06
体内魔力が少なくなった生物は空に昇っていく。これは伝説にある空中都市によるものと考えられる。また、空中都市は海星の神の所有物である。
教会所有の原典には次のような記述がある。
「神住まう地は天高く、上の海よりも低い空にあった。 何者も寄せ付けないその場所は全ての子らを見ることができた。 神の偉大なる畏怖の前に我らはひれ伏し、生ありし時の役目を終え、神の腕に抱かれた。」
生者と死者の違いは体内の魔力量であり、これから、空中都市の働きは魔力を地に押さえつけることであるという予測がついた。
私の家系はこの予測について研究を重ね、ついに天から死者を呼び出すことに成功したのだ、だが、呼び出した者に意識は無く、術者の意識によって行動を始めた。
教会側はこれを禁忌魔術と認定したが、裏では私の家系には研究を続けるようにとの指示が降りた。彼等は不死者を欲したのである。
不死者の理論は皆が考えるより簡単であった。
死後も体内魔力が最低値を下回らなければ肉体は地にとどまり続けたのだ。
体に刻まれた刻印が周囲から魔力を吸収し、余剰魔力をもって肉体の欠損を修復していく。
繋がった左腕を眺めながら、私は眼前の戦場に目を向けた。
魔王の攻撃によるものか、鈍く光る鎧を燃料にして炎が立ち上る。生き残っている人間を必死に探せば、熱によって歪んだ視界の中に影を三つ見つけることが出来た。
体は軽いのに息は上がるし、どこか体調もよくはない。
「───ぁ―! ───ッ!」
涸れ果てた声は出ず、嗚咽ばかりが喉に詰まって言葉にならなかった。
行かなくては……、結末を見届けなければ……、魔術だって完璧じゃないかもしれない。早いうちにいかないと。死体とは不自由だ。空気は不味いし、声は思うように出ない。身体は重く、視野も狭まったように感じる。
遠く、剣戟だけが体に響いていた。
ようやく視界に映ったのは、クレアとリエル、そして魔王。……剣聖は地に転がってはいるが、僅かに上下する胸を見れば息はある。
魔王は左腕を焼き潰され、致命傷も幾つか。だが、こちら側もどうにか立っているだけに過ぎない。槍を支えに片膝をつくクレアに、引っ掛かっているだけの鎧が裏止めの革でぶら下がっているリエル。剣聖については言わずもがな。
「トレミー! 魔術は成功か! 貴様が居れば百人力だ!」
死にかけとは思えないリエルの声が届くが、私はそれに返すことが出来ない。ただ彼の視界に入るために歩を進める。振りむかしでもすれば本当に死んでしまうかもしれない。
私は死んだからこそ、死の恐怖を正しく理解していた。とても、こんな体になっても生き続けたいとは思えない。私の家系の悲願は、まさしく悲しき願いだった。
いや……、本当に不死を願っていたのか?違う。それは依頼であって私の願いではない。
私は魔術師。神の奇跡を追う者。遍く世界の謎を解明せんとする者。そうではなかったか。そういう意味では、私は偉大な功績を残したのかもしれない。
「───ッ─ッ」
軽く笑ったつもりでも、この体では上手く笑えなかった。
二人に並び立った私の様子に彼等も異変を感じたのだろう。言葉はなくとも、その程度は伝わった。
「……トレミー、貴方……」
「そう上手い話しは無いか。 悪いが、見てろとは言わないぞ」
喋れない代わりに足で地を叩き、明確な意思を示す。
「神官長様が増援を呼びに行っておられる。 それまで耐えるか……、この場で殺すか」
リエルはああ言っているが、戦いの場に邪魔だから下げたのだろう。以外に指揮官としては優秀だった彼だが、近接戦闘はからっきしだ。
クレアが立ち上がり、瓦礫を踏みしめる僅かな音が衝突の合図だった。
体内に渦巻く膨大な魔力に任せて詠唱もなしに氷塊を生み出し、狙いをつけて片手で放り投げる。冷気は空中に白い道を生み出し、氷塊がぶつかった地面を凍てつかせた。
「流石はプレイテリア最強の魔術師。 同じ教会出身者として鼻が高いよ」
「リエル様、私は神剣の加護がないのですから時間が経てばあっさりと死んでしまいますよ?」
「そうだな……、クレア譲の為にさっさと終わらせるとしようか」
この中で唯一生身とも言えるクレアのため、とは言ってもリエルの動きは以前から変らない。神剣によって守られた肉体は伊達ではなかった。
リエルの持つ始剣ヴィータの能力は自己進化。所持者の意を組み、剣であれば姿を自在に変えることができる。
細長い、鞭にも似た形状に変化した始剣が氷塊を避けた魔王を貫かんと宙を駆けていく。魔王は剣を振り、攻撃を弾いた反動を活かして着地した。地を蹴り、その体に炎を纏ってこちらへと襲い来る魔王にクレアが突きを繰り出すが、そいつはダメージを気にせずに穂先をつかみ取った。
流れ落ちる血液に、迸る紫電。光が魔王の兜を打ち抜き、頭が上へと跳ね上げられる。だが魔王はそんなものは関係ないとばかりに穂先を引き寄せ、クレアに一撃を見舞う。
咄嗟に槍から手を放した彼女だが、剣先はその両腕を貫いていた。胸と剣先の間は紙が一枚通るかどうか。もう彼女は戦えない。
「ガァッ、ァァァァァァ!」
しかして、その一撃は命を奪うまではいかなかった。いくらかは胸にも突き刺さってしまったが、地に伏していた剣聖が間に合ったのだ。血を吐きながらがむしゃらに空間を切り取りまくる彼の歩幅は次第に広がり、魔王へと駆けていく。
正気を失っているのか言葉を聞こうとしない彼をサポートするのは私とリエル。
だがそんなもの長く続くわけもない。
剣聖は完全に活動を止め、クレアも魔力が枯渇し、踏ん張るだけで精一杯。打つ手がない。剣聖が持っていた神剣を持ってはいるものの、魔力に任せて抑え込んでいる私では彼のように扱うことが出来なかった。
最終的に奇跡とも言える勝利をつかみ取ることが出来たのは、生への執着だった。
「「トレミー!」」
魔王の剣をその身で受け止めたクレア。
神剣を跳ね上げられ、恩恵の無くなったボロボロの体で魔王を抑えるリエル。
二人の声が重なった。まともに動けるのは私だけ。
流す涙もない私に出来るのは、鏡剣を構え、ありったけの魔力を注ぎ込んで一撃で決める覚悟を持つことだ。
「『隔て』!!」
魔王の首と、近くに居たリエルの首。二つの物体は宙を舞い、体は崩れ落ちる。
ようやく……、戦いが終わった。
「エクレール……、ごめんなさい… 私は…あなた……愛して………」
私はかける言葉が見つからず、腹いせに魔王の体を鏡剣で刻み続けた。感情の発露が上手く出来ない、壊れた心と付き合っていく自信がない。
これほど泣いてしまいたいと、楽になりたいと思ったことは、死体になって長年過ごした今もありはしない。