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後日談:堕落して、女を捨てたと嗤う君

【 】の会話はドイツ語です。

※途中、母親に対する酷い表現が出てきます。その人物の主観であり作者の意見ではありませんが、全世界のお母様方気分を悪くされたらごめんなさい。


 たたた、と軽い足取りで動く歩道(ムービング・ウォーク)を駆けていく5歳ほどの黒髪の子供。

 彼は、歩道のベルト部分が終わるとそこでくるりと振り向いて、


お母さん(ムッター)、はやくはやく!】


 と、後から荷物片手にゆっくり近づいてくる30歳そこそこくらいの女性に向かって、ぴょんぴょん飛び跳ねながら手招きした。

 幸いまだ朝早いこともあってさほど混雑はしていないものの、客は彼ら親子だけでは勿論ないためちらちらと迷惑そうな視線が向けられたり、子供だから仕方ないかと生温かく見逃してくれたりする人もいる。

 とはいえ『子供であろうといけないことはいけない』ときちんと叱る、というのがモットーの義妹を見習って、彼女も子供達を甘やかしすぎないように多少の厳しさは見せながら育ててきた。


 これは当然叱るべき案件だろう、と彼女は嬉しそうにぶんぶんと手を振っている息子を抱え込むべく、重い足をどうにか動かして歩道を進み始めた、のだが。


【こら。こういう人の多い場所で騒いじゃダメだって言われてるだろ?お前が静かにしてないと、またムッターが倒れるぞ】

【そんなのヤダ!】

【だから騒ぐなって。……わかったら大人しく待ってよう?】

【…………うん】


(あらら、すっかりお兄ちゃんが板についちゃって。頼もしいなぁ、うちの長男は)


 長男は現在12歳、ギムナジウムでの勉強にも慣れてきたことで、ちょっとお兄ちゃんぶりたいお年頃になってきているらしい。

 対して次男は5歳とやんちゃ盛りで、毎日あれこれと問題を起こしてくれるので、母親としては気の休まる暇がないというのが正直なところだ。

 とは言っても、長男が次男ほどの年の時を思い返してみれば、やはりやんちゃで可愛らしい我侭ばかり言うような、そんな子供だったように思う。

 これは父方からの遺伝かしら、と彼女は自分のことは棚上げして出張中である夫のことを思い出し、くすりと小さく笑った。



【ねーねー、ムッターのファーターってどんなひと?】

【どんなって……そうねぇ…………普通の人、かしら】


 なにしろ初めて会う『日本のおじいちゃま』だ、父親譲りのブルーアイズをキラキラと輝かせてワクワクした表情で待っていた次男は、普通というつまらない返事に「えー?」と不満げに唇を尖らせた。


【なにそれ、つまんなーい】

【つまんないとか言わないの。リオルのことはまだ写真でしか知らないから、きっと楽しみに待っててくれるはずよ。それなのに、せっかく逢えたおじいちゃまに『なんだつまらない』って言われたら嬉しい?】

【…………うれしくない……】

【だったら、人が嫌がるような言葉は使わないこと。自分が言われた時どう思うか、まだリオルには難しいかもしれないけど、考えてみて。ね?】

【……うん】


 しゅん、と項垂れた次男リオルの黒髪を、兄はよしよしと撫でてやる。

 慰めてはやるが同調はしない、というのが彼らしい。


 彼もまだ今よりもっと幼かった頃、我侭を言ってはよく父や母を困らせたものだ。

 そんな時は父はあまり口を挟もうとせず、代わって母が懇々とわかるまで言葉を尽くしてくれたのを今でも覚えている。

 覚えたてのたどたどしいドイツ語で、時にはそれだけでは足りないからと彼女の母国語で。

 ただ頭ごなしに叱られるだけだったら、彼も反発して母を嫌っていたかもしれない。

 だが母は、理由もなく叱りつけることも、声を荒げて怒鳴ることもなく、静かな口調で子供でもわかるようにと何度も言いなおしながら、わかるまで付き合ってくれる。

 そして、わかったと判断したらもう同じことでは叱らない。

 そんな母が、だから彼は大好きだった。

 母を、『お母さん』と呼ぶ前からずっと。


『父さんがいない間、母さんとリオルを頼むよケヴィン』


(任せといて父さん。ぼくが母さん(カスミ)(リオル)を守るんだから!)


 そう意気込んだ長男ケヴィンの前に……正確には彼の前にいた母の前に立ち塞がる人影。

 守らなきゃ、と母の前に出ようとした彼はしかしずいっと突き出されたマイクに、目をぱちくりさせて動きを止めた。


「すいませーん、インタビューお願いできますか?」





『ジャジャーン!今週もやってきました、街角突撃インタビューのコーナー!今回のテーマは、街で見かけた素敵なご家族ですっ。まず一組目のご家族は、なんと旦那様がドイツ人、奥様が日本人という国際結婚をされたお母様と、その超プリチーな息子さんお二人にお願いしましたぁ!』


 お昼の生放送番組で、何処かで見たような女性芸人がマイク片手に愛想笑いを浮かべている。

 何となく見るとはなしにそれを眺めていた()()は、画面に映し出された親子の姿に目を見開いて固まった。


(ま、さか……ううん、でも面影はあるし……けどそんなことって)


 マイクを向けられ愛想よく対応している30代くらいのその女性は、今でこそ全身ふっくらとした印象で以前とは様変わりしているが、それでも忘れられるはずのない……憎らしい女。


 スタジオでは、美人のお母様ですね~、幸せそうなご家族ですね~、というコメントが飛び交っている。

 だが()()はそうは思わない。

 アレは負け犬だ、自分ひとりでは殆ど何もできないくせに周囲に甘えて頼って守られて、そうして卑怯な手段で邪魔なものを排除してきた、そんなことしかできない惨めな女だ。

 彼女と関わったことで、仲間達は散り散りになってしまった。

 あれだけ強い絆で結ばれていた仲間達を、傷つけ、貶め、そして命まで奪った、そんな彼女を絶対に許してなるものか。


「格の違いを見せ付けてあげるわ」


 女として、どちらが上なのか。

 街を歩けば、どちらに視線が向けられるか。

 男だって、彼女のようなぼんやりしたぽっちゃり型よりも、自分のようなスタイルのいい美人がいいに決まってる。

 ここ数年、環境が変化しても体型や容貌を変化させないように維持に努めてきた自分と、結婚したことに甘えてただでさえ平凡な容姿を磨くことを怠った結果、手足はむくみ顔も丸くなって『女であることを捨てた女性』と化した彼女。

 並んでいればどちらが選ばれるかなんて、考えなくてもわかる。



 そうと決まれば善は急げ、とばかりに()()はシャワーを浴びて念入りにボディオイルを擦り込み、メイクもばっちり決めてブランド物のワンピースを手に取った。

 そうして準備を済ませてから、パーティに出たいのと男に電話をかける。

 電話の相手は少し渋ったものの、いいだろうと最終的には頷いて了承してくれた。





 その夜、シュナイダー社主催のパーティが、都内の有名ホテルのパーティルームにて行われていた。

 総合商社USAMIとの業務提携はシュナイダーの日本進出時から決まっていたのだが、このたびUSAMIと元々協力関係にあったTKエンタープライズとも提携が決まり、それを祝して2日にかけて祝賀会兼顔合わせの会が開かれることとなったのだ。


 1日目の祝賀会ではマスコミやTKエンタープライズ以外の提携会社、子会社などを広く呼んで華々しく立食パーティを行ったのだが、2日目は『身内』の顔合わせと親睦を兼ねているため、リビング様式のこじんまりとしたパーティルームにて家族同伴で行われている。


 今回の中心人物であるシュナイダー社日本支部の総責任者黒崎響は、パーティ開始時からあちらこちらへと挨拶に回り、その妻であるリリーナも奥様方で集まって話に花を咲かせていた。

 そしてシュナイダー社本社の代表として、日本支部立ち上げの際は黒崎と共に尽力したアッシュフォード・シュナイダーもこの場に顔を出し、それぞれの代表者達の家族と談笑している。



 とそこへ、ホテル側に雇われているコンパニオンがドリンクの追加分を持って現れた。

 彼女達は談笑しているそれぞれのテーブルに出向き、頼まれた飲み物を正確に置いていく。

 そしてアッシュのいるテーブルにも飲み物が置かれたところで、そのコンパニオンの顔を見て何かを思い出したらしい男性が、「そういえば」とアッシュに話題を振ってきた。


「今日は君の自慢の奥様に会えると思って楽しみにしていたんだが……やはり、まだ?」

「すみません。ここのところ、こういったパーティへの出席は見合わせているんです」

「そうか、それは残念だな。それなら、せめて他の女性をエスコートしたらどうだろう?例えばそちらの彼女のような華やかなタイプなんて、パーティ向きだと思うが」


 そちらの、と視線で示されたコンパニオンは、ボルドーレッドのテーラードジャケットスーツを嫌味なく着こなす、スタイル抜群の華やかな印象を与える女性だった。

 確かに彼女であれば、欧州のはっきりした顔立ちの男前であるアッシュの隣に並んで遜色はない。

 むしろ華やかなパーティを彩る役割としては、既婚者であってもこういった職業コンパニオンをエスコートして場を華やがせる、ということもよくあるという。


 控えめに、だが明らかな女としての自信を覗かせる女性の微笑みに、アッシュは「そうですね、考えておきます」とだけ告げてゆっくりと立ち上がった。


「黒崎、ここを任せて構わないか?少し風に当たってくる」

「承知しました。そこの君、ボスに水を頼む」

「はい。すぐにお持ちします」


 アッシュの足取りが少し危なっかしいことに気づいた黒崎は、先ほど注目されていたコンパニオンへ水を持っていくようにと指示を出し、彼女がアッシュの後を追ってバルコニーへ向かったのを確認すると、彼の代わりにテーブルにつく。

 そして、愛妻家の彼にコンパニオンを勧めた男性へとにこりと裏のある笑顔を向けると、逃がさないとばかりに先手を打って話題を仕掛けた。


「先ほどは随分と興味深いお話をされておられましたね。パーティ向きの華やかな女性をエスコートしたらどうか、でしたか?どうしてそう思われたのか、具体的にじっくりとお話をお聞きしたいと思うのですが」





 アッシュがバルコニーに出て、人目につかない位置で一息ついたタイミングで、件のコンパニオンが水を持って追いついてきた。

「どうぞ」と差し出されたグラスを、彼は笑顔で受け取っておいしそうに飲み干す。


「ああ、ありがとう」

「いえ」

「………………まだ何か?」

「いえ、あの」


 誘いたそうに、彼女に目配せまでしてあの場を離れたのはこの男の方なのに、彼はどうしてまだここにいるのかと不思議そうに首を傾げている。

 そういえばドイツ人の男性はあまりロマンチックな誘いを口にしないと聞いたことがある、だから女性は思ったことを率直に告げる必要があるのだと。

 それなら仕方ないわね、と彼女はそれでも遠慮がちに()()()()()()仕草で彼を見つめ、「差し出がましいようですが」と小さく切り出した。


「シュナイダー様の立場では、どうしてもパートナーを伴わないといけない席がおありだと思いますが、そういった場にも奥様はご出席なさらないのでしょう?でしたら、私をお連れください。このような華やかな場には慣れておりますし、パートナーとして必要な話術や礼儀も心得ていると自負しておりますわ。もしお疑いのようなら、上司に問い合わせていただいても構いません」


 言いながら、そっと手を彼の二の腕に触れさせる。

 振り払われないのをいいことに、彼女は熱っぽい眼差しで彼をそっと見上げた。


 どれくらいそうしていただろうか。

 ふ、とアッシュは視線を外して息をつき、「やれやれ」と優しく瞳を細めて窓ガラス越しに彼女を見つめた。


「酔いを冷まそうと思ってここに出てきたのに、君の香りの所為で益々酔わされてしまったようだ」

「まぁ、そんな……もしご気分がお悪いようでしたら、部屋をお取りしましょうか?」

「いや。せっかくだが元々ここに泊まるつもりで最上階のスイートを予約してあるんだ。……今夜は素敵な夜になりそうだよ」


 堕ちた、と彼女は内心ほくそ笑んだ。

 いくら愛妻家だのなんだのと言われていても、彼女が本気で落としにかかって堕ちない男はいないのだ。

 案外簡単だったわね、と彼女は今日これからこのセレブな男に愛される時間を思った。

 そして、彼女が最も憎む女が泣いて悔しがる姿を思い浮かべ、悦に入った。



 と、そこへ思わぬ邪魔が入った。


「お楽しみのところすみませんが、アッシュ……奥様がお見えになりましたよ」

「あぁ、間に合ったか。それじゃ、愛しい妻をエスコートしてこよう。っとその前に……すまないが全身に消臭剤をかけてくれ。全く、香水やら化粧品やらの香りで悪酔いしてしまいそうだった。彼女にまでそんな思いはさせたくないからな」

「はいはい、()()()お疲れ様でした。動かないでくださいよ?」


 シュッシュッと全身くまなくスプレーされたアッシュは、仕上げに自分で襟や袖の匂いをかいでからひとつ頷き、満足げに室内に戻っていった。

 何が起こったのか、と信じられない思いで女性がガラス越しに室内に目を向けると、そこにはテレビで見たあの全体的にぽってりとした印象だった『いかにもお母さん』的な女性はおらず、代わりに顔や首、手足もほっそりとした、だが下腹だけがわずかにふくらみを帯びているのがわかるという程度の、可愛らしい印象の美人がいた。

 おなかを締め付けない、ふわりと柔らかなシルエットのドレスに、主張は控えめながらも品のいいネックレスとイヤリング、髪はアップにして纏められている。


「皆様、驚かせてしまって申し訳ありません。実は、私事ではありますが今日は私達夫婦の結婚記念日なのです。最近は妊娠中ということもありパーティへの出席を控えさせておりましたが、妻がいないことで色々とおもしろい誤解をされる方もおられる様子でしたので、里帰りのついでにと妻のお披露目をさせていただこうと考えた次第です」



 ギリ、と歯噛みする音が聞こえたことで、黒崎は耐え切れずにくくくと低く嗤う。


「先ほど興味深い話題を提供してくださったあの男性……昨日、貴方をエスコートしていましたね。ということは、彼にとって貴方はその場限定のステータスだったということでしょうか。まぁそれを確かめようにも、彼はそそくさと逃げ帰ってしまいましたし。それに、我々のパーティへの出禁も言い渡しましたから、もう会うこともないでしょうが。残念でしたね、計画が失敗に終って」

「……仰る意味がわかりかねます」

「おや、今更とぼけなくても結構ですよ。それよりわかったでしょう?アッシュを誘惑しようとしても無駄だということが。何しろ、奥様がこちらに来られると聞いて以降仕事になりませんでしたからね」


 謀られたのだ、と彼女が気づいた時にはもう遅い。

 アッシュがバルコニーに出たのも、黒崎が彼女に水を頼んだのも計算。

『益々酔わされてしまった』と言うのは、彼女のつけている香りを皮肉って。

『素敵な夜』にするのは、彼と最愛の妻。

 堕ちる堕ちないという段階ですらなく、彼女はただ彼らにいいように踊らされただけだった。


「さて、と。そろそろ気が済みましたか?派遣のコンパニオンはそろそろお仕事終了の時間ですよ。ですからどうぞお引取りを。……高梨薔子さん」




後日談が一話で済むといつから誤解していた?

……すみません、終らなかったのであと一話続きます。


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