#2 カイン・ブリディッジの記憶
「カナ。もうすぐいきそうだ。うっ、ダメだ」
カナは僕の嫁だ。
嘘だ。ただの妹だ。
しかし実際に血縁関係はない。
母親の再婚相手の一人娘だった。
従って、結婚もできるし、むふふなことも法的には生物的には出来る。
「私も、私もいきそう。早く来てよ、私のとこに」
「いくぞっ! うっ! やばい!」
ブーーーーーー。
終了を告げる電子音が脳内に鳴り響いた。
「ああダメだ! やっぱり間に合わなかった!」
僕達は今、大型商業施設『ゴールデンコールズ』に来ている。
そして今プレイしているのは仮想現実型スキー体験ゲーム『スキーでGO!』だ。
今は山岳対戦モードをしていて、現在1勝8連敗中だ。今回もカナが勝った。
先ほどのエロい場面でありそうなセリフは、カナが先行していて、ぼくがそれに追い付きそうだったときのセリフだ。
「お兄ちゃん、弱すぎー」ほっぺを膨らましてそう言ってきた。
とりあえず、可愛い。
僕は世連軍第805航空団に所属している一兵卒だ。
士官学校を経て今週から第805航空団に配属された。
いわばペーペーの中のペーペーだ。
第805航空団は今いる惑星ネイルドの最も近くに存在する軍隊だ。
基地はネイルドの衛星軌道上にあるため、すぐに行くことはできない。
僕は19歳、カナは今年になって高校生になる。
「カナ、高校どう? 楽しい?」
カナは表情変えずに「うんうんたのしーたのしー」と棒読みで返してきた。
カナの高校は1年次の後期から専攻科を選択しなければならない。
科によって偏差値は違うが、カナは応用物理科という最高難度を誇る科に入っている。
「勉強はそこそこなんだけど……ほんっとガリ勉陰キャばっかり! 全然面白くないー」などと悪態をついているカナを見ながら一安心する。
「嫌なことがあったわけじゃないんだ」
心の中で呟いてるつもりが、声に漏れてたらしく「ん?なに?」と聞かれてしまった。
「いや、なんでもないよ。次なにしよっか」強引に話を逸らした。
「あー、話し逸らしたー!」
そんなたわいもない会話をしていた。
事態が急変したのはカナの買い物に付き合わされていた時だった。
ファッションエリアの中央に位置する大きな室内広間にひし形の物体が見えたのだ。
とても綺麗なクリスタルに見える。
かなり巨大だが、周りの人々は何も反応していない。
恐らくなんらかの展示物とか装飾物の類いだろうが、少しくらいは反応してもおかしくない。
確か前回来た時はなかったはずだ。
「あれ?お兄ちゃん?」というカナの声が背後から聞こえるが、無視して歩き始める。
「なんだこれ?」
ひし形の物体は内部から光り輝いているように見えた。
近くにつれてその大きさは顕著になる。
この広間は一階にあって2階から5階の吹き抜けに繋がっている。
思わず見入ってしまうほど美しかった。
「ね! どしたの!」カナの声で現実に戻される。
「…これ、すごくね?」カナはキョロキョロと辺りを僕が指差した先を見る。
「え? あああの人? え、ガチイケメンじゃん。お兄ちゃんとは比較ならん」
カナが指差したのはひし形の物体ではなく二階にいる高身長男性である。
地味にショックだった。
「カナにはこの巨大な物体が見えないのか?」という疑問を口にしようとした時、ゴールデンコールズ全体を揺らすほどの地響きが聞こえた。
それは地震ではない。
士官学校にいた頃に危機管理学を専攻していたため即座に理解した。
P波による初期微動は感じられなかった。
しかも今も震動は続いている。明らかにおかしいが、避難することに越したことはない。
「地震が収まったら、この建物から避難してください!!」僕の言葉と共に更に大きな震動がここを襲う。
完全免震構造であるこの建物では落下物の心配はない。
しかし、立つこともままならないこの状況下では全く安心することはできない。
ふとカナを見る。僕の背後からしっかりとしがみついている。
「ああ幸せだ」と感嘆の言葉を漏らしてしまう。
カナを最初見たときは、あまりにも美人すぎて、これから妹になることを信じられなかったのを思い出す。
こんな状況なのに、いや、こんな状況だからこそ、そう思った。
孤独だった僕は、無口な人間だった。
頻繁に母や僕、身内に暴力を振るった父は「酒を買ってくるから、お前ら逃げんじゃねえぞ」という荒々しい言葉を最後にいつのまに蒸発した。
暴力のせいか母はしばらくの間、重度の精神症で入院していた。数ヶ月の間、ろくに誰とも口を利かなかった。
学校では比較的明るくクラスメイトに接していたが、父母が共に不在の間は全く喋らなかった。
今思えば、僕も若干ノイローゼにかかっていたのかもしれない。
僕はこっそり、身体を鍛えていた。
父と対抗するために、母を守るために。そこから気づき始めていたんだ。
「僕は無力だ」と自分で自分を勝手に無力だと思い込んでいた。
だからなのかもしれない。
■ 全く父に歯が立たなかった。
どれだけ鍛えても、どれだけ立ち向かっても、結局は父の右手にあるビール瓶で殴られて終わりだった。
「家庭内暴力を受けた少年は非行に走る可能性が高いですね」などとテレビの奥で他人事のように語る専門家の言葉がとにかく腹立たしくて憎らしかった。
その時、妹ができたんだ。
前々から「力になりたい。支えたいんです」と母のことを想ってくれた男性がいた。
その男は、バツイチでカナという妹がいた。やがて二人は結婚し、カナも自宅に移り住むことになった。
「なんなんだ……あれ……」初めてカナを見た時の感動は今でも鮮明に覚えて覚えている。
あまりの美しさに、度肝を抜かれた。
透き通るような肌、精悍な顔つき、僕の好みの低身長女子。
最後のはあくまで僕の好みの問題だ。
僕は、彼女に全てを魅了させる魔性を力を感じた。
「こんな美少女と一緒に住んでしまったら良からぬことが起きるのではないか…」
そう心の中で危惧していたが、接している内に次第にカナの性格にまで惚れてしまった。
「あ、大丈夫ですか?」と困ってる人に声をかけていたり「痴漢ですね。通報します」と痴漢を成敗したりと、僕と対極にいる人間なんだと尊敬の念まで湧いてきたのだ。
だからこそ、「守りたい」と思ったんだ。
こんなに身も心も素晴らしい女性は今まで見たこともない。幸せな人生を歩んで欲しいと思った。
カナと接しているうちに、氷のように固まった心は次第に溶かされて、新たな夢も出てきた。
「僕、軍人になろうと思う」そう家族に打ち明けた時だ。
母とカナはこう言ってくれた。
「ダメ! もう大切な人を失いたくないの……」
「お兄ちゃんのくせに生意気だよ。ずっと側に……」
カナの最後の言葉は思い出せない。
ただし義父は「カインの人生だ。好きに生きなさい」と賛成してくれた。
妹と母、僕と父で言い争いになったことが多々あったが、なんとかカナと母は折れてくれた。
僕は家族を守らなければ、カナを守らなければならないという使命感の下、士官学校に入学した。
僕は魔導資質が絶望的になかったが、『高性能機動戦術級兵器FPS』の才能を見出すことができた。
それは飛行型パワードスーツとも呼ばれ、これを使い熟せる者は士官候補生の中でも稀有だった。
兵器という力を得た俺はこれから軍隊の入隊式を控えていた。その長期休暇の最中に起こったのが、この謎の揺れだった。
震動が弱まる合間を縫って建物から出ると、そこには信じられない光景が広がっている。
轟音とともに、遥か遠くの、まだ居住区域に設定されていない大地が、むくむくと腫れ上がっていく。
「んな………なんじゃあれ」
最終的にはとてつもなく大きな物体が、姿を見せた。
土やら、岩石やら、樹木やらがボロボロとその物体から落ちてくる。
「怪獣だ……」後ろからそう言っている声が聞こえる。
どうやら建物にいた人々や、逃げようとしていた人々も全員、僕と同じ方角を唖然とした表情で見つめていた。
見たこともないような巨獣が遥かに遠方に見える。頭には大きな角が二つ生えている。
詳しいことは分からない。今はとにかく逃げなければならないのだ。
怪獣はこちらに向かっているように見えた。おもわずゾッとした。
時が再び進み出したかのように、人々は順々に怪獣からそそくさと逃げていった。
「とにかく逃げるぞ」僕たちも逃げなければ。
カナの手を無理やり引っ張る。
「痛い痛い」という声が聞こえるが無視して避難所にカナを連れ出す。
最寄りの陸軍基地は数キロ先である。
「ああ、どうすれば…!」と困惑していると空の彼方から聞き慣れた爆音が響き渡った。
まさしくそれは第805航空団の人型汎用機動戦略兵器“ディグレスク”の姿であった。
ディグレスクは運搬専用の補助機から切り離され、遥か上空からこちらに垂直落下してくる。
しかしそれは燃料を節約するためであって決して故障などではない。
上空100メートルほどの地点でエンジンがかかり、怪獣の方向に向かって進む。
空を見上げて見ていると、衝撃波と爆音が地表に到達した。
思わず目を塞ぎ、地上に目をやる。
すると、今度は、世連統合陸軍のパワードスーツ歩兵部隊が見えた。
先頭には10メートルほどの二足歩行型のパワードスーツ部隊がいた。
頭部に搭乗者が載っていると思われる。
その後方にはトラックと小銃を構えた歩兵が列を成している。
歩兵は全員が全身型汎用パワードスーツを着用している。装甲トラックは反重力技術でタイヤが不必要となったため、数十センチほど浮きながら走行している。
最後尾を歩く歩兵に声をかける。「第805航空団配属となりましたカイン・ブリディッジです」と言って航空宇宙軍証を見せる。
「新兵か。トラックに乗れ。連れは基地へ向かうトラックに乗せろ」と返ってきたので安心した。
後ろでTシャツを引っ張っているカナを見てのことだろう。
「カナ。この車は世連基地へ向かう。怪我でもしたら許さねえからな」
そうカッコつけて、車を後にする。
「私! お兄ちゃんがいない世界とかマジ無理だから! 死んだら殺す!」と背後から返事が返ってきた。
振り返って微笑みながら無言で拳をトラックの方向へ突き出した。
この状況的には「心配するな」って意味になる。カナも満面の笑みで拳を突き出す。
それと同時にトラックは発車した。カナは満面の笑みを崩し、最後まで不安げな表情で見てきたが反応せずに第805航空団基地へと向かった。
思えば、これが“人間”である最後の時間だった。