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God Ray[前編]

作者: 穂高

 この世界で「平和」は既に《幻》にすぎなかった。

 それはどこから始まったのか。アメリカやロシアが核兵器の姿を他国へとちらつかせたかと思うと、次の瞬間にはもう争いが始まっていた。核兵器の威力は計り知れない。戦争での一番の犠牲者は決まってその国の民だった。脳のない政府は国民が苦しんでいるにもかかわらず、そこに追い打ちをかけるかのように成人を兵として戦場へと向かわせ、年寄りや女子どもから食料を奪い取って自分たちだけが貪った。また、それによって数多くの人間が命を落とした。銃弾の嵐に打ち倒れる者。飢えに苦しみ、餓死していく者。大人は子どもをかばって死んでいく。だから行くあてのない子どもばかりが増えていった。長きにわたる戦争の惨状は子どもたちにとって、いつの間にか日常生活となっていた。


 ツタの絡む家々。窓ガラスは割られ、外から家の中を覗いても誰かが住んでいる様子はなかった。そして道路には灰が積もり、時折吹く風によってそれらは散っていった。

 この荒れた道にふたりの少女の姿があった。彼女たちはもう何日も太陽を見ていない。頭の先まで垂れ下がるようにして空一面に広がる灰色の雲はどこまでも続いていて、風が吹いても途切れる様子はなかった。彼女たちが歩いてきた後方には落ちた爆弾の煙がもくもくと立ち、そこだけ空が真っ赤に燃えていた。あそこはきっと炎の海だ。そして灰の上には転々と足跡が付いているだけだった。

 いつになったらつく?

 もうすぐ。でもそのためには山を一つ、越えなくちゃいけない。

 そこにはなにがあるの?

 きっと、人がいるのよ。

 わたしたちみたいな?

 そうよ。

 十五才になる姉の名前はアリシア。七才年のはなれた妹はルーシーといった。彼女たちには親がいない。以前はいたのだろうが今はその影さえ消えていた。また妹のルーシーは耳が悪かった。後天性のメニエール病である。これは眩暈や耳鳴りを伴う病で、時には吐気がし嘔吐してしまうこともある。非常に治療が困難なものとされていた。

 妹は握る姉の手に力を入れた。

 どうしたの?

 こわいの。

 なにが怖いの?

 ルーシーは以前耳にしていた世界に溢れる音というのを覚えていない。それはまだ彼女が赤ん坊だったためであるが、そのため視力は姉のアリシアよりも数倍よかった。

 アリシアは妹に分かるよう彼女の目を覗きこむようにして屈み込んでまた尋ねた。

 なにが怖いの?

 ……。

 耳は痛い?

 妹はなにも言わずただ首を横に振った。

 大丈夫。怖くなんかないよ。お姉ちゃんがついてる。

 姉は妹の手を握り返した。それはルーシーにとって勇気づけるものになったが、アリシア自身にもまた励ましになった。彼女たちは互いの手を強く握ったまま、止めた歩をまた進ませて先へ急いだ。


 何年(*2)か前に廃屋になったその一つに、ある双子の姿があった。

 そろそろ行くか。

 うん。ここもすぐに見つかっちゃうだろうしね。

 食料は持ったか?

 水がもうないよ。

 どこかで奪えばいい。

 そうだね。

 よく似た双子。だけどそのうち一人には顔に大きな傷があった。右の眉毛の上から瞼を通るその傷は彼から光を奪っていた。彼はライナスといった。双子の兄だ。そして弟はジェフ。ジェフは父親による暴力で口が利けなかった。話す時はいつも手話だ。

 右目からの光を失った兄と思いをうまく表現できない弟は、これから山を越えてその向こうのまだ知らない世界へと行こうとしている最中だった。

 ジェフが背負うリュックサックの中にはなにがあってもいいようにと護身用に銃が一丁と残り少ない食料だけ。しかも水はさっき飲んだ分ですべてだったようで、わずかとなった食料では彼らが二日生きていけるかいけないかくらいだった。一日一食としても危うい。山へ入る前にどこかで調達しなければいけなかった。けれども辺りにあるのは先程と変わらない廃屋と、見るも無残な十字架の砕けた教会だけだった。ここはダメだと、もう少し先へ行ってみた。電線に止まったカラスが彼らを見下ろして嘲っているようだった。

 兄さん、あれは?

 弟のジェフが兄の服を引っ張ってあれを指差した。それは道の真ん中を歩く、自分たちと同じくらいの背をした女の子の姿だった。ふたりのうち片方の女の子の手には食料と思われる荷物が握られていて、対するもう一人の、どちらかというと背の小さな子はぬいぐるみを持っているらしかった。双子は互いに頷き合い、少女らの背後から気付かれぬようそろそろと近づいていった。


 それで、あなたたちはどこから?

 北の方。遥か果ての、こことは変わらない荒れた土地だ。住める程度の食料と水、それに寝床もあった。でも安全はなかった。それは今と変わらない。

 お姉ちゃん、おなかすいた。

 双子と姉妹は手を取り合った。目的地が一緒ということとお互いに食糧不足で一杯一杯だったから協力しようということになった。けれどなにより人恋しかったのかもしれない。

 明日の朝早くから山へ登ろう。そうすればきっと明後日の夕方には向こうへ着くことができるだろう。

 ライナスがリーダーになって皆を率いていた。

 この日の最後の晩餐はなかった。食料は明日の昼の分のみ。水もないままだった。

 ジェフはルーシーの手を引いている。アリシアとライナスは二人の先を、なにかを話すでもなくゆっくりと歩いている。

 そのぬいぐるみ、かわいいね。なんていう名前?

 ジェフはうつむきながら歩くルーシーの肩を軽く叩き、ほほ笑みながらジェスチャーで言った。

 この子のこと?

 そうだよ。

 まだ決めてないよ。お兄ちゃんはどんなのがいいと思う?

 ルーシーはいつしかジェフにつられるようにしてほほ笑みながら聞いた。

 するとその時、ふたりの前を行くアリシアがふいに立ち止まった。ライナスは一体どうしたのかと思い彼女を見た。しかしアリシアは黙ったまま遠くを見つめているだけだった。けれどもライナスは誰かの話し声を耳にした。

 どうしたの兄さん。

 シッ、静かにしろ。

 ライナスもまたアリシアのようにある一点を見つめた。

 彼らの視線の先には数人の人がいた。それは久しぶりに見た大人だった。いや、彼らからは数人の大人に見えた。

 この世界にもう大人はいないはずだ。

 きっとあれは自分たちよりも大人だけど、本当の大人じゃない。未成年の年上の人間だ。

 見つかるとまずい。迂回して山を登ろう。

 ライナスは彼らを見つめたまま動かないアリシアの手を引いて促す。

 お前の気持ちは解る。けど、奴らは危ない。分かるだろ?

 ライナスはそう言ったが、アリシアの目は泳いでいて心ここにあらずといった感じだ。

 わかるな?

 改めてライナスは彼女の目を覗きこんで聞いた。そうするとアリシアは唇を噛んで悔しそうにしたが、こくと深く頷いた。彼女の瞳に先程の強い意志が戻ったらしかった。

 お姉ちゃん?

 ルーシーのように事情が飲み込めないのは当然だった。

 彼女は皆よりもまだ幼い。無垢で純粋という言葉がとても似合い、それでいて世界に無知な子どもだ。

 とにかく、ここから離れるんだ。

 ライナスはルーシーの手を取り、抱きかかえるようにして持ち上げた。その時ルーシーは驚いて下ろしてと喚いたが、姉のアリシアがなにも心配しなくていいから、静かにしようねと言うとルーシーは落ち着いた。

 これから山へ入る道を探そうと思う。離れずについてこい。いいな?

 ライナスがジェフに向かって手話を使って言った。


 一行が深い山に分け入ってから数時間が経っただろう。追手がないのは幸いだったが、なんの準備のなしに山に登り始めただけあって日が落ちてきた今となっては足元が暗くて見えない。

 ただでさえ不安定な坂道。けもの道には時折大きな大木が横たわっており、そんな時は一々遠回りをしないといけなかったり、根っこや湿った葉っぱでアリシアが危うく転びそうになったりした。体力的に不利なルーシーは足が棒のようだと感じていたし、ジェフは不満さえ言わなかったが先程からため息ばかりついているので相当疲れていることが分かった。そうやって周囲に気を配りながら登るライナス本人も日中は日が照っていた分、道はおのずと知れた。けれども日が傾き、視界が定かでない今となっては先導するのに不安を有した。

 どこかに休める場所はないのかと茫然と立ち止まるライナス。

 このままでは体力がもたない。特にルーシーはあんなに小さい体つきだ。無理をするといざという時に動くことができない。

 ライナスは経験から子どもが大人に勝てないことを重々知っていた。

 辺りを見回すが、ただ暗い木々が風で揺れ動くばかりでなにも見えなかった。

 彼らは限界だった。それは体力もそうだが、メンタルな面でも同じように疲れ果てていた。一致団結していても、一人ひとりが同じような思いを抱えていた。孤独だという不安感。どこまで行けば幸せになれるのかという途方もない無力感。そして明日にも死ぬかもしれないという絶望感。嫌な感情ばかりがそれぞれの心のうちでわだかまっていた。

 やがてとぐろを巻いていた感情に突っ伏すように吐かれたため息とともにアリシアが言った。

 今日はここで休みましょ。そんなに頑張って行ったって体力がもたないわ。この木の根もとで一晩過ごすのよ、いいでしょライナス。

 アリシアは有無を言わせまいと自らが先立って根元に腰を下ろした。それに続くような形でルーシーが、そしてジェフが体を休めた。少し先を行っていたライナスはそれを見て脱力し、仕方がないとばかりに戻ってきてアリシアの隣りの木の根に座り込んだ。

 ライナスはなにも話せる感じがしなかった。隣りで浅く息をするアリシアも口を聞ける状態でなかった。そしてそのうち彼女を眠気が襲った。物音がしないとなるときっとジェフとルーシーも眠りについたのだろう。アリシアは眠気が誘うまま目を閉じた。


 …………シア……アリ、シア………アリシア!

 ハッとアリシアは目を覚ました。二重に見えるその人影を必死に目で見つめ返す。意識が戻り、十分でない視界が解けたいま、目の前にいたのはライナスだった。

 どれくらいの時間が経ったかなんて判らなかったが、辺りがまだ暗いことからするとさほど時間は経っていないようだ。

 ん……どうしたの? なにかあったの? ライナス。

 お前たちが寝ている間に小さな小屋を見つけた。きっとどこかの猟師のものだ。そこへ移るぞ。

 視界が鮮明になるにつれて頭の回転も戻った。

 ルーシーは俺が運ぶ。悪いがジェフを起こしてやってくれ。

 分かった、とばかりにアリシアは立ち上がり、すうすうと夢見心地で眠っているジェフの身体をそっと揺らした。

 起きて、ジェフ。移動するわ。

 ジェフはその口元で察し、汚れたズボンを掃いながら立ち上がった。

 その場から横へ移動する形で一行が向かった先に現れたのは、錆びた物置小屋だった。鍵はかかっていない。中に入ると数年分の埃やらクモの巣やらが彼らを襲った。でもそれは、ここには誰もいないことを示している。彼らにとってこれほどの都合がいい場所は他にないだろう。

 寝床を作ってやる。ジェフ、お前も手伝え。ルーシーを頼む。

 分かったわ。

 ん……お姉ちゃん? ここどこ?

 ルーシー、起きたの? まだ山の中よ。寒い?

 ううん平気。

 まだ寝てていいわ。

 うん……。

 ライナスはまだ少しだけ日があるうちにとっておいたライターをポケットから取り出した。カチッ、カチッ……ボゥ、と仄暗い小さな明かりが辺りを照らす。食料もまともにない今は、こんなちっぽけな炎さえ愛おしく思えてくるから不思議だ。

 ふたりは作業に取り掛かった。アリシアは再びすやすやと眠り始めたルーシーを抱えながら小屋の外にいた。ごくごくわずかな火の元、ライナスとジェフは小屋の中のものを奥へ奥へと運び積めていった。そしてすっかり暗くなった頃、小屋の扉がキィと開いたのを見たアリシアはルーシーと共に中へ足を踏み入れた。

 つい数分前に見た光景とは全く違った。なにせ灯りが増えているのだ。片付けをしているときに偶然見つけたランプが二つ。幸い、まだ使えるようで彼らはその火を囲むようにして腰を下ろした。

 ランプから流れ出る明かりは四人の影を伸ばしている。誰もなにも喋ろうとしなかった。ただ皆でそのランプの一点を見つめているだけだ。

 ゆらゆらと不規則に乱れる炎。塞ぎきれなかった壁の隙間から夜の冷たい風が侵入してきているのを知らせた。

 ……ずっと昔に、とアリシアは唐突に話を切り出した。向かいに座ったライナスは視線を上げ、彼女を見つめた。アリシアは言葉を選ぶようにして口を開いた。

 まだ、母が側にいた頃……こうやって三人でランプを囲って話をしたことがあった……。何気ない、きっと母の作り話だと思ってた。

 俯いたアリシアの瞳が濡れていた。

 ……こんな世界なんて、知る由もなかった…………。

 今は、違うだろう……?

 ライナスはアリシアに尋ねた。

 お前にはもう世界の怖さが見えている。無垢でも無知でもないんだ。

 ジェフは兄の言葉を見て、兄は彼女を慰めているんだと思った。

 彼らは傍らで眠るルーシーや横になってランプを見つめるジェフに構わず話を続けた。

 ……俺たちは、とライナスは語り始めた。誰にも言ったことなどない、自分とそして自身の片割れである弟の、暗く身震いするくらいの血にまみれた過去を。


 俺(*3)と弟は双子で生まれた。見ての通り、性格は違うが外見は大差ない。

 家族は両親を入れて四人で、でも、父親はロクデナシ。酒に溺れて息子たちを思いのままに殴るクソ野郎だった。一方の母親は自分の子どもも護れないような人だった。

 父親の癇癪は酒によってエスカレートして、物にも、自分の子どもにさえも区別がなかった。

 俺たちは毎日、毎晩、殴られて育った。

 たまのそうでない日は怯えながら夜を過ごした。気が抜けない環境、普通なら世界から護らなければならないはずの親が、あの頃は常に日常の敵だった。

 ……兄さん、どうしてあの人は僕たちに強く当たるの?

 自らの父親を俺たちは“あの人”と呼ぶ。心の底から信頼し合える本当の父親はもういなかった。

 きっと、人は弱い生き物なんだ。自分が傷つきたくないから、弱い者を傷つけて安心したいんだ。そうでなくちゃ、とてもこの世界では生きてはいけないから。

 遠くへ行こうか……?

 え?

 どこか、遠くへ。

 ここでなんて、終わらせない。俺たちの人生は、俺たちのモノだ。

 でもそれは容易なことではない。俺たちはいつか訪れる好機を待った。

 そうこうしているうちに父親の影が消えていた。家中を探しても、周囲を捜索してみても骨の一つも見当たらない。

 母さん、あの人は?

 母親は首を横に振った。彼女でさえも知らない父親の行方。それは安心出来るものだったけれど、心のどこかに言い知れない不安を誰しもが抱いていた。

 それから数日が経って、母親に異変が起きた。

 空は赤く染まった。間近で爆発が起こって彼女の神経が飛んだのだ。それは正確に言うなら、理性だった。

 その夜、事件は起きた。弟はトイレに行くといって夜中にベッドから抜け出した。けれどそう言ったきり弟は戻ってこない。

 俺はおかしいと思って様子を見に行った。

 台所から明かりが洩れている。話し声が聞こえた。耳を澄ませると寝ているはずの母親とジェフの声だった。そしてその声は時々強弱をつけながら、まるで言い争っているように聞こえた。

 ジェフも母さんもなにして…………。

 次の瞬間にまず見たものは弟の怯えた顔だった。父親がいなくなってその顔を見るのは久しぶりで、その顔を見たときは大抵よくないことが起こる。このときも例外ではなかった。そうして母親を見ると、その手には包丁が握られている。今は夜中だ。料理する時間ではない。すると母親は真っ直ぐジェフの方へ向かって包丁を振りかざした。まさか、と悪い予感がした。そして考えなしに俺は弟のもとへ走っていた。

 ジェフ!!!!

 俺はとっさに弟を突き飛ばした。と同時に強い衝撃が全身を襲った。父親から受けた暴力よりも、もっと鋭い痛み。視界は真っ赤で、弟の叫ぶ声と母親の泣き顔を同時に感じ取った。

 それからは覚えていない。気が付くと母親もいなかった。

 錯乱した母親の刃はライナスの顔を裂いて右目の光を奪って、ジェフは血を見る光景から声が出なくなっていた。

 俺が言えるのはそれだけだ。

 家族と居場所を同時期に失って、双子は旅をすることにした。温かいとされる南へ進む道の果てに、いつかの平和と温かい人間に会うために。


 アリシアはしばらくなにも言えなかった。ただ、彼らも自分と同じような境遇を経て、今があるのだとしか思えなかった。

 少しは落ち着いたか?

 昔話を終えてもなお黙り込むアリシアに、ライナスは尋ねた。けれども、その答えはイエス、ノーのどちらでもなかった。

 …………今もまだ、痛い?

 ん?

 アリシアは自分の右の目を指差した。

 いいや、もう痛みはない。ジェフは時々、辛い顔で見るけどな。

 アリシアもその古傷を直視することはできなかった。彼らの過去を聴いたいまでは、かける言葉も見つからなかった。

 痛くはない。だからもういいんだ。そんな顔されると俺はどうすればいいのか分からなくなる。

 ライナスはランプの一つに手を伸ばし、中で燃える火を吹き消した。

 もう寝よう。明日は一日かけてこの山を越える。

 アリシアは床に横になった。そうしてライナスが一つずつ炎を消していく。明かりが最後の一つになったとき、ライナスは言った。

 お前は笑っていろ。俺も、それを望んでる。

 世界にはかつて、溢れんばかりの子どもの笑顔があった。青空を連想させるそれらは今、耐えようとしている。だからこそ、彼の瞳に映る異性の笑顔は特別なものだった。


 翌朝、彼らは早々に呼び起された。決して寝心地がよいわけでもないこの小屋の床がミシミシと小刻みに揺れ始めた。それにいち早く気がついたのは一番幼いルーシーだった。

 キャァーーーーーー!!!

 ルーシーは目を見開いて側のドアを掴んだ。彼女の悲鳴にライナスとアリシアが目覚めて、続いてライナスがジェフを起こした。

 地震だ……ここは危ない、もう出るぞ。

 ライナスはみんなに指示を出した。

 そそくさと後にした小屋は地震のせいで少しずつ崩れて、最後には木の板とガラクタで分解されながら麓の方まで落ちていった。

 みんな無事か?

 ええ。

 クマちゃんがいなくなっちゃった……。

 さっきの小屋に忘れてきたのか……。

 するとそのとき、ジェフが後ろを振り返った。

 どうかしたのか?

 ……今、誰かの声が聞こえた気がしたんだ。

 誰かのって?

 わからない、けど知らない大人の――……。

 ピシュン、なにかが草むらを擦り抜けていった。キュン、ともう一度それは続いた。これがなにを指すのか、ライナスは最悪を想像した。そして予感通り、次の瞬間、――パァン!! 至近距離から聞き慣れた銃声がして皆は反射的にしゃがんだ。ライナスも一歩遅れてしゃがむ。けれども不幸にもそれを見たルーシーはまた鼓膜が張り裂けんほどの悲鳴を声にした。驚いてアリシアが前のめりになったライナスを覗き込む。見るとライナスの左腕、ちょうど二の腕の部分から出血していた。銃弾による掠り傷だが、それでも苦痛に歪んだライナスの顔からはその痛みが容易に想像できた。

 ライナス、あなた……。

 いい、平気だ。それより先の銃声、あれはきっと昨日の奴らだ。

 ライナスは昨日のうちにもっと山を登っておくべきだったと後悔した。自分たちの体力にはさすがに限界を感じていたが、こまめに休憩を挟んでいれば、もっと上まで進んでいたはずだ。両親がいなくなり、もうこの世にそれ以上の敵はいないんだと思っていた安心感がライナスの勘を鈍らせた。

 二手に分かれよう。このままではどうせ見つかる。

 ええ、そうしましょ。

 アリシアもライナスも、奴らに見つかれば一巻の終わりだと思った。殺されるとも分かっていた。

 ジェフとルーシーはここから直線で山を登れ、明日の朝には越えて向こうの土地で落ち合おう。

 兄さん……?

 大丈夫だ。銃だけ置いて、食料は持っていけ。今日の昼にとっておいた分だ。腹が鳴らないで済むだろう。

 え、それじゃ兄さんたちは?

 いいのよ。妹を……ルーシーを頼むわ、ジェフ。

 おねぇちゃん……やだ、離れたくないよ……。

 ルーシーは駄々をこねて泣きじゃくった。けれども時間がなかった。一刻も早くこの場を離れ、奴らと距離を置かなくては。

 いいか、よく聞け。俺たちはこのまま山を横に進む。到着は明日の夜くらいになるだろうが、これなら奴らの目をお前たちから逸らすことができる。

 でも、兄さん、それって……。

 ライナスもアリシアも自分たちが囮になることを拒まなかった。

 ジェフ、ルーシーと共に向こうの地で落ち合おう。やれるな?

 そんな……兄さん、僕は――。

 行け! 今のうちだっ!

 ライナスは真に迫る、迫力のある声でジェフたちに逃げろと促した。泣き止まないルーシーの小さな手を取り、山頂を目指し山を登って行った。

 さて、アリシア。

 西側は昨日の街があるわ。安全のために人目を避けましょう。

 となったら東だ。行くぞ!!

 二組に別れたのは正解だったが、やはり敵もただ追ってきているのではない。以前から自分たちが当たり前のように普段口にしていた牛や豚の家畜のように、今度の食事に出されるものが“ニンゲン”に変わっただけなのだ。

 捕まったら終いだ! 急げアリシア!!

 ライナスは血が止まらない腕を押さえて走った。後にこれがふたりの道を指し示すものになることは、今の彼らに知る由もなかった。


 ……to be continued.

後編に続く。

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