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神剣の一つ、鏡剣ラシェットの能力は空間の支配。これはプレイテリアに限らず、書物を愛する者には常識である。だが実際に戦闘で使われたという報告例は少なく、その能力は自らの目で見てみなければ分からないことも多い。
私は前の持ち主の戦い方を知っているためにそこまで気にすることもないのだが。
国の方から正式に決定が下され、第59階層となった大穴近辺の空間。そこから少し離れた瓦礫の影、地面に埋め込まれたマーキングの上に飛んだ私に遅れて鈴の音が耳に残った。初めて試してみたものの、使い勝手はよい。軽い立ちくらみこそあれ、連続で使用しなければ問題となるようなほどでもなかった。
現在最下層となっているこの階層にはかがり火が焚かれ、黒い人影が動いているのが見える。瓦礫の隙間から人の目、魔術の目がないことを再度確認した私はゆっくりと出ていった。今回ここに来たのは進展を見るためであり、もう一度大穴を見て何か分かればよいと思ったためだ。
私としても知識を整理してあるし、いくつかの準備も整えている。試してみて駄目ならそこまで。他の手段を探すだけであった。
まず最初に考えたのは、大穴を覆うように結界が張られているのでは、ということ。大穴の底に何か大切なものがあるのであれば、侵入者を拒む仕掛けが施されていてもおかしくはないだろう。
視覚の阻害で一枚。対物理、対魔術防御で二枚。迎撃で一枚。結界構築の魔力供給で一枚。
最低でも五枚。指定物透過の結界もあるだろうし、重ねがけも考慮すべきであるからして、二倍、三倍での計算は当たり前である。もしそれより少ないのであれば、それはそれで構わないのだから。
次にありえそうなのは、ただ単純に穴が深く、何らかの要素によって水から光が失われているということ。何らかの要素というのが不確定だが、そういうものだというのであればその地ではそういうものなのである。神の住まう地が存在するのだから、あってもおかしくはなかった。
とはいっても、人間が簡単に到達できる地に神が存在するわけもなし。目に見えぬ空中庭園、全ての欲を消す深い森、世界の切れ目と言われる連山。このどれもが死ぬことを前提とした試練を設けていると書には記されているのだ。
この仮説が本物であるならば、ここより先は神の領域。死の大穴。無いとは思うが、意識しておいて損はないだろう。
考えていても始まらない。できることからやっていかねば。
まずは結界の有無。他の魔術師も考えてはいるだろうが、試さずにはいられないのが魔術師というものではないか。
結界破りの鈴を取り出し、大穴に先を沈み込ませる様に静かにおろす。赤い紐で吊るされた透明な鈴は音もなく揺られる。三角にも似た鈴の内部に金属の舌はあるものの、これは法具。一般的な常識が正しいものだとは限らない。
鈴が持つ無色さは舌が内部を叩くにつれて失われ始めた。水面に墨を垂らしたかのように広がっていく黒が示すのは、結界の一枚目。視認阻害、情報誤認。つまるところ、そういう効果を示すものだ。情報誤認も含まれるのだから信頼はしにくいが、これ以上に信頼できるものもなかった。警戒しつつ解いていくしかない。
私の他に居る魔術師と共同で進めていくことになるがな。
「すまない、少し構わないだろうか」と、大穴の外縁を歩いて合流して私は声をかけた。男三人が集まって話していたが、私の声で彼らは会話を止めた。
「ああ、大丈夫だ。 何かあったのか? 申し訳ないが情報はやれないぞ、身勝手な輩にたかられて気がたってるんだ」
「なに、結界の解除を一緒にやらないかという申し出さ。 そちらが嫌というのであれば私一人でやらせてもらうが……、見たところ貴殿ら以外に優秀な魔術師は居なさそうでな。 つまるところ、君らが言う身勝手な輩だ」
皮肉も込めて軽く笑ってやると、彼は私に断りを入れて三人で相談を始めた。ここから聞こえる単語を拾うに、信用できるかどうかであったり、私の異常な魔力量であったりを話しているようだ。
「……何の結界が張られているか言ってもらえるか? ああいや、私たちも調べて分かってはいるが、聞かせてもらえるのならば聞かせてもらえないか」
なるほど、この問いは試金石というわけだ。答えることで被る被害もないだろう。
「一枚目は黒。 他はまだ分からないが、一枚目が終われば分かる」
「分かった……、こっちだ。 手伝ってくれ」
良い返事ということはそういうことなのだろう。お眼鏡にかなってなによりだ。
大穴の四方にそれぞれ陣取ったなかで、私は結界解除の魔術を唱え始めた。四人のうち誰かが魔物に襲われる前にまず一枚。参加人数が多い方が解除時間が短いのは当たり前であるが、文句も言っていられない。
「私は黒馬の騎士。 有るべきものを奪い、術を無くすもの。 手には天秤を持ち、眼前の景色を塗り替えんとせしもの。 黒衣は翻り、飢餓をもたらそう」
大穴上空に広がった閃光を合図とし、私は一定の間隔を保ったままに語りだした。
私の足元を起点とし、穴の中心へと伸びていく、細く黒い線が一本。それは人数分、四方から伸びており、半ばで直角に右へと回り込むように折れ曲がった。
直線と湾曲とを繰り返すうちに出来上がるのは三重の円陣。それは音もなくゆっくりと大穴へと落ちていき、空間に溶けて消えた。成功したのだ。
「ふぅ…」と、思わず漏れ出た息は白く空中に飲まれたが、気を抜くのはまだ早い。消えたのはたった一枚だけなのだ。あと何回これを繰り返すのかは分からないが、神経をすり減らす作業というのだけは確かであった。
だが、そう旨い話でもなかったらしい。魔術師としての感、魔力が教えてくれる不穏な流れ。それは大穴から噴き出し、膜となってもう一度結界を構成した。
結界が再構築される一瞬の間に見えたのは、王が千里眼で見たという神殿の景色で間違いなかった。水は輝きを取り戻していなかったものの、これは大きな情報であり、また問題でもあった。
なんにせよ、この人数でこれ以上の結界は抜けはしないだろう。全員が集まって話してみないことには始まらないが、苦労することは目に見えていた。
「…どう見る……」
「同時に結界を解除していかないと無理ではないか? 少なくとも間隔は短くなければならないだろう」
「人数で言えば教会に頼るべきだ。 ……まぁ、私たちに伝手はないが」
そこで私を見る三人。なんとも息の合った動きに私は思わず笑ってしまった。
「いや失敬。 仲が良いのだな、三人は。 教会側に声をかけぐらいなら私ができる。 教会だけでは無理があるだろうがそちらでも呼べるだけ呼んできてくれよ? そうだな……いつ頃に集まろうか」
「60、…まてよ……47日後で調整すべきか。 その日は王の生誕日だったはずだ。 政治的に見てもこの日が最適。 まぁ、民からしたら関係なしに楽しめる日というだけだが」
「ではそのように合わせよう。 王への報告はどうする、私の方が先に上に出るが」
「それなら任すさ」
彼は視線で情報を急いで持ち帰ろうと動いている者を見た。なるほど、実際どうであれ、先に報告したものが一番偉いと。私は彼らの行動をくだらなく思ってしまったが、人間として見れば、彼らはたしかに人間をしているのだろう。




