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第十四話

 神原の邸宅を出た二人の足取りは重かった。田中は神原を事件の犯人として疑い、本人から決定的な証拠を手に入れるために直接対話を申し込んだ。それが確実な手順でないことは分かっていたが、解決を求める上で必要だったと今でも思っている。しかし、実際に相手にした神原は手強く、賭けに出た結果は惨敗だった。

 この結果をもって神原が捜査線上から消えるということはない。疑惑はより深まり、確信に至る一歩手前と言ってもいい。その代償として田中は手持ちのカードを全て使い切ってしまった。これ以上の追及は現実的ではなく、後ろ向きな考えに支配されても現状は打破できない。車両に戻った後も運転席に座って考えに耽る。隣に乗り込んだ九里は顔面蒼白だった。

 「これ、そういうことですよね?」

 九里が手に持つエンドウ豆を見つめる。神原の提案で貰ったその野菜は、普段の食卓や飲食店で見る物よりも大きく育っている。神原がこれを二人に与えた意味は明白だった。

 「私、過去にもあの庭園で採れた野菜を食べたことがあります」

 「気にしなくていい」

 「これってもしかして!」

 「九里さん!」

 呼吸が速まる九里に田中は強く声を掛ける。隠された悪意に怯えてしまうのも無理はない。シェルターという世界において全ての資源は循環する。二人の体もいずれは誰かが生きるための糧となる。殺人という悪意が混じっていなければ当たり前のことで、ここに生きる人間全てがその恩恵を受けている。おぞましい物を手に持っている。そう分かっていても、由縁を知ってしまった限り投げ捨てることはできない。

 「真相を明らかにすることはもうできないでしょうか」

 「次の殺人は抑止できた」

 田中はエンジンをかける。こんな終わりでは離れがたい。脱力した手では運転できそうになく、扇署を目的地に設定するとシートを大きく倒して目を瞑った。警察官としてのキャリアでこれほど手も足も出なかったことはない。特別小細工を準備されたいたわけでもない。絶対的な自信と大きな権力によって強引に組み伏せられたのだ。

 隣では呼吸を乱した九里が落ち着こうとしているが、不意に口を手で抑えて体を震わせる。しばらくしても憔悴しきった顔で膝の上を見つめていたため、田中は起き上がってハンドルを握った。

 「今日はもう帰った方がいい。送るよ」

 ナビゲーションを止めて運転をマニュアルに切り替える。声を掛けてもなかなか九里から返事がない。田中は再度視線を横に流した。

 「どこまで行けばいい?必要ないなら扇署に戻るけど」

 「怖いです」

 「怖い?」

 九里から想像もしていなかった言葉が出てくる。恐怖を感じることは当然だ。田中でさえ神原を前にして平常心ではいられなかった。ただ、九里が弱音を吐いたのは初めてだった。心の乱れはよほど深刻と見える。

 「生まれてからずっと暮らしてきたこの場所は大昔の人々にとっては息苦しかったかもしれないけれど、私にとっては大切な世界だった。もちろん色んな人がいるのは分かってる。でも、みんな同じようにこの世界を大切にしているものだと思ってた。ましてや政治家なんてそのために仕事をしてるはず」

 「全員が全員、九里さんみたいに真面目じゃないんだよ」

 「分かってる。でも私はそのつもりで仕事をしてた。それなのに仕えてた神原があんな人間だったなんて。何も分からないままなのは怖い。もし私に任された仕事のどれかが人を殺すための準備だったとしたら?」

 九里は唇を噛んで小さく嗚咽を漏らす。田中はこれまで九里の表層しか見ていなかったことに気付かされる。出会った頃は単に冷徹な人間なのだろうと思っていた。人を能力で評価し、合理的で正しすぎる考えがいつも周囲を困らせていたからだ。しかし、苦悩を聞いて九里を形作る要素がそれだけではないことを知る。崖っぷちに追い込まれた中で田中はそれを嬉しく感じた。

 「きっとそんなことない。この殺人は政治とは全く関係ないことなんだから。仮にあったとしても九里さんなら気付いたはずだ。俺だったら九里さんみたいな賢い人には気付かれないようにするけどね」

 「冗談を言ってるんじゃ」

 「分かってる。でも、事件の真相を知ることはその答えを知ることにも繋がる。覚悟はある?」

 「馬鹿にしないで」

 田中が意地悪く問いかけると九里にいつもの声が戻ってくる。こうでなければ田中も本調子が出てこない。

 「田中さんこそ、もう仕事出来ないかもしれないですよ?次は本当に辞めさせられるかもしれない」

 「あいつ、あの場はオフレコだって言ってた」

 「その口約束もです。扇署は大混乱に見舞われるかもしれません」

 「そうなったらすんなり手を引くよ。しばらくは福井の実験でも手伝ってみるかな。なんか面白そうなことをしてるみたいだし」

 「事件をほったらかしてですか?」

 九里が驚きと幻滅の混じった顔で追及してくる。人にそんなことが言えるということは、自分自身は恐怖を抱えながらも諦めはしないと宣言しているも同然である。田中は正直に自分の考えを伝えた。

 「正義は大切だ。でもそれで食ってはいけない。シェルターのためになる仕事は警官以外にもたくさんあるよ。科学だってそうだ。福井が言ってたんだけど、国は外環境の調査を始める気でいるらしい。それで新しく放射化学を研究するように言われたらしくて」

 田中はそこまで言ってからはっと息を飲む。そして九里の膝の上にあるエンドウ豆を見つめた。そのせいで危うくハンドル操作を間違えそうになる。

 「ち、ちょっと!」

 「扇署に戻る前に少し寄り道して良いか?」 

 田中は直進しようとしていた道をやや強引に右折する。シートベルトを両手で握る九里に睨まれる。田中はすでに考え事を始めていた。

 「田中さん、何か思いつくと周りなんてお構いなしになりますよね。それ、止めた方が良いです」

 「吉野からもよく言われるよ。一人で満足しないで下さいって」

 「チームワークを大切にして欲しいという意味で言っているわけではありません」

 「じゃあどういう?」

 田中は不思議に思って問いかけてみる。話している内に九里は威勢を取り戻しつつある。そんな九里の口調と自分の思いつきで気分は上向いてくる。流し目でこちらを見ている九里は少しだけ笑っていた。

 「とにかくそのエンドウ豆、大切に持ってて」

 「これですか?一体何する気ですか?」

 「純粋で綺麗な世界の力を使って、悪事を暴くんだよ」

 そう言った田中は大学を目指す。九里は最後まで首を傾げたままだった。

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