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第十話

 田中の停職はその日のうちに決まった。前例がないことはできないと国営工場への立ち入りは拒否され、作業着の窃盗については代わりに国が責任をもって調査すると回答してきた。吉野と鈴木の処分はどうにか回避できた。その感謝を署長に述べてから田中は自分のデスクに戻り、荷物の整理を始める。九里は電話応対で出ていったきり戻ってこない。

 「田中さん!これはどういうことですか!?」

 吉野と鈴木がパトロールから戻ってきたのは、田中がちょうど荷物を纏め終えた頃だった。こんなにも綺麗な自分のデスクは久しぶりで紛失物もいくつか見つかった。それらは全てゴミ箱に捨てられる。

 「この通りだ。しばらく俺は来れなくなる」

 「署長を問いただしてきます」

 怒った顔の吉野が署長室に足を向ける。田中は肩を掴んでそれを止めさせた。鈴木は荒い息を整えながら心配そうに様子を見守っている。一報を聞いて二人して駆けつけてくれたらしい。

 「今は飲み込んでくれ」

 「それで良いんですか?」

 「二人にはまだ仕事がある」

 田中は吉野を宥めるべく笑顔を見せる。鈴木と隣り合わせに座らせると、声のトーンを少し落とした。

 「事件はまだ解決してない」

 「捜査を引き継げばいいんですね?」

 「違う。それだと同じ目に遭うだけだ。二人には捜査資料を守ってほしい」

 「それはどういう?」

 「もしかすると、また誰かが勝手に捜査をしないように情報保全が入るかもしれない。公式な報告書が回収されるだろうけど、その前にバックアップを取っておいてほしい」

 「良かったです。田中さんが諦めたわけじゃないみたいで」

 吉野の声はまだ上擦っているが、緊迫感は和らいでいく。鈴木はそれでも今後を心配する。

 「本部が犯人を見つけてくれたらいいんですけど。そうしたら何もかも元通りになる」

 「あいつらにそんな気はないよ。うやむやにして終わらせるつもりだ」

 「これからどうするんですか?」

 「言われた通り大人しくしておくよ。自分を見つめ直す良い機会だ」

 「そうですか。こっちは私たちに任せてください」

 「ありがとう」

 「辞めるなんて言わないでくださいよ」

 「どうかな」

 吉野の釘を刺す言葉に元気を貰い、田中は二人の肩を小さく叩く。その後、荷物を肩にかけて踵を返すと九里が立っていた。

 「長電話だったな」

 「田中さんがここを出ていくのを見届けた後、私は戻ることになりました。もう必要がないので」

 「ようやくこんな仕事から解放されるわけだ。優秀な人を遊ばせておくのは良くないからな」

 田中はこれを激励の言葉として九里の横をすり抜ける。しかし、すぐに呼び止められた。

 「気を付けてください。神原はあなたへの警戒を完全に解いたわけではないです」

 「じゃあ気にするなと伝えておいてくれ。復帰まで捜査はしない。約束するよ。そのタイミングだってどうせ神原が握ってるんだろう?」

 「本当に気を付けて」

 「これまでお疲れ様」

 田中は片手を上げて再び歩き始める。扇署を出ていくまでは様々な視線を浴びることになった。上に盾突くとどうなるかという分かりやすい例をここでも作ってしまった。外に出ると天井のライトはほとんど光っておらず、街灯に導かれるままに歩く。その後、行ったことのない飲み屋に足を運んだ。

 福井に休職の旨を伝えたところ、最近の論文が送られてくる。田中は酒を飲みながらそれらに目を通し、科学がいかに綺麗な世界だったか再認識した。とはいえ、純粋さを保っていられるのは福井の研究に対する真摯な姿勢があってこそである。内容の半分も理解できなかったが、酔いが回るまでに送られた全てに目を通し終えていた。

 店を出たのは午後11時前だった。こんな時間まで飲んだのは久しぶりで千鳥足で店を出る。仕事を失ったわりに思考はまだ纏まりを保っている。帰路についてすぐ、誰かに尾行されていると気付いたのもそのおかげだった。

 撒こうとしても距離を詰められる一方で、背中に感じる悪意は増大していく。鞄の中身を思い出して武器になりそうなものを探してみるが、端末くらいしか固いものは入っていない。そもそも田中は格闘術に疎く、そういう場面に遭遇しても鈴木に任せることが多かった。仕方なく相手が動く前に田中から話しかけた。

 「あの、どなたですか?」

 大通りを歩いていたものの、時刻の関係で車両は全く走っていない。緊急通報することも念頭に端末を手に握っておく。話しかけられた集団は隠れることを止めて姿を見せる。次の瞬間、彼らは何の前触れもなく田中に向かって突っ込んできた。黒のジャージを身に纏った五人の男の手にはそれぞれ物騒な武器が見て取れる。

 「雑な奴らだな!」

 緊急通報した後、端末を近くの民家に投げ捨てる。その直後に一人の男が腹部に突進してきた。飲んだ酒が口から出てきそうになって何とか飲み込む。押し倒されると続けて頭部に鈍い衝撃を受ける。暗くて見えないが額から血が噴き出す感覚はあった。

 「いたぞ!こっちだ!」

 リンチを受ける田中が成す術なく地面を転がっていると、遠くから声が聞こえてくる。すると、田中を取り囲んでいた男は散り散りに逃げていった。代わりに走ってきたのはスーツ姿の数人の男だった。

 「田中さんですね?大丈夫ですか?」

 「そう見えます?」

 「すぐに止血しましょう」

 一人に肩を貸してもらって田中は上半身を起こす。数名は先の暴漢を追ったようで、隣にいる男以外に二人が周囲を警戒している。田中は額を触って出血量を確認した。そこにハンカチが押し付けられる。

 「通報してすぐ来ましたね。どこかで張ってたんですか」

 「私たちは警察ではありません」

 「やっぱり。警官はそんな良いスーツ着ないからな」

 「私たちは浅野先生の護衛です。田中さんに危険が迫ると話を受けて派遣されてきました。遅れてすみません」

 「浅野先生?自由党の?」

 「はい」

 「よく分からないな」

 そんなやり取りをしていると警察車両が空から舞い下りてくる。扇署管内であるため、当然その警官には見覚えがあり、田中の怪我に驚いていた。

 田中はその警察車両で直ちに病院に運ばれる。その車中、助けが来なければ自分がどうなっていたのかを一人で考え続けていた。あからさまな行為の裏に誰が潜んでいるのかなどもはや想像に難くない。政治に逆えば対価を支払わなければならない。田中はため息をつくしかなかった。


 病院で頭部の精密検査を受け、念のため一日入院することが決まる。気分が落ち着いてくると今度は額の傷が疼きはじめ、横になっていても睡魔が全くやってこない。看護師に鎮痛剤をお願いしたところ、なぜか薬と一緒に訪問者が病室にやってきた。

 「あれ、意外と元気そうですね」

 「良かったです」

 「二人ともこんな時間にどうした」

 吉野と鈴木は田中の頭に巻かれた包帯を凝視している。先ほど別れを告げた矢先の出来事であるため田中は申し訳なさを感じる。

 「一報を聞いて慌てて来たんですよ。少し休むって言ったそばからこんなこと」

 「幸か不幸かピンピンしてる。また襲われるかもな」

 「だから前から言ってたじゃないですか。もっと僕と逮捕術練習しましょうって」

 田中は冗談を言ったつもりだったが、鈴木は本気で怒る。吉野もひとまず安堵して安堵の涙を浮かべていた。そうやってしばらく話していると新しく二人が病室に入ってくる。その顔を見て今度ばかりは驚いてしまった。それは九里と署長だった。

 「皆してどうしたんですか?明日まで待てなかったんです?」

 「お見舞いに来た人にかける言葉ではないですね。就寝の直前に連絡を受けて来たんですよ?」

 見慣れない私服姿の九里が文句を言う。慌てて来たのか化粧もしておらず、鈴木が見惚れていると吉野に頭を叩かれる。

 「まさかこんなことまでしてくるとは。本当に政治の仕業なのか」

 「きっとそうでしょう。田中さんを助けた彼らもそう言っていました」

 九里がさも当たり前だといった様子で頷き、署長は複雑な表情を見せる。田中を案じているわけではない。過去に自らが下した決断に対する後悔が大きいようだった。

 「助けてくれたのは浅野とかいう政治家の護衛だった」

 「浅野って自由党の代表してる人でしょ?感謝すべきなんだろうけどどうして田中さんを?」

 吉野はもっともな疑問を抱く。二人の間に何ら関係性はないからだ。それでも、田中と政治を繋ぎ合わせるピースならば一つだけある。九里は田中の容態が悪くないことを知って気怠そうに腕を組み、欠伸をしていた。

 「田中、明日から出勤しろ」

 「え?いいんですか、勝手にそんなこと」

 「こんなコケにされたんじゃ話は変わってくる」

 「ありがとうございます。でも、こんな怪我だと」

 「浅野先生が国営工場立ち入りの許可を取り付けてくれるらしい。田中が始めたことだ。けりを付けてみせろ」

 「いやだから、やりますけど」

 署長は言いたいことだけ言って足早に病室から出て行ってしまう。なんと自分勝手な人間なんだと思いながら、田中は他の三人にも声を掛けた。

 「急にすまなかった。今日のところはひとまず戻ってくれ。俺はもう大丈夫だ」

 「誰か警備つくんですか?」

 「浅野先生が買って出てくれました。警官も数人置いておくと署長が」

 「ってことらしい。鈴木、二人を頼む」

 「分かりました」

 もし一人で考え込んでいたなら今も興奮状態にあったかもしれない。ただ、鎮痛剤が効いてきたこともあって目を瞑れば眠れるほど精神が安定してきている。三人が出ていく直前、田中は九里に言葉を掛けた。

 「ありがとう」

 「何のことですか?」

 「おやすみ」

 田中は横になって天井を見つめる。九里は最後まで素直ではなかったが、扉を閉める時に見せた顔は少し笑っていた。

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