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第十一話

 停職処分がたった半日で終わったことで、田中は再び警察官として仕事をすることが許された。襲撃の翌日から署長の指示通り出勤し、それからは再び事件の捜査を任される。一方、前例のない国営工場への立ち入りを前に政治の世界では議論が長引いているという話が耳に入ってきた。田中の想像通り、民自党を率いる神原がこれに否定的ということで、一週間後に控える政治大会を優先したいと主張しているという。しかし、交渉は水面下で粘り強く続けられた。

 田中の復帰と時を同じくして本部による捜査はついに停止された。但し、田中が再び捜査するならばと九里による監視は継続されることになった。いまだに九里がどんな立場で神原に報告を入れているのか分かっていない。それでも田中はあの時の瞳を信じることにしていた。

 国営工場への立ち入りが認められたのは襲撃から二日後のことだった。ただし、様々な条件が課せられることとなり、扇署からは田中しか参加が認められなかった。吉野と鈴木は当然反発したが、これが政治が示せる最大の妥協ならば受け入れるしかない。一方、本部からは複数名の参加が許され、それを聞いた田中は急遽九里に同行を求めた。

 「田中さん、スーツは全く似合いませんね」

 「そうかな。立ち入りを働きかけてくれた浅野先生に失礼があるといけないから」

 田中は片手でハンドルを握りながら苦しいネクタイを少し緩める。工場に浅野が来るわけではない。それでも、捜査の協力と暴漢から救ってくれた恩を感じていた。

 「良かったんですか、私を同行させて。私は今も神原の秘書ですよ」

 「だからだ。万が一のことを考えてな」

 「というと?」

 九里は少し唸ってから首をひねる。田中は伝わっていないと気付いていたが、あえてそう言うことだからと念を押して話を終わらせた。

 今の二人は国営工場に向けて警察車両で移動の最中である。九里はいつも通りの格好をしていて、端末では自分の仕事ではなく国営工場の下調べをしている。ここで捜査が進展することは田中の期待することだが、その望みが低いことは認めなければならない。その理由の一つが作業着に関する国からの回答だった。昨日、立ち入りに先んじて紛失や盗難の事実はなかったという二行の報告書が提出された。それが事実であれば廃工場を出入りしていた人間が国営工場の従業員である蓋然性が高くなるわけだが、それは今回の立ち入りで明らかにできる内容ではない。

 「ところで田中さんを襲った人、捕まったんですか?」

 「さあ、興味ない。議員を襲った犯人さえ捕まえられない集団だからな」

 「自分ならできると言わんばかりですね」

 「この事件が終わったらな」

 そんなやり取りをしていると二人はようやく国営工場に到着する。ここは扇署からは少し離れているが、シェルターの中心部に近い立地をしている。田中は入り口近くの駐車場に車両を停める。すると黒塗りの車両がすぐにその隣に停車して、数名の男がぞろぞろと降りてきた。よく見てみるとそれは本部で働いている田中の同期だった。田中がいかにして左遷されたかその一部始終を見ていた連中であるが、どういう風の吹き回しか宣告をした九里は田中の隣に立っている。

 「田中、久しぶりだな」

 「ああ」

 「なんだその頭の絆創膏」

 田中が外に出ると早速声を掛けられる。その男の襟には田中より二つ上の階級を示すバッジが光っており、他の二人と合わせて見せびらかしてくる。田中のバッジは何年も更新されないままくすんでいて、今日襟につけるときに針が折れてしまった。

 「九里先生お久しぶりですね」

 「ええ」

 「今日はどうしてこいつと一緒に?」

 「神原先生の指示で彼を監視してるからです」

 「監視?」

 また鼻で笑われる。そもそも田中は理系から転向して、キャリア組の警察官となった異質の経歴を持つ。それだけで同期とは違いがあり、田中が彼らと馴染むことはなかった。時間が経ってもその溝は埋まっていない。

 「同期で思い出話もいいですけど、お仕事はしてくださいね」

 「そうだぞ、田中。お前所轄で停職処分になったんだろ?足引っ張るなよ」

 「はいはい」

 田中は空返事で国営工場の守衛門に向かう。そこで本人確認を終えると作業着とヘルメットが渡される。担当者は50代半ばほどの白髪の男だった。簡単に自己紹介を終えた後、早速工場内を案内してもらう。

 「それで、今日はどこをご覧になりたいのでしょう?」

 そんな質問があって、田中は最初は黙っておく。同期だろうが階級が上の三人にまずは発言させなければならない。

 「私たちは特に。軽く回れればいいです」

 「え、そうなんですか」

 軽い返事に担当者は露骨に困った顔をする。国営工場への立ち入りは前例がないと言われるほど珍しい。こんなに腑の抜けた理由では疑問に思われるのも仕方がなかった。田中はため息を噛み殺して一歩前に出る。

 「ないのであれば私から。まずはこの工場の動力源を見て回りたいです。もしくは作業工程に何かしらの燃焼過程が組まれている場所を詳細に」

 「また不思議な要求ですね。構いません。ではこちらへ」

 担当者は一行の先頭に立って移動を始める。目を凝らしても工場の端を見ることができないほどここの敷地は広く、大学の建物と同じ匂いがしている。

 「ここには色んな工場が集まっていて、装置や機械はバラバラですが主に二種類の動力源を用いています。一つが電力で、もう一つが蒸気。その両方とも地熱がエネルギー源になっています」

 「民間用の電力もここで発電してるんでしたっけ?」

 「そうです。国営工場への供給が最優先で、不具合があるといつも停電してしまっていますね」

 「はい」

 田中は所轄で最も面倒な仕事の一つを思い出す。電力供給が不安定になって停電が起こると、一定数警察に文句を言ってくる住民がいるのだ。田中が話している後ろでは本部の三人が九里にちょっかいをかけている。キャリアに興味があるのかそれとも容姿に惹かれているのか、九里のおかげで担当者との話はスムーズに進行する。

 「燃焼となれば廃プラスチックのリサイクルなどで僅かに。ですがご存じの通り、このシェルターで燃焼という行為は忌避されてますから」

 「そうですか。化石燃料の燃焼とかも全く?」

 「あなた詳しいですね。化石燃料の備蓄はありますが、使用はほとんどされていません。シェルターで僅かに採掘されてはいますが、いかんせんここらの土地は化石燃料に乏しいので」

 「では全くないと」

 「そうです」

 田中は問いかけながら担当者の顔を窺う。そこで警察官としての勘が働く。後ろではまだ九里を巡ってのやり取りが行われている。

 「本当にないんですね?」

 「ええ、まあ」

 「これは助言ですが、隠し事は止めた方が良いです。後に問題になりますから」

 「分かるんですね」

 「まあ、何年もこの仕事をしていると」

 田中は威圧感を出さないように気を付ける。この担当者は単なる技術者で嘘を隠すことが上手くなかった。権力を振りかざしても結果は変わらない。しばらくすると担当者は素直に話し始めた。

 「このシェルターで空気が大切にされてることは知っていますよね?」

 「はい」

 「中でも大切なのが炭素です。空気中でいえば二酸化炭素ですね」

 「炭素、ですか」

 「炭素は大切です。食物からあなたが着ている衣服まで多くの物質を構成していますから。ですけど、どんなに回収しても炭素は少しずつシェルターから失われています。それを補うために定期的に化石燃料の燃焼が行われ、まずは植物の栽培に利用されます」

 「備蓄分を放出するというわけですね。それを見ることはできますか?」

 田中はダメもとでお願いしてみる。隠されたということはそれなりの事情があると推測できたからだ。

 「ちょっとそれは」

 「そうですか」

 「あの、いいですか?」

 やんわりと断られて田中も食い下がるつもりはなかった。すると、後ろから厳しい声が割り込んでくる。振り返るとイライラとした感情を隠そうとしない九里が取り囲む三人を押しのけて近づいてきた。

 「今回、私たちは神原ならびに浅野議員の指示で立ち入りを行っています。私たちに見せられないとなると先生方にもアクセスする権限がないという意味になりますが、それで間違いないですか?」

 「いえ、そんなつもりでは」

 「では見せていただけますね?」

 「わ、分かりました。こちらへ」

 観念した担当者が進む方向を変える。九里は満足そうに鼻を鳴らしてそのまま田中の隣を陣取った。田中は少し頭を傾けて小声で質問する。

 「本当に神原の指示?」

 「使える権力は使わないと。あと、本部の警察官ってどれもあんななの?」

 九里が自分の肩越しに親指を三人に立てる。田中は苦笑いだけに留めて何も言わないでおくことにした。

 それからの一行は広い敷地内をくまなく歩き、田中の要求した場所を全て見て回った。化石燃料を燃焼させるプラントも僅かと言いながらその規模は大きく、田中の推理が間違っていたことが証明される。その後はただの工場見学となってしまい、植物栽培工場やハロアルカン工場など多種多様な工場を巡って終了した。作業員は総勢二千人ほどらしく、その全員の情報を提供してくれることにもなったがその調査を田中の班だけで行うのは現実的ではなかった。

 「今度連絡してもいいかな」

 「出られないと思います。これ仕事の連絡先なので」

 「じゃあ仕事の連絡ならいいよね」

 「はあ、まあ」

 「九里さん、何してんの」

 「では私はこれで」

 工場での用事が終わっても九里はまだちょっかいを掛けられていた。早く戻って食事を取りたい田中が急かすと九里がその輪を抜けて小走りで車両に乗り込んでくる。助手席に座ると声を伴った大きな溜め息で田中を驚かせた。

 「それで、何か収穫ありました?」

 「まあ色々と」

 「あまりなかったんですね」

 「ということが分かった」

 天井はみるみるうちに暗くなっていく。田中は早く署に戻ることだけを考えて運転を始めたが、中心部の幹線道路で渋滞にはまってしまった。九里は疲れからか眠ってしまい、田中は動かない前の車をじっと見つめる。

 最初、この事件の裏には政治が絡んだ複雑怪奇な事情が隠されていると考えていた。しかし、捜査を進めていくうちにあまりに単純な結論に導かれるような感覚にとらわれてしまう。今日のような外堀を埋める捜査はかえって遠回りなのかもしれない。田中は一人でそんなことを考えながら署まで運転を続けた。

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