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1 ディーバ

3年ぶりに書いた小説です。

長い停滞期だった……、でもちゃんと書けるみたいで安心しました。

感想や評価をもらえると励みになります。

一言からお気軽にどうぞ!

よろしくお願いします。

 もちろん、彼はディーバなんていう洒落た名前ではない。


 ちょっと前までは、ただの英数字の組み合わせで呼ばれていたし、その前はラテン語の連なりが彼の名前だった。さらにその前は神話の怪物の名前がつけられていた。その更に過去へと時間を遡れば、彼は名前などという不自由なものはもっていなかった。

 一人きりで生きていたのだ。

 

 今は、傍らに、一人の人間の男がいる。彼に小洒落た名付けた男。


「ハカセ。ハカセ」

 ディーバはこの男を「ハカセ」と呼ぶ。

 もちろん、この人間の男は博士ではない。なんの学問も持たない男だ。

 男もまた、ちょっと前までは名前などなかった。

 ディーバが口を開いて、きちんと聞こえる声を放てるようになってやっと、男にその名前がついたのだ。それまでは名無しの男だった。名を呼ぶものなどいなかったから。

 その前は、男は「最高に幸運な奴」などと呼ばれていた。それから、愛しい人と、甘い声がそう呼んだ。そのずっと前に遡れば、この男も、あまたの人間と同じように自分だけが持つ名前を掲げていた。


「ハカセ、ねえハカセ。なにをしているの?」

 ディーバは距離を縮めて、男の顔をのぞき込んだ。

 自分を見るその瞳に、男は苦笑する。まるで人間そっくりの仕草だったからだ。

 男はせわしなく動かしていた手をいったん止めて、ふぅと、わざとらしいため息をもらす。

「なあ、ディーバ。おれは博士じゃないって何回言ったらわかってくれる?」

「わからない。それは真実ではないからわからない」

 言葉を探して目を閉じる男に、ディーバは言い募る。

「ハカセはハカセだもの。こうやって、ディーバの側に立つ人間はすべて」

「おまえ、ちゃんと目がついているんだろ? 耳も。

せっかく作ったんだからきちんと使ってみろよ。もっとよく見て、よく聞いてみろ。全然ちがうだろ、博士と」

「側にいるヒトはハカセ」

「……まだうまく見えていないのか?」

「見えている。ハカセの睫は昨日より3本少ない」

 男は面食らって、まじまじとディーバを見返した。ディーバはその視線を受けて得意そうですらある……と思った。それに表情があるとは言い難かったけれど。

 それから、つとディーバの大きな瞳から視線をはがして、元の作業に戻る。


 肉。魚。穀物。野菜。果物。それ以外。破損の激しいもの。容器の変色しているもの。きれいなもの。ごくまれに、保存期間の短いもの。好きなもの。嫌いなもの。


 手慰みに缶詰を放り投げたりしながら、仕分けていく。

「この白衣がいけないのかねえ。でもこんな薄っぺらいもんでも、着ているとあたたかいんだよ。半袖で機体に乗り込んじまったからな。他に着れそうなものはないし」

 男は半分独り言をつぶやくような気分で、そう言った。

「別にこれを着ているからって、だれもが博士になるわけじゃないんだぞ。みんなちがう人間だ。少なくとも俺は違う、博士じゃない。一緒にしないでくれ」

「ハカセ、なにしてるの?」

「幽霊でも見えてるのかね」


 自分で言っておいて全然笑えない。

 こんな場所で言うにはたちの悪い冗談。


 ぎくりとしてしまったのを、誰にともなく隠そうと肩をすくめる。

「今ある保存食の整理をしているのさ。なにがいくつあって、どれくらいのペースで食べればどれだけもつか」

 男は缶詰を左手でいじりながら、適当な紙にボールペンを走らせていく。懐かしい感触。調子よく書き進める手がふいに止まる。

 左手でさわっていた缶詰がいつのまにか消えている。目をやると、ディーバの唇が無音でのそのそと動いていた。


「……どこやった?」

「食べた」

「……そのまま?大丈夫なのか?」

「なにが」


 缶詰、それも大きな缶詰だったのに、なんともないように見える。でも、缶なんてそもそも食べ物じゃないし、この生き物の体内でなにか特別な反応を示すかもしれないのだ。悪いことが起きた場合、なんにもしてやれないのに。


 本当は博士でもなんでもないのだから。


「やめろよ、アレは俺の好物なんだから」

「なに?」

「ビーツのスープ。味は認識できないのか?」

「味覚は必要がなかったもの」

「そうだな。これからは、ミライと胃袋も真似した方がいいんじゃないの。それなら安心だ」

「食料が減ってしまうよ、ハカセ」

「さっき食べてたじゃないか。別に構わないさ。遅かれ早かれなくなるんだからね。それに楽しいぞ、味がわかるようになると」

「やめておく。必要がないもの」

 男は言葉を連ねようとして、思いとどまる。

 確かに、人間の味覚と胃袋では、この星で長く生きられないだろう。

 ディーバは、彼は、賢い。男の両目はその姿をとらえる。


 静かな音楽のようなその姿。複雑で静謐で。




 この生き物と、この場所、そして大量の保存食はつい最近見つけた。

 ここはどうやら、簡易な研究所だったようだ。

 博士がいて、彼がいた。

 男は、彼のことをなにも知らない。データを探れば色々なことがわかるだろう。でも男はそれをしなかった。必要がなかったのだし、こちらだけが相手の多くを一方的に知るのはイーブンではない。それに恐ろしくもあった。

「なに、ハカセ」

 見つめられて、ディーバが問う。こちらを見返す瞳は、男がなにを考えているのかを想像しているように見える。


 そんな高度で人間らしいことができるのに。

 ディーバは男を博士としか識別しない。彼の横に立つ人間は全て博士で、この男という個体を認識できないのである。

 男は思う、もっと彼が人間らしくなった暁には、自分という個人を認めてくれるのだろうか。

 ハカセと呼ばれるたびに、おきまりの返事しか返ってこないことを知りながらも繰り返さずにはいられない。


「俺は博士じゃないよ。怖い奴じゃない。だからそんなふうに、俺を怖がらないでくれないか」

お願いだから、わたしを怖がらないで。

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