1:部屋の扉があわただしく開くとき、全ては始まっている
日本は衰退し、東京に一極集中して高層ビルが立ち並ぶ夜の都会の中――――特に高い奇妙な形をしたビルの、最上階から私は外を見る。
「はぁ…………。」
ため息を付くのはもう何度目だろうか。
サラリーマンが外を出歩くなんてことももう見なくなった。
外は、都会の喧騒とは程遠く、ひっそりと静まり返り、虫の声がこんなところまで聞こえてくる。
―ん?こんなところまで虫の声が?二百メートルも音届くような化け物虫がいるのか?
さすがにおかしいと思い、後ろを振り返ると執事の嘉山が虫かごをもって立っていた。
さっきから鳴り響く音の正体はこれだ。
「はぁあぁあ~……。」
私は大きくため息をつく。
「これでため息を付いたのは今日だけでも38回目ですよ、凛お嬢様。少しつきすぎではないでしょうか?」
「まぁそうね………でも仕方ないじゃないなにもすることがないんだから!というかそんなことを数えているなんてあなたもそうとう暇ね……………。」
嘉山は肩をすくめる。
「ええ、まぁ。お嬢様が黄昏ているようでしたので、雰囲気作りにちょっとそこまで鈴虫を捕って参りました。」
「あら、このあたりに鈴虫なんているのかしら?」
「はい、ちょっと山梨のあたりまで。少々住民と闘争がございましたがまぁなんとか。」
「なにやらかしてるのよ………。それより山梨はもうその辺りじゃないでしょ……。」
「やはり装甲車でいったのがまずかったのでしょうか…………。」
「いや、ほんとになにやってんの!?」
「しかし、凛お嬢様。最近は物騒と聞きますし、あいにく戦車は出払っておりましたので。」
「出払っててよかっわ!っていうか戦車は逆にどこいってたの!」
「なに、ほんの千葉までご主人様がgolfに行かれましたよ。」
それをきいて頭を抱える。
「あのアホ………なにかあったら「次はお前が継ぐのだから」とかなんとかいってなにかあったときの後始末全部押し付けるくせに……。」
「すでに一件交通事故が発生していて、その書類がこちらでございます。」
そういって嘉山が書類の束をわたしに押し付ける。軽く文庫本並みの量はありそうだ。これを毎月のようにやられるからたまったもんじゃない。
「」
「なんでも、「ちょっと」すっちゃったらしいですよ。」
「ええ、「ちょっと」すっちゃっただけでなんでこの紙の量になるのかしらねぇ。」
私が紙を捲りながら不機嫌そうに言う。
「世の中には不思議なことはあるものですよ、凛お嬢様。」
「そうね、そうだけれどこれは絶対違うと思うわ!」
はぁ、と、紙を机に投げ出してからソファーに飛び込むようにして座る。そして右手で頭を抱える。
「っと、これで39回目ですね。今日はなかなかいいペースです。」
左手も追加して頭を抱える。
そのまま考えること数秒、結論をだす。
「あ゛~~~~!全部あのアホのせいだ!」
あんなに破天荒でアホで後先を考えない人がなんでこんな大企業を経営出来るのか不思議でならない。
もう一度大きくため息をついてから、よそ行きの口調で嘉山に尋ねる。
「ねぇ、嘉山。お父様は昔はどのような人でしたの?」
「はい、凛お嬢様のお父様は大層頭がよろしくて……授業を真面目に受けず、ノートもまったくとらなかったのにテストで満点を取るようなお方でした。」
「いわゆる不真面目秀才ね………先生が一番困る生徒の鏡だわ……。」
「それ故に呼び出されることも数え切れぬほど………。」
嘉山がハンカチを取り出す。
取り出しただけだけど。「自分でいうのもなんだけれど私って随分真面目だったのね。」
嘉山が苦笑いをする。
「まぁ、一回だけ呼び出されたことがありましたけれどね……。」
「…………………?」
思い当たる節がない私は、記憶の糸を辿る。
高校三年の時――――特になし。
高校二年の時――――特になし。
高校一年の時――――あら、なにかあったようなきもするけれどなにかあったかしら……?
私が考え込んでいると、嘉山が助け舟をだす。
「あれですよ、凛お嬢様が担任の教師までもを泣かせてしまった……。」
ようやく思い出した。忘れていたということは、私にとって都合の悪いことだったのだろう。
「あ゛ー…………いや、でもあれは私のせいじゃないわ!」
高校一年の時―――セクハラを働いた男子生徒に、蹴りを喰らわせたところどうにも当たりどころが悪く、一週間入院するはめになった事件だ。駆けつけた担任が、その後お見舞いに行こうといったが私が断固拒否。そこから口論になり最終的に担任が校長に泣きついたというわけだ。
嘉山が含み笑いをする。
「しかし、凛お嬢様も随分わんぱくでしたね。」
「あの後はちゃんと真面目にしてたからいいでしょ……!」
あーもうあのことは思い出したくない。
結論を言えば、お母様に押し切られ、一応お見舞いにはいった。
あそこまで屈辱的なことは前にも後にもなかった。
突然、ドカドカと足音が聞こえてくる。
「あら何事かしら。」
そして、バーンと勢いよく扉が開く。
中に、私のお父様が駆け込んでくる。
それに向かって嘉山が頭を下げる。
「明日、美術館に行くぞ!」
「ドアを開けるときはノックするようにと何度もお父様に言ったはずですが?」
「リザーの美術館の招待状が来た。」
「ドアを開けるときはノックするようにと何度もお父様に言ったはずですが?」
「何度も行ったことはあるが……これは社交辞令だからな、そう不機嫌になるな。」
「ドアを開けるときはノックするようにと何度もお父様に言ったはずですが?」
「まぁお前へのサプライズもあるから、期待していいぞ!」
「ドアを開けるときはノックするようにと何度もお父様に言ったはずですが?」
「明日、午前9時出発だからそのつもりで!ではまた明日!」
そういって扉も閉めずにどかどかと出て行った。
その姿を私はため息をつきながら茫然と見送った。
「毎度のことだけれど………今回はかなりひどいほうね………。」
「いつもとお変わりない様子でなによりです。」
嘉山がニコニコしながら 言う。
このまま無視するわけにもいかないので、今一度お父様の言葉を思い出す。
―リザーの美術館の招待状が来た。
これはよくあること。いちいち行くのがめんどくさいが、こればっかりはどうにもならない。
―何度も行ったことはあるが……これは社交辞令だからな、そう不機嫌になるな。
確かに、もう展示品は見飽きた。ただ、不機嫌の理由はそこじゃない。
―まぁお前へのサプライズもあるから、期待していいぞ!
サプライズは言ってしまったらサプライズじゃなくなるような気もするが、それよりも内容だ。どうせろくでもないようなことなんだろうけど。
「ねぇ嘉山。お父様が何か企んでいるのを聞いてないかしら?」
「そうですね………………あぁ、お見合いの件でしょうか。」
「はぁあ?」
「おっとこれはいってはいけなかった……まぁ言ってしまったものは仕方ありませんね。リザー社の三人兄弟と、お見合いをするとおっしゃっていました。」
突拍子もなさすぎて、わめくことしかできない。
「なによそれ!私、そんなの聞いてないわ!」
「でしょうね、誰も言ってませんから。」
頭が痛くなってくる。
いつもお父様の破天荒ぶりには振り回されてきたが、今回のは飛び抜けて突拍子もない。
確かに、もう高校も卒業して18歳も過ぎたから、彼氏の一人や二人ぐらいいてもおかしくはない。ただ、高一のあれ以来寄りついてくる男子が減ったから………。
というか唐突過ぎるしなによりお見合いとか何時代の話ですか。
まったく会ったことのない人と無理やりしゃべらされるのは苦痛以外の何物でもない。しかも、相手的に考えてどう考えても政略結婚?に近い。それで国が良くなるというのなら、そんな犠牲になるのは御免だ。
そして、私はさらに悪いことに気がつく。
「ねぇ、今三人って言った?」
「ええ、間違いなく。」
「どういうことよ三人って!同時に三人とお見合いだなんて聞いたことないわ!」
「しかしながら、三人というのは三人人がいる、つまり頭が3つですな。」
「あ゛ーも゛ー!」
ここまで意味が分からないというか、お父様が暴走したのも初めてかもしれない。
そんなことをされては嫌なので、なにか回避する方法がないか考える。
「なにか………なにかこんな馬鹿けたことから逃れる方法はないかしら…………。」
「しかし、凛お嬢様が思いつくことはすでにお父様が手を打っていると思われますよ。」
「確かにそうだけど…………でも……~~~~!あ、お母様は?さすがにお母様だけは反対してくれるはず……!」
コンコン
「凛、入りますよ。」
ガチャっと扉が開き、お母様が中に入ってくる。
「お母様………!」
少し期待に満ちた目でお母様を見つめる。
しかし、そんなことは気にもとめずに、スタスタと入ってくる。
そして、そこから発せられる一言は私の予想を大いに裏切った。
「凛、さっきからなにをバタバタと騒いでいるのです。明日は、あなたにとっても、会社にとっても、日本にとっても大事な日なのですから。今日はもう寝なさい。明日は、あなたが思っているより早いですよ。」
「はい…………。」
こんなことをいわれては頷くしかない。
お母様は、それだけ私に伝えて、直ぐに出て行ってしまった。
それを、入ってきた時とは正反対の目で見送る。
「嘘でしょ………お母様まで…………。」
最後の希望は打ち砕かれた。涙が出てきそうだ。
力が抜け、どっと疲れが沸いてくる。
明日が不安でたまらない。
「嘉山………私、もうねるわ…………。」
「はい、お休みなさいませ、凛お嬢様。」
ふらふらとした足取りでそのまま布団に潜り込む。
思ったよりも疲れている。
―いきなりお見合いだ、なんて言われて……疲れないわけはないか……………。
幸か不幸か、その後思い悩むことなくすぐに眠りにつけた。