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「柊木ー」
頭の上から声がする。
「ひっいっらっぎ!」
「うるさいな、近くで叫ぶなよ」
俺は机に伏せた状態からゆっくりと顔をあげる。そして俺の前に立つクラスメイトを見る。
「なに?」
我ながらすごくめんどくさそうな声が出た。
だが目の前の少女は気にも留めない。
「なんか最近元気なくない?」
「いつもこんなもんだろ?」
「いつも以上に!」
どうしてこいつはいちいち大きな声を出さなければ気が済まないんだろうか。
「変わらねえよ。俺はいつもどうりだ」
「ぜった・・・」
立ち上がった俺は、まだ何か言おうとしたのを頭に手を置いて止める。
「・・・ぁ」
女子高生の平均身長よりも二十センチは低いこいつは、
「頭を触るなーーーー!!!」
頭を触るとキレる。
俺は怒り狂う猛獣のようになったチンチクリンの少女から繰り出されるパンチやキックを華麗にかわしながら、荷物をもって教室の出口に逃走する。
「待てゴラー――――!!」
「待つのはお前だ皇」
扉の前にいた我らが二年三組の担任にラリアットを決められ、ごふぅという声にならない声を出して止まる猛獣。
「ちょっと!このご時世に何してんの?!」
「補修」
「ラリアットしたでしょ!?教育委員会仕事しろ!」
「じゃあ、教育委員会が来る前に私の仕事だ。補修を始めるぞ。みんなさっさと帰れ。教室を開けろ。皇お前は帰るな。このクラスに補修を受けるようなバカはお前だけだ。さっさと席に就け、補修科目は全教科」
ぞろぞろと教室から生徒が追い出される中、一人の少女の悲鳴が廊下にまでこだました。
俺は下駄箱で靴を履き替え、校門を出て帰路に就く。
いつもの日常。繰り返される毎日。騒がしくはあるが刺激の無い、退屈な日常。
春休みに起こった、ほんの数日の非日常。
俺は確かに異世界にいた。
勇者として召喚され剣術を教わり、魔法も見た。ワクワクしていた。そこにある全てが非日常だった。浮かれていたんだ。でも仕方ないだろう?誰しも思うことじゃないのか?願うことじゃないのか?このありきたりな日常を変えてくれと。それが叶ったんだ。
だけど、これから魔王討伐の旅が始まると思っていた矢先、助けるはずの姫が返ってきた。自力で魔王を打ち倒して。
あの後レイリアに聞いた話だと、姫は風魔法の使い手でとてつもない力を持っているという噂はあったらしい。だがそれは噂の域を出るものではなく、城外はおろか城内にも噂の真相を知るものはごく少数だったらしい。
少なくともあの国王は知っていたはずだが・・・。
「でもまぁ、魔王軍をたった一人で壊滅させるほど強いとは誰も思わなかったから」という慰めのような言葉を言われ、俺は即用済みとなり元の世界に返された。
あれから二か月近く経つ。
元の世界に返ってきた俺はいつも通りの退屈な日常を過ごしている。
あの数日間は夢だったんじゃないか?どんなに非現実的な経験も二か月もするとそう思えてくる。
「はぁ・・・」
ため息が出る。
もはやどうしようもないことを考えていたら我が家にたどり着いていた。
「ただいまー」
って言っても誰も家にはいないんだけど・・・
「おかえりなさいませ隼人様」
は?
玄関で固まる。
うつむいていた顔を上げると、そこにはメイドがいた。
いや、なんだそれ?意味が分からない。
「どうかなさいましたか?」
いや、どうかなさいましたか?じゃないだろ!え?なんで?は?メイド?
ん?・・・メイド?
「・・・」
無表情なまま立っているメイド服の女性。端正な顔立ちだが、まるで感情が無いかの様な正に無という表情。体形が分かりにくいメイド服姿でもわかる、華奢な体。
いや、違うそうじゃない。
俺は知っている。このメイド服を!
「あんたまさか・・・」
「ちょっといつまでそこにいるの?」
ボブの黒髪を首の後ろで縛ってできた小さな尻尾を揺らしながら、俺の言葉を遮るように奥からやってきた我が家の大黒柱。
「姉さん?」
「この子、あんたの知り合いなんでしょ?」
そう言ってメイド服の女性をちらりと見る。
「いや、知り合いっていうか・・・」
多分知らない人だ。このメイドは。
だけど、そのメイド服には見覚えがあった。
でも、どうしてここに?
口ごもってしまった俺をよそに姉は後ろ、リビングを親指で指さす。
「もう一人もあんたの知り合い?」
もう一人?
俺は慌てて靴を脱ぎ捨てメイドの横を通り過ぎ、姉を押しのけリビングに駆け込んだ。
そこには白いドレスを着た長い金髪と緑色の目をした少女が、その姿と全く似つかわしくないソファに座っていた。
「おかえりなさい。・・・というのが作法なのかしら?」
背筋を伸ばしてソファに座る少女は頭だけを動かしてこちらを見る。
まるで作り物のような、美しすぎる顔が俺をまっすぐに見ている。その宝石のような目に吸い込まれそうなになりながら、俺は何とか言葉を発しようとする。
「どうして・・・。どうしてあんたがここにいるんだ?」
俺の言葉を聞いた少女はソファからスッと立ち上がり、俺に向き直る。金髪が揺れてキラキラと光を反射する。
完全に俺に向き直った少女は俺よりやや低い背丈、それでも自分と同い年の女子としては高いほうだろう。
「あの時はゆっくりと話すことができませんでしたね。勇者ハヤト」
あの時。今まさに旅立とうとしたあの時。
「改めて勝手な都合で召喚してしまったことへのお詫びと、私を助けるために旅に出ようとしてくれた勇気に感謝を」
一方的にしゃべりだす姫に俺は何も言えなかった。頭の整理ができず、理解が全く追い付いていない。お詫び?感謝?そんなことはどうでもいい。そうじゃない、そこじゃない。
「勇者ハヤト。私は城で多くの文献を読みました。でも、どんな文献にも書いていなかった、異世界なんてものがあるだなんて」
とても嬉しそうだ。
そこで一呼吸おいて次に紡がれる言葉は、俺をさらに混乱させる。
「私はしばらく、ここでお世話になるつもりです」
俺はもう考えることを放棄した。