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クロネコヤマネコ  作者: 葛飾タキ
Episode1.テリオンの指環
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3.猫はどこまでも人を見下し弄ぶ。

 和葉は胸に当てていた手を男へと向け、「ですので、そんなに恐れるほどのものでもありませんよ」と言葉を紡いだ。


 この飄々とした態度を前に、和葉の言葉を信じてもらえるとは到底思えない。何を根拠に信じたらよいのか。どうしてそんな言葉で信じてもらえると思ったのか。むしろ、信じる方がおかしいとさえ言える。


 そんなことだから、男は焦りから怒りへと表情を変えていった。その鋭い顔つきは、かの特撮映画に出てくる“大魔神”か。それとも、金剛力士像か。それでもなければ、“妖怪絵巻”にでも妖怪として出てきそうだ。


 “大魔神”もとい男は歯軋りをし、定まらなかった銃口が和葉の頭へとピタリと定まった。焦りで震えていた手を、怒りで抑えつけたらしい。


 和葉はその銃口へと視線を合わせるものの、表情を変えることがなかった。道化師(ピエロ)そのものに、さらに道化師の仮面でも被せたかのようだ。自分の置かれている立場が分かっていないわけではない。むしろ、分かっているからこそ、あえての含みのある態度。


 “静”の和葉と“動”の男が対峙している図式は、立場と雰囲気があべこべの奇妙な対となっている。


「やめましょう。僕としては、あなたの持っている“あれ”さえ手に入れられればいいだけのことなのですから」


「それは、俺から“こいつ”を奪い取ろうというのか?」


 男はジャンパーのポケットから何かを取り出した。親指と人差し指で摘ままれるそれは、街灯の明かりを反射して鈍い銀色の光を放つ指環である。


 そして、その指環こそが魔具と称される代物であり、和葉の目的としているもの。


「そうですね――悪い言い方をすれば、あなたの言う通り、“奪い取る”ということになるのかもしれません。いやはや、正直耳の痛い。とはいえ、僕としましては、別の言い方をさせてもらいましょうか。“奪い取る”ではさすがに商人らしくないと思えますので。

 僕たちの間では〈鎮魂(たましずめ)〉というのですが――知ってますかね、この言葉? 平たく言えば、その指環の魔具としての力を鎮めさせてもらいたいのです。その指環にどれほどの“力”を有しているのか、まだ見たことないのですが、“世の中を根底から覆す恐れがある”と言われているので、あちこちで使われても困るのですよ。

 それに、私利私欲のためだけに世の中をひっくり返されてしまっては、〈異端狩り〉の人たちも黙っていないでしょうし。何せ、その人たちは自称“世界を守る正義の味方”の“人殺し”でしかないですからね。そんな人たちに命を狙われ続けるよりも、それを僕に渡してもらった方があなたの身のためになると思いますよ。

 ――何なら、僕と取引をしましょうか? あなたがそれを僕に渡してくれたら、あなたのことを見逃しても構いませんよ。警察がすぐそこまで来ているわけですし、悪い取引とも思えませんが?」


 滔々と語り、営業スマイル。商人がどのような人間なのかを知ればこそ分かるだろう。背筋の凍るような柔和な笑みだ。商人ほど笑みが当てにならない人間はいない。いや、商人だからこそ、そんな笑みを見せられたら疑うべきだという意味では、当てになるのかもしれない。


「冗談じゃねえぜ。折角苦労して手に入れたんだ。お前なんかにやるものか。この指環は俺の物だ。お前なんかにはやらねえ! これは俺の――」


 男は殺気を前面へと押し出した。その目は血走っており、狂乱ともいえる恐ろしさがある。拳銃を持っているからこそ、その危険性も極めてとばかり。


 トリガーの指へと力が入り――



 金属同士のぶつかるけたたましい音と共に、男の手からマカロフが弾け飛んだ。


 男は呻きとも悲鳴ともとれる声を出し、右手を押さえて膝を突いた。撃とうとしていた筈。撃つ寸前だった筈。なのに何が起きたのか分からないという顔をしている。驚きに満ちた表情で、和葉を見上げてきた。


 和葉は依然変わらぬ姿で立っているだけだ。笑みも崩さず、本当に何もしていない。どこまでも疑わしいだけの商人として、そこにいる。


 故に男は訝しんでいるようだった。無理もないだろう。トリガーを引く寸前で、何の兆候もなくマカロフが弾け飛んだのだから。どう見ても何かをしたように思えないのに、和葉が何かをしたのだと疑いの目を向けるのみだ。


 ならばこそと、和葉は小さく笑むだけだ。疑えば疑うほど、困惑すれば困惑するほど、和葉にとってこちらのペースへと持っていくことができる。如何にも性悪な商人が、自分の策略に嵌っていく相手を見てせせら笑うがのようだ。


 「一つ」と人差し指を立てた。


「一つ言い忘れていたことがありました。近くに狙撃手を配置させています。あ、安心してください。あなたを撃つためでなく、飽くまで僕の護衛のためですけどね。とはいえ、言うのが遅すぎましたか。まあ、“急いては事を仕損じる”とも言いますからね、気を急いたあなたにも問題はありますよ。

 ちなみに言っておきますが、消音機構を搭載した――何と言ったか忘れてしまいましたが、消音狙撃銃だそうです。僕はこの手の物に詳しくないので、その程度の説明しかできません。

 なので、音もなく撃たれます。ですから、変な行動を見せたら知らぬ間に撃たれていたということに陥りかねませんので、大人しくしていた方が身のためですよ。そうすれば撃たれなくて済みますからね」


 立てた指を横に振って見せた。余裕を持っているからこその嫌味。どこまでも商人の嫌味を顕現している。


 男が動かないことを見ると、地面に転げているマカロフを拾い上げる。暗闇でもよく分かるほどに、側面、スライドに大きな衝撃が加わったことを意味する傷があった。ここを撃ち抜いたということになるだろう。ともあれ、よくもまああの衝撃で暴発しなかったものだ、と銃口を向けられていたことを思い返して胸を撫で下ろすしかない。




   ◇




 時折、風が吹き抜けていく。


 ただでさえ寒い夜だというのに、風が抜ければより寒さが強調される。実際の気温よりも体感温度は風のせいで大きく下回っていることだろう。


 そんな風の吹く建物の屋上は真っ暗で、風の音を除けばとても静かなものだ。


 その屋上の縁に、闇に紛れる黒い影があった。そこから廃工場をはじめ、付近の街を見下ろすことができる。


 和葉のいる廃工場から距離にして三百メートル足らずのところにある四回建ての雑居ビル。その縁の影が僅かに動いた。縁から、影から延びる筒は消音狙撃銃VSSヴィントレスのバレルである。


 また、影はあらゆる光を吸収するその名の通りの真っ黒な布切れで、夜間用のカモフラージュとして頭から被ることで闇に溶け込んでいる。はたから見ても、その真っ黒な色のせいで得体の知れないシルエットにしかならない。その中に人が紛れているなんて、カモフラージュと分かっていなければ気づきもしないだろう。


 その布切れの中で大きく息を吐きだす女がいる。狙撃をする際に呼吸でのブレを消すために息を止めているわけだが、その肺に溜まった息を吐きだしたところだ。息を止めていたために酸素が恋しく感じられる。


「あのバカ、心臓に悪いじゃないか。命のやり取りするなんて必要ないのに、何やってんのさ」


 毒づき、息を整えた。トリガーへと指を絡め、次射に備えた。


 スコープから覗けるものは、和葉と膝を突く男。


 女はここから男の手にしていたマカロフを撃ち落としたのだ。ここで女が狙撃によって和葉を守っているからこそ、和葉はマカロフを向けられても何ら物怖じする様子を見せなかったというわけである。




   ◇



 膝を突く男の前で、和葉はマカロフをまるで玩具を扱うように、銃火器であることを恐れもなく上下左右からためらいもなく見る。スライドの傷以外は、落ちた時のものぐらい。トリガーを引きさえすれば、普通に撃てそうだ。


 今や和葉が手にしたがために立場が入れ替わった。いや、全てが和葉へと傾いたというべきだろう。尤も、初めから和葉に傾いていたのだが。


「僕はこの手の道具の使い方が分からないのですが、あなたに使用されるわけにもいかないので、取り上げさせてもらいます」


 マカロフを男へと掲げ見せつつ言った。“分からない”と言っておきながらも、何らためらいもなく滑らかな動きで、マカロフからマガジンを抜き取り、スライドを引いてチャンバー内の銃弾を排出させた。


 これならば、仮に男がマカロフを奪い取ったとしても、すぐさま発砲に至らない。マガジンを差し込んで再装填するか、チャンバーに銃弾を戻すか。必ずどちらかの行動を起こさなければならない。


 どこまでも言葉と行動がちぐはぐ――道化師(ピエロ)


「……クソ。お前、本当に商人かよ?」


 男の当然ともいえる疑いの目。和葉は鼻で笑うような仕草でかぶりを振った。


「そうですよ、誰が何と言おうと商人です。ですが、証拠を見せろと言われても、何を見せていいのか戸惑ってしまいますけどね。身元の証明に運転免許証という手もありますが、それでは商人かどうか判断できませんし、何よりも今日は運転をしてきていないので免許証を持参していません。

 ――さて、その指環を渡してもらえないでしょうか? そうすれば、命までは取りません。と言うのは、些かキツイ冗談ですが。もう少し“穏便に事を済ませる”ことが可能です」


 トリガーガードに人差し指を突っ込ませ、西部劇のカウボーイよろしくクルクルと回す。


 明らかな挑発。猫が狩りをする時に、チクリチクリと嬲るかのように。一気に仕留めず、力を入れるのは最後の最後で。


「じょ、冗談じゃ――ねぇ!」


 男は指環を左手から右手を持ち替え、勢いよく立ち上がった。左手を背後へと回したかと思えば、すぐさまナイフを手にして振り上げてきた。用意周到というべきか、腰に隠し持っていたようだ。


 マカロフを右手に持っていたため利き手は右手なのだろうが、マカロフを弾き落された際に痛めたらしい。それでも、左手に握られているナイフは脅威に違いない。


 対して、和葉はマカロフを手にしているとはいえ、自らすぐに撃てないようにしたのだから、発砲が叶わない。別の手でどうにかするしかない。


 和葉と男の距離は間近、一気に男が迫ってくる。


 でも、和葉は驚く様子を見せなかった。それどころか、涼しい顔をしたまま男を見据えるまま、冷笑をもって待つだけだ。


「残念です。交渉決裂ですか。ま、元々交渉らしい交渉など行われていませんでしたから、仕方のないことなのかもしれませんけどね。

 それと、僕は言いましたよね。“狙撃手を配置させている”と。ずっとあなたに照準を合わせて待っているんですよ。あなたのすることは、単なる姑息に過ぎないのです」


 和葉の言葉が終わるかどうかだった。駆け出した筈の男は、何かにつんのめるような、足を払われたかのような、意図しない形で和葉の前で地面に転げた。あまりにも不様な転げ方ともいえる。


 見やれば、男の右足の甲から血が流れているようで、街灯の光を反射してテカテカと、靴が黒く染まっているように見えた。マカロフ同様、音もなく狙撃で穿たれたのである。


 男は痛みに顔をしかめた。足を押さえ、地面の上をのた打ち回る。悲鳴を上げないのは、痛みによって声を出せないのか。


 和葉は男を静かに見下ろす。どこまでも、何もせずに余裕をそのままの状態で維持していた。悪徳商人の、商売にならない相手を見下す視線をまざまざと男へと向けていた。商売にならないからこその侮蔑の視線は、商人と犯罪者のどちらがより悪党なのかを比べんばかりだ。



 ――音が聞こえてくる。



 廃工場からこちらへとかけてくる足音。それも一人や二人の数ではない。集団だ。


 もう少し目の前の男を侮蔑に見ていようと、優越感に浸っていようとしていたところに、水を差された気分にさせられる。


 和葉のイヤホンに『警察が追いついたみたいね』と集団の正体を明かす声。そして、ため息が聞こえてきた。


「本当に、いい加減な人たちですね。“犯人逮捕は僕の役目ではない”のに。それも、彼が出てきてから時間がかかりすぎです。もう少し手早く出て来ればいいものを」


 女のため息が移ってしまったか、和葉もため息をつき、目の前に集まる警察官を迎え入れた。そのワラワラと集まる様に、烏合の衆と内心毒づく。これだけの数がいて、たかだか一人も捕まえられないのだから、どうやっても毒づく以外にできなかったともいえる。


 その警察官の中から一人、隆文が前に出てきた。男を見下ろす。


「君が、やったのかのぅ?」


 和葉の手にしているマカロフ、男の足の怪我――和葉が男の足を撃ったのかと疑っているらしい。状況からして疑われるのは仕方ないが、ここははっきりと否定しなければならず、和葉は首を横に振った。


「いいえ、僕ではありません。あ、これは彼が落としたものを拾ったに過ぎません。彼を撃ったのは――」


「いや、君が撃っていないのなら、それでよい。“彼女”を配置させておるのは、あらかじめ聞いておるからのぅ。こちらとしては穏便に済ませたかったが、穏便に済ませられなかったことが、起きていたということなのだろうのぅ」


 隆文は和葉の答えを最後まで聞くことなく承知していたと頷くと、顎の鬚に手をやり、和葉に背を向けた。状況の確認ができたということで、他の警察官たちへと手を振って指示を送っている。


 その指示で、痛みに動けなくなった犯人を捕らえるべく、どのような抵抗がなされるのかを窺いながら警察官が取り囲んでいった。


 今度は隆文と立ち代わり、美加が和葉の前へと出てくる。和葉よりも背が高いために、必然的に見下ろされる形となる。


 体格差によるものだから仕方ないと分かっているのだが、不快を感じてしまうのはどうしたらいいのだろうか。別に女に見下ろされることが苦痛というわけではない。どうしてか美加に見下ろされることが癪に障るのである。



 不満不満不満不満不満不満――



 折角男をことごとく嬲り倒してやったというのに、優越感がどこかへと吹き飛ばされた感が否めない。優越感を返してくれ、と苦情を突き出してやりたい。


 でも、我慢せざるを得ない。“優越感”なんていう形のないものを返せと言うのも、大人気ないだけだ。


 それも、美加が何であれ烏合の衆の一人でしかないというのに、何をこんなに心をかき回されているのだろうか。男と同じく、こちらが優位であることを見せつけてやればいい。男を逮捕するに至ったのは、自分ともう一人の狙撃手がいたからこそ。何もできなかった烏合の衆より優位であって何ら問題ない筈だ。


 和葉の不満など全くもって気にもしていない。むしろ、気づきもしていないのだろう。美加が朗らかな笑みを見せてくる。これがまた癪に障り、不満が募る一方だ。


「和葉くん、怪我はない?」


 その口調も笑みと同じ。和葉よりも美加は年齢が六つも上だからだろうから優位性があるとでも思っているのかもしれない。そんな言い方だった。


 そのお姉さんぶった言い方がまた鼻につく。不満はより一層増していく。今すぐにでも無線で「この生意気な年上女を狙撃しろ」と言ってやりたくなってくる。


 でも我慢。美加がお姉さんぶってくるのはいつものことで、現にこちらが年下なのだから仕方のないこと。“長幼の序”という言葉がある通り、一応素直に従ってあげるのが大人の対応というもの。いくら相手が子供っぽい大人であったとしても。


 ――そう、仕方のない。……さすがに、もう我慢できなってきた。人には堪忍袋というものがあっても、その許容というものは無限でない。人それぞれ飽和量は違えど限界というものがある筈だ。飽和状態となれば。


「僕は何ともありません。と言うか、あなた如きに心配されるほど、僕は落ちぶれてもいませんので。心外です」


 ついつい不満をあらわにして、口に出してしまった。それも嘲るような物言いで。役に立たない警察と一緒にされたくない。上から見下ろすような目を向けてくるなと、不満をここぞとばかりに投げつけてやるのだが、そんな自分の大人気のなさにため息をつきたくなってしまう。“憤慨は時にして後悔しか生まないものだ”と誰かに聞かされたことがあったが、今が正にそうなのだろう。


 でも、そんな物言いが功を奏したらしい。


「ご、ごと、ごと、如きぅ」


 美加の眉がぴくぴくと引きつっている。表情が固まっているようだが、寒さも相まってのことだろう。ただ、ちょっとした嫌味を込めて言っただけのことなのに、なぜにこんなにも効いてしまっているのだろうか、と問い質したくなるほどに反応を示していた。こちらが驚いて何を憤慨していたのだろうかと疑問さえ感じてしまうほど。


 色々と言い返したい気持ちにあると次第に美加の表情にも出てくる。なのに口にしないのは、周りにいる警察官たちの前だからだろうか。恥じらいもなく言い返していたら、それこそ年上としての自尊心がどこかへと飛んでいってしまうと思っただろうか。


 実に難儀な性格をしていると言ってやりたい。


 一生懸命に感情を表に出さないようにしているが、しまいにはげんなりと肩を落とした。言い返すこともできないと判断して、勝手に“落ちた”ようだ。


 和葉にとっては、してやったりである。こんなにも簡単に落ちてくれるものかと今にも笑い出したくなる。それでも周りに気づかれない程度に小さく笑んでしまうぐらいには、感情が漏れ出している。


 不満が解消されていく。優越感が舞い戻ってきた。清々しい気持ちでお帰りなさいと迎え入れたい。


 和葉は小さく咳払いをする。


「さて、これはあなたに預けます。僕には必要ありませんからね」


 手にしているマカロフのバレルを持ち、グリップを美加へと差し出す。持っていても仕方ないし、拳銃に興味があるわけでもない。寄越せと言われる前にさっさと渡してしまえば後腐れもなくなるというもの。


 美加がげんなりとした表情から、警察官の顔へと戻った。口元を引き締め、和葉から拳銃を受け取った。拳銃の状態を確かめているのか、スライドを半ばまで引いたところで戻した。


 和葉はさらにマガジンと地面に転がる銃弾を拾って、差し出した。


「――クソ、警察の“犬”かよ。警察とグルだったのかよ。結局、俺を騙そうとしてたんだな」


 そこへ、男が喚いた。二人のそばを手錠をかけられて連行されるところだ。反吐が出ると言わんばかりの睨みを向けてくる。


 そんなささやかな抵抗も和葉にはそよ風程度にしか感じず、冷笑をもって男を見やった。


「“犬”? グル? 騙そうとしていた? 失礼なことを言いますね。僕はただの商人です。それは言いましたよね。警察に下った覚えはありませんし、商人が警察に下る必要などありません。今回は利害が一致していたので、共に行動していただけに過ぎません。そうでもなければ、僕が警察と一緒にいる理由などありませんからね。飽くまで、利益優先なんです。

 第一、僕は言った筈です。“あなたに興味がない”と。あなたに興味があるのは、この人たちなんですよ。それに、僕はあなたの持つ“物”を渡してくれれば、“見逃してもいい”と言いましたよ。それを無下にしたのは誰ですか? あなたです。

 ――いえ、僕が何を言ったとしても、あなたには言い訳程度にしか聞こえていませんね。いいですよ、恨みたければ、恨んでくれても構いません。商人をやっている以上、人から恨まれることなどよくあるので、慣れています。利益を重んじるばかりに散々罵倒され続けてきましたからね。今更一人増えたところで痛くもかゆくもありません。好きなだけ罵倒していてください。それで気が済むのなら、いくらでもやっていてください。罵倒程度、僕には何ら損害にもなりませんから。

 あと、一つ言わせていただきます。僕はあなた、いえ、あなたたちは二人と聞いていました。ですが、今はあなた一人です。もう一人はどうしました? 大方、あなたは手にしている物を独り占めしたいとかの理由で、殺したんじゃありませんか? 仲間の命を軽んじているあなたに、僕が警察と共に行動していることに対して、言われる筋合いがないと思いますけどね。

 不様にも程があります」


 その表情のままに、冷たく言い放ってやった。最早、男を“人”と思っていない。“人形”か“畜生”を相手にしているかのように、侮蔑の感情をこれというほどに乗せてやった。


 警察の役立たずぶりよりも、美加の年上ぶった物言いよりも、何よりもこの男の自分勝手な考えが如何に不満で不快か。多少の怪我で済んでしまったことが心を満たされない。このまま死んでくれてもよかったのではないかと思えてくる。いや、死なすことすらも生易しい。悲鳴も上げられないようにして苦悶のままに生かし続けてやるのが、せめてのものか。それ以上はたかだか名前も知らない男相手にしてやるのは勿体ないことだし、せめてもの情けということだろう。


 とはいえ、この膨れ上がった不満を解消するためにも、今すぐ男へと駆け寄って殴り倒してやりたい。でも、奥歯を噛みしめて、そこは我慢することにした。殴ったところで不満も不快も解消されないことだろう。より一層後味が悪くなるだけだ。


 男は痛みに耐える表情なので、どれだけ和葉の言葉が効いているのか定かでない。殺気に満ちているから、さぞ効いたと見るべきか、単に油を注いだだけか。警察官に両脇を押さえられていなければ、今すぐにでも和葉に飛び掛かってくるだろうことは予見できる。


 それでも、和葉は物怖じすることはなかった。むしろ、和葉の方が怒り度合いが上なのではないか。


 男は警察官に連れられ、暗闇へと消えていった。建物を迂回するように敷地を突っ切って表側へと向かったのだろう。


 それを静かに見据えるだけだった。


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