05
骨の砕ける音が聞こえる。肉が裂ける音が聞こえる。鋼の折れる音が聞こえる。
それは私が召喚した仮初の生命体が出す音。
私の家系が研究し続けた禁呪。
死後、天に昇る肉体に魔力を与えることで地に留め、使役する魔術だった。他の魔術師を頼ることで既に天に昇った肉体をも支配下に置いた私の大規模魔術は、強大な力を持った魔王を測るのに適していた。
雲ひとつない真っ青な空から降りてくる無数の肉体を見て私は思った。
「ああ、ろくな死に方はしそうにないな」と、自嘲気味に笑えば、鏡剣を持った剣聖も笑う。
「生きて帰るんだろう? ならしばらくはそんな心配をする必要もない。 俺があいつ殺してやるから……、後ろで眺めてろよ」
「ハッ! 自分の手で殺傷をしたことがない剣聖に頼るなんて馬鹿な真似はしたくないね」
刃が無いからと長方形の鏡剣を選んだ彼は優しい心の持ち主であった。それでいて剣の腕は天下一。剣聖の名は伊達ではない。
「……死ぬ覚悟も、殺す覚悟もしてきたさ」
そう言った彼は剣を縦から横へと倒し、鈴の音を残して私の視界から消えた。魔王の元へと空間を飛んだのだろう。
鏡剣ラシェットの能力は空間の支配。神剣に相応しい力だ。
時折耳に届く鈴の音で剣聖の生死を感じつつ、既に汗でぐしゃぐしゃになった地面にまた一つ雫を落とす。簡単な命令しか与えていないとはいえ、その数は千を優に超え、私の処理能力を大幅に超えている。
肉体は細かく痙攣し始めるし、頭痛も酷い。吐き気、目眩、動悸、腹痛も襲ってくる。
だが命令なくして術を止めるわけにはいかなかった。私達魔術師に課せられた目標は時間稼ぎであったからだ。
「トレミー!もう十分よ!本隊が動き出した!!」
その時の声の主はエクレールの母親、クレアだった。
魔術行使を止め、荒く肩を上下させて息を整えようと天を仰ぐ。私の他にもこんな無様な姿を晒した者もいたのかもしれないが、それを確認する時間も惜しく丸薬を水を流し込んだ。
魔力を回復させて戦線に参加しなければならない。そんな焦燥感に体も心も引っ張られていた。
「トレミー・ウォードの名において輝く海の神に願い乞う!何よりも長く、何よりも強い龍を貸し与えたまえ!」
体を固定していた拘束具を外し、戦闘音が聞こえる海の方向へと歩を向ける。四肢は上手く力が入らず、衣服は濡れて重い。
ゆっくりと歩いて行けば、魔術によって一時的に支配下に置いた巨大な海龍が暴れているのが見えた。光を反射する鱗が目に映るたびに建物は消え、代わりに土埃がまき起こる。
クレアは私を心配そうにしていたが先に先行させ、私も後を追った。海龍を支配下に置いたことで足取りはさらに遅く、後ろにいたはずの魔術師ははるか前方に居た。
どうにか最前線へとたどり着いてみれば、光り輝く海のさらに向こう。世界樹から煙が立っていた。
「気を抜くな! 大した傷は与えられておらぬはずだ! 使えない武器は放棄!予備に切り替えよ! 回復薬を回せ! えぇい! もはや前も後ろもあるか!」
膝をつく者も多いなか、高らかに声を張るのは指揮官である神官長。土埃で汚れた装束を気にすることなく指示を出す彼は、普段の温厚さを捨ててしまっていた。
「神官長様! どうなりました!」
「トレミーか!? よくぞ無事であった……、最強の魔術師が居なくなっては困るぞ。 一先ず休め、それまでは持ちこたえてやる」
私を見つけて頬を緩めた彼は私の背を優しく撫でた。
他にも休んでいる者に話を聞けば、魔王は人間の姿かたちをしており、魔術に似た何かを行使するという。剣術もさることながら、最も厄介なのは防具と武器。
火を噴く武器に漆黒の鎧。単騎であるはずの敵に苦戦する理由がこれだった。
禁術で呼んだ死体は私の制御下を離れ、魔力の少なくなった肉体は少しすれば天に帰る。海龍も既に支配下には居ないというのに、今も魔王をしつこく攻め立てていた。
しかしそれは長くは続かなかったようだ。大きな水飛沫が立ってから、海龍は姿を見せてはいない。一時は静かになっていた神官長の声も再び大きくなりはじめ、誰もが魔王が居るであろう世界樹へと視線を向けた。
「……来るぞ!!」
声を上げたのは誰だったか。私だった気もするし、他の誰かだった気もする。
怒号と共に大きく迫ってくる、炎を纏った黒い点。一直線に飛んでくる魔王を止めたのは紫電だった。
白槍アクナから発せられた雷の網は魔王の動きを封じた。遠目に見たアクナを持っているだろう彼女の顔は魔力切れを必死で堪えている。
体内魔力が少なくなったことで宙へと浮き上がる体を何人かが抑える様子を見れば、余裕がないことは一目瞭然。
仕掛けるならば、今!
「魔術師は火線を集中させろ! 騎士は三人組を組め!」
神官長の言葉はある種の力を持っていた。私を含む魔術師は皆が叫びながら、一心不乱に術を放った。
煙が晴れ、魔術師各員が這いつくばりながら騎士の背後へと移動し終えた頃だ。視界を瓦礫で埋めていた私の耳を音が拾った。
それは人の断末魔。命が弾ける音だった。
たしかに、魔王は大きな傷を負っていた。鎧にはヒビが入り、血液が流れてはその隙間を埋める。動く度に飛沫が上がり、死に体であることは誰の目にもわかる。
でもそこからが上手くいかない。驚くことに、魔王は調子を上げていた。
騎士の脇を貫き、股間を潰す。魔王は全身鎧の弱点を的確に狙う。逆に、こちらからの攻撃は全てかすり傷程度だ。
同士討ちを恐れて当事者以外誰も手が出せず、ただ無策に私達は数を減らしていく。
「障壁を張れ! 生き残ることを考えろ!」
「神官長様――ッ!」
魔王の顔が指示を出していた神官長へと向いた。彼は驚いたように表情を変化させたが、その足が動くことは無い。
私の足は勝手に地を蹴り、彼の元へと急ぐ。
走れ!走れ!走れ!!
足はほつれ、体当たりに近くなっていただろう。魔王の炎剣が切り裂き、二つに分かれた左腕に顔は歪む。
肉が焼ける不快な匂い。痛みは叫び声へ変化され、視界は赤く染まった。
「ウォォォォォォ――!」
右の掌に宿した竜巻は魔王の胴を打ち、遠くへと打ち上げる。剣聖とは別の神剣をもった聖騎士が追撃に向かうのを尻目に、私は砂埃をあげて地面に屈した。
私はここまでだ、という諦め。
無事に勝てるか、という無念。
相反する私の思いは次第に暗く、重くなっていく。どこが遠いところで神官長の声が聞こえる。
死ぬな。起きろ。
私だってそう思っている。だが体は動かない。魔王と戦う前に仕掛けた魔術が無事に発動すれば……あるいは。
こうして私は一度死に、本物の禁忌に身体を沈めることになる。
「リエル様! トレミー殿が神官長を庇って討ち死になさいました!」
「……貴様が死んでどうやって勝つか」
リエルと呼ばれた男は小さく呟き、その手に持った神剣を握り直した。返ってくるのは汗が染み込んだ革の感触。グローブ越しでもそれがよく分かった。
「剣聖もそう長くは持たないか……」
視線を向けた先では追撃を引き継いだ剣聖が手刀で腹部を貫かれていた。リエルは自らの神剣をもって魔王を牽制し、蹴り飛ばすことで無理やりに距離を開く。
腹から引き抜かれた腕を血が追いかけるものの、それは次第に収まった。
「……一旦引け、クレア嬢と私とで抑えておく」
「なに……まだやれる」
「私には腹が抉れてるように見えるが?」
「あんたこそ穴空いてんぞ」
神剣によって生かされている二人は相対する魔王に視線を固定し、勝ちの流れを見出そうと幾通りの戦闘シミュレーションを行っていた。
トレミーが作った隙をついたはいいが、それほど傷を負わせられてはいない。
鎧はボロボロ、出血も致死量をとうに超えている。ここからが本気だとでも言わんばかりの攻勢によって仲間も大半が命を落としていた。
そう考えれば、急に魔王の底が分からなくなる。本当に死ぬのだろうか。王都を立ち、死兵となった彼等の心は折れることはないだろう。それでも、やはり考えてしまうのだ。
勝てるのか、と。
しかしてエクレールの母──クレアが魔力を回復させたことで合流し、おそらく最後になるであろう策が始まる。
「ふーっ……、これで決めるか……」
「いいえ、お二人共引くべきです……その傷ではどうにも」
「ですから最後はクレア嬢が。 ……無論、私も狙えるなら狙うが」
彼は言うことを聞かない、と、クレアは視線をリエルから剣聖へと向けたが、彼も自身を見て頷くばかり。やるしかなかった。
「皆、ここで決めるぞ!!」
リエルの叫びは港町にこだまし、誰もが重い四肢を引きずって魔王へと駆け出す。
王国騎士も教会騎士も、魔術師や神官も。確実に魔王を殺す機会を肌で感じていたのだ。