08
ザラが吐いた息は白く、縦に伸びて光の中に溶けていった。
地下迷宮の到達最深度に到達してからさらに十日、60階層を目の前に私たちは足踏みをしていた。
「んー、どうしたもんかね……、ティガはどうだ? 降りれるならいいんだが」
「いや、それらしいものは無いな。 あるのかもしれないが水が邪魔だ」
正式な区切りがないために暫定となるが私たちが居る59階層の最奥には真っ直ぐに地下へと伸びる、完全な円形の穴が開いていたのだ。それに伴って地下から噴き出している冷気は離れれば感じなくなるような微々たるものだったが、ここから先へ進むのに寒冷対策が必要だと誰もが感じ取った。
何事もなく無事に降りられたらの話ではあったが。
「トレミーは? 魔術師なんだし、何か分んねぇの?」
「あからさまに魔力が濃すぎる……、飛び込んでも助かる魔術がかかってると信じて飛び込んでみるのも面白そうではあるか」
「何も分かんないっと。はぁ……行きはそれでも、帰りがなぁ」
「行けるわけがないだろう」と、漏らした私にザラは足元に落ちていたこぶし大の瓦礫を手に取り、大穴へと投げ入れた。底を測ろうと何度も試したことではあるが、やはり音は聞こえてはこない。ただ単に深すぎるのか、私が知覚できない程の何かがあるのか。
地下迷宮での見慣れた光景の一つとして、水は上から下へと流れるというのがある。ここもその例外にもれることはなく下層へと続く大きな水路が作られていた。にもかかわらずだ、水が本来持つべき輝きは大穴に飲み込まれてまったく見ることができない。この穴はあまりにも異質だった。
「やー、ティガんとこにこんな感じの情報ないのか?」
「俺だって何もかも覚えてるわけじゃないんだ。 勘弁してくれ……」
ティガは情報収集特化のギルドだと聞くが、非戦闘時の頭のまわっていないときに急に来られても困るだろう。彼から私に向かって視線が注がれるが、自身が分からないものを知っていると答えられるほど老害になったつもりはない。
「とりあえずは周りを見ていくか……、おーい! 出発だ! 荷をまとめろー」
張られた声は大きく響き、腰を落ち着けて談笑していた冒険者たちは顔を引き締めて荷をまとめ始めた。交代制で監視の人員を割いているが、目に見える形で行き止まればやはり気は緩む。それも仕方のないことではあるが、ギルドのまとめ役、ザラやティガ、エクレールなどは常に頭を使っていた。
前者二人は先ほどの通りであり、エクレールは魔術師を集めて大穴への対抗策を練っている。私もザラに呼ばれる前は魔術師の一人として出席していたのだ。
「トレミー、ちょっと端を持ってくれ」と、ザラから声がかかり、私は布を折りたたむのを手伝いに行った。水場のない場所への行軍において、清潔な布というのは貴重品になる。たとえ水が手元にあっても物資は全て貴重品ではあるのだが。
側面から攻撃を受けて大穴に落ちくれないように安心できる距離を取って行軍は始まった。あくまでも周辺調査が目的であるため、その速度は比較的遅い。
私は大穴に消える大量の水を眺め、隣に並んでいるエクレールに声をかけた。
「どうだ、降りられそうか?」
「無理ね……、水の謎が解けないと何もできないでしょ……。 貴方が呼ばれてから話しに上がったのは協力して思いっきりの攻撃をぶつけてみるというものだけれど、これは貴方の魔力が大部分を占める計算になるから私としては避けたいわ」
「ここは魔力が濃いんだ、それに行軍速度も早い。 他の魔術師の感覚も多少は狂うだろう」
「だからと言って……」
「他の魔術師が君の価値観と同じとは思わないことだな……、誰もが皆、上流階級の教育を受けられるわけではない。 意地悪で言ってるわけじゃないのは彼らの様子を見ればわかるさ」
きっと彼女はこう言いたいのだろう、「魔術師としてのプライドが圧倒的に足りない」と。
王族が持つ千里眼(赤い瞳のことである)や、私のように魔術を扱える者は生まれた時からその素質を持っている。親から子へと継承されたり、突然に能力が生まれるものを先天性技能と人は呼び、神の贈り物とされているのだ。言うまでもないが、家格が高いほどに先天性技能を持つ人間の割合は高くなっていく。
「君の体は母親が調整をしてくれているからこそ、この環境に順応出来ている。歴史のない魔術師などではこうはいかない」
「……初めて会った時から私、貴方に言いたいことがあるんだけれど……、少しいいかしら」
私は彼女の問いに快く答えた。
自身からエクレールに言えないからこそ、自分の口からでなく、彼女から聞いてもらうことを心のどこかで期待していた。この、死んだ体を縛り付ける、エクレールの母、クレアの最期の言葉。どうしようもなく肥大化してしまった未練を抱えるからこそ、無責任な救いを、自分勝手な謝罪を求めていたのだ。
だが神は私を許すのにはいまだ早いと考えられたのだろう。探知をしていた魔術師が都合よく魔物の群れを見つけた。
「……またあとで話は聞かせて」
「あぁ」
止まっているはずの心臓が酷く痛かった。
先頭を行っている片手間に考えていたのは、夜の10階層で出会った魔術の心得がある王だった。
ほんの少しの瞬間で周囲から消えてしまったあの王のことを思い出したのは神について思案していたからか。なんにせよ、考えねばならない問題であることに変わりはない。
彼の王の言動からして、死人であることは確実ではあるが、私以外にこの禁呪を扱える人物を知りはしない。さらに言えば彼はプレイテリアの王ではないのだ。その中で魔術に精通している王など歴史書の一つや二つを広げれば分かりそうではあるものの、私の記憶にそのような人物は存在していなかった。
まさか忘れているということもないだろう。魔術師が魔術を知る王を知らないなど笑い話もいいところだ。
そもそも、彼は何をしに地下迷宮に来ていたのだろうか。プレイテリアの問題を他国の王、それも死んだ人間が出てくるようなことでもない。王に命令できる存在と考えて一番最初に候補に現れるのは神であり、神が動いているとなれば納得はいく話へとまとまるため、私の考えは自然とそちらの方向へと傾いていった。
………なるほど。
一通り考え終え、納得のいく回答を得た私は満足して頷いた。
死人である私がこうして生きているように、彼の王もまた神によって生かされているのではないか。死体が天へと昇った先にあるのは神の空中庭園だ。そこで私のように魔術を仕込めば、死後であろうと問題なく活動できる。
魔術を知る王となれば神の御眼鏡にも適うだろうことは想像に容易く、私は過去の仲間を思って死後の生活というものを考えるのだった。