1-06 新しいステージ
どうやって帰宅したのか。
どこをどう歩いてきたのか。
まったく覚えていない。
ただ記憶に残るのは、委員長の笑顔だ。
つい先日まで、他人だった。
厳密に言えば今も他人なのだろう。
が、少しだけ委員長という女の子を知っただけで、俺の頭は混乱していた。
『今日は良い日だったね。カズキに取り憑いて以来、最良の日だ』
半ばルーティンワークになっている勉強をしつつ、その実俺の思考の大半は委員長に割かれている。
『ちょっと心配だったんだ。キミはシャイだから』
シャイ?
そんな言葉で片付けるなよ。
二年近くかけて見つけた、俺の処世術なんだぞ。
とある過去の事件から、俺は周囲の信用を失った。
俺はただ、みんなの為に頑張っていただけなのに。
なのに。
人は、信用した頃に裏切る。そしてそれは、信じれば信じるほどに裏切られた時のショックは大きい。
だからこそ、俺はもう二度と裏切られないようにしてきた。
裏切りの種となるその要素を、他人を、俺は自分の世界から排除し続けてきた。
そうすれば、これ以上傷つかずに済むから。
壊れずに、済むから。
人との絆は、甘い劇薬だ。
いつのまにか心を侵し蝕む毒薬だ。
『キミは、難しく考え過ぎなんだよ。女の子とカフェに行って楽しかった。それで良いじゃないか』
「うるせぇよ」
『カズキ……』
そんなに簡単に割り切れるかよ。
あの頃だって楽しかったんだよ。
でも、そんな日々はあっけなく塗り潰されたんだ。
そんな簡単な言葉でどうにか出来る訳はないだろうが。
だったら、傷つけられ、貶められ、蔑まれてきたあの日々は。
あの記憶は。
無駄だったって言うのかよ。
『……無駄ではないよ』
イケメン浮遊霊は、珍しく落ち着いた声で語りかけてくる。
『誰しも皆、傷つきながら生きている。その結果、キミは他人を拒絶する事で、自分を守ってきた』
そうかも、知れねぇけど。
『それは、キミが生み出した武器であり、盾であり、個性だ。それは誰にも否定されるものではないよ』
そうかよ。
じゃあなんでお前は、簡単に片付けようとする。
『今日、キミは新しいステージに立った』
は?
意味が分からない。
新しいステージに立ったらどうだっていうんだ。
『今度は、自分を守りながら、他人と関わる時が来たんだよ』
え。
『ただ、それだけのコトさ』
──わけわからん。
頭の整理が追いつかなくて項垂れているうちに、イケメン浮遊霊はどこかに隠れてしまった。
翌朝。
やけに早く起きてしまった。
混乱していた筈の脳はスッキリと晴れ、およそ俺には似つかわしくない目覚めだ。
『おはよう、カズキ』
「ん、おはようさん」
ふよふよと浮かぶイケメンオバケに挨拶を返して、何となくキッチンへ向かう。
今日も母は朝食を用意してくれていた。
いつもより早く起きたせいで、時間が余る。
なんの気なしに炊飯器で保温されているごはんをよそい、皿のラップを外して、テーブルに座る。
「いただきます」
軽く手を合わせて、皿の上のハムエッグに箸をつける。
朝食を食べるなんて、部活を辞めて以来だ。
もう、二年か……。
過去を振り返りつつ、箸を運ぶ。
もそもそと口を動かすにつれ、味覚が研がれていく。
「うまいな」
俺は、これを毎日食べずに過ごしていたのか。
何の変哲もない、塩と胡椒で味付けされたハムエッグ。
サッカーに夢中だった頃には、気づかなかった美味さ。
その美味さを理解するのに、俺は何年を費やした。
心の中、母に感謝と謝罪を思う。
これからは、出来るだけ朝食を食べよう。
母の手間を、気持ちを、決して無にしないように。
『……どうだい、今の気分は』
まあ、そんなに悪くはないな。
『やはりキミは、変わり始めてるね』
呟くイケメン浮遊霊をひと睨みして、茶碗の中の残りをかき込んだ。
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