7.鬼上司、腹黒男とタッグ組む?
「ねぇねぇ聞いた?『Sai-Sports』のトップ総入れ替えになったんだって」
「あ、知ってる。なんか、いきなり独立起業したメンバーが大損出したからって、とばっちり食らっちゃったんでしょ?」
「それは表向きの話でしょ。ほら、一時期ネットですっごいバッシングされてたじゃない。社内でフテキセツなことヤってたとかって。いくらその連中を隔離したっつってもねー、炎上したもんは抑えらんないし。筆頭株主がそれでキレちゃって、後は右へ倣えしちゃったってカンジみたい」
先日の臨時株主総会にて、正式に『Sai-Sports』本社のトップが解任させられた。
解任宣告を受けたのは、トップとしての責任を問われた会長、社長、取締役、そしていずれも西園寺家のコネで部長職や支社長職に就任した者ばかり。
つまり、事実上経営のトップに西園寺家の者はいないという状況となった、ということだ。
新しく社長に就任したのは、これまで『Sai-Sports』のアメリカ支部にて辣腕をふるってきた日系アメリカ人であるレイ・イトウ。
彼はそれぞれグループ各社からスカウトしてきた、目立たずとも部下に慕われている役職者を自分の直属につけ、これまでやりたい放題やっていた『元専務』を放逐してから立て直しを図っていた元社長や心ある元取締役達を補佐につけ、改めて社内の大改造に取り掛かっているということだ。
「残念でした。香澄ちゃんなら営業部に出向中ですよ」
「そうでしたか、それは残念です」
にこやかに対応してくれたのは、業務推進室の中でも折衝担当の営業職員。
彼女はここに何度も訪れている黒崎とも既に顔見知りで、彼がどうしてたいした用事もないのにここに立ち寄るのか、その理由が香澄だということも知っている。
コーヒーでもどうぞ、と勧められるがままに香澄の席に座った黒崎は、他の休憩中の職員がきゃあきゃあ言いながら話に花を咲かせている、その話題について想いをめぐらせていた。
『Sai-Sports』が、臨時株主総会によってトップを総入れ替えという事態に陥った。
その表向きの理由としては、『Sai-Sports』が途中まで企画に関わった後で独立起業したプロジェクトチームに全てを委ねたという、スポーツ系トレーナーになって選手を育成するというシミュレーションゲームが大コケしたことが挙げられる。
……そう、あれだけ大上段に自信を持って提案してきたゲームが、いざ製品版になってしまうとそのあまりの容量の大きさにフリーズを起こすわ、ビジュアルのグレードに差が酷いとクレームが入るわ、これでこの値段は詐欺だろうとネットで酷評されるわ、散々だったらしい。
彼らはそれを発表する前に『株式会社ロージア』として独立しているが、基礎データは『Sai-Sports』で得たものであるし、ゲームデータのオープニングにもはっきりと協力企業として『Sai-Sports』の名を掲げている。
そういうわけで、大損したとばっちりが『Sai-Sports』にも飛び火した、というわけだ。
裏側の事情としては、今ほど彼女達が言っていた通りである。
だがまぁ結果的に、下ろされたトップのうち実績がある者は補佐役として再雇用されているし、古臭い縁故関係者も一掃されたことであの会社も生まれ変わるかもしれない。
ダメージを受けたままどうすることも出来ないのはむしろ、自分達の過ちを認めることも省みることもできない、『ロージア』の面々だけだろう。
彼らがこれからどう巻き返しを図るか、そのことに黒崎はさほど興味はない。
ただこちらに絡んできて欲しくないなと思う程度だ。
「戻りました。ちょっと遅れましたけど休憩入りますね」
「おかえり。それじゃ出かけてくるわね」
「はい。あ、白銀部長がなんか怒ってましたので、気をつけて」
「げ、今度は何がシロガネーゼの逆鱗に触れちゃったわけ?」
困ったなぁ、と言いながら彼女は足早に席を立って、香澄と入れ替わるようにして出て行った。
黒崎も席を立ち、お借りしてましたと言いながら彼女のデスクの斜め前に立つ。
「シロガネーゼ、というのは?」
「あぁ……白銀部長のことですね。営業本部の部長さんなんですけど、体育会系でとにかく声が大きくて。理不尽なことで怒ったりは絶対にしないんですが、逆に言うと怒ってるってことはそれなりのことをやっちゃったからだ、と」
「だから先ほどの彼女はああも怯えていたわけですか」
「そうですね。私も怖いですし」
小さく笑った香澄の表情が引きつっていることを考えると、彼女もその怒りとやらに触れたことがあるのだろう。
パワハラではないのですかという黒崎の問いには、香澄のみならず他の社員達もきっぱり否定していたため、信頼された者なのだということもわかる。
「そうそう、桐生さん。これを。ケヴィンから預かってきました」
「わ、ケヴィン君からですか?なんだろ……」
『ケヴィン』という聞き慣れない男性名に、室内に残って噂話に花を咲かせていた同僚たちが、耳を澄ましているのがわかる。
香澄はあまり噂話に加わるタイプではないし、とはいえ周囲にはそこそこイケメンだったり美形だったりする男がいるので、誰が本命なのかと皆興味津々なのだろう。
皆さん正直ですね、と黒崎は苦笑したくなるのを堪える。
受け取った封筒を香澄はわくわくしたような表情で開き、中に入っていたカラフルな色紙に書かれた拙い文字を目で追って……困惑したように、黒崎に視線を戻す。
「あの、これ…………ドイツ語、ですよね?なんて書いてあるんですか?」
読めません、困りました。と顔にデカデカと書いてある香澄にその訳を教えてあげるのは簡単だ。
だが、その文章を一生懸命書き綴っていたケヴィンの気持ちがそれでは報われない。
「ご存知ですか、桐生さん。今時、ネットには便利な無料翻訳サイトというものがありましてね」
「…………つまり、自力で訳せということですね。わかりました、やってみます」
素直で結構、と黒崎は早速無料翻訳サイトを検索し始めた香澄を見下ろし、その斜め後ろにさりげなく下がると、その横顔を上手く捉えられるように配慮しながらそっと、写真を一枚。
綺麗に撮れているのを確認してから、彼はそれを【リリーナ】というあて先へとメールで送った。
リリーナというのは、日本国籍を持ち日本に住んでもう数年になるドイツ人女性だ。
彼女は慣れない日本で戸惑うケヴィンの世話をあれこれと焼いており、彼の性格もよく把握している。
そのため、余計なことは何も言わずともきっと送られた写真を見て、返事をわくわくしながら待っているケヴィンに上手く伝えてくれることだろう。
【誕生日おめでとう、香澄。
今夜うちでパーティを開くから、絶対に来て。
ケーキを用意して待ってるよ! ケヴィンより】
無料翻訳サイトの直訳では堅苦しすぎたが、ケヴィンの普段の口調に意訳するとこんな感じになるだろうか。
「誕生日…………そ、っか。もうそんな時期なんだ……」
前の誕生日は、まだ山崎が婚約者として彼女の心の中にいた。
とはいえその頃は既に彼の心は薔子に囚われていたため、誕生日といってもプレゼントのあの似合わないネックレスが贈られた程度だったが。
(今夜……えぇっと、今日の午後のスケジュールは……)
このところ、香澄は毎日のように営業部の仕事を手伝いに行っている。
そこでは主に、誰もが恐れる鬼の白銀本部長について得意先をまわり、打ち合わせた内容を報告書として提出、そしてまた別の得意先へ行くという営業補佐的な役割を任せられている。
この日も午後は予定がびっしりで、休憩が終わったらすぐに営業部へ戻らなければまた鬼のカミナリが落ちかねない。
「あの、黒崎さん。時間なんかは指定がないんですけど……残業してからでも間に合いますか?」
「残業?……今日は既に残業のご予定が?」
どういうことですか、と黒崎の放つ温度が一気に低くなる。
その低温に思わずぶるりと身を震わせながらも、彼女は「外回りなので時間がちょっと」ときっちり仕事であることを主張した。
しばし、無言で見つめあう二人。
その間に漂う冷気に、同僚達も哀れむような目で香澄を見守っている。
「…………わかりました。そういう事情なら仕方ありません。上手く言っておきましょう」
「すみません。ありがとうございます」
「では桐生さん、極力急いで来てくださいね。貴方を待ち焦がれたケヴィンが寝てしまう前に。ああ、そうそう。あまり遅くなるようなら妻を迎えに寄越しますからね」
え、と香澄が不意をつかれて呆けた間に、黒崎は意味深な笑みを浮かべて立ち去って行った。
「ねぇねぇ香澄ちゃん、ケヴィン君ってどんな人!?待ち焦がれるとかどんだけ情熱的なのー!いやーん」
「イケメン?美形?っていうか、彼氏?」
「え、あの」
「やけに黒崎さんと親しげだなぁとは思ってたけど、香澄ちゃんには別の彼氏がいるってことよね?だったら黒崎さんの相手って誰?そもそも【妻】って何!?初耳なんですけど!」
「あの、それは」
(困ったなぁ……黒崎さん、ケヴィン君のことになると大人気ないんだから)
彼にとって大事な家族の一員と認識されているケヴィン。
そんなケヴィンの誘いに対し『仕事』を持ち出して遅刻するかもと言い出した香澄に、彼は不満を持ったのだろう。
だからこうして、これまで徹底的にシャットアウトしていたプライベートをちらりと覗かせ、香澄に追求が向くようにと仕向けた。
「ええっとですね、ここへもよく立ち寄ってくださるシュナイダーさんの妹さんがリリーナと言うんですが。彼女、私の親友なんです」
「ってだから!それがどうかしたの?」
「そのリリーナがドイツ留学中だった黒崎さんと結婚して……ええとつまり、シュナイダーさんと黒崎さんは義理の兄弟ということなんですよ」
「はぁっ!?」
「で、ケヴィン君というのはシュナイダーさんの息子さんです。今年5歳になりました」
「えぇっ!?」
どういうこと!?と詳細を聞きたそうに詰め寄ってくる同僚に押され気味になりながら、香澄は時計を見て休憩時間が終わることに気づくと
「すみません。そろそろ営業部に戻らないと鬼のカミナリが落ちますので」
とそそくさと席を立った。
カミナリの威力を知っているだろう同僚達も、それを止めることはしなかった。
「遅いぞ、桐生!!」
「はいっ!」
「返事はいい、もっと速く足を動かせ!」
「はいぃぃぃっ」
桐生香澄は焦っていた。そうは見えないが、これでも最大級に焦っていた。
その原因は、彼女の数歩先を余裕でずんずんと先に進んでいく……総合商社USAMIの営業本部の本部長を拝命している長身の男、鬼のシロガネーゼこと白銀 斗真にある。
『桐生を借り受けたい。長期レンタルは可能か?』
彼はそう言って、業務推進室室長へと直接交渉に来たかと思うと、渋る室長を丸め込む勢いでさっさと交渉を成立させ、「行くぞ」とまだわけのわかっていない生贄を連れ出した。
部屋を出る直前、「ご愁傷様~」と聞こえた同僚の声はきっと空耳などではないだろう。
白銀の取り仕切る営業本部とは、他の営業部各課が扱うような大々的なプレゼンや大企業を相手どった折衝などを取りまとめ、更にUSAMIが納品している企業を回って使い心地などをリサーチしたり、苦情処理をしたりという細かな調整や気遣いが必要になる部署である。
故に本部に配属されるのはそういった細かな仕事が得意な者が多く、どちらかというと大人しめなタイプが顔を並べている、のだが。
その本部を取り仕切る白銀だけは、自他共に厳しい正真正銘鬼のような体育会系の男であった。
顔はいいんだよな、顔は。
彼の部下は笑いながらそう話す。
顔立ちはきりりと引き締まった武士顔とでも言えばいいのか、それこそちょんまげを結っても似合いそうな日本人顔である。
背は高く肩もがっしりとしているが全体的に細身で、力はあるのに到底力強そうなイメージは受けない。
だが声量はかなりのもので、その声で力いっぱい怒鳴られると男性社員であっても竦みあがってしまうほどであるらしい。
年齢も既に中年期……50代半ばだというのに、全く衰えを知らない体力で部下に負けまいと駆けずり回っているというから驚きだ。
そんな営業本部に貸し出された香澄はといえば、白銀の補佐役として資料を抱えて毎日毎日東奔西走。
毎日かけまわっている所為でヒールは痛み、ついでに足も痛めてしまっている。
だがそんな弱音を吐こうものなら、軟弱者と怒られてしまうのは目に見えている。
桐生香澄、自分に対する誇りも自己愛も何もないが、仕事に対するプライドだけは高いという場面限定の負けず嫌いである。
そんな彼女は今日も、痛い足をものともせずにちょこちょこと精一杯長身の上司の後を追うのだった。
「…………アホか。痛いなら痛いって言え。ヒールなんて履いてくるからそんなめにあうんだろが」
が、聡明なる上司にはとっくに気づかれていたようだ。
彼は2件目に向かう前にと公園に立ち寄り、コンビニでカットアイスを買ってきてほれ、と香澄に手渡した。
ひやしとけ、ということらしい。
「うぅっ、痛いです……」
「自業自得だな。これに懲りたらスニーカーで来い」
「はぁい」
この寒空にカットアイス、という拷問にも似た状況ではあったが、ひとまず上司の気遣いをありがたく受け取っておく。
そして仕方なく応急処置として傷の上に絆創膏を貼り、明日からはスニーカーにしようと帰りに買いに行くことまで考えて……そこでふと、今夜の約束を思い出した。
(そうだ……帰りにお店に寄ってる時間なんて、ないよね……)
ただでさえ、仕事で遅れそうだと伝言したばかりなのだ。
この上さらに買い物で遅くなると連絡しようものなら、黒崎の予言していた通り香澄の親友リリーナが『来ちゃった』とハートマークでもつきそうなイイ笑顔で、会社のエントランスに迎えに来るだろう。
同じ美形でも柔らかな顔立ちのアッシュとは違い、迫力美人であるリリーナに無理やり首根っこを掴まれてドナドナされてしまう自分、という情けない姿を想像してしまい、香澄はそれだけは避けなければとスニーカーは諦める方向で考えていた、のだが。
「……約束までにはまだ時間があるな。よし、今から買いに行くぞ」
「…………は?」
時計を見て何事か考えていた白銀だったが、やおら立ち上がり行くぞと香澄を急かした。
「は?じゃねぇだろ、靴だよ靴。どうせそのヒールのままじゃ、思うように歩けねぇだろうが」
「え、いえ、でも個人的なことですし。帰り……は無理でも明日の休憩時間とか」
「それじゃ明日の朝のアポは間に合わねぇだろ。いいから来い、お前が上手く歩けねぇと業務に支障が出る。ってことでこれは上司命令だ、逆らうなよ」
「え、ちょっ」
「ヒールはちゃんと会社に持って帰れよ?まさかスニーカー履いてお誕生会に行くつもりじゃねぇよなぁ?」
あ、とそこで香澄は先ほど黒崎が言っていたことを思い出した。
『上手く言っておきましょう』
これはてっきりケヴィンに向けられた言葉だと思ったが、どうやら彼は帰り際に営業部に寄って白銀に事情を話しておいたらしい。
ならば、白銀が勤務時間内だというのに彼女の靴選びに出向いてくれる理由もわかる。
白銀自身、家族との時間がそう取れないことをわかった上で、その少ない時間を大事にしているからだ。
(黒崎さんと白銀本部長のタッグって……なんか最恐なんですけど)
「桐生、とっとと立て!時間は待っちゃくれねぇぞ!!」
「はいぃぃっ!!」
ひとまず、お礼を言うのは後からでもいいか、と彼女は痛む足を庇いながら歩き出した。