1.駄菓子屋の前で集合 下
「おばちゃん、来たよー」
木製の立て付けの悪いガラス戸を引き開けて、僕らは叫ぶ。それがここでのルール。
奥からよっこいせ、と掛け声をかけて出てきたのは、もんぺ姿のくりばあちゃんだ。僕らのお父さんのお父さんの時代から、駄菓子屋『片岡商店』の店番をしてるって聞いた。
今何歳なのか知らない。一度ハルが聞いたけど、ぺしっと叩かれておしまいだった。
「おーおー、よう来たの。葵、稔、亮。今日は遥とあかりちゃんは一緒じゃないんか?」
「ハルとあかりは後から来るよ、きっと」
「はいはい。で、今日はどうする?」
くりばあちゃんは手に籐かごを持って僕ら三人を順繰りに見る。
ここのルールその二だ。
僕らが向こう持って行けるおやつは三百円までと決まっている。
これ、誰が決めたのか知らないけど、金曜日に学校から帰ると、決まってお母さんが三百円握らせてくれるんだ。
僕は奥の棚に並べてある、ビニール袋に詰め込まれた駄菓子の袋をちらりと見る。
急いでるときとかは、くりばあちゃんに三百円渡して詰め合わせ袋を取ってもらう。いろいろな駄菓子が三百円分、まんべんなく詰めてあって、しかもおまけまでついててちょっとだけお買い得なんだ。
でも今日は、自分で三百円分、選ぶことにした。もともとハルとあかりをここで待つつもりだし、時間はたっぷりある。
くりばあちゃんからかごを受け取って、店の中に散らばる。アオもノルも同じようにした。
「じゃ、ゆっくり選びな。終わったら呼んでな」
「はーい」
くりばあちゃんはやっぱりよっこらせ、と言って奥に戻る。
僕らは棚に並ぶ駄菓子をじっくりゆっくり選ぶことに集中した。
◇◇◇◇
「おばちゃん、来たよー」
がらりと引き戸が開いて入ってきたのはあかりとハルだった。金曜日の夕方から向こうに行くのは僕らぐらいらしくて、他にお客は来なかった。
「遅いよ」
「日直だったんだから仕方ないでしょ」
ぷん、と頬を膨らませてあかりが返事をする。今日は赤いひらひらのスカートだ。向こうに行くときにスカートとは珍しい。
「あかり、その恰好で行くの?」
ノルが心配そうに聞く。やっぱり同じことを考えてたか。
「だって、仕方ないでしょ? ミカがこっちのスカート見てみたいって……」
やっぱり頬を膨らませたまま唇をとがらせる。ミカは向こうに住んでる僕らの友達だ。
「そりゃそうだろうけど、持っていけばよかったんじゃない?」
そう何気なく僕が言うと、あかりはきっと僕をにらみつけた。
「なに言ってんのよっ。着てるものとあたしたちのおやつ以外は持って行っちゃだめって言われてるでしょっ」
「そりゃそうだけど、入るときに持ち物検査されるわけじゃないしさぁ」
「馬鹿ね、向こうに着いたら委員会の人が毎回荷物チェックするでしょう?」
「あ、そうだった」
こっちの穴はあちこちに開いてるのに、向こうには穴が決まった場所にいくつかしかないらしい。ただ、つながった先の穴は変わることはなく、僕らの島にある穴がつながっているのは、大きな大陸の、王都からは離れたところにある小さな村にある穴。
この村も、実のところは穴が開いてからできたものらしい。
こっちからは穴の監視人みたいのがいて、入国ゲートがある。そこで簡単に荷物チェックされるんだ。
僕らは身一つで、おやつ袋を握っただけで向こうに行くんだけど、どっかの都会に近い町に開いた穴から来る人たちは、鞄にいろんなものを詰めてやってくる。スマートフォンとか、携帯ゲームとか、パソコンとか、アニメのディスクとか、雑誌とか小説とか。
全部持ち込み禁止のものばかりだ。
僕ら自身が異世界の文化を作り上げることは推奨されてるけど、僕らの文化を異世界に持ち込むことはタブーとされてる。
それはなぜかって?
僕らの文化が彼らの文化を駆逐してしまうからだ、ってゆきと先生は言っていた。
駆逐って言葉が難しかったけど、調べた。
簡単に言うと、『追い払うこと』。邪魔をするものを取り除くとか追い払うって意味もあるらしい。
向こうには向こうのすてきな文化があるのは僕らももうよく知っている。
だって、こうやって週末ごとに異世界に通うようになって、もう二年になるんだから。
だから、それを僕らの世界の文化で壊すようなことになるのは、絶対嫌だ。
なのに持ち込む人は後を絶たないらしい。
そんなに向こうの世界が気に入らないなら、来なきゃいいのにといつも思う。
でも、それもできないんだって。
それは――異世界に行けるのが、十歳から十八歳の間だけだから。
しかも適性がなければ行けない。適性がないと、穴に入ってもはじかれてしまうんだそうだ。
だから、向こうに行ける者は、行けない者の分も頑張らなくちゃ。
「はいよ、いらっしゃい。あかりちゃんに遥」
「うん、こんにちは。詰め合わせください」
ハルは三百円をくりばあちゃんに手渡し、奥にある詰め合わせを受け取った。
今日のハルは紺色の短パンにクリーム色のTシャツは無地。Tシャツも文字や絵が入ったのはだめなんだって。一色染めのものでなきゃダメ。
そこまでこだわるなら、ノルの柔道着もダメだろうと思ったのに、どうやらすでに向こうには柔道が伝わってて、向こうでもノルは道場に通っている。
「あ、あたしも詰め合わせちょうだい、おばちゃん」
あわてて三百円を渡して、詰め合わせ袋を抱っこする。それを見て、僕らも手元のかごをくりばあちゃんに渡して袋詰めしてもらった。たかが三百円、されど三百円。考えに考え抜いた駄菓子の袋に自分の名前も書いて、僕らは駄菓子屋を後にした。
そういえば、駄菓子の袋には思いっきり文字も絵も入ってるのに、大丈夫なんだろうか。向こうで僕らが食べるためのお菓子で、他の人に分けてあげたりはしないのだけれど、食べてるのを見たり、袋を面白そうに眺めたりすることはよくあった。
食べた後の袋はもちろん持ち帰るんだけど、それが大丈夫なら別にシャツの文字や絵なんか問題じゃないと思うんだけどな。
◇◇◇◇
いつも通り、神社の正面階段をのぼり、神社にお参りする。このための五円玉もちゃんとお母さんがくれたものだ。
遊びに来る時にはやらないんだけど、ここから穴に入るときだけはちゃんと帰ってこられるように拝みなさい、と厳しく言われている。
だから、僕らは必ずお参りする。あの時のことを、ハルもあかりもノルも知っているから付き合ってくれる。アオだけは知らないけど、なんだかんだ言いながら付き合うようになった。
二礼二拍手一礼だっけ。神社によっていろいろやり方が違うんだって。僕らはここの神社の作法を守って拝礼すると、すぐさま裏に回った。
そこにはいつも通り、狸穴があった。ぽっかりと開いた黒い幕みたいな丸い穴。僕らの身長よりも低いその穴に入るには、頭から突っ込むしかない。
いつもならそのままじゃんけんして入る順番を決めるんだけど。
いつもいない人がそこにいた。
「ゆきと先生?」
「雪ん子先生?」
僕とあかりがほぼ同時に呼ぶ。
真っ白な髪の毛をウサギみたいに真っ赤な右目の上のうっすら残る傷跡が見えるほど短く刈った、グレーのスーツを着た担任が穴の前に立っていた。
雪ウサギみたいな真っ白の髪の毛と赤い目のせいで、雪ん子先生とか雪ウサギ先生とか、ゆきうさ先生とか呼ばれてる。みんな好き勝手に呼ぶよなぁ。
「どうしたんですか?」
この島の子供たちはみんな、この穴から入る。入るときに親が付いてくることはたまにあるけど、教師や、ましてや穴の管理をする人が立ち会うなんてことは今まで一度もなかった。
……いや、一度だけ、あった。
僕が十歳の誕生日を迎えて、初めて穴に入った時だ。あの時だけ、ゆきと先生はここにいた。
だから、今回も何かろくでもないことになってるんじゃないかと、嫌な予感しかしない。
「十剛亮君」
「はい」
先生は僕の前に歩み寄ると、膝をついた。僕はクラスでも後ろの方だし、そんなに背低くないつもりだけど、それでも先生に比べるとまだまだ低い。
「落ち着いて聞いてほしい。十剛雛――君の妹さんは今年九歳だね?」
「はい……」
心臓がどくんどくん鳴る。嫌な予感。
「彼女が穴に落ちた。……これを持って追いかけて欲しい」
引っ張られた手の上には、いかつい腕時計のような装置があった。それが何なのか、僕らはよく知っている。
「それ……」
僕の左手首にも同じものがつけてある。これは、時空安定装置。
十歳になった日、穴の管理人から送られてくる。僕も十歳の誕生日にお父さんから渡された。
穴を通るとき、これをもってないとどこに飛ばされるか分からないって説明もされた。十歳にならないと使えないことも。
だから、僕が九歳で行方不明になった時も、まさか穴に落ちたとは思わなかったんだって。
もちろん、この装置を持っているから必ず向こうの世界に行けるとは限らない。適性がなければ行けないんだって。
僕もアオもノルもハルも、あかりもみんな、向こうに行って、帰ってきた。
だから、毎週末になると連れだって穴に入るんだ。
でも、ヒナはまだ九歳。
「いつ、入ったんですか」
「報告では一時間ほど前だね」
「じゃあ」
ゆきと先生は眉間にしわを寄せてこくりとうなずく。
適性がなければ、すぐにはじかれて戻ってくる。
ということは、ヒナは適性があったんだ。……三年前の僕と同じで。
「十歳にならないと穴には入れないようになっているのに、どうして君たち兄弟だけ、入れるんだろうね」
「……わかりません」
手のひらに乗せられた装置をぐいとポケットに突っ込む。
こういう時、どうして大人は助けてくれないんだろう。ちらりとゆきと先生を見ると、やっぱり悲しそうな顔をしていた。
「ごめんな。――俺が行ければよかったんだけど」
「英雄の先生でも、無理なんですか」
あかりが口をはさんだ。一番、言っちゃいけない言葉を。僕はふりかえってあかりをにらみつけたけど、口から出た言葉はもう戻らない。
あかりは知らないんだ。
英雄と呼ばれた――白い髪に赤い瞳を持つ大人たちは、二度と向こうに渡れないことを。その理由を。
ゆきと先生はひどく傷ついた顔をした。
「ごめんなさい、先生」
僕があやまると、ハルとアオが同じように謝罪を口にした。ノルも口を開きかけたけど結局黙り込んでしまった。
「あかりにはあとで説明しときます。……僕らは先生のこと、尊敬していますから」
「ああ……ありがとう」
「ヒナは必ず僕らが見つけて、連れ帰ります。そう、お父さんとお母さんに、伝えてください」
「すまない。頼む」
僕の手を握るゆきと先生の手は震えていた。
今の所ここまでです




