10
幾重にも連なる構造物が見える。これは、学年ごと、クラスごとに立ち並ぶ下駄箱だ。
頭の中で焦点を合わせようとした下駄箱のところに、しっかりと装置が焦点を定めてくれる。手前から五つ目の列に人影がある。そう思うのとほぼ時を同じくして、そこに焦点があってくる。四人ほどのサッカー部が、クラスの女子の下駄箱の辺りで蠢いている。
一人の部員は、クラスでもお調子者として知られる人物で、勉強はできないけれども明るくわいわいやるタイプ。サッカー部だけれど坊主にしていて、立ち居振る舞いは野球部のように見えることを皆からからかわれて、おどけるような男。
そんな男が、今は周りにはやし立てられ、せわしなく制服のズボンのベルトを解いていた。そしてズボンを下ろして、周りの者から上履きを受取る。少しだけ男の陰毛が見えたところで、朋彦は自分の焦点が、いつの間にか、手前に居る別の部員の制服の上着の裾に移っていたことに気がついた。
芳野はどうだろうか、と隣を見る。朋彦の視点距離がぐっと狭まり、少しだけ奇妙な感覚になりつつ普段の視覚と変わらない第一地学準備室の光景を取り戻す。芳野は、壁の方を、つまり下駄箱の方をじっと見据えたままだ。
芳野は体育館の更衣室で見たような無表情とはまた別の、度し難い面貌にある。芳野は視線に気がついたのか少しだけ流し眼で朋彦を見た後、再び下駄箱に眼差しを向ける。朋彦は芳野の顔を見ながら、時を措かずして制服の下にある芳野の鎖骨や下着なんかがちょっと見え始めてしまって慌てて下駄箱に視線を戻す。
例の男を中心にサッカー部は騒ぎ立て、はやし立てている。朋彦は、上履きでなにをしているのかの極点は見る気になれず、四人の部員の全体像を眺めていた。芳野もそうであってほしい、何となくそう思う。彼女にとって嫌なものは感知せず、彼女の納得するような視覚情報だけを得られれば良いと、祈るように思っていた。
芳野が、鼻から「ふー」とため息のようなものを漏らして視線を外すのを、朋彦は逃さなかった。
「まだ見る?」
「うーん……?」
そう言って芳野は壁を少し睨んで、パッと朋彦の方を見る。いきなり面と向かれて朋彦はドキリとしていると「もういいかな?」と芳野が言う。そしてもう一度、壁を数秒見てから立ち退く。
朋彦も壁から離れる。慎重に言葉を選んで芳野へ話しかける。
「その、あまりあんなのは見過ぎても、よくない」
芳野はちょっと笑って「そーだね」と返す。
芳野がソファに置いた鞄とリュックを取るに及んで、朋彦も同じく帰り支度をする。
「透過時間を余しちゃった」
「別にいいって。長く見るもんじゃない」
「当然だけど、あんなの初めて見た」
「下にまだサッカー部がいる。見張りがいなくなるまでもう少し待っていよう」
二人は明るい地学準備室でソファにやや距離を置いて座り、それ以上言葉を交わさなかった。時計の分針が音を立てるだけ。何度か互いにカーテンを覗く。しばらくすると、玄関先に見張りの部員がいなくなっていることがわかった。
芳野は再びさっきのような溜息をつく。
「ありがと、コーヒーでもおごるわ」