02
王都の職人街。路地も最奥、通りからは随分と離れた場所にある一件の靴屋。髭を生やした私と同じ歳ほどの親父が固定された靴底を一定のリズムで叩いていた。
「よう、調子はどうだ」と、軽い調子で尋ねた私に親父が目を向け、再び目線は靴底へと戻る。
周囲の建物の影によって靴屋の窓はさして意味を成しておらず、盲目的に靴底を打つ親父と部屋の雰囲気とが重なっていく。
暗く、トン。静かに、トン。広がっていく闇。落ちていく五感の中であっても、私の視覚だけが機能している、そんな不思議な状態。
私はその感覚に身を委ね、影へと同化していった。
ここは夜矢ギルド、プレイテリア王都市部。情報収集や暗殺等を専門とする職業の中でも精鋭が集まる影の町だ。
左右に揺れる橙に照らされた黒檀の納屋に立つ私は戸を押して地下街に出る。陽こそ少ないものの、この場で寒さを感じることは無い。
あばら家が立ち並ぶ、迷宮を模した町を歩けば自然と奇異の視線を向けられ、驚きの声と共に人々は去ってく。各々の派閥に情報を持ち込むのか、それともここで一戦やろうと人数を集めているのか。どちらにしろ、私の顔は割れているのだ。地と利の専門家の彼等がそのことを分かっていないはずがなかった。
無音、無臭の丸い橙が照らす町で思い出したように動き出す黒い人影達。そんな中で私が角を曲がる度に姿が代わる船頭だけがはっきりと輪郭を視認できていたが、名も知らぬ船頭が一度振り返ったところでその姿も消えてしまった。
目的地についた。そのことを証明でもするかのように今度は隣から声が聞こえてきた。
「ようこそ、トレミー・ウォード。 私達は貴方を歓迎しよう。 プレイテリアの至高の魔術師、魔王討伐の英雄よ。 ここは夜矢ギルド、プレイテリア王都支部……さぁ、要件を聞こう。 私が求める対価は貴方が持っている神剣の破片だ」
その男は赤いステンカラーコートを着ており、左目にモノクロを付けていた。
本当にどれだけの情報を蓄積しているのか、私の知らない魔術理論があるのであれば是非とも話を聞きたいところではあったが、目的は別にある。
「世間に流された前回の魔王討伐の情報。 招集された冒険者全ての名前と所属ギルドの情報。 今回の聖剣の出自、そして能力。 ………あとは私が必要だと思うような情報を全て……、これでどうだ」
「そのくらいなら構わない。 それどころか申し訳がないほどだとも。 そうだな…、なんなら食事でもどうだろう、なに、心配することは無い。 こちらは完全な個室を用意できる」
「いや、ならば食事をする必要が私には無いな。 私は急いでいるんだ、なるべく早くまとめて話して貰いたい。 それをもって余剰分とさせてもらおう」
私の答えに男は薄っすらと笑みを浮かべ、背に立っていた扉を半身で開いた。話が早いと私としても助かる。
開かれた扉の先は一般家庭が普段過ごしているそれと何ら変わりはなかった。机に椅子、食器棚といった何処にでも置いてある物の姿。まるでこの場所だけ、他の場所から日常を切り取ってでも来たかのよう。違和感しか感じ取れるものはない。
「……驚くか、安堵するか。この場を初めて見た者の反応と言えばその辺りがよくあるものだが、英雄殿には少し退屈すぎたかな?」
「なに…、前のギルド当主は派手なものが好きだったからな。変化を受け入れるのに時間が掛かっただけだ」
「………」
やはり、ここも私の知るものとは変化していた。先代は豪華絢爛な屋敷を好み、自らを認めさせようと、それでいて国を、民をなによりも愛していた。ちぐはぐな人間ではあったが、決して嫌いではなかったのだ。
一歩、歩を進めればかつての彼の顔が浮かんできた。今の当主とよく似ている……、出来の良い息子を持ったな。
この胸のぬくもりは開かれた部屋からか、それとも、友情と呼ぶには簡素だった私達の仲が育んだものか。
果実酒の水面が怪しく揺らめき、暖炉の炎が表面を撫でる。金に光るそれを男は軽く呷り、続けて言を放った。
「魔王討伐……港町ルーチェに現れた厄災に対し、我がプレイテリア王国が他国に悟られないように出せる最大戦力を用いて短期決戦を挑んだ戦い。 参加人数は50程だったようだが、後に港町を確認した兵士は幾万の兵士の死体を見たという。 神剣は始剣と鏡剣、どちらも国宝級の剣であり、天下三名槍が一つを操るのは武の名門の貴族。 圧勝に思われたが結果は生存者が一人だけ……、まぁ英雄殿がどういうつもりかは分からないが、ここまでは報告にあったものと何ら変わらない」
私は男に頷きを返し、続きを述べた。
「始剣ヴィータは海へと消え、鏡剣ラシェットは破損……それにより能力は大幅に低下した。更に三名槍である白槍アクナも破損。 私が直しはしたが三名槍の名は返上する事となった。 戦闘後、様子を見に来た兵士によって抱えられた生存者は所属していた教会にて治療を受け、国王へと報告することとなる。 証拠として映像記憶法具が提出され、魔王討伐参加者の墓地が築かれるとともにこの件は片付いた……」
「ああそうだ。 まったくもってその通り」
男も頷き、再び果実酒を喉に通した。私は杯を手に取り、右に、左にと傾けながら考える。
今の説明の通りに進んだというのに、今日会った戦力はあまりにも楽観し過ぎているのだ。であるならば今回の参加者にそれほどの自信があるのか?いや、私にはとてもそうは思えない。前回の魔王討伐もいいとは言えなかったが、それでも考えうる限りの英傑たちだった。聖剣が優れている……?
「……で、話しは変わるが今回使われる聖剣エクセレジオーネ。 こいつの能力はごく単純な使用者の強化だ。 魔力から、才能、身体能力の全てが肉体の上限を無視して跳ね上がる」
「だがそれでも無理だ。前回は剣聖が神剣を使っても無駄だったんだ、そんなもので敵う相手じゃない」
「そんなの誰が考えても分かるさ。 だからこその仮説もたつ。 ……おそらくだが、先王が見た映像と実際の戦闘映像とで違うんじゃないか?」
それはつまり細工をされたということだ。教会の所属が一人生き残ったのだから争いは比較的穏便に済んでいるし、細工をする手間、バレた時のことを考えるとメリットがあまりにもなかった。
「ここからは一切情報が得られなかったから私からは以上だ。 立場上、教会に潜り過ぎるのも難しい」
「……了承した。 次に進んでくれ」
結局、私が一番望んでいた情報は手に入らなかった。彼の杯の酒は尽きてしまったが注ぎ直されることは無く、私の酒だけが相も変わらず高い位置で金の揺らぎを見せている。どういうつもりで神剣の破片を欲しているかは知らないものの、神に属さない存在では神剣の修復は不可能であり、私は約束通り神剣の破片を手渡した。
扉を開いて家屋を出れば、そこには先ほども見た靴屋の親父が靴を打っていた。辺りは私が来た時よりも光を落とし、人々の喧騒が浮いて私の耳に入っていく。