オレンジに映る
夕暮れ時の病院。
白を基調とした外観が橙色に照らされている。
「面倒だなぁ……」
病院の外で僕は独りごちた。
週一度のリハビリ。
中学校からここまで移動時間総計六十分。
ピカピカの一年生だった筈の僕は校内の階段を踏み外し大転落。代償として右足を骨折し、ボキボキの一年生。
すっかり足の痛みは消え松葉杖も必要なくなったのだが、完治には未だ至っていないらしく、週一の通院を義務付けられている。
僕は本名である外檻達哉とマジックで書かれた診察券を財布にしまい込む。
暖かい風が切りそろえられた短髪を弄ぶ。
背中がしっとりとわずかな汗に濡れているのをTシャツ越しに感じた。
そういえば僕はジュースを買おうとしてたんだっけ。
僕は病院の外観を頭に描くと、自動販売機の場所を目指した。
オレンジつぶつぶは院内に売っていない。
建物の陰に隠れている場所にひっそりと置いてあるのを僕は知っている。
「あ、珍しい」
先客がいた。
紺のジャージ姿に、後頭部に大きなお団子のように結われた濃い茶色の髪が印象的な女の子。
後ろ姿しか確認できないが、身長から察するに僕と同い年位だろうか。
「ん?」
何だろう、様子がおかしい。
女の子はイケナイ事でもするみたいに辺りをキョロキョロ見回している。
僕は不思議に感じ女の子が視認できなさそうな場所に身を潜め、こっそりと様子を窺う。
「うううぅぅぅ……」
「な、何だ?」
奇妙な音が機械から鳴っている。
「うううぅぅぅ……」
違う、音を発しているのは女の子だ。
女の子は姿勢を低くしてメンチを切るかのような勢いで自動販売機を睨みつけている。
「何を買うか悩んでるのかな?」
女の子の行動は不審とも取れるが僕は少しそれが可愛らしく思えた。
きっと少ない手持ちで買うべきドリンクを品定めしているのだろう。
僕は喉が渇いているのも忘れて人間観察に夢中になっていた。すると。
ガコン!
「えっ?」
聞き馴染みのある衝撃音。飲み物を購入したときのあの音だ。
「いつボタンを……」
僕は飲み物が出てくるまでずっと女の子を見ていた。
それか既にボタンは押していたが、商品が中々出てこなかったのでムカついて睨んでいただけなのかな。
「やっぱり……」
やっぱり……何だろう。
女の子は得心したように漏らしていた。
「もういっか……」
これ以上ここにいても仕方がない。
僕は人間観察を中断し自動販売機に近づく。
ガコン! ガコン!
「えっ、えっ⁉」
驚くべき現象が起きている。
先程に引き続きまた独りでに飲み物が落ちてきたのだ。
僕は驚嘆のあまり大声を上げてしまった。
「ふえっ⁉」
女の子も驚いていた。
「見られた……」
目の前の事象にではなく、僕の登場に。
「あ、あの、その……」
たじろぐ僕。女の子は固まってしまっている。
何故か犯罪に手を染めた瞬間に立ち会ってしまった気分になっている。
「どうやったのそれ?」
「いくらだっ」
「へ?」
女の子は驚愕するのを止めると突然何かを求めてきた。
「いくら渡せば今のを黙っていられるっ」
焦っていた。本当に罪を犯していたのだろうか。だとしても軽そうな罪だ。
「べ、別に何も要求したりしないよ」
「ええっ⁉」
僕は信じられないことでも言ったのだろうか。
女の子は後ずさりをする。コンクリートの地面に靴底が擦れる音がした。
「僕はただジュースを買いに来ただけで……そこに君がたまたま居合わせただけというか……」
「じゃ、じゃあ一本奢ってあげる。それで勘弁してっ」
「よ、よく分からないけど……奢ってくれるならお言葉に甘えようかな?」
「ど、どれ?」
女の子は購入を促すよう僕に尋ねながら自動販売機から少し離れた。
「えっと、オレンジつぶつぶで」
僕は最上段の商品を指さすと女の子は首肯した。
「くっ……もうちょいぃ……」
背伸びをしている。
百四十センチメートル程度の女の子は三段目に配置されたボタンを押すのに苦労している。
「あの、僕が押そう……」
「押せたっ!」
僕が助力を申し出ようとしたタイミングで女の子の爪先がオレンジつぶつぶのボタンに触れていた。
「あっ、違う! うううぅぅぅ……」
「え?」
まただ。女の子は先程そうしたように唸り声をあげている。
「あの、何やって……」
ガコン!
缶飲料が落ちる音。
女の子は取り出し口に手を入れると雫滴るオレンジつぶつぶを引き抜いた。
「どうぞ! 買ってあげたよ!」
それを僕に差し出す。
「……」
「どうしたの?」
「いや……お金は?」
「えっ?」
「だから……お金はいつ入れたのかなって」
「……」
再度身体を硬直させる女の子。
「あのー?」
「しまったあああああ!」
女の子は叫びながら頭を両手で抑えた。指から抜け落ちたオレンジつぶつぶが地面に打ち付けられる。
「ど、どうしたの? 様子が変だよ?」
僕は女の子を心配しながら少し凹んだオレンジ色の缶を拾う。
「や、やっぱり変……?」
女の子は涙目になっている。僕は何か粗相をしたのだろうか。
「い、いや、急に叫ぶもんだから」
「おかしいよね……?」
「た、確かにおかしな自販機だね」
システムは分からないけどお金を入れなくても飲み物が出てくるという問題を抱えている台なのかもしれない。
「でも妙だな……僕はここで何度もジュースを買ってるけど毎回お金は入れてる」
僕は確認の意味で適当なボタンを押した。
「……」
反応がない。当然だ。お金を入れなければ飲み物は購入できない。
「理屈を教えてくれる?」
僕はすっかり黙り込んでいる女の子に振り返った。
「うぅん……なんてぇ……?」
「え?」
女の子は眠たそうに瞼を擦っていた。
何故このタイミングで睡魔に襲われているのだろう。
「……君はここに入院してるの?」
「うん……」
頭を何度もこくこくさせている。長居させるのも酷そうだ。
「僕は週一で通ってるんだ。だから来週も来る」
「そうなんだ……」
「だからもし覚えてたらでいいんだけどさ、またここに来るから、変な自販機の秘密について詳しく聞かせてよ」
「うん……」
「じゃあジュースありがとね……それともしんどいなら病室まで送ろうか?」
「大丈夫……それと……」
「うん?」
「君じゃなくて、内鳥未由……」
「そっか、僕は外檻達哉。じゃあね、内鳥さん」
「ばいばい……」
内鳥さんは胸の前で小さく右手を振った。
振り返ると相変わらず夕日が眩しい。
まだ冷たさの残るオレンジつぶつぶのプルタブを開けると、僕は歩きながら中身を飲み進める。
「変なのはこの子じゃなくて、未由……」
内鳥さんが何かを呟いていたが、きっと寝言のようなものだろう。