第十三話
神原の別荘は高級住宅街の中でもひときわ異彩を放っていた。他の邸宅と比べて敷地は二倍以上あり、周囲は常に本部の警察官によって警備されている。襲撃事件が起きたばかりということもあり、一般車両の進入は規制されている。そのため、田中と九里は遠くの駐車場から歩いてこなければならなかった。田中を怪しんだ警察官が近づいてくる度、九里が短い言葉で追い払ってくれる。
「手荷物検査にご協力ください」
別荘に入るためには厳しい検査を受けなければならない。それを聞いていた田中は端末を含めて面倒になりそうなものを全て置いてきた。九里は顔パスで先に進んでいく。
「言葉遣いには気を付けること。田中さんにはもともと悪いイメージがあるので、会話を少しでも長く続けたければ注意してください」
「分かってるよ」
「それと、決して対等に話し合おうとしないこと。一歩、いえ田中さんの場合は二歩下がって丁度いいくらいかもしれません」
「なんでそこまで」
「事件解決のためです」
いつもと同じスーツ姿の九里は扇署にいる時よりも背筋が伸びている。田中に緊張はなかったが、九里の助言通りに振る舞うことにした。
神原との面会は九里の働きかけによって実現した。表向きの目的は捜査状況の報告となっている。九里を派遣して事件に干渉してきたのは神原だった。この理由であれば門前払いはされないと考えたのだ。加えて、神原が田中の想像通りの人間ならば面会を無視できるはずがない。実際、承諾の返答は早かった。
「緊張しないでリラックスしてください」
「大丈夫。俺はもともとそういう人間じゃない」
「そうですね」
使用人に連れられて広い庭園を歩く。色とりどりの花々が咲き誇っていて、今も数人の植木屋が仕事をしている。その奥には一棟のビニールハウスが見える。九里から聞いていた通りだった。
「こちらでお待ちください」
重厚な玄関をくぐった後は赤い絨毯が敷かれた廊下を進み、応接室まで案内される。この一室だけで田中のアパート一室分の広さがあった。柔らかい椅子に腰かけて部屋を見渡すと、壁に掛けられた絵画が目に留まる。ここがシェルターで一番の権力者が過ごす空間なのかと田中は漠然とした感想を抱いた。
「私は少し緊張しています」
田中が部屋の観察を続けていると、九里から声を掛けてくる。らしくないと思って視線をやると膝の上に置かれた両手は震えていた。田中は用意された紅茶を飲み干して一息つく。
「仕方ないよ。向こうはこっちがどんなつもりで来たのか気付いてるはず。飼い犬に手を嚙まれたと思っててもおかしくない。最悪仕事を失うかもしれないし」
「そうじゃありません。もし上手くいかなかったら、ということを考えていました」
「やっぱ九里さんって正義感強いよね」
話の腰を折ると九里が睨みつけてくる。その目にいつもの力強さはなかった。
「駄目でもともと。真実とシェルター全体の利益は違うかもしれないしさ」
「ここは国会の場ではありません。個人と個人の意見がぶつかり合います」
「確かに。だったらとりあえず頑張ってみるしかない」
そんな話をしていると応接室の扉がノックされる。田中が九里に腕を引かれて立ち上がると扉が開き、使用人と神原が現れた。ランニングに向かう直前のようなラフな格好をしている。
「待たせたかな。ようこそ私の別荘へ。名前はよく聞いているよ、田中さん」
「今日はお忙しい中、このような場を設けて頂きありがとうございます」
社交辞令と握手を済ませると神原は対面の椅子に深く腰掛ける。二人もその後に座る。使用人が軽食を持ってきて、田中のカップに紅茶を注ぎなおす。その後、神原の指示で退室した。
「活躍は九里からよく聞いている。本部との折り合いがつかず大変なこともあっただろう」
「とんでもないです。犯人逮捕に向けて出来ることをしているだけです」
「今や君のように己の信念を曲げない人間は少ない。尊敬に値するよ」
「いえ」
「左遷で心が折れるものと思っていた」
顎をくいっと上げた神原の目が細くなる。あからさまに挑発されている。小手調べのつもりかもしれなかった。
「そんなやわな精神でこの仕事はやっていけません」
「そうだろうな。用があったとしてこうして私に会いに来る者は少ない。そろそろ今日の用件を聞こうかな」
「もちろん、例の猟奇殺人事件についてです。まずは今日までの捜査報告からお話してもいいですか?」
「ああ。君がどのように考えているのか非常に興味がある」
それから五分程度、田中は現在の捜査状況を説明した。耳を傾ける神原は面白そうに頷いて、時折笑顔を見せる。説明では捜査が行き詰まっている現状も伝えられる。中途半端な報告に文句を言われてもおかしくないが、神原は違っていた。
「問題はこれからどうするか。君のことだ。何か妙案を持っているんだろう?」
「残念ながらそんなものは。あるならここに来ていません」
「では既に九里から聞いていた内容をもう一度私に説明した理由が知りたい」
「既に理解していただけているものと思っています」
「分からないな」
神原は楽しんでいる。簡単に言いくるめられる相手ではなく、田中は次の言葉を考える。九里はというと一向に会話に参加しようとしない。こうなれば後は当たって砕けるだけだった。
「我々はあなたの関与を疑っています。神原さん」
「ふうん、そうか」
追及を受けても神原は表情一つ変えない。政治家ともなればこれでも動揺しないのかと思った矢先、突然笑い声が響き渡った。田中と九里は同時に身をのけ反らせる。言葉では表現できない不気味さがあった。
「面白い冗談だ。しかし初対面の相手に言うことではないな」
「冗談に聞こえたのであれば謝罪します」
田中は大袈裟に頭を下げてみせる。いちいち神原の反応に戸惑っていては上手く丸め込まれかねない。平常心を保ちつつ、会話の主導権を握ることに努めた。
「こんな考えにいきついた経緯をお話しした方が良さそうですね」
「君に出来るのか?」
「まずは聞いてください」
少し弱気になったのか神原の口調が大人しくなる。田中は静かに話し始めた。
「話した通り、被害者は異邦人でした。シェルターは彼らにとって、もしかすると楽天地だったのかもしれません」
「異邦人の中にはシェルターに害を与えようとする者が混じっているかもしれない」
「そうかもしれません。ですが、無条件に命を奪われていいはずがない」
神原が足を組む。田中は三人の遺体を脳裏に浮かべて思いを馳せた。
「殺害方法は絞殺と単純でしたが、その遺体に施されていた処置は常軌を逸するものでした。本部の警察はカルトに固執したようですが、私はそう考えていません。あれは燃焼を念頭に遺体を乾燥させていたのだと考えています」
「どうして最初から燃やさなかった?」
「シェルターでは特別な場合を除いて物を燃やす行為は厳しく禁じられています。それに、犯人は燃やした後に出てくる物質を必要としていた。違いますか?」
「分からない。どうして私に聞く?」
「では話題を変えましょう」
田中は紅茶で唇を潤す。自分が思っている以上に緊張している。喉はカラカラだったが体裁を繕うために咳払いを我慢した。
「ここの庭園は非常に綺麗ですね。色んな植物が育てられていて、シェルターがいかに無機質か思い知らされます」
「ここでは許可されている。そのための法律があることを君は知っているか?」
「ええ。昨晩九里さんから教わりました。ですが私が興味を持ったのはあの綺麗な花々ではなく、その奥にあったビニールハウスの方です。あの中では何を?」
「同じだ」
「ですが、外で育てている植物とは違いますよね?あとで中を見せて頂けると幸いです」
「何のために?」
「捜査です」
次第に神原の声に不満が乗ってくる。不快にさせることは事前の話し合いでも上がっていた作戦の一つだった。これによって失言を誘っている。
「まさかこんな追及を受けるとは。九里からも報告はなかった」
「当然です。疑いをかける相手に手の内を明かすわけにはいきません」
「私の目を見ろ九里。隠されていたのか、それとも隠していたのか」
「伏せていました。私自身、不思議に思うことがありましたので」
田中が咄嗟にフォローしようとすると、顔を上げた九里が自分の言葉で説明する。神原の表情はなお一層厳しくなった。
「話を戻して構いませんか?」
田中は強引に二人の間に入る。九里はそのひと睨みで茫然自失になりかけていた。本来、九里はこのような立場に置かれる必要はない。圧力は田中が代わりに引き受ける。
「否定されますか?」
「私が殺したと?」
「あなたが手を下すことはしないでしょう。関与していないかという質問になります」
「否定する。君の望みは一体なんだ?私の失脚か?」
「この事件を解決することです」
「私も一刻も早い解決を願ってる。しかし、このような侮辱は受け入れられない」
「ではビニールハウスの中、見せていただけますね?」
神原との駆け引きが続く。心の中は穏やかではなさそうだがボロが出てくることはない。神原はしばらくして頷いた。
「良いだろう。これでもし何も見つからなかった場合、君はどうするつもりだ?」
「謝罪します」
「それだけで済むと思っているのか?」
「済まないのであればその分の責任も取るつもりです」
田中にとってこの類いの脅迫は怖くない。神原もそれをよく知っているはずで再び笑い始めた。
「いいだろう。ついてきなさい」
「ありがとうございます」
田中は頭を下げてから立ち上がる。先に廊下に出た神原が使用人を呼ぶ。九里はしばらく座ったまま動かなかった。
「どうした?」
「いえ、何でも」
九里が苦しい立場にあることはよく理解している。しかし、その事で心中を慮ることは後でもできる。今は神原の対応に集中しなければならない。
神原は庭園に繋がる勝手口から二人をビニールハウスに案内した。近づいてみると想像より大きく、半透明なシート越しに何かの植物が見える。それが外の植物と違っていることがここからでも分かった。使用人が密閉されたビニールを特殊な工具で開けていく。すると中から暖かい空気が流れ出てきた。
「ここでは野菜を栽培している。このように」
「お邪魔します。おお、これは凄いですね」
色んな野菜が整列して植えられている光景に田中は目を奪われてしまう。一般人は植物が土に根を張って成長することを知っていても実際に見る機会は与えられない。
「君たちが食べたことはおろか見たことさえないものばかりだろう。これも特権の一つというべきか」
「ここをビニールで覆っている理由は?」
「温度や湿度を安定させるためだそうだ。詳しいことは庭師に任せている」
「植物の成長には二酸化炭素が必要になるはずです。それと肥料も」
「何だね?」
「実は猟奇殺人が明らかになる直前、浄水場からリン酸塩の盗難がありました。リンは植物を育てる上で必須ですよね」
田中は不思議な形をした葉に触れながら問いかける。神原は大きく溜息をついた。
「それも私が盗んだと言いたいのか?」
「いいえ。そういうこともあったというだけです。それで二酸化炭素はどのように調達していますか?このビニール、内部の二酸化炭素濃度を上げる目的もあるんでしょう?」
「どうだったか」
「通常、外の二酸化炭素濃度は植物の生育には低すぎるそうです。養分を蓄えるような植物の場合は特に。専門家から聞きました」
シェルターでは空気中から二酸化炭素が常に回収されているため、その濃度は低い。それが植物の生育にどのような影響を与えるのか実際には知らなかったが、田中は影響があるという体で話を進めて自分に有利な場を形成していく。
「二酸化炭素は工場から譲ってもらっている。工場ではあの手この手で二酸化炭素を回収している。君なら知っているだろう」
「ええ。ですが、実際はここで何かを燃やしているのではないですか。ここを見てください。このあたりだけ少し焦げています。片付けられて燃えかすは見当たりませんが、鑑識が入れば小さな証拠も見つけられるでしょう」
田中は植物を踏まないように歩いて地面の焦げ跡を示す。神原はそんな指摘を受けても平然としていた。
「石炭を譲り受けて燃やすこともある。ガスの運搬より簡単で、温度の管理もしやすい」
「本当に?」
「なるほど、君はここで人間の遺体を燃やしたと思っているのか」
「石炭のような資源は貴重です。簡単に譲り受けられるとは思えません」
「私を誰だと思っている?」
田中が神原の隣に戻るとその肩に手が置かれる。諦めろと言っているようだった。
「では、石炭を譲り受けたことを証明できますか?」
「それは君の仕事だろう。まあ、後日でいいならその書面を送ってやる」
書面だけでは証拠として弱い。神原の場合、偽造書類の作成さえ造作もないはずだからだ。監視カメラもこの屋敷に遺体を運び入れた瞬間を捉えてはいないだろう。田中が欲していた証拠は全てここで燃やされた後だった。
「結局、私が犯人だという証拠を持っていないんだね?」
「実を言うと、そういうことになります」
「政治の場であればとんでもない大失態だな。ただ、簡単な質疑応答だった。ないことを隠す必要はないからね」
神原はとうとう勝ち誇った顔をする。一方の田中は唇を噛むことさえ我慢して次の手を必死に考えていた。話せば話すほど疑惑は深まっていく。しかし、証拠として突きつけられそうなものが見つからない。
「今日は公式な場ではない。矛を収めてくれるなら君の失礼な態度を水に流してやってもいい」
「そうですね。田中さん、有益な情報が手に入ったことですし、ここでの話を一旦署に持ち帰ってはどうですか?」
ようやく口を開いた九里まで神原に資する助言を行う。田中はこの機会を逃してしまうことを嫌がるが、どんなに頭を働かせても次の一手が思い浮かばない。
「分かりました。失礼な態度を取ったこと、ここに謝罪します。九里さんにも余計な不安をさせました。自分の独りよがりに付き合ってもらって申し訳ありません」
「今となっては構わない。時にはこういった捜査も必要なのだろう。君のような人間が動くとなればね」
「私からも感謝します。お時間を作っていただいたこと、そして寛大なお言葉に」
九里からは完全に生気がなくなっている。神原の飴と鞭を使い分けた交渉が効果を発揮していた。
「そうだ。せっかく来てくれたのだから何か土産を持って帰って欲しい。ちょうどエンドウ豆が良い時期でね。君たちで好きに収穫していって構わないよ」
気分を良くした神原がそんな提案をしてくる。そこにも何か思惑があるのではと考えた田中だったが、これ以上の対立は不毛と判断せざるをえなかった。
「ありがとうございます。懇意にしていただき嬉しいです」
田中と九里は複雑な気分でエンドウ豆を十莢ずつほど収穫する。その後、屋敷を出るときには神原まで見送りに出てくれた。結果は一方的な敗北だった。