第六話「小さき聖女」
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2016/05/19 最下層クラスがE組として呼び出されていた事の解説を加筆
2016/05/22 本履歴の追加
「今、私たちは改めて自らに問わねばなりません。そも『神とは何か』と」
浪々と流れるように紡がれる言葉が石造りの壁に反響し、その声にどこか神々しささえ感じさせる。
「絶対的な力を持つ者を神と崇める者あれば、人を生み出した者をこそ神であると言う者もおります。ある宗教では全知全能であるとも言われますね」
その声の主は、黒き聖衣を身に纏い目隠しをした銀髪の小柄な少女であった。
雪のように白い肌が黒き聖衣によく映えるこの少女こそ、夕日の出教会の最高権力者、セシリア・ホーリィベルである。
「ですが、これらは矛盾を孕んでおります。大きな力を持つ者が神であるというのなら、その境界線はどこからなのか。一人で一国を滅ぼす事が出来る人間を神と呼ぶとしましょう。であればとてつもない爆弾を作り上げた人間は神となったのでしょうか?全知全能である存在とするならどうでしょう。不幸と幸福が偏るこの世界を作った存在が神だというのなら、ずいぶんと歪な全知全能ではないでしょうか。人を生み出した者を神とした場合はどうでしょう。人は愛で人を産み出しますがそれはやはり神ではなく人の姿です。或いは他者を支配することで自分が神になったと錯覚する者もいるようですが、その罪深きあり方は紛れもなく人です」
聖女の言葉に皆、静かに耳を傾けている。
「世界は不条理にあふれています。ですが、だからこそ最後まであきらめずに助け合う事こそ神への道標なのです。何故なら人は欲深く、怠惰であり、それこそが人を前に進ませる原動力であるからです。欲求は他者なくしては満たされず、怠惰もまた、他者なくしては実現されないのです。自分は一人で欲求を満たしていると考える者もいるでしょう、例えば独りで読書をするのが趣味の方がそのように思ったとしましょう。ではその本は誰が書いたのか……どのような物事も、やはりこのように他者との関わりという側面を持つのです」
この夕日の出教会の主張は聞いてのとおり独特で、今でこそ広く受け入れられ始めているが当初は歯牙にもかけられていなかった。
しかしどういうカラクリか、ある時期を境に信者の数を急激に伸ばすことになった。
信者でない者からは、裏に何かあるのでは?とも噂されている。
この教会をまとめているのがこの小さき聖女であるというのだから、何かない方が不自然だと思われるのも仕方のない事だろう。
しかしそのような噂に膝をつくことなく、胸を張り懸命に教えを説く聖女の姿は自らの信仰に信念を持つ芯の通ったものだ。
「この世界は不条理に満ちています。多くの生命が他者を捕食することでしか生きられないという欠陥を持つ事からも解るように、この世界は万人が幸せになるようには決して作られていない。むしろ積極的に競わせ、争わせようとする意志を感じるほどに。そして、それらは全て一つの答えへと結びつけることができます。すなわち、進化です。そこから導き出される答えは、神とはあらゆる困難を乗り越えられる存在を求めているという事です。或いは神自身が全知全能ではなかったからこそ、このような世界にすることで全知全能である存在を作り出そうとしているのかもしれません。しかし全知全能であるということは矛盾を孕むと――」
信者に教えを説いていた聖女に、外からやってきた一人の信者が駆け寄り、何事かをつぶやいた。
「解りました、続きは奥で聞きましょう」
その信者にだけ小さく答えると、聖女は多くの信者に再び顔を向け、言った。
「本日の説教はここまでです。皆さま、お疲れ様でした」
厳重に防音を施された会議室へとやってくる。
一般の信徒がこの場所まで立ち入ることは決してない。
つまりこの場にいるのはこの教会内にてそれなり以上の地位を持つ者に限られていた。
「あれから一月……神代はまだ見つからぬのですか?」
「申し訳ありません」
「現場の堕天は確かに討滅されていたのですね?」
「そのようです」
「……死体がないなら生きているはずですが」
「恐れながら聖女様、やはり祟りに侵されてしまったのでは……」
「その可能性も、考慮すべきかもしれませんね……いえ、まだ諦めるのは早いです。自警団に依頼した捜索状況はどうなっていますか?」
「成果が上がっている様子はありません。ですが、神代悠の生き別れの弟を名乗る神代悠次という存在が確認されているとの事です。戦災孤児だったとか」
「神代に弟……?聞いたことがありませんね」
確かに神代悠は夕日の出教会が保護した孤児だった。
そこだけを見れば可能性として生き別れというのはありえなくもない話ではある。
しかし冷戦が続いていた昨今、そこまで物騒な事態があったとも思えない。
それに神代悠についての資料を見る限り歳が離れすぎている。
仮に生き別れというのをそのまま信じれば、神代悠が16の時、神代悠次が0歳となるが、神代悠はもっと幼い頃に保護している。
当時5歳で孤児だった神代悠の両親が生きていて、神代悠を保護した後に神代悠次を産んだということなら、神代悠は捨て子だった事になる。
ならば、また孤児となっている神代悠次はまた両親に捨てられたとでもいうのだろうか?
わざわざ似たような名前をつけるほどに神代悠に何か思い入れがあったのだとしたらそれは無いように思える。
(もっとも、神代悠次が年齢を詐称している可能性もありますが……)
沈思しかけていたところに、信者からの報告が耳に入る。
「自警団からそれ以上詳しい話は報告されておりませんが、草からの情報によると悠次には悠からの接触があり、少なくない額の資産譲渡が行われたとの報告もあります」
「それは……不可解ですね」
「役目を放り出して逃げたのでは……?」
確かに彼の背負っていた役目は過酷なものだった。
並の人間なら簡単に放り出していただろう。
「口を慎みなさい、そうと決まったわけではありません」
しかしこれまで積み重ねてきた実績が彼にはある。
彼女には神代という男がそう簡単に役目を放り出すとは思えなかったのだ。
「それに、この弟と名乗る人物……本当に弟などいたのでしょうか?気になりますね」
確かに先ほどの考えを総合すると逃げ出したとするのが有力な説に思える。
神代悠次というキーマンをあえて作り出すことで、神代悠を知る人物の視線を釘付けにしてしまえばその間に自分はどこへなりとも雲隠れできるのだから。
譲渡された資産というのは、誰とも知れない人間に人身御供をさせるための報酬だったと考えるのが一番しっくりくる。
では、神代悠は何故役目を放り出したのか。
(いえ、私が信じずにどうするのです……)
聖女は頭を振ると、気持ちを新たにする。
「一度私が出向きましょう」
「聖女様御自らですか!?」
「このままでは埒があきませんから」
「で、ですが……」
「大丈夫です。少し話をしてくるだけですから」
事と次第によっては化けの皮をはがしてやろうとは思ってはいたものの、彼女はあくまでも冷静に話を進めるつもりだった。
少なくともこの時は。
休憩時間、教室内では昨日の話でもちきりだった。
僕らもその例にもれず、姫殿下について話していた。
「競技場の天井が空いていてよかったね……雨天だったらきっと酷いことになっていたよ、あれ」
競技場の天井は開閉可能なドームになっており、基本的に晴天時の授業では開放されている。
昨日も多分に漏れず、そのおかげで天井崩落の憂き目にあわずに済んだと言いたかったわけだ。
「そうだな、外部装置をつけていたとはいえ魔水切れを起こしてしまっていたからな。あれだけ地面がえぐれていたんだ、可能性としては崩落もありえたかもしれんな。だが競技場は対魔素材が多く使われている。ステージは無事だったんだ、無事だった可能性もある」
「そうなんだね……あの光景を見た後だから、天井なんてひとたまりもないかと思ってたよ。でも対魔素材って何で出来てるんだろうね?」
「……ん?知らんのか」
「まだ習ってないよ」
「ほう。あれはいわゆる原魔製品だ。そもそも原魔はすべての魔水が混ざり合ってできたような存在でありながらそのままでは魔法が発動しないという液体だ。何故発動しないか解るか?」
「全然」
「色々省くが、簡単に言うと互に効果を打ち消しあっているからあの状態で安定していられるというわけだ。原魔はさらに高圧で圧縮することで結晶化させることが出来るんだが、そうすると安定性がさらに増して強度や魔法抵抗が上がり、魔法も打ち消してしまうという寸法だ。競技場のステージ等は液状の建材に原魔を混ぜてから圧縮して固めたものを使っているんだろう。ステージや天井のドームが暗い色をしていたのはその為だ」
「へぇ……相変わらず詳しいなあ、神代くんは。そんなの卒業するまで在学してても教わらないんじゃないかな。まぁいいや、それじゃあ安定性が欠けたらどうなるの?」
「いい質問だな。自然界においても原魔の配合バランスが変化して急激に不安定化することはよくあることだ。地震などは大体それが原因だ」
「そうだったの!?」
「地中を流れる原魔のバランスが崩れ、地下で魔力的な爆発または地殻変動が起これば当然形となって表れる。それに……」
何かを言いかけて不意に言葉を詰まらせる神代くん。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。ところで大樹、あれから変な人間につけられたりはしていないか?」
あからさまに話を誤魔化されるが、神代くんを困らせたくなかったので話題に乗っておくことにする。
「誘拐未遂事件の話?うん、大丈夫。でもあの人たち、多分プロだよね。どこの国の人達だったんだろ……」
「いや、金で雇われたこの国の人間だろう。それにプロというにはお粗末ではなかったか?学生二人にやりこめられてしまっているくらいだしな」
「えっ、プロじゃなかったんだ……!?で、でも銃とかもってたし……」
「プロじゃなくても入手手段はあるだろう」
「そ、そっか……」
「現地の地理に明るい人間でないと対象を追い詰めるのが難しいというのもある。やはり現地の暴力沙汰に慣れた人間を雇ったと見るほうが自然だろう」
「そんな相手をプロだと思ってたなんて……な、なんだか恥ずかしい……」
なんだか恥ずかしい思いばかりしている気がする。
(ほんとに僕は無知だなあ……)
自分の無知を恥じていると、唐突に校内放送が始まった。
『一年E組、神代悠次さん、一年E組、神代悠次さん、お客様です。至急、職員室まで来てください。繰り返します――』
E組というのは最下層クラスの事だ。
最上層がA組、上層がB組、中層がC組、下層がD組、最下層がE組。
層で呼ぶほうが通りがいいが、正式名称はA~Eである。
「神代くん、呼び出しだね。お客様だって。自警団の人だったりして」
「言うな……」
苦虫をかみつぶしたような表情になる神代くん。
「ともかく、呼び出しに応じてくるとしよう」
そういうと、神代くんは教室を一人出ていった。
果たして、神代悠次が職員室へ足を踏み入れると意外な大物が待ち受けていた。
「来たな、神代悠次。こちらがお前のお客様、夕日の出教会の聖女様だそうだ」
「初めまして、貴方が神代悠次ですね?」
「……聖女様が、なぜこのようなところに?」
「貴方が神代悠の縁者とききまして。職員の方、私はこの者と積もる話もありますので、二人きりになれる場所をご用意していただけないでしょうか?」
「でしたら職員会議用の部屋が――」
「知らない人間と密室で二人きりにされるのは身の危険を感じる。俺としては出来れば屋外が助かるのだが」
教師の言葉にかぶせるように神代悠次が言った。
当然教職員はいい顔をしなかったが、寄付金の成果だろう、学院長から便宜を図れと通達されていた為無言を貫いた。
「そういうのは普通、女性の台詞ですのよ?」
おどけた様に言う聖女。
「屋外が良いということなら、お前が自分の責任で場所を決めるんだな。屋上や校外などという非常識な場所でなければ許可しよう」
「では魔法記念館前で」
「解った、許可しよう」
神代悠次と教師の話がまとまったところで聖女が嫋やかな笑みを浮かべる。
「では、案内をよろしくお願いします、神代殿」
「殿とはな……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ。では、まいりましょう」
そういうと、聖女を先導する形で神代悠次は歩き出した。
魔法記念館前につくと、神代悠次はベンチに腰掛けた。
一方聖女は立ったまま話し始める。
「なるほど、人気は少ないものの開けている場所ですか。折衷案のような良い場所選択ですね」
「そこまで考えて決めたわけではない」
姫殿下に対しては態度を改めていた神代悠次だったが、どういう理由か聖女には敬語を使う事をしなかった。
「……改めて問わさせてください、貴方のお名前は神代悠次で相違ありませんね?」
「その通りだが……何故そのようなことを?」
「……改めて確認しておきたかっただけで他意はありません」
誤魔化すように言う聖女。
「では聖女様は何故俺に?」
「回りくどいのは好みではないので率直に。神代悠は我が夕日の出教会になくてはならない人物です。貴方が神代悠の情報を持っているのなら、知っている事を全て話していただこうと思った次第です」
「生憎だが、兄の事は全くと言っていいほど知らない」
「資産を譲り受けたとききましたが」
「一方的に譲渡された旨を、手紙で事後報告されただけだ」
「なるほど……」
聖女はそうつぶやくと、今交わした会話を少し反芻した。
色々と思うところはあるものの、現時点では神代悠次の弟ではないと断定出来ずにいた。
というのも――
「実を言うと、貴方にあうまではあなたが弟である可能性など無きに等しいと思っていたのです……ですが、その顔、口調、確かに神代悠の面影が感じられます」
聖女の知る神代悠と目の前の神代悠次の顔つきが、他人と断じるには面影を残し過ぎていたのだ。
「神代悠の弟だからな」
「確かに、初めからそう仰っていましたね……」
見つめあう二人。
客観的に見たならばまた違った見方もあったのだろうが、その実互に腹を探りあっているだけであり、ロマンスのようなものは欠片もなかった。
「解りました、今日のところは引き下がりましょう」
そういって踵を返しかけた聖女だったが、再び神代悠次に向き直った。
「いえ、その前に一つ。卒業後、よろしければ貴方のお兄様が所属されていた私共の教会、夕日の出教会にいらっしゃいませんか?」
「悪いが学友と共に先約があってな」
「そうですか……つまらないことを訊きました、忘れてください」
「もういいか?」
早く解放してくれと言わんばかりの神代悠次の態度に、少しむっとする聖女。
「そうですね、先約とやらの内容を訊ねてもよろしいでしょうか?」
「プライベートな話だ。詳しい内容は口止めされている」
「へぇ……」
答えが返って事なかったことに不愉快そうに口角を上げた。
あるいは状況がこの状況でなければ愉快そうにもみえたかもしれない。
頭はいいようだが、精神的にはやはり見た目相応の部分があるのだろう。
そのあり様は現実というものに無理やり大人になることを強要された子供のようにも見える。
両目を布で覆う小さき少女が、聖女という重責を担っているのだ。
まともな過去を送ってきたわけはないのだ。
「ところで戦技大会には出場されるのですか?」
「答える義理はな――いや、その予定だが……」
ますます悪くなる聖女様のご機嫌に配慮してか、或いは気おされてか、素直に言った方が面倒がないと思ったからか。
ともかく、突っぱねるつもりだったらしい神代悠次が折れる。
「そうですか、ふふっ、楽しみにしていますよ、神代悠次さん?」
「楽しみにされてもな……」
「そのような意地悪を言われてしまうと、ご学友について色々と調べてしまいたくなります」
「……脅しのつもりか?」
「まさか、ふふっ、ふふふっ」
「聖女が訊いてあきれる」
「あら、私も聖女である前に一人の人間ですから。相手の行動を肩書だけで制限した気になるのは人間の悪い癖です。例えばこの学院の教職員も教師である前に人間です。飲食店や量販店の店員も、店員であるまえに人間です。皆、それぞれの事情を抱え、名前を持ち、理不尽な対応を受ければ心にストレスを抱えます。それは正しく人の心の在り方ですし、相手の我慢の限度を超える程の理不尽な対応を取り続けた末、相手に報復された場合は因果応報だと言えます」
「それはその肩書を持つ人物が必要最低限の我慢を知っている人間だった場合にのみ通じる論法だと思うが」
「私にはそれがないと仰りたい?」
「自分の胸に手を当ててみればどうだ?小さき聖女様」
「な、なにが小さいというんです!?」
「言ってもいいのか?」
「構いませんわ、仰ってごらんなさい」
「そうだな、例えば器」
「うっ!?」
「例えば身長」
「うぅっ!?」
「例えば胸囲」
「~~~~~~~っ!!!!」
「やはり『盲目』よりも『小さき』を冠するほうがお似合いだな、小さき聖女様」
「さ、ささ、先ほども言わせていただきましたが、わわ、私もせせせっ、聖女である前に人間です。と、時には、怒りに身を任せたくもなります」
顔を真っ赤にして怒りに震える聖女。
しかしこの時の神代悠次は柄にもなく割と調子に乗っていた。
それは既に言わなくてもいい余計な一言を散々語ってきた彼から、ダメ押しの余計な一言が自然に出てきてしまう程度には。
「気にすることはない。新興宗教の聖女の聖性なんぞ所詮はこんなものだろう」
「よく解りましたっ!貴方は神代悠とは似ても似つかない意地悪な方だという事がです!!」
「女のヒステリーは見るに堪えん」
「~~~っ!?まだ言いますか!いいでしょう、覚えていなさい。きっと後悔することになるでしょうっ!!」
肩を怒らせて帰っていく聖女の後ろ姿を見ながら、今更ながらにつぶやいた。
「……やりすぎた、か?」
もし仮に何か思惑があってあのような態度をとったのだとしても、事ここに至っては言うまでもない事だった。