第二十一話 ワル、気づかぬ危機
「うう……ジェネラルのバカ……」
涙で濡らした頬を拭うことも無く、デルフィニウムは休憩室の隅で小さくなっていた。
まだ業務が始まったばかりの朝の休憩室は人一人居らず、その静けさに心細さを覚える。
心細さは疑念を生み、猜疑心を更に強くした。
何故、あんなダメな悪が庇われて、自分の意見が通らないのか。
理不尽が嫌だった。そんな理不尽に涙するしかない自分も嫌だった。
もっと力があれば変えられたのだろうか。
「……私は……無力……」
もう何も考えずにヒーローも辞めてしまおうか。折角、好きな人を誘ってまで始めたヒーローの仕事だったけれど、向いてなかったんだ。
そうネガティブな思考が過ぎり始めた時だった。
「いや、君は無力ではない」
「っ、誰ですか!」
突如、独り言に返された力強い否定。背筋を刺すような冷たい響きの低い声に、デルフィニウムは警戒を露わにした。
その声の主は、休憩室の窓に悠然と腰かけていた。肩ほどまで黒髪を伸ばした、どこか中性的な男――ハスキーボイスの女の可能性も否めないが――だった。ゆったりとしたロングスリーブTシャツにジーンズというラフな服装。恰好だけ見ればどこにでもいるような男性である。
侵入者。デルフィニウムは一瞬で判断し、腰に備えた自分の武装――鞭を引き抜き、構えようとして、それが成されることは無かった。
ほんの少し、武器を抜くという判断から、つい武器に意識を少しだけ向けてしまった。
それだけの、ほんの一瞬。まるで瞬きの合間でも縫うかのように、男は自分の隣に佇んでいた。
「君は無力ではない。少しばかり思い切りが足りないだけさ」
「な、何を言って……」
「だから、ほんの少し、思い切ればいい」
男の冷徹な笑みに背筋が凍る。笑顔なのに……笑っている筈なのに、まるでこの男の笑みからは何の感情も感じられない。
デルフィニウムは本能からこの男が危険な存在であると認識しつつも、一方で蜘蛛の巣にかかった蝶のように逃げられない自分にも、どこか客観的に気づいていた。
もう絡め取られてしまったのだと。ならば―――。
「そう、ほんの少し思い切ればいいのさ。そうすれば、世界はもう少し面白くなる」
ならば、その言葉に従った方が、きっと自分の思った通りに世界が変えられるのではないか?
既にデルフィニウムは、男の言葉に完全に呑み込まれていた。
「……そう、思い切れば……いいんですね……」
虚ろな瞳で、そう頷くデルフィニウム。
男はその反応に満足げに頷き、休憩室に新たに入ってきた巨漢もまた、その光景に醜悪なまでに端を吊り上げた笑みを浮かべた。
コンコン、と控え目なノックの音がスロスの執務室に響いた。
「! デ、デルフィニウム君か!? は、入ってくれたまえ!」
音を立てて椅子から立ち上がったスロス。
おどおどとした感じにゆっくりと扉を開けて現れたのは、スズメの顔を模したような被り物をしたスパロウマンだった。
「す、すみませんスロスさん……デルフィじゃないです」
「ああ、スパロウマン。……君か。いや、すまなかった。ちょっと取り乱したよ」
ゆっくりと椅子にまた腰を戻して、やや沈んだ声でスロスは答えた。スパロウマンに非は無いのに、落胆を隠しきれない声音になってしまったのは、上に立つ人間として恥ずべきだろうなと頭を抱えた。
「本当にすまなかったね。で、どうしたんだい。何か用でもあったかな?」
「あれ? 僕、スロスさんに呼ばれて来たんですが?」
「私に……? おかしいな、特に呼んだ覚えはないのだが……」
二人が、互いに疑問符を浮かべて、呼んだ、呼んでない、という話を続けていると今度は無遠慮に扉が開けられた。
扉のすぐそばにいたスパロウマンが驚きに飛びあがる。
スロスもまた、つい椅子の上で身構えそうになって、扉の陰から出てきた人物にホッと息を吐いた。
「良かったデルフィニウム君! 戻ってきてくれないから心配していたよ」
仕事を投げ出すわけにもいかずに立ち往生という状態が、やっと終わりそうだとスロスは溜まりに溜まったため息を吐き出した。
スパロウマンに手のひらを向けて「ちょっとだけ待ってね☆」という合図を送る。
スパロウマンが「あ、ハイ」といった感じに頷くと、スロスはそそくさと立ち上がってデルフィニウムに近づいた。
「本当にすまなかった、デルフィニウム君。前回、今回の件と合わせて私ももう少しメルー様達に対処する。そして仕事もしっかりとする。途中でSNSをするのはもうやめて、休憩時間にするだけにする。だから頼む、実務に戻ってくれ! 一時間でも君がいないだけで実務がすごい滞ることがよくわかった! 君がまだまだ納得いくような内容ではないのはわかるが、今だけはこれで(ガチャ)許してほし……ガチャ?」
長々と続く言い訳の終わり際に、スロスの手元の辺りから奇妙な音が聞こえた。
首を傾げながら見ると、無骨で飾り気のない大きな手錠がデルフィニウムの手によってはめられている。
「こ、これは……?! デルフィニウム君、なぜこんなものを!!」
「……あー」
顔を上げたデルフィニウム。その瞳を見てスロスは息を呑んだ。
虚ろに曇り、視点が定まらないように泳いでいる目。その瞳からは全く生気が感じられなかった。
生気、活力……それら人が力とし得るもののかわりに、彼女の瞳に満たされているのは、純然たる狂気。
今の彼女と同じような眼をスロスは過去に見たことがあった。
「これは、洗脳……ッ!」
「スロスさんッ!? デルフィ何をしているんだッ!!」
「……邪魔をしないで……」
デルフィニウムに近づいてその肩を掴んだ瞬間、スパロウマンが吹き飛んだ。
ただの左拳の一撃だった。それを受けただけでスパロウマンは後ろの壁まで吹き飛び、驚きと強烈な痛みにうめき声しか上げられなくなっていた。
スロスはその光景を目の前にしながらも、動くことが出来ない。
いや、動けなかったのだ。原因は彼自身がよく理解している。はめられてしまった手錠が原因だった。
「まさか味方にこれを……呪いの手錠を使われるとは……不覚……」
がくりと膝をついて、無念の声を漏らすスロス。
手錠の名は『スーパー●ーポ君ver6.40送り』。封印されし呪いのマスコットの力を用い、手錠をつけた人間のパワーを封印して署まで来れるようにする、対侵略者用のアイテムである。
効果中は不思議なマスコットがモザイクとともに手錠から現れる優れ物だが、今はそんなモザイクかかったマスコットのへらへら笑ったような絶妙な顔が非常にウザい。
「スロス……あなたはもう、いらない」
言葉とともにスロスに密着するデルフィニウム。すぐにドンッという強い衝撃音の後、スロスはだらりと崩れ落ちた。
「そ、そんな……スロスさん……!」
史上最強のヒーローであり、多少サボりぐせがあるが優しい自分達の上司。
そんな自分達のよく知る最強のヒーローが今いとも容易く崩されてしまった事実。
絶望の光景に、スパロウマンはそれでも立ち上がろうとした。
――僕が、この事をみんなに知らせないと。全てがおかしくなる前に。
自分に出来る唯一にして無二の行動。
戦うことは無理だが、それでも逃げて伝えるだけなら―――。
立ち上がろうとするだけで身体が軋み、すぐさま床に倒れ伏したくなる。
至る所の骨も折れているのか、強烈な痛みで涙が止まらない。
しかし、そんな痛みに耐え、彼は力強く立ち上がった。
気力を振り絞って走り、デルフィニウムの横をすり抜け、半開きになっていた扉を掴むと同時に弾くように横へと投げた。一歩、二歩と進む。後、もう少し、先まで……ッ!
廊下に出られる! 後は逃げるだけ―――
しかし、その安易な考えはすぐさま砕け散った。
扉のすぐ横から、道を塞ぐようにして現れた巨大な弾力のある"何か"によって粉々に粉砕されてしまったのだった。
その弾性によって吹き飛ぶようにしてまた執務室へと戻されたスパロウマンは、倒れた身体を起こしながら扉を見やった。
確実に通れたと思った瞬間、現れた肉壁。
それはよく見れば、腹だった。
たるんでたっぷりとパンツからはみ出してしまった肉を、惜しげも無く見せつけるそれは人だ。
あまりに規格外な超がつくほどの太った巨漢だった。扉に入るのかというくらいに巨大だ。
「ククク、失礼しますよ……」
巨漢はあっさりと扉と壁を壊して入ってきた。なんて不便なんだろうという場違いな感想がスパロウマンの頭に渦巻くが、今はそんな場合では無いと立ち上がった。
「もうそろそろあなたの役割がわかってきたんじゃないですか? スパロウマン」
巨漢の一言に、スパロウマンはこれ以上は無理か、と――――拳を握り締める決意を取った。
***
つまらないと言った表情を作るブルーシェリフが居座ってきたのは、前回の一件で大破以下中破以上したハビソン号の修理とメンテナンスをしている最中の事だった。
隣に密着してぶーたれてるから作業がやり辛くて敵わん。
なんでこの子俺に密着したがるのよ? 業界的にはご褒美なんだけど、今ばかりは相棒を労わってる最中だから勘弁して欲しい。
「……すっげーやり辛いんっすけど」
「そうですか。知りません」
うーん、天使がご立腹なんだけど、知恵袋に書けばこういう時どうすべきかピッタリな答えって貰えるかな?
「こうしてるのに構ってくれない悪童君なんて知らないんです」
「うん、俺もほらやらなきゃならんことがあるからね? 遊ぶのは終わってからね?」
「……遊ばなくてはいいんですけど……」
何やら『コイツわかってねえなあ』ってオーラを全面から放たれる。
いや、わかってるよ。不機嫌な理由を聞いて欲しいって思ってるのはわかってんのよ。
でも、幾らブルーシェリフが俺の中で初めに出会った天使のような愛しいヒーローだとしても、その理由は聞いてやれない。
なんかこう、彼女の不機嫌さは私事ではないような臭いがプンプンするのだ。
そういうのは、もう聞くだけで済し崩し的に巻き込まれるような気がする。
インターバルって重要だと思うのよ俺。下着泥棒の一件で俺疲れたからあと数日は平和に過ごしたいのよ。切実。
「……実はですね」
すみません、強制イベントだったみたいです。
拒否権とか無いよね? 無いよね……。
「最近やっと近所のパトロールみたいな簡単なお仕事以外のお仕事を任されるようになってきてたのに、突然今度は自宅待機命令になっちゃったんですよぉぉ……うううううう……ううううううう――ッ!」
「やらかしたの?」
「確かにこの前の下着泥棒の一件は失敗みたいなものだったんですけど、ジェネラルスロスが『誰にでも失敗はあるから大丈夫だ』って言ってくれてたんですよッ! なのにぃぃー……ぐす」
目尻に涙をためながら、ありったけの不満を吐き出すようにブルーが言葉を放つ。
下着泥棒の一件など俺と絡むことも多い一方、彼女は彼女なりの活動をしており、それが実力を認められるに足る実績を打ち出しているらしく、ここ最近は大分仕事がステップアップしていたそうな。
折角組織の一員として頑張れているという気分だったのに、突然の自宅待機命令のせいで出てき始めた自信まで折られたと言ったところか……。
ふふ、この折れた心を優しく包んで戻してあげれば、この娘のフラグもピンコ立ちしちゃうんじゃない? タイトルが『悪の戦闘員だけど彼女がヒーローな件』になっちゃうぜ?
「どうなってるんですか、もおおぉ……」
頭を抱えて悩み始めてしまったブルーに、俺はこの言葉を送ることにした。
「時が解決してくれる」
「それじゃあダメなんですよ悪童君! わたしはいますぐヒーローの活動がしたいんですしたいんですしたいんですぅッ!」
何この子人助けジャンキーなの?
「勝手にパトロールしてりゃいいじゃんよ。俺ならそうする、誰だってそうする」
「ダ、ダメですよ。一応、お給金も出るお仕事みたいなものですから、上からの命令には従わないと」
「なんて夢も希望も無いんだ……国営じゃない警察みたいで嫌だな」
「うー、うー」
「はいはい、じゃあハビソン号の修理は置いて一緒になんかやってやるから、基地行くぞ基地」
「わぁーい、だから悪童君は好きですよ」
その好きってライクだからちょっとね。
俺はラブじゃないと満足出来ない漢なんだよ。愛が欲しい。
「ていうか、お前シャムやスパロウマンはどうしたよ。あいつらも自宅待機なの?」
「シャムちゃんは一応連絡したらそうだって言ってましたけど、スパロウさんは……わからないです。協会の本部の方にも何日も顔を出してないみたいで……」
「真面目が服来ているようなアイツが?」
「そうなんです……。事務の人は私事で忙しいんじゃないかって言ってましたけど……」
可能性は無いわけじゃないが……。
スパロウマンのようなタイプが、そんな後々胃が痛くなるようなほうり出し方をするとも思えん。
短い付き合いだが、その程度は断言……で、出来るよ? 本当だよ?
「きっと彼女さんと修羅場にでも陥ってるのかもしれませんね……えへっ、あ……想像するとよだれが」
「なんだろう、残念なヒーローを見ないといけない俺のこの気持ちは……怒り?」
「はっ、す、すみません。トんでました」
「もっと美少女の自覚を持った節度のあるアヘ顔をして頂けませんかねえ……」
「ア……?」
「ああもうこの娘は本当言葉が通じないけど可愛いから許せるッ!」
あざとい、流石ブルーシェリフあざとい。
まあ確かにそういった修羅場とかもあるかもしれないし、もしかしたら学校休み過ぎて留年寸前でまさに必死で頑張ってるとかなのかもしれない。
彼のスパロウマンではない本来の人格が持つイベントだって沢山ある筈だ。
だから、それらを否定し切れるわけではないんだが……。
「……なんかきな臭いんだよな」
だから嫌なんだよ。こういう話を聞くのって。
絶対なんかのストーリーフラグが進んじゃってるぜ?




