閑話 ゆうきの過去
私には恩人がいる。
その人にとっては何気ない日常の一コマだったのかもしれないが、
私にとっては世界が変わったといっては過言ではない出来事だった。
その出来事を説明する前に私の家について少し説明しなければならない。
私の家は先祖代々続く陰陽師の家だった。
ああ陰陽師といっても大したことはできない。
式神も作ることができるが、
普通に作れば人間よりもスペックが低い。
外法とか使えば強いのも作れるのだが強いのも作れないこともないのだが今は関係ないので置いておく。
まあほかにも小技はいろいろあるのでそれを使ってうまく儲けていたらしい。
お偉いさんにもつながりがある。
そんな家に私は生まれた。
その私だがどうやら先祖返りをしたらしい。
私の家はキツネ憑きだ。
そして私には耳としっぽがある。
この耳としっぽは霊的なもので実体化もできるが私の本来の耳は普通の人間の耳である。
私の恩人は
「無表情無口っ子でけも耳とかいい!」
とか言いそうだがこれは別にいいことじゃない。
今でこそ制御して隠したりできるようになったし、
狐つきの恩恵を受けているが昔の私にとっては大変なことだった。
力が暴走したり修行が大変だったり。
その暴走だが一度両親を殺しかけたらしい。
私は覚えていないのだがその出来事から私の日常は変わった。
両親は私の精神を壊そうとしたのだ。
力の暴走といったがそれは私の精神に依存する。
私の精神が力に耐えられず発散することを求めたのだ。
そのことに気づいた私の両親は私を壊そうと私をいじめだした。
いじめるといっても家庭内暴力といったちゃちなものじゃない。
陰陽師の技で私の五感を封じそして時間感覚を加速させたのだ。
そうして私に訪れたのは永遠にも等しい時間の中で何も感じ取れずにただ一人でいるという孤独だった。
その中で私は唯一人の友達だった私の恩人のことを思い続けた。
その頃の私は引っ込み思案でしかもキツネ憑きのせいで友達というものがいなかったが。
たまたまその日私の家の神社にお参りに来てた私の恩人と友達になりまた「遊ぼうね」と約束したのだ。
それとは別だがあとでこの時の術を調べてみて分かった。
大体私は体感時間で百年ぐらいあの何も感じ取れない中にいたらしい。
その百年間私は私の恩人のことを思い続けた。
そうして私は耐えきった。
いや耐えきれてなどいないのだろう。私の精神は壊れてしまったのだろう。
私の中には恩人しか残らなくなっていた。
私にとっては恩人こそがすべて。
そうなってしまったのも仕方ないだろう。
何せ当時の私は四歳だったのだ。
まだ小学校にも通ってない私の精神はあの孤独を耐えるには幼すぎた。
いや大人でも無理だっただろう。あれは本来体感時間で一年ぐらい耐える修行らしい。
それでも発狂する人は多い。だからあの修行法はすたれてしまったのだとのちに知った。
「魔術の深淵を覗くには一つのことだけに集中するべし。」
オカルトのようなものを修業するときはこういわれるらしい。
いろいろ手を出さずに一つの事柄にのみ集中するべきという意味だといわれているが、
私の解釈は違う。
深淵を覗くと発狂する。だから一つの事柄に依存し精神を強化せよ。という解釈になる。
何かに依存するとその何か以外には心が動じなくなる。
これは私が身をもって知った経験だ。
今私はキツネ憑きを制御できるしほかにもできることはたくさんある。
西洋のルーンやまほうじんも手を出してみたが簡単にできた。
発狂もしてない。いや恩人こそがすべてという思考は狂っているかもしれないがそれだけだ。
廃人にはなってない。
そうして私は耐えきり両親を殺した。
なぜか?それは私が恩人との約束である
「また遊ぼうね」
というのを達成するには邪魔になると思ったからだ。
両親は失敗したと知ればまた精神を壊そうとするだろう。
いや耐えきった私はもうキツネツキを制御できたので壊す必要がないのだけれど両親はそんなこと知らないだろう。
だから両親を殺した。
そのあとは簡単だ両親の形の式神を作った。
式神とは本来そんなに長く存在できないが、
魔術の深淵ともいえるものを知った私には簡単だった。
その後私はその両親の形の式神を使い稼業のお客とコンタクトを取った、
オカルトともいえる家のお客には裏稼業ともいえる客などたくさんいる。
私は客の一人に依頼し私の戸籍を書き換えた。
私は四歳だったけど六歳にした。
それはなぜか?
「あーゆうきちゃんおはよう
あのじんじゃいらいだね!」
私の恩人と同じ小学校に入り友達になって一緒に遊ぶため