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私の妻、クレープの部屋は記憶にあるものと何ら変わりはなしなかった。大なり小なり屋敷が変わっているのを目にしていただけに、懐かしいはずのこの部屋が異質に感じられた。若いメイドを横に侍らせ、椅子に腰かける妻は私を見て表情を変えることなく、当たり前のように帰還を喜ぶ言葉を述べた。
「おかえりなさい、トレミー」
「今帰ったよクレープ。 足を悪くしたのか…? 少し待て、いま薬を出そう」
久しぶりに顔を合わせたというのに、まるで日常の会話をしはじめる私たちは傍からどう見えるのだろう。
妻は私が来ても椅子に腰かけていた。それは決して無精しているのではなく、それなりの理由があった。彼女は私より年若いとはいっても、それなりに年を食っている。私がいない間に何かあったに違いない。
私は鞄から一つの瓶を取り出し、クレープの足元に膝まづいた。素足をさらけ出して構わないか確認しようと彼女に視線を向ければ、そこには冷めた視線があった。
「何か不服か」と、私は言葉で否定されていないことをいいことにドレスの裾を上げていく。これに対する反論の言葉もなかった。
「少し持っていてくれ」
彼女の隣に控えるメイドに声をかけたつもりだったが、その女はその場から一歩も動こうとはしない。聞こえなかったのかと思ったが、彼女は私のことをしっかりと見ている。聞こえない筈がなかった。仕方ないために私は右の人差し指を立て魔術を使い、私が使っていた呼び鈴と同じ音を立てた。
「トレミー様、お呼びでしょうか」
「入ってくれ」
一切待たせることなく扉をノックして入ってきたのは私を出迎えてくれたメイドの一人。クレープのメイドが動かないので彼女に裾を抑えるように伝え、私は瓶の蓋を開けて粘着質の液体を掌に広げていく。体温ほどに温めた液体を妻の足に塗れば、効果は一瞬のうちに現れ始める。
淡い緑光を放ちながら液体は皮膚にしみこみ、影も形もなくなった。完全に溶け込んだのだ。
「これで歩けるようになる」
「……なぜです。 どうして今になって現れたのですか。 マルタもトレミーの鈴の音に引かれてきてどうするのです、夫はもうかつてほどの権力を持っていないのですよ。 フィロウが当主なのですから…」
マルタとは今来たメイドの名だ。彼女はクレープのお小言を微笑んで流し、私に近づいてきた。
「クレープ様は恥ずかしがっているのですよ……、トレミー様なら多少無理してでも帰ってこれるはずだと普段から愚痴をこぼしていましたから」
「分かっているさ、私の妻だぞ? いくら離れていようとそのくらいのことは分かるさ。 さ、マルタは業務に戻るといい。 ここにいてはクレープがうるさいだろう。 ああ、それとこれをフィロウに渡して金銭と交換してもらってくれ」
「かしこまりました。 …トレミー様も鈴を鳴らさないでくださいね、当時のメイドは体がつい反応してしまいますから」
笑ってマルタの背を押し、扉へといざなう。会話に入れず蚊帳の外にいるクレープが眉間に眉を寄せているが、それさえも私たちには見慣れた光景だ。本心を抑え、できる限り別の視点で。それが彼女の役目。そう教えられてきたのだから。
「ほら、手を出せ。 中庭に行くぞ」
「ですが私は……」
「さっき薬を塗ってやっただろう? まあ、急に立つのは難しかろう」
そう言って私は彼女の腋に腕を回し、膝裏を支えて抱きかかえた。クレープから小さな悲鳴が上がるが、決して暴れたりはしない。声を上げたのはクレープについていたメイドだった。
「お爺さま! ……失礼いたしました。 失言をお許しください」
「なんだ、私の孫は女が多いのか? 美人どころが多いのは自慢だがな。 自己紹介はひとまず後だ、そのうちフィロウが来るだろうからな」
二人は私の言葉の意味が分からなかったようだが、私には強く言えないのか、納得がいっていないというのを顔に表しながらも私の言うとおりに行動してくれた。それにしてもお爺さまと言われるのはなんとも言えないものだ。
私の本来の年齢を知っており、血縁関係にある存在でなければお爺さまなどと言えないために区別がつきやすいというのはありがたかったが、肉体が現役であるためにいかんせん納得しにくいものがある。
クレープを抱えたままに屋敷を出て中庭に来たころだったか、フィロウのものと思われる声が屋敷中に広がった。
「おじぃぃーーーーーぃぃぃぃいいいい、さまぁぁあーーーーー!!!」
大人しく、それでいて女性的だと思っていたフィロウの悲鳴にも似た――いや、これは悲鳴だった。身を強張らせるクレープに、思わず背後を確認するもう一人の孫。
私はそれがどうも楽しくて、大きな声で笑っていた。
「お爺さま、いったいお姉さまに何を渡されたのですか? 遠目にはお婆様に使われたものと同じように見えましたが」
「あれは秘薬だ。 森に居る小神は知っているな? それにばれないように神草を取ってきてそれを元に作ったものだ」
「ああ……お姉さま」
あれに金額をつけようと思えば国が二つほど買えるのではと私は思っているのだが、現当主がどれほどの値段をつけるものか見ものだな。普通に考えて自身で悩むのではなく国に売り払うのが妥当ではある。恩を売れるというのもあるし、王家は私の存在を知っているようである。なにやら優遇してもらっている雰囲気もあるため、私からということであれば不自然ではない。
「ところで、君とフィロウとはどういう関係か?」
「……私の兄とお姉さまの生まれ年が同じということもあり、母がお姉さまの乳母をしていたものですから」
「乳人か…なるほどな。 では兄は何をしている」
「はい、兄は先代様の元で魔術の研究を務めています。 お爺さまが禁呪を完成いたしましたので今は後方支援に重きを置いた魔術を研究しています」
「そうか、いいことだな」
会話を進めながらも歩を止めることはなく、白いベンチにクレープを座らせる。私がそうしている間に同じ椅子を隣に持ってきてくれた彼女に礼を伝え、私も腰かける。そういえば名前を聞いていなかったことを思い出して聞いてみれば、彼女はマリーと名乗った。いい名だ。
マリーが紅茶の用意をしはじめ、少しの間に静寂が広がる。心地よい風が吹き、フィロウの私を探す叫び声をいくらかかき消してくれる。クレープも瞳を閉じ、感じ入っているようだ。
「苦労をかけたな」と、クレープを見て自然と出た言葉は彼女をようやく笑わし、優しい言葉を引き出した。
「そのようなもの先ほどの一瞬で吹き飛んでいます。 どうです、我が家は……貴方が死んだと報告があったときは私も後を追ってやろうかと思いましたが息子はいまだ若く、当主様も主要な人間が居なかった。 死ぬわけにはいかないでしょう」
「そうだろうな……仕事は一通り伝えておいたとはいえ実際にやるのとではまた違うだろう」
妻が体験した苦労を考えれば、私の表情もゆがむというものだ。これがウォード家だけでなく、プレイテリアの主要上流家系すべてに起こっているからこそ変に強がらずに済んだに違いない。でなければ息子が後方支援系統の魔術を研究しようとすれば妨害するだろう。家からも誰かが他家に嫁いだのかもしれないな。もちろん、逆もある。
「クレープ……私はこの戦いが終われば魔術を解くつもりだ。 君はどうだ? この家は続きそうか?」
「ええ、もちろん。 そのために使えるものはなんでも利用しましたもの」
「そうか……なら安心して逝けそうだ」
私たちの湿っぽい空気を吹き飛ばしたのは、マリーの入れてくれた紅茶の匂いだった。私の知らない産地のものだろうか、鼻腔を満たす匂いは初めてのものだ。
「新しい陸路が繋がったんですよ。 たしか……マリー、なんて言いましたっけ? あの…王が処刑されたっていう国……」
「モートリですよ、お婆様」
「すまない、その話を詳しく聞かせてくれないか」
王の処刑。その異質さに私の中で何かが繋がった気がした。




