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第二話

 「田中さん、こっちです」

 午後八時過ぎ、仕事を半ば強引に終わらせた田中は扇署近くの大衆居酒屋を訪れていた。座席数はそれほど多くなく、カウンターに座る鈴木と吉野をすぐに見つけることができる。鈴木を中央にしてその右側に座ると、大将がすぐにビールを用意してくれた。

 「報告書終わりました?」

 「やっとね」

 「本当、すみませんでした。僕が抜いてしまったばかりに」

 田中がここ数日忙しくしていた理由を二人とも知っていて、鈴木がこちらを向いて頭を下げる。田中はそれに対してグラスを差し出した。ガチャンと音を鳴らして半分まで飲み干す。

 「使うべきところで使った。それが鈴木の仕事で、書類を作るのが俺の仕事だから」

 「そう言ってもらえると助かります」

 十日ほど前、刃物を振り回す男を確保するため、鈴木は拳銃を使用した。これは誰もが認める適正使用だったが、直属の上司である田中には報告書作成という突発的な仕事が新しく降りかかった。人に指示を出す立場にある以上仕方のないことで、田中はそのことで鈴木を非難するつもりは全くなかった。

 「それよりあの窃盗事件、何か進展あった?」

 「それがですね、想定していなかった問題が出てきました」

 「問題?」

 大将が出す料理はいつもと全く変わらない。ナスと人造肉の和え物と乾燥芋を蒸かして戻したものである。田中がそれを箸でつついていると吉野がタブレットを取り出して説明を始めた。

 「近くに民間の監視カメラはありませんでしたが、主要道路を監視する国のカメラがありました。ただしそのどれもが故障中だったということで一昨日から現在に至るまで情報が何も残っていませんでした」

 「え、全部?」

 「問い合わせたところシステムに不具合が起きていたとのことで、同じサーバーで管理していたカメラが一挙に停止したと。なので調査の範囲を広げる必要が出てきました。対象となる地区や車両が一気に増えるので時間がかかりそうです」

 鈴木がため息をついて大きくグラスを傾ける。田中は少し考えてから口を開いた。

 「だったら先に目撃者を探そう。カメラがないなら人の記憶が頼りだ。薄れてしまう前に押さえておきたい」

 「分かりました」

 「心配しなくても本部から増援があるはずだ」

 田中は楽観的に考える。このシェルターにおける犯罪検挙率はほぼ100パーセント。例え監視カメラが使えなかったとしても捜査の手段は幾らでもあり、単なる窃盗ならば犯人が手掛かりを残している場合が多いのだ。ただ、吉野はそれを聞いてなお浮かない顔をする。

 「どうも本部は本部で忙しいみたいです」

 「あれのせいでね」

 吉野が居酒屋の壁に掛けられた端末に視線を送る。画面には国営放送が流れていて、機械音声が淡々とニュースを読み上げていた。内容は現在与党である民自党の政治大会が近々行われるというものだった。

 「これに向けて警備のレベルを上げるそうです。本部はその準備にてんやわんやだと聞きました」

 「署長は本部の警官が来ると言ってたけど。もう一度確認してみる」

 「忙しいなら別にいいですよ。僕らだけでもどうにかなります」

 所轄と本部の軋轢は今に始まったことではない。鈴木が有難迷惑といった反応を見せたのもそれが理由だった。対する吉野は応援が来てくれれば仕事の負担が減るのにと考えているようだった。熱血な鈴木とは違い、プライドよりも実利を取るタイプである。

 「田中さんも色々あったわけだし」

 「上に尻尾振る連中だとしても優秀なのは間違いない。俺と違って協調性もある」

 田中も以前は本部で働いていた。そこはいかに周りを蹴り落としながらのし上がっていくかという世界で、上司にどれだけ好かれるかが昇進のカギだった。田中はそこを一年と持たずにドロップアウトした。とある政治家に盾をついたところ、あっという間に扇署に左遷させられたのだ。ただ、そのおかげで自分に似合った環境を見つけることができた。

 仕事の話を一段落させて国営放送を眺めていると、この一週間に起きた事件がまとめられたコーナーに入る。今週の逮捕者は10人以下だった。

 『砂川町の住宅で許可なく植物を栽培していたとして、建設作業員の原田よしかず36歳が逮捕されました。警察の取り調べに対し、個人で消費するための野菜を育てていたと容疑を認めています』

 「トマトとホウレンソウだったそうです。砂川署の友人から聞きました」

 吉野が裏事情を二人に教える。鈴木はそれを聞いて何度か頷いた。

 「トマトなんて図鑑の写真を舐めたことしかないです」

 「馬鹿だ。とはいえ私たちのところに届くものじゃないですもんね。田中さんは?」

 「一度、政治家との懇談会で食べた。こんな小さくて酸っぱいやつだ」

 田中は親指と人差し指でその大きさを示す。噛んだ瞬間に水分が溢れ出てきて苦手な印象を持った記憶が蘇ってくる。

 『空気はシェルター14に暮らす国民の共有財産です。法律で許可されていない用途での使用は絶対にやめましょう。先月には許可なく火を起こした男三人が逮捕されています。身の回りでそのような行為を見かけた場合、直ちに最寄りの警察署へお知らせください』

 この男三人は扇署管内で逮捕された。大昔に流行った煙草という文化を模倣し、可燃物を巻き上げて火をつけた高校生が逮捕されたのだ。空気の違法利用は窃盗よりも重罪とされる。その高校生らは現在裁判中で近く実刑が言い渡されることになっていた。

 「僕が今こうやって息を荒くして酸素をたくさん使っても捕まらないのに」

 酔った鈴木がそう言って実際に呼吸を速くして最後に頭を抱える。吉野は隣で大笑いをして追加のビールを注文した。

 「呼吸は空気利用法で認められてますよね。その他にも自然現象として引き起こされる金属の酸化や物質の腐敗による消費も現実的な範囲では」

 「ただ、それらを故意に促進する行為は違法になる。燃焼による酸化もそれに当たるわけで。人間の呼吸が物質の酸化を誘起していることを考えれば、呼吸を故意に早めることも解釈の次第では違法になるかも」

 「じゃ、やめます」

 田中の言葉に鈴木は息を止めて変顔をする。そしてビールをおかわりすると吉野ともう一度乾杯した。田中はそれを鼻で笑ってグラスを空にする。腕時計で時間を確認して、今日はこれで終わりにすることにした。

 「俺は先に帰るよ。明日は朝からお偉いさんとの会議だ」

 「もうですか?」

 「これでよろしく」

 田中はポケットから万札を二枚取り出して机に置く。吉野はそれを受け取るなり両手を上げて喜び、鈴木はこんなにいらないと返そうとするも足を絡ませてこけそうになる。その上から吉野がのしかかって田中に手を振った。

 『次のニュースです。外界から新たに3名の異邦人がシェルター14に避難していたことを政府は今日、明らかにしました。昨年から続く外界からの避難民はこれで合計23名に上り、異例の数字となっています。政府は彼らの出身やシェルターにいきついた経緯について調査を続けていますが、言語の隔たりから大きな進展はないとのことです。専門家は第五氷河期以降、環境変化がまだ穏やかだった南方で生き残った人間ではないかと分析しています』

 店の中でニュースに注目している者は誰もいない。田中は帰り支度をしながらそのニュースを聞き流して、次の話題に移ると居酒屋を出た。

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