。家庭内で黙っててもらおう」

 「良いんですか?署長、情報の扱いに五月蠅かったんじゃ」

 吉野が懸念事項を伝えてくる。それに対して田中は野次馬を顎で示した。

 「どうせすぐ隠せなくなる。それに、子供にあの惨状を黙っておけなんて言えないだろ。せめて両親と一緒にケアする環境は作らないと。でないと後でこっちが訴えられるかもしれない」

 「優しいと思ったらそういう理由ですか」

 「上は責任取ってくれないぞ。だからその方向でよろしく」

 吉野は指示を受け取って再び田中から離れていく。一人残された田中は工場の方を向いてため息をつく。あまり中には入りたくない。仕事柄人の死に触れることは多いが、こんなにも悪意に満ち溢れた現場は初めてだった。しかし、弱音ばかり言ってもいられない。その日の田中は時間が許す限り現場で捜査を続けた。

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