うさぎのジョンとALS
1
俺はうさぎのジョンだ。
そして、伯父うさぎがALSだ。だからといって、何か変わっているということもない。俺はその伯父うさぎと関わっていないからだ。
毎朝ニンジン畑を耕して、それを売る、俺の毎日だ。
正直、伯父がALSになったといっても、俺に関係はない。病名も難しいし。
ところが、母さんうさぎが伯父うさぎのところに介護にいって欲しいと頼んできたのが一週間前だ。母さんうさぎも介護に疲れていろいろ大変だと電話で言っていた。その時俺は左手のまめをいじっていた。
その日の夜に母さんうさぎがやって来て、介護の説明と愚痴を俺は聞かされた。とにかく話しかったらしい。べらべらと伯父うさぎの状態と日頃のことを混ぜて喋っていた。母さんうさぎはうまそうにココアを飲んでいた。
それでALSのことが書いてある本を三冊ぐらい、俺の前に出した。
俺は本を読むのが嫌いだった。わら半紙の娯楽小説を読むので精一杯だ。ましてや、他人のために本を読むなんてできっこない。そう言って本を返したら、話だけでも聞いておいて欲しいとALSに詳しい医者のメモを渡してきた。話を聞くだけなら良いと思い、メモを受け取った。母さんうさぎが帰った後、俺はすぐ寝た。明日朝一番に医者の所に話を聞きに行くためだ。その日は良く眠れた。
2
次の日、俺は鳩の医者の所に言った。ALSの話を聞くためだ。鳩の医者は穏やかそうな顔をしていた。
俺は鳩の医者に言った。
「ALSとは一体なんですか?」
鳩の医者は言った。
「ALSはね、体を徐々に動かせなくなっていく病気だよ」
「最後は全然動けなくなる?」
「そうだよ、動けなくなるんだよ」
俺は伯父うさぎが寝たきりだとは聞いていたが、まったく動けないとは思っていなかった。少しブルーになった。
鳩の医者が言った。
「だけど脳の機能だけはちゃんとしてるんだ。患者さんは徐々に動かなくなっていく体をちゃんと意識しているんだ」
俺は言った。
「会話はできる?」
「進行してゆくと呼吸ができなくなるので気管を切開して人工呼吸器をつけることになる。君の伯父さんは気管を切開したから、喋れないよ」
会話ができない?じゃあ、俺は伯父うさぎをどう介護にしていけばいいんだ?母さんうさぎはだから疲れていたのか?
鳩の医者は言った。
「人工呼吸器を着けないとね、そのまま死んでしまうんだ。伯父さんは生きることを選んだんだよ」
俺は言った。
「治療法は?」
鳩の医者は言った。
「今のところはない」
俺は耳を疑った。治療法がない⁉じゃあ、伯父うさぎはずっとそのままなのか?俺は伯父うさぎの所に行きたくなくなってきた。
鳩の医者が言った。
「今の伯父さんは言葉も喋れない、体も動かせない、外とのコミニュケーションが上手く取れないんだ。目が動かせるくらいかな。でもいつかは目も動かせなくなる。意識はあるのに何もできないんだ。自分の中に閉じ込められてしまうんだよ」
自分の中に閉じ込められる?なんだそりゃ?俺はわけがわからなかった。俺は言った。
「そんなんで生きていられる?死にたくなっちゃんじゃない?」
鳩の医者は言った。
「確かに自分の中に閉じ込められてしまったら、怖くて恐ろしいだろうね。だからといって、自ら人工呼吸器を外して死ぬことは許されていないんだ。だから、気管を切開する段階で、閉じ込められてしまうことを考え、そのまま亡くなる方もいるんだよ」
俺は言った。
「どうしようもないんですか?」
鳩の医者は言った。
「治験といってね、まだ効き目があるかわからないが薬を試すこともできる。症状が少し改善したという話も聞いたことがある。だけど、ここでは決まりごととして治験はできないんだ」
「なぜですか?」
俺は言った。
鳩の医者は言った。
「まだ効き目がわからない薬を使うことは許されていないんだ。だから、今のところ治療法はない」
俺は後悔した。なんてことに関わってしまったんだ。俺には重すぎる。
俺はしょんぼりとして家に帰った。
その日のにんじんはまずかった。
3
俺がブルーになっていると犬が家にやって来た。犬は俺の友達だった。俺は伯父うさぎのことと、鳩の医者から聞いたALSのことを話した。一通り話し終えると俺はココアを飲んだ。ココアの味がよくわからなかった。
犬は少し考えてから、言った。
「それって、お前が関わる意味あるの?」
「?」
俺は言ってる意味がわからなかった。
犬が続けて言った。
「その気管切開をして生きること決めたのはお前の伯父さんと母さんなんだろ?だったらお前には関係ないじゃん」
俺はやっぱりよくわからなかった。
犬が言った。
「治らないのに介護してたらお前が疲れちゃうじゃん。その治験ってやつもできないんだろう?だから、死を選ぶやつもいるんだろ。その苦労を選んだのはお前の伯父さんと母さんの責任なんだから、お前がそれを背負う必要なんてないってことさ」
俺は犬の言うことにひっかかった。それは俺がブルーだったからかもしれない。
「だけれど……」
犬は言った。
「それに、お前が関わって介護しようと思ったって、それはただの憐れみからだ。お前が治ることのない伯父さんを憐れんで介護するんだ。そんな一時の感情で受けるにしては苦労が大き過ぎるよ」
俺は黙ってしまった。
犬は言った。
「『俺はやりたく無い』とお前の母さんに言ったって、きっとわかってくれるよ。それぐらい大変なことなんだから。俺には関係ないと、見なかったことにすればいいのさ。どうしようもならないからね」
犬は帰った。俺はもやもやしたものがたまっていた。その日もにんじんはまずかった。
4
俺は気分転換に散歩に出た。だけどやっぱりブルーだった。川辺を歩いていると、
「こんにちは」
声をかけてきたのはカモノハシだった。カモノハシは俺の友達だった。
カモノハシは言った。
「なんだか伯父さんのことで大変だって聞いたよ」
俺は伯父さんうさぎのことと、鳩の医者から聞いたことと、犬に言われたことをカモノハシに話した。
カモノハシは言った。
「それは大変だったわね」
俺は言った。
「俺はなんだかわからないよ」
俺は頭を抱えてしまった。
カモノハシが言った。
「QOLって、知ってる?」
「知らない」
「クオリティ・オブ・ライフといって、ALSのような難病の患者さんが、人生の当たり前の幸せを得ようということよ」
俺は黙って聞いていた。
「伯父さんはALSだけど、普通に幸せになる権利を、健康な皆と同じようにちゃんと持ってるの」
俺は言った。
「動けないのに?喋れないのに?」
「そう。動けなくても、喋れなくても、私たちと同じなのよ。」
俺は少し気が楽になった。
カモノハシは言った。
「あなただって、困っていたらいろんな人が助けてくれるでしょう?ALSは大変だけれど、そう言って認めてあげなくちゃいけないんじゃないかしら」
俺はなんでカモノハシがそんなこと言うのか気になった。俺は言った。
「なんでカモノハシはそんな風に言えるの?」
カモノハシは言った。
「それはね、お魚のお医者様に聞けばきっとわかるわ」
カモノハシは俺に魚の医者のメモを渡した。
その日、俺はよく眠れた。にんじんもおいしかった。
5
次の日、俺は魚の医者のいる湖に行った。湖は村の外れの寂しい所にあった。
湖に「おーい、お医者さーん」呼びかけたら、魚の医者が出てきた。
魚の医者は言った。
「カモノハシから話しは聞いた。来たまえ」
俺は湖の中の魚の医者の家に入った。
俺は言った。
「伯父さんがALSになったことをカモノハシに話したらあなたを紹介された。あなたは何をしているの?」
魚の医者は言った。
「私は治験をALS患者さんにしているんだよ」
俺はびっくりした。
「でも、治験はしてはいけないんでじゃ?」
「そうだよ。だから、私は村外れの湖に住んでいるのさ」
俺は魚の医者のことがわからなくなった。
俺は言った。
「あなたはなぜ、治験をしているの?」
「それはね、皆の世界の中でALS患者さんの思いが届かないでいるのが嫌だったからだよ」
「皆の世界ってなに?」
魚の医者は言った。
「それは私や君のことさ」
「俺やあなたが世界なの?」
「私や君のような個人がいっぱいいっぱい集まって世界ができている。その中にはもちろんALS患者さんやいろんな方がいる。だけど集まった個人はいろんな差がある。だけど、世界はその一人一人に目を向けられない。一人一人見ていたら大変だからね。だから、集まった数を割って、平均の姿を出すんだ。そこからいろいろなことを決めている。ALS患者さんはきっと、その平均からはずれてしまっているんだね。だから、上手く認めてあげられないんだ。私はそれがおかしいことだと思った。世界に生きているのは平均の一人じゃない。私たちは世界に対して一人の身で関わっているんだ」
俺は魚の医者がなにを言っているのかわからなかった。
「つまり、どういうこと?」
「私たちが、ALS患者さんや皆の思いが届く世界を作れたらいいねってことさ」
俺もそういう世界が良いと思った。
「そういう世界に、できるかな」
魚の医者は言った。
「世界は君自身だよ。君の思いがあれば、きっとできるさ」
6
魚の医者から話を聞いた後、家に帰った俺は伯父うさぎのところへ行く準備を始めた。
俺はいつものようにニンジン畑を耕した後、伯父うさぎの家へ向かう。俺は伯父うさぎにまず笑いかける。そしてこう言うだろう。
「こんにちは、伯父さん。ジョンですよ。母から頼まれて来ました。これからよろしくお願いします」
ってね。
おわり