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視覚透過装置  作者: 小川藻
6/19

06

 吐く息が白い。



 哉子の家の前に到着する。二階にある哉子の部屋には明かりはない。北海道の田舎によくある広くスペースをとる住宅。駐車場は住居に連続している。



 朋彦は一旦踵を返し、二つ前の住宅の裏口から、道路から外れて家と家の間にある狭い空間を歩む。昔から見知ったところで、表の通りから哉子の家に正面突破するよりも断然よいと判断した。すぐに哉子の家に到着する。



 ガレージの裏側に、壁にもたれるように座り込む。辺りはすっかり闇に包まれ、周囲にある家屋からの灯火は朋彦には届かない。



 身を乗り出して二階の右側の窓を眺める。やはり窓に明かりはない。しばらくたたずむ。あらためて空気の寒さを覚える。二階の窓を三度見るが暗いまま。



 一階から話声が聴こえてくる。哉子と、その父親とが何やら話している。ここまで届くと言うことは、比較的大きな声ではないか。扉を開け閉めする音がする。



 朋彦は予感がして二階を見る。明かりがある。《視覚透過装置》を起動する。オートで開くその奥から、青と緑とのLTGライトが点灯する。暗闇で思った以上に光を放つため焦りを覚える。透過ガジェットと錠剤とを抽きだして、すぐに《視覚透過装置》のケースを閉じる。



 錠剤を手で摘まんだまま、少しだけためらってから、口に含む。



 味は苦い。右の奥歯でかみ砕き飲み込む。苦みの後に清涼剤のようなスッとするような感覚が生まれる。視覚と網膜透過効果表示を安定して同期させるために、一点を集中してみることを推奨される。二階の窓の辺りを見据える。



 薬の効果があり、透過ガジェットが脳の電位を掴みはじめる。同時に透過ガジェットから放たれ各種の透過線が視線上に投射され、先にある立体物の構造を把握し始める。透過線の検出結果は脳髄にフィードバックされ、そこに透視者の随意が加わる。すなわち、どこを見たいか? が吟味され、狙ったところの透過表現を視神経経由で網膜上で表現する。透過ガジェットと薬験の効いた脳髄とのインタラクティブは使用方法を守って用いれば極めて親和的で、朋彦も難なくそれをこなしていることを実感する。



 二十世紀に確立されたレントゲン写真の技術がここには用いられている。だが視覚透過装置でもたらされる視覚情報は彩色が施される。折角脳みそが無限×無限ピクセルで情報を送って来てくれるのだ。白黒のX線に、彩色を加える。白黒テレビからカラーテレビに進歩するがごとし。社会でならったあれだ。



 朋彦は目尻がピグピグするのを感じ取る。これまた本で読んだ通りだ。透過ガジェットからは遠隔操作で微弱な電力供給の指示が発せられ、毛様体筋等を刺激調整し、視力強化および遠視の効果を発揮している。これも脳髄の企図と同期する。



 しばらくすると、家屋や窓の輪郭が滲み、二重に見えたり元に戻ったりが繰り返されるようになる。極めて自然な変化で、窓の向こうの家具や壁に掛けられた時計などが透過され始めた。初めの一瞬だけ、X線だけの色の足りない視覚が立ち現れた後は、ほとんど現実と遜色のない「透過の世界」が広がり始める。



 あるものへ焦点を合わせようと思えば、そこまでの透過効果をもたらす。物体の手前は透過し、奥は不透過。視線に併せてその境界は揺れ動く。



 哉子は部屋に一人でいた。



 ふわふわしたパーカーに、下は丈の短いジャージ姿。哉子は高校一年の終わりに出た文集で、クラスの美脚ナンバーワンにランクインしていた。



 朋彦がふだん読む青年漫画雑誌には、アイドルなりなんなりのグラビア写真が掲載される。朋彦は漫画雑誌が好きで立ち読みしたり、あるいは毎週購入するものもあるため、このグラビアがなければより安い価格で雑誌が買えるのではないか、と普段周囲に息巻いていた。



 だがどうも、近ごろはアイドルの水着姿についつい眼が行ってしまうのだ。巻頭を飾るのはテレビでよく見かけるような女の子たちだ。中盤から最後の方には、より露出やシチュエーションのきわどいグラビア写真がある。



 世のおじさんのなかに、ずっとこういうグラビア写真を見続けて、研究し続けた人々がいる。友人の平田が教えてくれた事柄だ。二十一世紀の初めころ、画像処理の技術が進んで、女の子のくびれを良い感じに修正したり、肌荒れを消したり、瞳を少しだけ大きくしたり……そんな技術が成熟した。数十年の時が経ち、それが当たり前になってしまうと、むしろ「無修正」の女の子が尊ばれるようになった。多少ふっくらしてようが肌荒れや毛穴が目立とうが、そのほうが「リアル」なのだ。男たちはそういう方向に傾いたのだそうだ。今のグラビアは昔よりも修正の度合いが少ない。



 哉子は長く美しい、なんだか朋彦にとってはヴァーチャルな感じさえする脚を投げ出して、ベッドの上で携帯通信装置をいじっている。小学校のころのような無防備さだ。



 じっくりと味わうその前に、奥の扉が開く。哉子の母が立っている。朋彦はそちらに目線を移すと、すぐに哉子の後頭部が視界に入ってきた。部屋のドアの前で二人が何か話している。遠く、朋彦のところまで問答が聴こえてきそうだ。互いにそれなりに大きな身振りで声を出す様子が見える。そのうちに、ドン、と哉子が母親を突きだした。そして乱暴に扉を閉める。



 朋彦は母親の方に焦点をあわせていた。朋彦の記憶の限り哉子の部屋の扉には鍵はない。今もなにか鍵をかけるようなそぶりは見せなかった。哉子の母親は扉を開けて立ち向かう気力はなかったようだ。そのまま立ち尽くす。そして、階段を下りていく。



 階下には父親がいた。母親といくらか話をしてから、少しだけ頭を抱えるような仕草を見せた。



 二階の哉子の部屋に朋彦は視線を戻す。



 ベッドに腰掛けて脚を組んで、慣れたような、あるいは恰好をつけたようなしぐさで煙草に火をつけ、口へともたらす。煙草の先端が赤く燃える。煙草は哉子の口から離れてたおやかな手指に挟まれてある。



 哉子は天井を見るように頭をもたげて軽く息を吐く。煙が伴う。通信装置を左の手のひらで持って、誰かとSNSに付随する経時簡易短信をしているのだろう。しばらく通信装置を覗きこんだ哉子は、煙草を灰皿に押し付け、ベッドに寝転ぶ。左の腕で顔を覆うようにして視界を遮る。



 朋彦は服を透過して哉子の裸を見ることだってできたが、いつの間にか部屋の中にある昔と変わらないタペストリーや勉強机を眺めて、まだあるのだ、と確認する作業に入っていた。そして十分の制限時間のはるか手前で《透過ガジェット》の機能をオフにした。



 今度は道にまっ直ぐ出て、真っすぐ家に帰る。ちょっとだけ家のドアの前で、ノブに手をかけたたずんで、なかに入る。



 居間に行くと、母親が台所から声をかける。


「おかえりなさい。何も買ってこなかったの?」


「立ち読み」


「そう。ご飯できたから準備して。それと、あとで沙耶に数学教えてあげて」



 ほどなくして、父親が帰宅する車の音が聴こえて来た。家族四人でテーブルで食事をとる。会話は少ないし、ありきたりな話題ばかり。



 食事のあと、再び母親から促されて、朋彦は妹に勉強を教える。妹とは滅多に話すことはない。いつも母を経由して学びを乞うてくる。時折こうして勉強を教える。今日は方程式やそれをグラフに表すことについて教える。こうした数学のあれこれや、英語の受動態だとかがあるおかげで、妹と顔を合わせる機会になっている。



 やり方をおおよそ伝え切ると、妹は短い感謝の言葉を述べて二階に上がっていく。母親が再び語りかけてくる。



「旅行について考えてくれた? 来年は受験で忙しいし、卒業したら街を離れるでしょう。だから、家族四人で行くなら今度の冬休みが良い。層雲峡か阿寒が良いと思うんだけれど」


「沙耶や父さんは行くって言ってるの?」


「ええ」


「なら、いこうかな」


「わかった。日付はお父さんと相談するね」



 それを聴いて、朋彦も二階に上がっていった。






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