07
23-7地下迷宮に潜って七日が過ぎた。到達階層はぴったり50。現在探索されている最深階層が57なのを考えれば、抜けてきた気を入れ直すのにもちょうどいい頃合いだった。
ここまで彼等を見て来て思ったのは、質としては何ら変わっていないという事。魔術師が扱う魔術や携帯している法具の種類が増えたぐらいだ。攻略法が受け継がれているために記憶力が必要になってくるのだろうが、紙で纏めてしまえば問題もなくなる。増える荷物については潜る人間の数を増やせとしか思わないものの、本職ではない私がいくら考えた所で無駄だろう。
「今日で55、明日で最下層に行くからそのつもりで。装備の点検は怠るなよー」
ザラの声を聞き、私は立ち上がってローブの端をはたいた。地下迷宮に現れる魔物は次第に強く、また、同時に現れる数も増えていく。鍛冶師を同行させ、予備の武器を用意しようと、地上での整えられた施設とではやはり比べものにはならない。
故に、深度が深くなるにつれて魔術師の働きが重要な戦略を担う事になっていた。
「エクレール……、あまり無理はするな。ここのところ魔力を使い過ぎだ」
「分かっているわ。魔術師だって一人ではないんだから……」
「君はいい魔術師になりそうだ」
「貴方に言ってもらえるなら信じられそうね」
潜り始めた時よりも断然今の方が友好関係は構築されているのは言うまでもないだろうが、その中でもエクレールとは同じ魔術師というだけではなく、彼女の母親の影と重なって私の視線を集めていた。何かと視線を向け、口を開いたかと思えば心配事ばかり言う私に彼女は呆れているようだが、心の中のしこりが未だに抜けていなかった。
単純な通路ではなく、巨大な建造物を探索しているかのような広々とした空間には私達が起こす雑音と、下層へと流れ落ちていく水音だけが聞こえて来る。探索済みの階層であっても、気を抜けなくなってくるのがここからの階層であるらしい。40階層周辺では軽口が飛んでいたというのに、今は呼吸音でさえ聞こえないような行軍である。
「……一時の方向。獣種、数約30。一直線に来るぞ」
会敵を知らせる私の声でパーティーは無駄に体力を消費しない程度に動き出す。
私が入っている第一パーティーは遊撃。第二が前を張り、第三が後方支援、第四は物資運搬となっている。
右方へと回り込むように動く第一に、魔物の進行方向に合わせて進んでいく第二。その中間地点に第三が陣取り、第四はそれぞれのパーティーに数人ずつ紛れ込むように入った。
「ツァオネだ!」
離れたほかのパーティーにまで聞こえるように叫んだのは情報収集に長けたギルドのマスター、ティガ。彼は五感の強化に関する先天性技能を持っており、光源の少ない地下迷宮の中でもパフォーマンスを落とすことなく活動していた。
ツァオネは背後にねじれた二本の角を持つ四足獣であり、角によって生成された雷を体毛が蓄積する。成人男性の伸長と変わらないツァオネが地を駆けるたびに空気が破裂するような音が響いた。金属製の武具と相性の悪い魔物ではあるが、種類豊富な地下迷宮の魔物に対応するため、彼らも対策を立てているのだ。
「トレミー・ウォードの名において深き守護の神に願い乞う! 害を制し、はるかな利に杯を捧げん!」
保険のために魔術を唱えこそしたが、それは杞憂だった。
第三パーティが唱えた阻害の魔術によって動きが鈍ったツァオネを、ティガの敵識別の声で武器を木のハンマーに切り替えた第二の冒険者が殴り飛ばしたのだ。よろけたツァオネは冒険者を追おうと口を大きく開けて威嚇するような動作を見せたが、殺すことよりも生きることを優先する彼らの引き際、一撃離脱の精神とでも言うべきものがその牙を突き立てることを許さない。
魔術が付与された盾であっても突進をまともに受けることは得策ではないため、衝突が起こって一撃入れ終えた第二パーティーは細かく分かれていく。まるで壁の一部がなくなった王都の街並みで戦闘をしているかのような、高低差のあるこの場所で第三が上手く高所に陣取れたらしく、私の頭上より詠唱の声が響き、投石の後に遅れて風を切る音が聞こえてきた。
「第一の指揮はトレミーへ! 俺は少し離れる」
盾を持った男を連れて戦っているツァオネの背後を取りに行ったザラから指揮権を貰った私は隣にティガを置き、戦場を眺めながらピンポイントで隙を作っていく。ほんの少し注意を私へと向けさせればそれなりに優秀な前衛がつぶしてくれるため、殺傷能力の高い魔術を使う必要もなかった。
魔剣を持つザラが加勢したために危ない雰囲気を出すこともなく、無事に戦闘は終了した。
魔物が来ないか見張っていると、負傷者の手当てをしていたエクレールが歩いてきた。ツァオネの死体に足を取られないように足元を見ているが、彼女も冒険者であり、転ぶようなへまはしない。
「手当ては終わったのか?」と、分かりきったことを様式美として口にすれば、彼女は短く頷いた。
「最初に使った魔術を教えてほしかったの」
私の横に並んだ彼女も私と同じように周囲を見渡しはじめ、何事もなくそう言った。貴族としての口調を残しつつ、そのプライドを完全に捨ててしまったかのようなエクレールに少し驚きはしたが、魔術師として後進を育てておくのに忌避感はありはしない。
「あれは上流家庭の中でもあんま広まっていない魔術だ。 ……まぁ、いまがどうかは分からないが覚えておいて損はない」
「あの時ツァオネの纏っていた雷が消えたように思うのだけど」
「消えたのではなく阻害したんだ。 阻害、増進の魔術だが魔力消費もそれなりに必要になってくる。 その地の神との相性、魔術の練度によっていくらか軽減されるが……、術式は……こう、詠唱は自分に合うのを考えればいい」
「……複雑な術式………これじゃあ別々に使ったほうが効率がいいんじゃ……」
元は一つの家系が秘匿していた魔術であり、何代にも渡って体を改造して効率を上げていなければこの魔術は意味がない。これは前回の魔王討伐の際に教えられた魔術だった。
「限られた時間で多くの効果を。今は勝手が悪いかもしれないが、何代も先、こういった事態の時に有効に働く」
エクレールは少し考えたのか沈黙していたものの、自分なりに折り合いをつけたようだった。
未来に何を残せるか。それを考えるには彼女はまだ若いのかもしれない。魔王討伐に参加した家が没落したのだから、支えとなる人物は限られている。せめて私がその場にいたら……、いや、死人である私はこんな機会でもなければ国に入ることができないし、本来であれば地下迷宮にも入れない筈なのだ。この力をもっとほかのことに回せばいいものを。
「そこの仲良し魔術師お二人さん、そろそろ行くぜ」
ザラの言葉で一団は再び歩みだした。