1-07 古傷
雨は、古傷を思い出す。
嫌な記憶は、アスファルトに立ち込める雨の匂い。
可笑しなものだ。
あの日は快晴で、ピッチの上だったのに。
それなのに、思い出すのは決まって雨の日。
だから、雨が嫌いなんだ。
『カズキ……』
「あん、どうした」
『いや、なんでもない』
イケメン浮遊霊は相変わらずふよふよと浮かんではいるが、いつも違って飛び回ったりはしない。
あれか。
雨が降る前、鳥が低く飛ぶ的な感じか。
違うな、霊だし。
実際、今日の午後から雨が降ると、天気予報で言っていた。
もう、梅雨なのだろう。
「痛っ」
ほら、古傷も雨の季節が来ると言っている。
本当に嫌な季節だ。
一度、病院に行っておこうか。
いや、その前にテーピングか。
可動域さえ制限すれば、俺の左足は普通に歩ける。
軽く走ることも出来る。
だから俺は、古傷を治さない。
治したところで、もうサッカーなどやる気はないし、過去をやり直すことなど出来ないのだから。
やはり放課後は雨だった。
最近の天気予報の正確さが恨めしい。
誰とも話すことなく教室を出る。
昇降口が見えたところで、委員長からメッセージが届いた。
あの日以来のメッセージだ。
[大事な相談があります。駅の西口で待ってます]
なるほど、了解した。
では帰るか。
『ちょっと待とうか、カズキ』
ん?
どしたイケメン。今日もカッコいいぞ。
『ありがとう……じゃなくて。委員長が待ってるんだろ?』
ああ、その件か。
「悪いがパスだ」
『どうして』
「……足が、痛いんだよ」
ぶっきらぼうに呟く。
この痛みは、あの時の絶望の痛みだ。
決して誇れるものではないけれど、今の俺を形作る大事な痛みだ。
『左の足首、かな』
思わず斜め上を睨む。
「どうして知っている」
『歩き方を見ていたら判るよ』
ほほう、なかなか良い目をしてるな。浮遊霊のくせに。
『それは浮遊霊差別じゃないかい?』
うるせぇ。
とにかく今日は無理だ。
病院へ行くんだから。
『なら仕方ないか。でも、ちゃんと委員長には連絡をするんだよ』
大きなお世話だ馬鹿野郎。
んなもん、してもしなくても同じだ。
人は、いずれ去って行く。
この痛みは、裏切りの証なんだよ。
『カズキ……』
「あんだよクソイケメン」
『裏切りの証って、ちょっと厨二病っぽいね』
「やかましい」
俺は、少しだけ左足を庇いながら、以前診てもらった病院へと急いだ。
整形外科の待ち合い室で待つこと数十分。
俺は診察室へと通された。
「久しぶりだね。リハビリ中に来なくなって以来、かな」
「ええ、ご無沙汰してます」
バツの悪さを苦笑で誤魔化して、医師に頭を下げる。
レントゲン写真を見て、先生は呟く。
「──インピンジメントが出ちゃってるね」
「やっぱり」
数日前から痛みはあった。
が、我慢できるレベルだし、体育の授業も加減すればやれないこともない。
何度か「やる気を出せ」と注意されたけど、足の状態は先生にはバレていない。
「で、どうする? そろそろ手術、する?」
「いえ、それは結構です」
即答で返すと、医師はマスクの奥で深く溜息を吐いた。
「まだ若いのに……フットボーラーズ・アンクルさえ治せば、またプレイが出来るんだよ」
靴下を直して、革靴を履く。
「もうサッカーは……辞めましたから」
「そうかね。まあ、それは君の自由だ」
でもね、と医師は続ける。
「余暇としてのスポーツも、そのうち困難になるよ?」
フットボーラーズ・アンクル。
別名、 衝突性外骨腫。
それが俺の左足が抱える爆弾の名だ。
医師曰く、手術はすぐ終わるとの事だが、俺には必要ない。
今回の通院も、自分の左足首の状態を確認するため。
治療が目的じゃない。
『でも、どうするんだカズキ。たしかもうすぐ球技大会だろう?』
もうすぐと言っても球技大会は梅雨明け、まだ一ヶ月も先だ。
それまでには期末テストもある。
「高校生の本分はな、学業なんだよ」
当たり前の建前を空中へ返して、俺は病院を出て駅へと向かった。
「……カズキくん」
駅の構内。
改札の手前で呼び止められる。
「委員長、か」
どうやら今日は、すんなり帰れないらしい。
お読みくださいましてありがとうございました。
次の投稿は未定ですが、次回もこの場所でお会いできたら嬉しいです。