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3.切り捨てた、トカゲの尻尾は生きている

 香澄の置き土産は、結果的に上層部にとって()()きっかけを与えてくれた。

 彼ら……『Sai-Sports』の取締役達は皆、創始者の一族だという西園寺恭一が好き勝手することに頭を痛めていたのだ。

 この会社は一族経営ではないため、恭一以外の役員は西園寺家の者ではない。

 それだからかこれまでは『西園寺』である彼のやることに逆らえず、穏便にと様子見を貫いていたのだが、総務のいち社員である桐生香澄という人物が社長宛に送りつけてきたモノは、そんな慎重な彼らを動かすには充分な材料だった。


 西園寺の縁戚だからという理由だけで媚を売って総務部長を務めていた男が、部下である香澄にちくちくと嫌味を言う声……そして耐え切れなくなったかのように罵声を浴びせ、その中で彼女から仕事を取り上げたのは西園寺専務や営業部の笹野の指示であった、ととれる言葉を発していたのだ。

 勿論これだけでは弱いと判断した彼らは、恭一とその仲間達にいいプレゼントを用意し、彼らがそれに夢中になっている間に社内を徹底調査した。


 結果、社員達から聞かされたのはこれまで彼ら取締役の耳にも何度か入ってきた、高梨薔子という女性と恭一達のやりたい放題な迷惑行為……その中には突然総務部を退職した桐生香澄へ仕事を回すな、という理不尽極まりない指示と、彼女に恩を感じている営業部員がこっそり仕事を依頼したことで、その女性職員も退職に追い込まれてしまった、という頭が痛い程度では収まらない事実。


 ここが会社ではなく、絶対王政の世界であったなら何をしても堪えるしかなかったかもしれない。

 だが、彼らが好き勝手にやらかしているこの場は確かに西園寺というバックがついているにせよ、きちんと独立して利益も上げている会社である。

 ひとたびブラックな噂がたってしまえば、株主のみならずお得意様全てにそっぽを向かれても文句の言えない状況になってしまう。


「総務部長は左遷させたが……後任はうまくやっているか?」

「あぁ、支社から引っ張ってきた女性管理職だからな。部下のために矢面に立つ度胸を買われたんだと張り切っていたよ。これで総務のモチベーションはどうにか保てそうだ」

「問題は彼らが関わっていた営業部、海外事業部、システム開発課か……」

「彼らには新しいオモチャ(プロジェクト)を与えてある。その間に大規模な改革に乗り出すしかないだろうな」

「……彼らは優秀だ、優秀すぎると言ってもいい。そんな彼らがもしそのプロジェクトを成功させたら、益々調子づいてしまわないか?」

「個々がいかに優秀であっても、会社というのは個人で成り立つものではないからな。プロジェクトが成功すればそれでよし、勢いづいた彼らは独立をと言い出すだろう。我々が考えなければならないのは、失敗した時の対策だけだ。多少痛みを伴っても、会社を立て直すことが我々の使命だからな」


 正に、肉を切らせて骨を断つという捨て身の方法しか、()()に残された手段はなかった。




「お願いした資料がそのまま戻されたのですが……どういうことでしょうか?」


 さて、取締役曰くの『新しいオモチャ』という名の新規プロジェクトを与えられた西園寺恭一は、そのプロジェクトリーダーに薔子を指名し、自分達はフォローをするからと他のメンバーに海外事業部の滑川、営業一課の笹野、システム開発課の山崎を挙げ、彼自身は総責任者としてどっしり後ろで構えているという、彼らにとっては最強の布陣で臨むことにした。

 新規プロジェクトは、最近活躍が目覚しいコンピューターゲームへの参入を目指すもので、その概要やジャンルなどは全てプロジェクトチームに一任されている。


 さすがに彼ら5人だけではプロジェクトを進めることなどできるはずもなく、彼らを……もっと言えば薔子を慕ってついてきた社員達も含めたメンバーで企画を練り、概要を決め、さてプレゼン資料を作ろうかという時になって、今いるメンバーに資料作成の得意な者がいないことに気がついた。


『なら、総務に依頼すりゃいい』


 あいつもいないことだし、と小さく付け加えた西園寺の言葉に山崎は眉根を寄せたが、総務の書類作成能力を高く評価している薔子は、わかったと頷いた。

 の、だが。



「どういうこと、ってそれこそどういうことかしら?聞いていた話とは違うわね」


 ゆっくりと近づいてきたのは、以前の総務部長とは比べ物にならないほど部下想いだと評判の、百合根総務部長だった。

 美人でもスタイル抜群でもない、だが勤勉で公正な目を持ち正義感が強い彼女は、薔子の前に毅然と立ち塞がり、真っ向からしっかりと目を見据えてくる。


「聞いていた話、というのが何を指すのかはわかりかねます。ですが実際、うちの頼んだ資料がそのまま戻されたのは事実です」

「ええ。そちらの新規プロジェクトチームから上がっていた資料は、全てそのまま戻させてもらいました。だってそうでしょう?うちは限られた人員しかいない上に、それぞれ担当部署を抱えて手一杯の状況なの。なのにプロジェクトチームの資料まで作れなんて、部下達のキャパを超えてしまうわ」

「それは申し訳ないとは思いますが、うちのチームは社運をかけたプロジェクトに挑んでいるんです」

「まるで、こちらの資料が最優先だとでも言いたげね。……随分と傲慢だわ」


 そう言って彼女は小さく微笑んだ。酷く、挑戦的に。


「海外事業部もシステム開発課も営業部も、それぞれトップを欠いてとても混乱しているの。そんな中で彼らに資料を作らせることなんてできないでしょう?貴方達のお仕事は確かに一大プロジェクトを成功させることかもしれないけれど、社内のひとつひとつの仕事が回らなくなればその時点で会社は傾くわ。私達総務部はそのフォローをするのがお仕事なの。それでも優先的に資料を作れと言うなら……そうね、上の許可をいただいてからにしてちょうだい」

「専務の命令ならいただいてあります」

「あら、専務じゃダメよ。…………もしかして知らないの?総務部うちをはじめとする代表的な部署は、現在暫定的に取締役の指揮下に置かれてるのよ」


 海外事業部は、以前部長を務めていた副社長に。

 システム開発課とシステム管理課を束ねるシステム部は、現役時代開発担当だった取締役に。

 営業部は、笹野に支配されていた名ばかりの営業部長に代わって、顧問弁護士でもある取締役に。

 そして総務部は、社長直轄に。


 総務以外は部署のトップが不在だからという理由で、総務は前部長がパワハラで部下を辞めさせたという経緯があったため、しばらくは社長の監督下に置かれることになったらしい。

 ちなみに、パワハラを社内で公にしたのは、現総務部長である百合根の就任後最初のお仕事である。



 さすがにここまでされて、気づかない薔子ではない。

 彼女はこのプロジェクトが、西園寺をはじめとする自分達5人を囲い込むための罠であることに気づき、その彼らがいない間に社内の改革を始めた取締役達を、心の底から軽蔑した。


 大丈夫、と薔子は己に言い聞かせる。

 これは自分達を理解できない者が、その排除行動に出ているだけなのだと。

 自身の誇りはまだ傷ついてはいない、資料くらい自分が作ればそれで済む。

 チームのメンバーにも、今後いい資料を作るための勉強をさせる意味合いで手伝わせてみよう、と。


 この話を薔子が持ち帰ると、西園寺はわかりやすく憤慨し、ならば見返してやろうと自信を漲らせた。


「そろそろ山崎の方でデモムービーが仕上がる頃だ。実際の開発にはちっと時間がかかるが……まぁいい機会だ、他の企業にプレゼンを持ち込むぞ」

「本社の手を借りずに?……ということは、プレゼンが仕上がったら『Sai-Sports』から独立する、ということでいいんだな?」

「ああ。勘違いするな、先に手を出したのはあっちだ。俺達はその思惑に乗ってやった、ってだけさ」


 さすがに彼ら以外のメンバーに動揺が見られたが、笹野はきっぱりと「怖気づいたやつは外れてくれて構わない」と言い切った。


「俺達が今作っている作品は、確かに『Sai-Sports』で得た統計データをベースにしている。だがそのデータをどう弄ろうと自由だと許可も貰っているし、独立するからと言ってなにも縁を切るわけじゃない。あちらの出方次第では提携関係に持ち込んでやっても構わない。……ただ、このプレゼンが成功すれば俺達に大きなバックがつくことになる、となれば西園寺には悪いがあの会社に執着する理由はなくなるな」

「俺も別に構わねぇよ。うちの一族が立ち上げたとはいえ一族経営ってわけじゃねぇからな」

「なら、決まりだな。……お前達もよく考えて、どちらにつくか結論を出してくれ。外れたいなら今のうちだぞ」


 彼らについてきた者の中には、このプロジェクトを通じて出世を目論んでいた者も少なくない。

 だが蓋を開けてみればプロジェクトのリーダー格は、あの会社からの独立を考えているという。

 どうする?どうしたい?どうしたらいい?

 顔を見合わせてざわめきあっている者達を置いて、彼らは別室へと移動した。




「……純也、まだ悩んでるの?」

「…………薔子か」

「隣、いい?」

「いつも何も聞かないだろうが」

「なんとなくね。そんな気分」


 あの笹野の宣言から週末を挟んで3日後、チームメンバーに与えられたデスクに空席がぽつぽつと見られた。

 さすがに、安定した『Sai-Sports』の社員の座を蹴るわけにはいかない、と判断した者ばかりのようだ。

 メンバーは減ったが、重要な位置づけにいる者はいなかったので問題はない、と笹野は改めて残ったメンバーに業務の振り分けをはじめ、西園寺も全員を鼓舞した。


 プレゼン資料の作成は戸惑う新人を励ましながら薔子が担当し、笹野は全体の進捗状況を管理し、滑川はプレゼン先の企業の情報を集めて数値化し、山崎はプログラムを組み、西園寺は足りない備品や資材などを買い揃えていく。

 時間と、お金と、頭脳を結集した最高のチーム。

 このチームが生み出す作品がいいものでないわけがない、先方の企業の心を射止めないわけがない。

 彼らはそんな自信を抱えて、日々業務に取り組んでいた。


 が、山崎は彼を慕ってついてきてくれたかつての部下達を指揮しながらも、どこか浮かない表情をすることが増えた。

 その心がどこに向いているのか……他のメンバーが気づかないわけはなかったが、彼らは見ないフリをして己の業務に打ち込んでいる。

 だが薔子だけはどうしても気になり、こうして寒い屋上に出た山崎を追いかけてきた。



「空が、近いね」

「あぁ。西園寺家の所有だけあって、自己主張が激しい」

「それ、恭一に聞かれたらまた喧嘩になるわよ?この前だって何か言い合いしてたでしょ」

「…………もう終わったことだ」


 薔子の耳には入れまいと約束していたので、その詳細について彼は話すことができない。

 しかし彼は、西園寺にだけはその秘密を打ち明けてしまった。


(香澄が持っていたあの音声……あんなものが出回ったら、俺達は……)


 あれは香澄が偶然録音したものだというが、考えれば彼らが社内でああいう行為に及んでいたことを、他の社員も散々噂していたのだ。

 興味を持った誰かが、それを撮影していないとは言い切れない。

 その危険性に思い当たった山崎はネットを徹底的に検索し、そして見つけた。


 元データは既に閲覧禁止になっていたものの、それを面白半分でコピーした者が公開する、彼らの赤裸々な情事の現場を。

 それをもとに下世話な言葉で揶揄しあう、匿名掲示板の内容を。


『わかった。西園寺うちのサイバー対策担当に言って、全部消させてやる』


 と西園寺はそう言っていたが、彼はわかっていない。

 消されれば、禁止されれば、それだけネットにはびこる『彼ら』の興味をそそるということを。



 元はと言えば、人目につくところで堂々と行為に及んでいた彼らの方が悪い。

 山崎もそのどこが悪いんだと考えていた一人だったが、香澄に去られ、両親には涙ながらに育て方を間違えたと嘆かれ、そして香澄が遭遇してしまったというその場の音声を客観的に聞くことで、ようやく自分たちがどれだけ恥ずかしい行為を見せ付けていたのか、そのことに気がついてしまった。

 もうやめよう、そう言うのはきっと簡単だ。

 だがそうなれば、この居心地のいい同じ価値観を持った者達の輪から外れなければならない。


『迷ってるなら考える時間をやる。だがな、山崎。今のお前じゃ、薔子の隣は務まらねぇよ』


 お前はもう違うんだ、とそう言われたかのようだった。

 そしてそれに、納得する自分もいる。


(俺は…………どうしたらいい?……俺は一体、どうしたいんだ?)


 わからない、と視線を俯ける山崎。

 その肩に、そっと薔子の手が乗せられた。

 視線を向けると、どこか寂しげに……だが艶っぽく微笑む、女の顔。


「…………今日は、私が純也を慰めてあげる」


 その手を、初めて山崎は拒んだ。

 驚いたように目を見開いて彼を見つめてくる薔子、その視線に囚われて心ごと奪われてしまえばどんなにか楽だろうに。

 何も考えず、ただひたすらに同じ価値観を持った者同士で肩を並べ、他のヤツには理解できなくて当然だ、俺達の世界は俺たちだけの者だと言いあえていたら、苦しまずに済んだのに。


「……すまない、心配させてしまったな。もう大丈夫だ」

「純也……」

「そんな顔するな。さ、風邪を引くぞ。戻ろう」



『お前はもう、俺達とは違うんだ』と、西園寺の声が聞こえた気がした。




山崎、苦悩。


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