第一話「ボーイ・ミーツ・ボーイ」
「くそ、どうなってるんだ……!」
慌てて狭い路地の物陰に隠れると、僕は恐怖をなんとか押さえつける為に毒づいた。
誰かの恨みを買うような生き方をした覚えはない。
しかし現に僕は襲われていた。
1時間前――
「みなさんも知っている事とは思いますが、最近、当学院付近に不審者が表れています。下校時は一人では行動しないように」
教師はそう締めくくるとHRが終わる。
僕は何も言わずに席を立った。
周囲の視線が気になる為、そのまま速足で教室を出た。
後ろ手に教室の扉を閉めると、教室の中からクスクスと笑い声が聞こえる気がした。
それが自分に向けられているものかどうかを確認する勇気はない。
自分に向けられたものではない事をただ祈ってそのまま歩き出す。
皆、落ちこぼれの僕を嗤っているに違いない――そんな想いを振り切るように。
素早く教室から出た為、まだ他に下校している人間は殆どいなかった。
(一人では下校しないように、か)
自分に嫌がらせをする人間ならいくらでも知っているが、仲良くしてくれる人間など一人もいない。
無理な相談だった。
下駄箱を開き、自分の靴を取り出した。
「……またか」
画鋲が刺さっていた。
こんな事をして何が楽しいのか理解できないが、そうやって日々を無駄に過ごしていればいい。
いつか追い抜いてやる。
そうして散々バカにした事を後悔させてやる。
画鋲を引き抜いて靴箱の上に置いておく。
捨てようがどうしようがどうせまた靴に刺されるのだ、無駄な時間を使いたくなかった。
僕は学院の寮で生活していた。
自室に入るとようやく全てのしがらみから解放された気分になり、ベッドに倒れ込む。
(明日にはまたこの現実と向き合わないといけないんだけど……)
そう思うとすぐに胸の中にこの現実から逃げ出してしまいたい気持ちが渦巻いた。
「くそ、逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい……」
そう呟きながらも、僕はその気持ちとは正反対の行動を行う。
両親に無理を言ってこの学院に通わせてもらっているのだ。
不義理をしないためにも、恩返しの為にも、どれだけ逃げ出したくても逃げ出すわけにはいかない。
発動器の状態を確かめ、残弾を確認する。
明日の実習に備えての準備だ。
学院から必要な備品はちゃんと支給されるのだが、自主訓練については自腹を切らなければならない。
落ちこぼれの僕は少しでも訓練を積むため当然自腹を切っていた。
そうすると授業で使う魔弾が足りなくなる。
これから薬莢につめる魔水を買いに行かなくてはならないだろう。
寮を出ると、各家庭から排出される蒸気が目についた。
街のそこかしこに張り巡らされた多数のパイプはこの街の――いや、この国のライフラインだ。
当然地上だけでなく地下にも張り巡らされている。
沸点の低い危険な魔水を通すパイプほど地下に敷設されている。
当然地上のパイプラインも厳重に、かつ何重もの水漏れ対策が施されているが、地下に関してはその地上の何倍も行われているらしい。
こんなにパイプだらけの国はこのミスティーク魔法王国だけだ。
それはこの魔水による魔法技術が、ひいては魔法そのもの、魔水そのものが近年発見されたものである事に起因する。
まあそんなことは今はどうでもいい。
今考えるべきはどこへ魔水を買いに行くかということだ。
弾薬そのものは正式な免許がなければ買うことはできない。
学生の身分であり、当然見習いである僕にとって薬莢の再利用は絶対だ。
そうなると魔水スタンドか量販店のどちらかで家庭用の魔水を買い、それを流用することになる。
ただ一口に魔水といっても種類は多い。
扱いの難しい沸点の低い魔水となるとスタンドになるが、そっちは免許がなければ利用できない。
一方量販店は扱いの簡単な魔水しか置いていないがその反面、魔法学院の学生証があれば魔水を購入できる。
必然的に量販店に出向くことになるのだが、残念ながら近場に量販店がない。
というのも店に学生がたむろして治安が低下する恐れがあるとかで、教育機関から一定以上の距離を置かなければその手の店を開くことはできない決まりがあるのだ。
僕の通っているミスティカ王立魔法学院は王立というだけあって皆真面目だ。
そうそう治安が悪くなるとも思えない……とは言い切れないかもしれない。
エリート校というだけにプレッシャーやプライド等もあるのだろう。
日頃の鬱憤を晴らすため、僕にあんなくだらない嫌がらせを毎日飽きもせず行うくらいだ。
やはりそういった施設が近場にないのは治安維持の面で効果を上げているんだろう。
ともかく、そういった理由で最寄りの量販店はどこも似たり寄ったりな位置にある。
出来るだけ人通りの多い道を通るか、少ない道を通るか。
『最近、当学院付近に不審者が表れています。下校時は一人では行動しないように』
HRでの教師の言葉が頭をよぎる。
しかし、出来れば学院の生徒と顔をあわせたくない。
こんな時だからこそ人通りの少ない場所には他の生徒が寄り付くことはないだろう。
いざとなれば僕にも発動器がある。
(僕にだって、逃げだすくらいなら……)
そう考えて、僕は人通りの少ない道を選んだ。
「これでよしっと」
僕は買い逃しがないかどうかの再チェックを終えると、量販店から出た。
人通りの少ない道を通ったが、特に襲われるようなことはなかった。
同じ学院の生徒と顔を合わすこともなかった。
(やはりこの道を使って正解だったな)
――と、このときの僕は思っていた。
帰路も半ばに差し掛かったところだった。
人通りの少ない狭い路地。
正面から大柄な男が歩いてくる。
(こう道が狭いと圧迫感を感じるなあ)
そう思いつつ道の端に寄る僕。
鏡合わせのように男も道に寄ってきた。
(たまにこうやって同じ方向によけちゃうことあるよね)
そう思いつつ反対側へ。
やはり鏡合わせのように道をふさがれる。
(まだ距離はあるけど……)
すれ違いやすいようにしばらくその位置にとどまる。
しかし相手は道をふさぐ進路のまま、まっすぐ歩いてきている。
嫌な汗が噴き出てきた。
後ろを振り返る。
(!?)
やはり大柄な男が僕の進路をふさぐように歩いてきていた。
(これってまさか、まさかまさかまさかまさか!?)
混乱、焦り、恐怖、いろんな負の感情が自分の中に渦巻き始める。
それに気づいた相手は、一気に距離をつめようと走りはじめた。
(どうしよう、何が出来る、今の僕に!?)
時間はない、僕は適当にポシェットの中にある弾を一つひっつかみ、シリンダーに装填する。
免許もなしに学外で魔弾を使用するのは校則違反だが、この緊急事態にそんな悠長なことは言っていられない。
弾の色は緑、常魔水!
僕は正面の男に向けて駆け寄りながら撃鉄を起こす。
落ちこぼれの僕には誘導弾なんて撃てない。
とにかく命中させるんだ。
至近距離、しかも胴狙いなら外す道理はないっ!!
相手も慣れたもので、僕の狙いに気付いたように半身になる。
(くそ、僕の腕で当てられるのか……!?)
いや、僕の装填した弾は常魔水、発現する魔法は風だ。
足元を狙えば直撃しなくたって!!
僕は思い立ってすぐに足へと射撃した。
その悩んでいる時間でこちらの狙いを悟られると思ったからだ。
何度も僕らのような発動器使いの卵と戦っているのならこちらがどういう戦い方をするのか知っているはず。
相手に考える時間を与えてはいけない。
引き金を引くと、銃口に一瞬魔法陣が投影され、銃口から風の魔法が放たれる。
魔法陣を通過した魔法は、その魔法式に書かれた内容をくみ取り再現しながら相手へと襲い掛かる。
僕には難しい操作はできない。
だから命令は簡単、『直進炸裂(まっすぐ行って弾けろ)』だ。
素早い判断が功を奏した。
あわてて回避しようとする目の前の大男だったが、動こうと片足になったところに風の魔法が炸裂し、大きくバランスを崩して倒れ込んだ。
受け身もとれなかったようで痛みで動きがとまっている。
僕はその隙に横を走り抜けた。
「くそ、何やってる!逃すな!!」
バァン、という炸裂音とともに足元を何かがかすめた。
後ろを振り返ると、拳銃をこちらへ構えた大男が。
(ちょ、ちょっと!そんなのアリ!?)
僕は慌て路地を曲がった。
(これじゃだめだ、もっと複雑に逃げないと……!)
とにかくがむしゃらに道を曲がった。
こうなると人通りが少ないのが恨めしい。
いや、人通りが少ないどころか、少なすぎる。
ないんだ、人通りが。
まさか、連中の仲間が道を封鎖してる……!?
「くそ、どうなってるんだ……!」
慌てて狭い路地の物陰に隠れると、僕は恐怖をなんとか押さえつける為に毒づいた。
誰かの恨みを買うような生き方をした覚えはない。
しかし現に僕は襲われていた。
先日から噂になっていた不審者――邪推好きの生徒の間では魔法学院の学生を狙った連続誘拐事件だなんて言われていたが、その犯人なのだろうか。
そして彼らがもしその犯人なのだとしたら、これは組織犯罪だ。
逃げおおせられる自信がない。
一学生の自分に何ができるというのか。
しかも自分はおちこぼれだ。
相手は銃で武装しているプロだろう。
「なんで、なんで、こんな……」
思わず弱音が口から洩れる。
「はっ、はっ、はっ、くそ、落ち着け、落ち着け……!」
自然と息が上がる。
恐怖と緊張で胸が苦しい。
「はっ、はっ、どうすればいい、はっ、んくっ、僕はっ、どうすればいいっ!?」
必死に自問する。
答えが出ない、考えがまとまらない。
そもそも答えはあるのか?
――答えがないなら、破れかぶれで突破するしかないのかもしれない。
手の中にある"発動器"に視線を落とす。
(くそ、僕は……やれるのか……?)
その時、複数の足音が聞こえてきた。
「おい、いたか!?」
遅れて男たちの怒声が響き渡る。
「逃がしてんじゃねえ!探し出すぞ、なんとしてもな!!」
僕は口を押えて息を殺す。
息が上がりそうになるのを必死にこらえる。
今ばれたら確実に捕まる。
そしてこんな隠れやすそうな路地をこの場慣れしている感じのある犯罪者集団が見逃してくれるはずがないだろう。
出来るだけ一対一の状況を作り出し、奇襲をかけて突破口を作りたい。
ガタッと大きな音がした。
心臓が飛び出しそうになる。
「おい、なんだ今の音は!?」
男たちの視線がこちらから逸れる。
音は僕が立てたわけではなかった。
なんだか解らないがチャンスかもしれない。
いや、焦るな。
今飛び出してもきっと逃げ出せない。
「なっ、てめぇ!!」
「ぐあっ!!」
何か、新たな争い事に発展したようだ。
もしかして、助けが来たのだろうか。
解らない、解らないが……
(敵の敵は味方、やるしかないっ!)
僕は断熱処理を施された透明な薬莢から黄色い液体、微重魔水が透けて見えるものを選んで発動器に装填する。
僕が貸与されているのは発動器のスタンダード中のスタンダード、訓練用として誰もが一度は触るであろう名器、リボルバー拳銃型の『フューチャー』だ。
状況に応じた魔弾を装填する為、対応能力を優先した『フューチャー』はあえてリボルバー式を採用している。
この発動器のシリンダーの装弾数は8、そのすべてに弾を詰めていく。
僕は発動器を構えながら路地の外へと飛び出した。
「っ!!」
(命令は『直進』……!)
最も的の大きい胴体部分を狙って、声も出さずに発砲。
銃口部分にうっすらと操作用の魔法陣が展開され、直後電撃の奔流が眼前の敵めがけて襲い掛かる。
「ぐぎゃ!!」
男がいやな声をあげて倒れる。
「なっ!てめぇ!!」
周囲の男達の視線が再びこちらに向けられる。
健在な敵の数は4、飛び出すのが早すぎたか……!?
が――
「ぐほっ!!」
黒い影が僕から見て左側の敵に襲い掛かるのが見えた。
それを見た僕は反射的に右側の敵に弾を打ち込んでいく。
一人は倒したが、焦りからか三人目への射撃が当たらなかった。
(まずいっ!?)
「調子にのるんじゃねぇ!!」
反撃を許した。
(や、やられ――)
眼前に黒い影が躍り出たかと思うと、その影は敵に背負い投げをお見舞いする。
「うおわああああぁぁ、ぐほっ!?」
かなり強く背骨を打ち付けたようだ。
止めとばかりにみぞおちに強烈な肘を落とす何者か。
これで敵は残り一人。
「くそ、ちくしょう、なんだってんだ!!」
謎の人物は、投げたそいつを持ち上げて盾にすると敵に向かって蹴り飛ばした。
その時、顔が見えた。
同い年くらいの少年だ。
黒い髪、切れ長の瞳、さらに変わった刀型の発動器を持っている。
僕と同じ和人かもしれない。
学院から貸与される発動器の中にはなかった気がする。
発動器は非常に高価だ。
普及率が低い刀型となれば猶更だ。
そして刀型の多くは『積乱』とよばれる名刀型発動器を模したつくりになっている。
しかしこの刀型発動器はそれとは鞘の作りが違う。
薬室がないのだ。
しかし発動器である証拠に蒸気を排出する排気口がある。
あんな発動器はカタログでも見たことがない。
少年は鯉口をきる。
自分の置かれた現状も忘れて、どのように魔法を扱うのかに意識が持っていかれる。
が――
(安全装置を外さない……?)
つまり彼は、魔法を使うつもりがない様だ。
蹴り飛ばした敵の陰に隠れて近づき、おもむろに敵の眼前へと飛び出したかと思うと――
「えっ!?」
ずっこけた。
それはもう見事に。
鞘から勝手に刀が飛び出していき、それが偶然相手の急所を強打。
どうやら事なきは得たようだ。
僕はいまだに倒れたままの、どこか間抜けな命の恩人に手を差し伸べることにした。
「君、大丈夫?立てる?」
「……ああ」
僕の手を取ることなく彼は立ち上がった。
失敗してこけた割に動揺が少ないような……?
……クールな見た目に反して、日ごろから頻繁にこういう失敗を繰り返しているのだろうか。
「えっと、助けてくれてありがとう」
「構わない。当然の事をしたまでだ」
そういいつつ男達を縛り上げていく。
「その縄、どうしたの?」
「こいつらの所持品だ」
つまり、本来なら今頃この縄が縛り上げているのは僕だったというわけだ。
「うえぇ……その、ほんとにありがとう」
「大したことじゃない。それより自警団に通報したほうがいいんじゃないか?」
「う、うん。でもこの辺に公衆電話設置されてたかな……?」
「悪いが俺はこのあたりの地理には疎い」
「ぼ、僕も逃げるので精一杯でこんなとこ来たことなくて……学院からそこまで離れてはいないはずだけど……」
魔水パイプにこの付近の住所が記載されていないか視線を走らせる。
「あ、南西区みたいだね。多分北西に進めば見慣れた道に出る……と思う」
「解った。公衆電話が見つかるまで護衛しよう」
「え、いいの?」
「あの連中の仲間に君がまだ追われているかもしれないだろう」
「ありがとう!えっと……なんて呼べばいいかな?あ、それより先にまず僕の名前だね。僕の名前は大樹必成、ミスティカ王立魔法学院の高等部の1年だよ」
「大樹必成か、よろしくたのむ。俺は神代ゆう……じ。神代悠次だ。身寄りはない、旅をしていた」
「えっ、その歳で!?」
「そうだ」
「……あ、あの、ここまでお世話になったし、今日泊まる場所がないようなら良ければ僕の部屋にこない?学院の寮だから狭いしあまりおもてなしもできないんだけど……」
「部外者を宿泊させることが出来るほど警戒が緩い学院には見えなかったが……」
「あぁ……そう、だね。というか今は国際情勢から学院に限らずどこも少しピリピリしてて……って、そういえばよく入国できたね!?」
身寄りのない旅人がどういう身分を証明できるのだろうか。
発動器が見たこともないモノであること、そして発動器は基本的には魔法王国ミスティカでしか作られていないことを考えてもいまいち腑に落ちない。
王国を出た技術者が他国で作ったものなのだろうか、だとするなら国お抱えの職人である確率が高い。
発動器の技術、というより魔法技術の漏洩は今ミスティカが一番目を光らせて警戒している部分だ。
つまり本来はすごい立場の人だったり……?
……しかしその割に服装が酷い。
さっきまでは自分の命がかかっている状態だったから気付かなかったが、ぼろ布を纏っている。
やっぱり本当に旅人かもしれない。
「もともとこの国の人間だからな。今日は帰国してきたというわけだ。旅に出るときに家は引き払ってしまったから帰る家はないが」
「えっ……なんか、ごめんね、変な事きいちゃって」
「気にしなくていい」
「あ、あの。不躾ついでにもう一つ聞きたいんだけど、どうして旅をしていたの?」
「生きる為だ」
凄い理由だった。
「生きる為必要に迫られて旅をするって、まるで命でも狙われて逃げ出したみたい――」
それはさっきまでの自分だ。
笑えない話であることに気付いてしまった。
「もしかして、神代くんもさっきの僕みたいな目にあったことが……?」
「……」
返事はなかった。
その沈黙をどういう意味にとればいいのか、僕には判断がつかなかった。
しばらく無言で歩く僕ら。
ふと、彼が訊いてきた。
「大樹、お前の家族は健在か?」
「うん」
「そうか……なら、大事にするんだな」
身寄りがないという彼にどんな言葉をかけていいのかも、このときの僕にはわからなかった。
この後、公衆電話についた僕らは通報を済ませるとそこで別れた。
何のお礼も出来なかった僕は、別れ際――
「もしまた顔を合わせることがあったら、僕にお礼をさせてね」
「わかった。その時は頼む」
こんなやり取りをした。
このときはまだ、数日後にあんなことになるとは思っていなかったんだ。