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月下美人   作者: あぁ。
1/3

その壱

君と出会った日のことを思い出していた。あれから一年たったと思うと、すごく早く感じられた。この前までは風が痛かったのに、今の風は温かく、愛情さえ感じられる。そんな日の太陽は光り輝き、自分を照らしているかのようだった。ふと、窓の外を見ると雲一つない快晴の空がそこにはあった。



 すべてが嫌だった。生きることも死ぬことも。なにか失敗をしたのかと聞かれるとそうとは答えられない自分がそこにいた。ただ、自分の人生がつまらなく、何をするにも気力がないという状態だった。そんなときに体が壊れた。夏の暑い夜、街を歩いているとき、急に足の力が抜けた。何が起きたかわからなかった。気づいたら病院の白い天井を眺めていた。

 

月野晴人(はると)、二十一歳。親も兄弟も親戚もいない。みんな死んだ。

 父親は物心ついた時からいなかった。母親が女手一つで兄ちゃんと自分を育ててくれた。正直、こんな生活が一生続くと思っていた。そんな時だった。自分の十八歳の誕生日に母親が死んだ。交通事故だった。飲酒運転をしていた車に轢かれ、母親は死んだ。あまりにも衝撃的すぎて自分でもあの時のことをあまり覚えていない。それを機に不幸の連鎖が始まった。

 次の年の冬、だんだんと冬の風が吹いてくるのを実感している時、兄ちゃんが死んだ。自殺だった。理由はいまだにうまくつかめていないが、遺書には「もう何もかも嫌になりました。さようなら。」そんなことが書かれていた。

 二年の間に家族が全員いなくなった。あまりにもあっけなさ過ぎて、幸せとはこうも簡単に崩れるものなのかと毎日嘆いていた。母親が死んだ年に何とか高校を卒業して、街の小さな工務店で働き始めた。最初のころはやることすべてが新鮮で、仕事をしているときは嫌なことをすべて忘れられた。そんな矢先に兄ちゃんが死んだ。兄ちゃんが死んでからというもの、何をしても楽しいと思えなくなっていた。何を食べても美味しいと感じられなくなっていた。

 

 そんな時だった。病が心に付け込んできたのだった。その白い天井は無機質で、愛情なんて感じられず、ただ「お前は病人だから寝ていろ」と言っているようだった。なんとか体を起き上げようとしてみる。ダメだった。全身に力を入れてみたが、どこの筋肉も脳の信号を無視した。動けない自分にイラついていると、医者らしき中年の男性がこちらへ向かってきていることに気づいた。

「これはいったい。」

情けない小さな声で医者に聞いた。

「道端で倒れたところ、通行人のひとが救急車を呼んで助けてくれたんですよ。」

正直まだわからなかった。自分が今どんな状況に置かれているのか、ここはどこなのかを医者は丁寧に説明してくれた。ただ、まだ動揺して脳が医者の言ったことに混乱しているのを感じた。

 医者は一通り話し終わると真剣なまなざしでこっちを見て、言った。

「ご家族とかはいらっしゃるかな?」

答えづらかった。家族がいないということを言うよりも、それを言った後の相手の反応を見るのがつらかった。

「家族はいないです。」

今自分が出せる一番大きな声で言ったつもりだった。だが、その声は医者の耳には届いておらず、もう一度言う羽目になった。

「家族はいないです。」

体感だとさっきよりも大きな声で言ったつもりだった。それでも医者の耳には届いていなかった。

もう声はあきらめようと思い、首を横に小さく振った。すると医者はどこか気の毒そうな顔をして続けた。

「親戚も誰もいないってことかな?」

今度は首を縦に小さく振った。今の体では首を振るだけでもかなり体力を使った。

「そうか。」

この顔だ。人の不幸を憐れむかのような顔。この顔が嫌いだった。

 

 兄ちゃんが死んでからまた不幸が自分を襲った。

 高校卒業後からお世話になっていた工務店をクビになった。自分でも何がいけなかったかわかっていた。日を追うごとに無断欠勤をすることが多くなり、ようやく仕事に来たかと思えばやる気のないような業務をし、まわりからの信頼は着実になくなっていった。周りからの信頼がそこを尽きたとき。それがクビを言い渡された瞬間だった。

あの時、社長が自分にクビを言い放った時の自分の不幸を憐れんでくるかのような顔は今でも脳裏に焼き付いていた。この時だ。この顔が嫌いになったのは。

こんな顔を見ると毎回この自分にとって思い出したくない過去を思い出させてくる。だからこの顔が嫌いだった。自分の居場所だと思っていた工務店を追い出された時の心の痛みは計り知れないものだった。

 

 病室の空気がピンと張り詰まる。病院内の忙しさとは裏腹にこの一室だけは静寂が保たれていた。

医者は少し下を向き、皺が寄っている目を見開き病気の説明をするとか言って、自分を車いすに乗せ、診察室へと向かった。

 正直もうどうでもよかった。

 余命宣告されても、明日死にますなんて言われても悲しくならない自信があった。人生に絶望している自分に怖いものなんてなかった。

 医者はパソコンの画面に目線を落としながらもしっかりとした目つきでこっちを向いて病気の説明をした。医者が何を言っているかあまりわからなかった。難しい言葉でいろいろ塗り固めていて、自分の脳じゃ理解できないことを悟った。医者は何度もかみ砕いて説明をしてくれたが、途中から理解をあきらめていることに気づいたのか簡潔に一言で済ませた。

「現代の医学ではこの病気に対して有効な手段はありません。」

この一言ですべてを理解した気がした。

 自分は数年以内に死ぬ。そのことだけが分かった。それはどんな説明よりも簡単で患者を地の底へと叩きつけるものだった。




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