2.パワハラは、そのまた上に言いつける
一話目が短編そのままなので、続けて投稿します。
「なぁにそれ、バッカみたい!!いつ見られるかわかんない社内でディープなキスしといてよくもまぁ『彼女は友人だ(キリッ』とか言えるわよ。つかなんでその程度で済ませてやってんの!?うちの母親が弁護士なんだから、訴え出て慰謝料たんまりふんだくってやればよかったのに!」
「芹香、お酒……」
「飲んでるわよ、悪い!?飲まなきゃやってられないでしょうが!」
「ああ、うん、ごめん」
その次の週末、香澄は従姉の野宮 芹香を自宅に呼び出し、ことの経緯を簡単に説明した。
山崎との婚約は祖父同士の約束からきている、つまり芹香もその婚約の候補者だったのだが、彼女には学生時代からお付き合いしている相手がいたため、消去法でお相手は香澄にと決まったのだ。
芹香自身が気にする必要はないのだが、結果的に香澄に山崎を押しつけてしまった形になるため、何より香澄の従姉、そして友人として心配してこうしてたびたび相談に乗ってくれている。
実際、芹香の母……つまり香澄の伯母はやり手の弁護士であり、もしこの件で相談を持ちかけたら張り切ってくれることはわかっている。
最初は家同士の約束事だったとしても、後に本人同士が納得した上で婚約関係を結んでおり、しかも結婚を視野に入れた話まで進んでいたのだから、彼のやったことは明らかな不貞行為に違いない。
慰謝料を請求すれば、若くして課長職を務めている山崎ならそれなりの額まで取れるだろう。
が、香澄がどうしてそれをしなかったのか……理由の一つはこれまで良くしてくれたご両親への気遣いもあったが、もうひとつ。
山崎も言っていたように、彼にとって高梨薔子という女性が『お付き合いしている特別な女性』ではないからだ。
「そもそもわかんないのが、なんでそこまで公然とヤっといて『友人だ』なんて言いきっちゃうわけ?しかもなんで破棄を言いだされたか全くわかってない様子だったんでしょ?」
「うん……なんかね、彼らは本気で『友人』だって言ってるみたいだから。というか、そうとしか言いようがないのかもしれないけど」
「……ちょっと待って。彼『ら』ってなによ?他にそういうことしてるやつがいるってこと?」
「んー、わかってる限りでは4人、かな」
「はぁっ!?」
高梨薔子は名家に生まれ、ありとあらゆることを学ばされて育ってきた。
そしてスポーツ用品メーカーとしては大手にあたる『Sai-Sports』本社に入社し、そこで人身把握の術や交渉術を学んで着実に成果を上げていき、入社からわずか2年で営業部のエースと呼ばれるほどの実力者だと社内外にその名を知らしめた。
彼女自身、いかにもどこかのご令嬢といったちょっと気の強そうな美人であるし、スポーツ万能であるため出るところは出てくびれるところはきちんとくびれる、理想的なメリハリボディを持っていることもあって、男性社員を中心にとても人気が高い。
ただ、彼女を取り巻く男達がハイスペックであること、彼女もどこか人を寄せ付けない凛とした性格であるからか、『高嶺の花』として遠くから信奉している者が殆どだ。
高梨薔子は『孤高の人』だ、と以前山崎はそう語っていた。
他人に厳しく、その分自分にも厳しく、誇りを忘れずに、気高く在れ。
厳しい実家にそう育てられた彼女は、その教育を施した祖母が亡くなった後に精神のバランスを崩し、自分がどう在ったらいいのかわからなくなった時期があったのだという。
その時期に彼女を支えてくれたのが同じ営業部の笹野、彼は辛かったら分かち合う、だから立ち直れと辛抱強く寄り添ってくれたのだそうだ。
彼ら……海外事業部の滑川、営業部の笹野、システム開発課の山崎、専務の西園寺、この4人は程度の差こそあれ薔子と同じ『負けず嫌い』で『上昇志向が強い』『自分に誇りを持っている』人物だ。
だからこそ薔子とその痛みや苦しみを分かち合うことができ、お互いの価値観を認め合うことができる。
彼ら4人が一人の女性をシェアしてそれに甘んじていられるのは、他のライバル達が自分と同じ価値観を備えているからだ。
「まぁだからと言って、彼女が落ち込んだからって会社内でそういうことをやるあたり、誇りやら価値観やらって言葉をはき違えてる気はするんだけど」
「その女だって、孤高の人とかかっこいいこと言っといて、結局男に依存しなきゃ生きられない人種じゃない」
「依存っていうなら、共依存なんだろうけど……そういえばね、山崎さんから最後に届いたメールにこう書かれてた」
『薔子は俺にとって【女】じゃない。【男】や【女】じゃなく、俺達は同じ価値観を分かち合って生きている』
「……なにそれ、意味わかんない。ハグとかキスとかそれ以上とかしといて、男や女じゃないってどういうこと?もしかして、だから婚約を破棄する必要なんてないって言いたいわけ?」
「たぶんね。けど結局、結婚したってその『友人関係』を続けるわけでしょ?そういうの理解できる人って、やっぱり彼らとそこそこ価値観が同じじゃないとダメじゃないのかな」
「価値観が例え同じだったとしても、目の前でいちゃいちゃされた段階でアウトだと思うわ」
「彼らはいちゃいちゃしてるつもりはないらしいよ?あれはボディランゲージなんだって」
「…………イミフ」
そもそも、誇り高く上昇志向の強い面々がどうして会社という公の場で淫猥な行動に出たのか。
それは彼らが、自分達がやっていることを『猥褻行為』だと認識していないからだ。
彼らはボディランゲージによって薔子という彼らにとっての至高の存在を慰め、崩れかかっている彼女の自尊心や自信を取り戻させようと、その痛みや悔しさをシェアしてやっているのだ。
だから会社という他に人が大勢いる場であのような行為に励むことができるし、そもそも人のそれほど来ない資料室や倉庫を選んでいることから、一応気は使ってやってるとさえ言いそうだ。
という話を人伝で聞いた時点で、香澄は純也のことに関して努力することを諦めてしまった。
(だって、彼らのやってることってまんま性的嫌がらせじゃない。犯罪行為だよね?)
中には、彼らの行為を見聞きして興奮している者もいるかもしれない。
薔子の信奉者なら、相手を自分に置き換えて想像に耽った者すらいるかもしれない。
だとしても、大多数の無関係な社員にとっては明らかな嫌がらせであり、その場に仕事の用事で出向いた者にとっては業務妨害ですらある。
香澄がやったように記録を残してあるなら、それを提出してセクハラで訴えてもいいほどだが……そうするともれなく西園寺が出てきて圧力をかけてくるに違いない。
「…………居辛いでしょ」
「……うん」
でもね、と香澄は続ける。
「もういいの。すっぱり辞めることにしたから。辞表も出してきたし、有給も使い切っちゃうつもりで、申請書も出してきたから」
「……あんた、相変わらず思い切りはいいのね」
「だって、辛い辛いって言ってても状況変わらないでしょ?ただでさえ、権力者に脅しかけられてるんだから」
香澄が山崎と婚約関係にあったことは、当然『価値観が同じ』面々の中でシェアされている情報だろう。
それはつまり、今回香澄から一方的に婚約破棄を突き付けた……しかも彼が留守の時にご両親にその不貞の証拠を示したことを、薔子をはじめとするあのメンバーも知っているということだ。
薔子が不安定に陥った時は誰かがそれを支える、逆に誰かが不安定に陥った時は薔子がそれを心配して支えようと立ち上がる。
そしてそんな彼女をサポートしようと、他の男達も動き出す。
今回はまさに、そんな状況だった。
山崎とは何度かすれ違ったが、そのたびに話しかけたそうな顔で見送られている。
話しかけようと思っても、桐生家から山崎家に対して『純也君から香澄への接触を一切禁じてほしい』と要望を送っているため、それを律儀に守るしかないといった様子だ。
そんなもどかしげな山崎を見て、とうとう薔子が直接動いた。
彼女は仕事の依頼で何度か話したことのある香澄を帰り際に呼び止め、
『純也とちゃんと向き合ってあげて』
『純也は貴方を裏切ってなんかいない。誤解があるだけだから』
明らかに自分の方が山崎純也をわかっているといった口調で、そう語りかけてきた。
香澄がそれを断ると、彼女は寂しそうに「そう」とそれを受け入れてから、毅然と顔をあげて一言。
『私達の関係を理解してもらおうなんて思わない。私達は自分が自分であることを誇ってるだけ。それを理解できないなら、できないでいい。孤立するならしても構わない。純也も、そういう人なの。それだけは覚えておいて』
(要するに、理解できないなら近づくなってことよね)
そうして彼女は、自分達だけのユートピアに閉じこもったまま生きていくつもりだろうか。
他の住人を認めず、価値観の合う者だけで狭い世界を守っていくつもりだろうか。
哀しい人だな、と香澄はそう思った。
愚かだとか社会人としてどうなんだとか、そういう気持ちを抱く前に。
問題はその後だ。
薔子が直接香澄に接触した数日後から、仕事がうまく回らなくなった。
彼女の所属は総務部だ、その中でも香澄は他の部署からの書類作成依頼を受けて見積書やプレゼン資料などを作る、という仕事を任されている。
香澄が作る資料は先方にうけがいい、と言い出したのは営業部……他ならぬ、高梨薔子だ。
一番最初にたまたま香澄が作った資料をプレゼンに使った時、先方が随分見やすい資料だねと絶賛してくれ、場が和んで折衝が上手く進んだのだそうだ。
それ以来彼女は香澄を名指しすることが多くなり、そのうち他の営業部員達も頼み始めていつしか営業部専属と言われるほどにまでなってしまった。
そんな香澄に営業部から一切作成依頼が回ってこなくなった。
恐らく上が止めているのだろう、時折何も事情を知らない営業部員が資料を回してくるが、それは何事か伝達を受けているらしい総務部長に取り上げられ、他の社員に割り振られてしまう。
かといって他の部署からの依頼をこなそうとすると、これは個人依頼した仕事だからと先方の部署からやんわり断られてしまったりする。
特に顕著なのが『海外事業部』と『システム開発課』……この部署にそれぞれ誰が所属していたか考えれば、その反応も慣れたものなのだが。
(あっちゃー……これ完全に『辞めてください』パターンだよねぇ)
実際、権力に弱い風見鶏の総務部長などは、用もないのに室内を巡回して香澄の後ろを通りかかると
「桐生さん、君だけ暇そうでいいご身分だね」
などと嫌味を言っていくのだ。
なら仕事をくださいと直談判してみるが、任せられるような仕事なんかないと断られる。
仕方ないので資料棚の整理をしていたら、勝手に触ってどこに何があるのかわからなくしないでくれと文句を言われる始末。
これではいけないと思いつつも、どうにも身動きできない。
香澄の中では既にここで辞職の意思が固まっていたが、総務部長……ひいては西園寺専務の思惑通りただ辞めてしまうのは、どうにも癪に障る。
そんな折、辞めると言い出すのにおあつらえ向きの『事件』が起こった。
営業二課の若手社員が、どうしても香澄の作った資料がいいんですと直接頼みに来た。
彼女は入社して間もない頃に新規開拓の営業に回り、セクハラやパワハラに近いことを言われたりされたりして心がくじけかけていた。
そんな中で飛び込みで営業に入った事業所の社長が持ち込んだ資料を何度も読み込んでくれ、これなら話を聞いてみたいなと言ってくれたそうだ。
桐生さんの資料のお陰です、と彼女はそう言って笑う。
正直、今香澄が資料を作ればこの営業部員の立場が悪くなるかもしれない。
だが香澄を信用してキラキラと眩しい目を向けてくる彼女に、できませんとは言いたくなかった。
それは、自分自身にプライドを持っているという薔子や他の4人とは違い、香澄は自分の仕事に誇りを持っているからだ。
その場に総務部長がいなかったこともあり、周囲の同僚達も何も見なかったことにしてくれた。
プレゼン自体は上手くいったらしく、それなら良かったとホッとしたのもつかの間。
「上司に許可も得ず勝手に仕事を請けるなど、社会人として失格だろう!!お前は組織の人間だという自覚があるのか!?」
営業部からの苦情によりそのことを知った部長は香澄を席に呼びつけ、その場でわめき散らした。
辞めろ、という決定的な一言こそ最後まで言わなかったが、人としてダメだとか、お前は何年生きてるんだとか、お前に出来る仕事なんかないだとか、よく恥ずかしげもなくそこにいられるなだとか、営業部に迷惑をかけやがってだとか、デスクを掌で叩きながら興奮しきった口調で罵倒され、香澄は心の中だけで「お前が言うな」とだけ突っ込んだ。
そしてある程度言い切ったところで自分のデスクに戻り、更にその態度についてわめこうとした上司の前に退職願と辞表、そして有給申請書を纏めて突きつけ、
「引き継ぐ事項もないようですし、これで失礼します」
と告げてさっさと退社してしまった。
「……あんたのことだから、その罵声も録音してたんでしょ?」
「ボイスレコーダーって本当、便利だよね。昔のスパイ映画みたいにペン型のものまであるんだから」
暗に録音を肯定した香澄に、芹香はでかしたと喜ぶ。
「じゃあそれ、今すぐ寄越しなさいよ。明日にでも母に渡しとくから」
「え?弁護士頼むと訴訟だとかなんだとかオオゴトになるからヤだ」
「じゃあどうすんの、それ。今時、労働基準監督署に訴え出たところであんまり改善しないって聞くわよ?」
「だから訴えないってば。そのかわり、退職書類と一緒にうちの社長にメールで送っといたから。後は内々でどうにかするでしょ」
以前一度だけ、急ぎの用事で社長の資料を手直ししたことがある。
その時に使った社長直通のアドレス宛に、そのままだと握りつぶされそうだと判断した退職書類一式をスキャンしたデータと、総務部長の嫌味の数々プラス最後の罵声をセットで送りつけ、最終判断は社長に委ねることにした。
これで握りつぶされれば出るところに出るし、正しく対処してくれるならそれでいいかな、という程度だ。
「最後にね、部長がいいこと言ってくれたの。『営業部に迷惑かけやがって。それで俺がどれだけ西園寺専務に叱責されたか、一課の笹野君に睨まれたかわかってるのか』って。これ採用してくれたら、ちょっとはすっきりするかもしれないなぁ、ってね」
「…………すっきりしなかったら、ちゃんとデータこっちに寄越しなさいよ。仇とってあげるから」
「うん」
さて就職決めなきゃね、と香澄は既に終わったことのようなすっきりした表情で話題を切り替えた。
今の彼女にとっては、あの会社がどうなるかよりも余程重要な案件なのだ。
続いて総務部長ざまぁ。
社長にパワハラ暴露+恐らく左遷→退職の刑