04
天下三名槍の一つ、白槍アクナはエクレールの母親の生家、カステーロ家が所有していたものである。
この流れから分かるように、エクレールの母親も魔王討伐に参加していた。「背負うものを知りたい」と言う、剣聖の言葉によって訪れたカステーロ家に彼女は居たのだ。
舌足らずな口調で訴えるエクレールに彼女の母は私にある頼み事をした。
「少しよろしいかしら……、いきなりの不遜を許して欲しいのだけれど、貴方、魔術師の出でしょう?」
私と頭一つ分身長差がある、黒髪を後ろでひとつにまとめた彼女は、当時貴重品であった映像記録法具を求め、私はそれに応えた。
あの法具は今、エクレールの手に渡っているのだろうか。
地下迷宮探索も順調に進み、9層が終わろうとしていた。私が目的としていた地下迷宮の構造把握もこの調子だと無事に済みそうだ。
「さてっと、トレミーの大将。 次、区切りだけど一ついいかい? ……いやね、浅い階層のうちに大将の力量を見ときたいなと思って」
「ああ、構わない」
もとより大人数での探索が可能な規模の場所であるのだが、十階層毎は更に広くその階層を護る守護者が現れる。守護者は必ず現れ、一度倒して終わりということはない。
ザラは私にこれを倒せと言う。私自身、これはちょうどいい機会だった。試したいこともある。
マントの下、後ろ腰に吊られた神剣を指でなぞれば、鞘の皮の感触に指が引っかかった。修復は無理でも、機能のいくらかは時間が修復してくれるのだ。私とて無駄に二十数年屋敷に座して待っていたのではない。
第10階層。階段を降りた先は8の字になっており、上層より鈍く輝く水が落ちていく。水は湖を形成し、更に下層へと落ちていくのだ。
地下迷宮は南へと伸びていき、やがては前回魔王が現れた港町の地下へと向かう。
「階層主を倒したら今日は終わりかなー、日暮れが近いしこんなもんだろ」
ザラは周囲を見渡し、そう呟いた。人数が多くなれば自然と行軍速度も遅くなる。ここよりかは魔物も強くなるため、更に時間もかかってしまう。
魔王がいつ、どこに現れるかが分からないのも問題だった。
場所が地下迷宮であることは間違いないが、現在見つかっている場所ではない。そして書記官、筆者師が王の話をまとめたという紙には、どうやら厳かな雰囲気であり、神殿らしき装飾と水の音が聞こえたという。
道中聞いた食糧、武器の予備では60日持てばいい方で、帰る時間も考えれば潜っていられるのは20日ほど。
招集を受けた冒険者は私が全員連れてきてしまっているため、手柄を求める他の勢力も迷宮入りせねばならなくなっている。
だが冒険者を先行させ、一旦後退して招集者が集まったところで叩く方が安全ではあるか。魔王を見た者の映像を王の千里眼が拾ったのであれば、その場で戦う必要はない。
……であるならば、今回はどこも動かないと見るべき。冒険者を単体で呼び出したところで、ギルド単位、パーティ単位で動くのが彼らであり、個々の戦力を期待しているとは思えなかった。だからこそ私は冒険者は案内役としての認識を強く持っているのだ。
それは今も変わらない。
「んじゃ、手早く頼むぜ」
初めて会った時から私を見下しているザラ。
私に理想の立場、雰囲気を重ねたエクレール。
生まれが違えば考えも変わる。人が変われば感じ方が変わる。他人が決めた付加価値で身体は出来ている。
守護者が居る門が私を感知し、音もなく滑らかに開いて行く。迫ってくる二枚の板の隙間から守護者の背が見え、守護者もこちらに気がついたのだろう。巨大な騎士が振り返りながら咆哮した。
白銀の鎧に似つかわしくない赤黒い体。咆哮によって伸びる頬の肉に、鎧の隙間から揺れる灰の騎士服。
円状の広間には先程と同じく水が流れ落ち、それが光源となっていた。昼間より輝きは鈍くとも、しっかりとものを捉えることは出来る。
私はゆっくりと神剣を抜き出し、背後の冒険達と距離をとるように前へ進む。そして剣を立てて切っ先を騎士へと向け、神剣の機能を起こす言葉を放った。
「………『隔て』」
私の言葉に神剣が光の玉を放ち、文字通り私の手と柄とが一体──木の根の様なものとで繋がれる。根は体内へと潜り込み、魔力を組み上げていく。
長方形の刃はその身を水色で満たし、光の玉の放出はとどまることを知らずその密度を増やしていった。
──シャラン。
鈴の音は刀身を横に倒した音であり、それは騎士の首が跳ね上げられた瞬間でもあった。
魔術師でない者にはただ首だけが天井近くまで飛び上がった様にしか見えず、逆に魔術に少なからず心得のある者は奇跡では、と疑わずにはいられないことだろう。実際、これは奇跡であり、神剣の力だ。
騎士の死体は一瞬の静止の後、鎧、肉体共に赤い粒子となって宙に散り、光の玉が粒子を吸収する。
「いつまで惚けているんだ、夜営の準備をするんだろう」
剣を鞘に戻した私の言葉に、彼等も我に返った。誰が言うでもなく、列をなして左回りの螺旋階段を降りていく。
立ち止まっている私を追い抜いてくその視線の大部分が語るのは、妬み。嫉妬の感情だ。
「大将やんじゃん。 俺はちーとわかんねぇ部分もあるが、剣の性能だけじゃないってのは分かるぜ」
「……そうか。 認められない他の人間が握ればたちまち干からびるから気を付けるんだな」
「ああ、そうすんよ」
苦笑いを浮かべるザラが話しかけてきたのはギルドマスターとしての仕事としてか、それとも私の脅威度を上げたのか。
どうせ依頼人と担当者の関係でしかないのだから気にする必要もないのだが。
「今は夜のはずだが?」
皆が寝静まった頃、静寂であるはずの世界に居た私に声がかかった。
腰を落ち着けていた私は驚いて神剣を手に取り、左腕を床につける。微光を放つ水路を光源に周囲を見渡せば、ようやく声の主を見つけることが出来た。
「何者だ……、……貴様、生者ではないな…。 魔王か」
「なに、ただの亡霊だよ」
そう言い放った男は赤い瞳をしていた。王の特徴である赤い瞳は薄らと光を反射し、緑の法衣は彼の動きに合わせて揺れる。
「……なるほど、どこぞで見た顔かと思えば貴様……、魔王を殺した者か」
「こちらの質問に答えてもらおう。 あいにくと私は王族の知り合いは二人しか居ないのだが、貴方はどこの王であるか」
「残念だがプレイテリアの歴代王ではないな。 今はなき国だ」
「ではなぜ貴方がこの場にいる」
たしかにこの男は魔王ではない。だが生者でもなく、この国の王でもない。それを聞きたかったのだが、彼は「こちらの番だ」と、質問を変えた。
「貴様が夜の世界に居る理論を考えてみたのだが……、なるほど、肉体に術式とは恐れ入る」
「ここまで魔術に深い理解を示す王は初めてだな」
「我は王としては異端でな、そのようなこともあろうよ。 ……さて、貴様……いつになったら死ぬのだ?貴様の仕事は終わったはずだ。 いつまで生にしがみついておる」
男は私が夜の世界に居る理由を的確に当ててみせた。なぜ分かったのか問い詰めたいものの、心が、体が、妙に思うように動かない。
それはこの王が私の殺傷権を握っていると明白に感じ取ったから。
駄目だ。この男は存在としての格が違う。王族という人間でも上位個体であるうえに、更に何かしらの力によって動いている。
そう魔術師としての直感が囁いていたからだ。