03
世界は暗くなれば活動を停止する。人間やその他生物、この世界の生きとし生けるものに平等に訪れる、静寂の世界である。
夜の世界というのは魔術師界隈でも研究がなされているが、その詳細は未だ掴めていなかった。原因としては、魔力で動くものが全て動きを止めるからだ。映像記録法具が止まってしまうのであれば、現在広く使われている技術の全てが意味をなさない。
つまり、彼と話す内容は短く、それでいてある程度打ち解ける必要があるということだ。
酒場の戸を開け、まず私を襲うのは人の目だった。ここは今回の魔王討伐に参加する冒険者の一人が活動拠点にしている場所であり、ここに来るのは彼のギルドメンバーか依頼人、もしくは呑んべぇぐらいなものだろう。
対して私はフード付きのローブ姿、見慣れない魔術師が縄張りに現れれば、注目を集めるのも不思議ではなかった。
私は不自然に一つだけ空いていたテーブルの一席に腰掛け、エールを頼んだ。
自然と店内の喧騒も少なくなっていき、エールを届けてくれた看板娘が走って逃げてしまう頃には、私を追い出そうと動き始める人間も出てきた。
「……おい、にぃちゃん……入る店間違えてないかい? ……ギルドの方にに用事なら俺が今聞いてやるが……」
最初に話しかけてきたのは大柄な男。威圧ではなく、単に酔いが浅いのが出てきたのだろう。
「いや、私は間違えていない。 おたくのギルドマスターに用があったのだが、どうやら不在のようでな。 ……そうだな……では依頼を出しておこうか。 明日の早朝に地下迷宮の案内を一パーティにお願いしよう」
「……どこまで潜る、それによって依頼料も変わる」
「できる限りどこまでも。 食糧、その他の準備費用はそちら負担で、私からは一日10ポンド(作中内換算、720万円)払おう。 無理なら明日来なくて構わない。 しっかり伝えておいてくれよ」
口早に伝えた金額に男が持っていた木杯が音を出して落ちたものの、それを目で追う私以外、誰も気にしはしなかった。
ここで時間切れとなってしまったが、最低限の目的は達成出来た。私と男との会話をこの場に居合わせた多くの人間が聞いたことだろうから、ギルドマスターとやらにもしっかりと伝わるはずだ。
ふらふらと急に酔いが回り出したかのように覚束無い足取りになった男を避け、私は代金を置いて酒場を出た。鈍い音を立てて閉まった扉から目線を上げれば、色とりどりに輝く夜空に波打つ、絹のように滑からな白い無数の線。夜の世界とはかくも美しい。
翌日、早朝。私はとある神殿の前に立っていた。名前を伏せたところで意味は無いが、いかんせん名称が長く、殆どの人間が正式名称で呼ぶことは無い。
サクラ・ガービア第23番神殿、第7地下迷宮入口前、冒険者検問所。
数字だけを切り取り、23-7ダンジョンと呼ばれるこの場所は現在、もっとも地下深くまで探索が進んでいる場所だ。最深記録は57。当時よりも20は深かった。
「黒いローブの魔術師……もしかしてあんたが依頼人? いやー、すげぇ羽振りいいなと思ったら万能魔術師じゃん」
話しかけてきたのはベージュのポンチョに藍のズボン、腰に皮の剣帯を着けた、明るく渋い黄褐色の髪の青年。彼こそが昨日円卓に集ったメンバーの一人、ザラ・カッシーその人である。
「確かにそうだが……、万能魔術師とはなんだ」
「あれ? 知んないのか……。 見た目若いのに何でもできる魔術師ってな、噂になってんぜ」
私としては魔王討伐さえ無事に終わればその後は問題ない。 風評を気にして勝てる相手だとは到底思えないし、無論、連携も悪くなる。
黙っていた私にザラは何を思ったか言葉を続けた。
「俺としてはあんた結構好きだぜ? 冒険者よりの魔術師ってのは少ねぇからなぁ……。 よそのギルド……ほら、あんときに呼ばれてた冒険者にも一人魔術師居んだけどよ、俺はあいつ苦手だからあんたに期待してんのよ」
「彼女は貴族落ちだそうだ、何かしら事情があるんだろう」
「ほーん、まぁ、立ち話もなんだし潜るか」
踵を返してエントランスホールを進んでいくザラについて行くと、朝早い時間だというのに数多くの冒険者らしき姿があった。よく見てみると三つの集団に分かれているので、この内のどれかが彼の仲間なのだろう。
しかしながら、私の考えはザラの一言であっさりとひっくり返った。
「いっちゃん向こうが例の魔術師のギルド。 んでその手前が情報収集特化のギルド。 こっちが俺のギルドだ」
「私は貴方のギルドにのみ依頼を出したつもりだったのだが。 報酬にしてもパーティ毎に払うのは無理だ」
「報酬は一日10ポンドで構わねぇよ。 それを三ギルドで分割するので話はまとまってる。 いやー、ちょうど冒険者組で話してたから、ちょうどよかったぜ」
「それはよかった」と、心にもない返事を返した私は、この場にいる人数を数え始めた。ざっと見た感じでは30ほど。
装備の元になっている素材は私の頃と変わらないがデザインが少し違うな。階層で環境の変化でも起きたか。
「よーし!んじゃ、大将も来たし作戦のおさらいでもしようか!」
手を叩き、全体に聞こえるような大きな声でザラは語り出した。
「第一パーティは先導をティガ。 エクレールと大将に俺が入る。 あとは魔術師と身軽な前衛が何人か。第二パーティは残りの前張れる奴ら。 第三は各ギルド支援職を。 第四は物質運搬班だ。……そうだな、20層までを目安に連携を図るか」
彼はこう言ったが、あらかじめ相談はしていたのだろう。無難にパーティ編成は終わり、検問所へと列をなして歩いていく。
他の冒険者の視線を集めつつ、一団の先頭から順に焼印の入った木札を提示していく。待ち時間が暇なため、高く、そして暗くなっている天井を眺めていると、脇から肩をつつかれた。
「少しよろしいかしら……、いきなりの不遜を許して欲しいのだけれど、貴方、貴族の出でしょう?」
私と頭一つ分身長差がある、黒髪のおさげの女。彼女はザラが苦手だと言っていた魔術師だった。
たしかに、この高圧的な態度と出自特有の言葉では敵も多いことは想像に容易い。ことさら、冒険者という職業の中では。それでも魔王討伐に呼ばれるほどの力量は持ち合わせているのだから、カリスマ性を疑うことはない。
「一切の詮索はしない、それがルールだ」
「……そうね、ごめんなさい。 魔王討伐、一緒に頑張りましょう」
「期待してるよ」
「私もよ」
儚げに笑みを浮かべた目の前の彼女──エクレールは小走りで私の前へと出た。白のローブには金糸の刺繍が施され、光によって色を変えるる。
「……大きくなったな」と、呟いた私の声が聞こえたのか、彼女は振り返り、また笑みを浮かべた。
「大将、あいつ知ってんのか?」
「ザラ……大将はやめてくれ。 私の名前はトレミーだ」
「おっと、悪いな」
「それに私たちの番だ」
ザラの言葉を半ば切るように検問所が近いことをにおわせ、胸元から木札を取り出して順番を待つ。
こうして木札を提示するのは何十年と昔ぶりであり、どうしても年季が目についてしまう。色は黒くくすんでいたり、四方が欠けていたり、傷がついていたり。雑に扱ったという言い訳が通じる範囲を超えてしまっていた。
更には木札に記載されている登録日が古すぎることから検問所内が多少ざわついてしまったが、その他に問題もなく地下迷宮へと入ることが出来た。