妖怪世界 春③
翌日墓地にて落ち合ったとき、一抹の期待を見事に裏切って、妖奈は普段通りに戻っていた。つまらなそうに目を細め、唇をいささか尖らせている。
あの可憐な少女はどこに行ってしまったのか。
俺がまじまじと見ていると、数倍の眼力をもって睨み返された。とてもではないが真相を尋ねる気分にはなれなかった。
他人の空似か、まさか俺たち三体による集団白昼夢だったのか。現実だったとしたら、隣にいた男は何者なのか。
授業中そっと盗み見ていたが、商店街にいた少女と妖奈の像はかけ離れていく一方だった。人間特有の真っ黒な髪や学校指定の制服が、余計にそう思わせたのかもしれないが。
しかし思いがけないほど早く、俺が見たものは紛れもない彼女であったことが判明する。
○○○
「待って」
呼び止められたことにやや遅れて気が付いて、その異端さに生唾を呑んだ。この日の朝は俺が先に登校することになっていて、下山しようと石段に足を掛けたところだった。
「えっ、俺?」
「他に誰が」
愚問と言いたげな顔をした。
「今日は早く帰りたい」
妖奈は冷たい目をして言い放つ。頼んできているというよりも、むしろ命令している口調だった。
「かまわないけど、何か用事?」
彼女の眉間に皺が寄り、表情が険を帯びる。
「いいから」
さっさと行け、と顎で示した。
そして放課後。俺が帰り支度をしていると、富澤がすすっと近寄ってきた。
「タイチのスーパーギャラクシーをさ、ハセんちでやるんだって。どうする?」
富澤の言葉を通訳すると。
太一という同級生の持つ最近発売したゲームソフト「スーパーギャラクシー」。
これまた最近購入したばかりだという、長谷川の家の巨大液晶テレビ。
この二つを合わせるとどうなるか。
革命が起こるのだ。
正直なところ人間世界の娯楽は段違いに面白い。それこそ病み付きになるほどに。
「行くよね」
と念を押す富澤。
「もちろん」
と即答する俺に、冷たく無機質な声がかぶさった。
「戸神くん」学校指定のショルダーバッグを提げた妖奈が、腕を組んで俺を威圧していた。「言ったよね」
興奮がみるみるうちに冷めていく。哀れ富澤までもが硬直していた。この異質なクラスメイトが話し掛けてくることなど、前代未聞だったのだ。
十分に意思が伝わったと判断したのか、妖奈はその一言だけで立ち去っていった。俺も朝の約束を思い出し、富澤に「ごめん」と言い残して慌てて妖奈を追い掛ける。富澤ただ一人が訳も分からず、ぽつんとその場に取り残された。
火の玉も連れ立って戻ってきた俺たちを見て、意外そうな声を出した。
『どうしたの、珍しい』
尚も何か聞きたい様子だったが、妖奈が片足をいらいらと踏み鳴らしていることに気付くと口を噤む。
そして妖怪世界に着いたなり、彼女は俺を残してさっさと歩いていってしまう。用済みだと言わんばかりのその態度は、さすがに俺も腹に据えかねた。単なる狭間を開く鍵として利用されたようで気分が悪い。
「どこ行くの」
駆け足で追いついた。妖奈は地を蹴るような足取りで、驚異的な速度をもって歩いていた。
「何でもない。さっさと帰ったら」
「理由くらい教えてったら」思わず語気が荒くなる。「せっかく誘いも断ったのに。納得いかないよ」
「うるさいな」妖奈は小蝿でも追い払うように煩わしく小首を振った。「そんな暇ない」
妖奈は黙々と歩を進めた。俺も黙ってついて行く。
彼女の身勝手な振る舞いは、もはや俺の我慢の域を超えていた。無視するつもりなら好きにすればよい。その代わり理由を言うまでは、離れてやるものかと心に決めた。
やがて商店街に出た。かなり混雑している。往来が賑わっていること自体は別段珍しいことでもないのだが、この日の混み方は別物だった。屋台は撤去され、呼子の姿がない。妖怪は道の両脇にずらりと並び、対して中央は広々と空いている。
妖怪の群集を掻き分け、妖奈は前へ前へと進んでいく。俺も引き際を逃し、行き掛かり上ついて行く。
往来が十分見通せる位置まで来て、妖奈はようやく足を止めた。
「百鬼夜行だってぇ!」
足元にいる、小さな木の妖精・キジムナーの子供たちの騒ぐ声で賑わいの意味に思い至る。
両派和親定期会談。一年に二度、派閥のトップである親人派首長と反人派首長の定期対談が行われるのだ。
かつて戦火を交えた両派がその関係の安定を図るべく、首長が国の現状と課題を公表し合い、敵意のないことを示すのだ。
しかし派閥対立が沈静化傾向にある昨今、会談は形式的なものになりつつあった。報告会よりも国交問題に議題を割かれることが多くなっていたのだ。今回も注目されているのは両国の難民事業の方針だった。
妖怪の中には誇りが高く、派閥に与することを潔しとしない一族もいる。彼らは独自に部落を作り、小国から離れてひっそりと暮らしている。
しかし人間世界から追放された妖怪は、確かに衰退の道を辿っていた。そしてそういった衰退の影響を顕著に受けるのも、小さな部落の宿命であった。人口減少が特に著しく、近頃は生活力を失った部落妖怪がやむを得ず小国に住まいを求めるようになったのだ。これが「難民」である。
妖怪にとって数とは即ち力である。小国としては可能な限り難民を受け入れたい。しかし好き勝手受け入れては、やがて両派の力が不均衡になる。不均衡は不必要な摩擦を引き起こす。
そこで両派は今後の難民の受け入れ方針を公表し合い、調整をはかっていくという。
わぁっと歓声が沸いた。庶民妖怪が両脇を固める往来の花道を照らすように、白い小さな火の玉が無数に出没し、次いで百鬼夜行が現れた。
先陣を切るのは変化のできる獣型の妖怪だ。
火に包まれた鼬の群れに、以津真天、犬神、化け猫、狒々。並の獣型妖怪と比べ、体格がよく異常に大きい。目付きも鋭く、どっしりとした獣の風格がある。現代に生きる妖怪は例外なく半分人間化しているはずなのに、行列する妖怪たちは微塵もそれを感じさせない。
獣の次に現れるのは人型たちだ。
容姿は一見人間だが、それぞれに妖怪を模した面を被っている。河童、針女、青坊主。
そして鬼。
威風堂々とした鬼面のすぐうしろを、黒い牛の曳く豪華絢爛な牛車がついてくる。そして牛車のあとにも同じように、人型、獣型の妖怪の行列がついてくる。
牛車に乗るのが親人派小国首長、大天狗である。
両派和親定期会談をはじめ首長が反人派諸国へと行幸する際には、警備の調整のために必ず軍事力最高の、この小国に寄って行くことになっている。
逆に反人派首長が親人派諸国に入るときも、この小国をまず経由する。
軍備が整い山脈に近いこの小国は、両派にとってのいわば関所機能を果たしていた。
そして護衛に付くのは「鬼の隊」――親人派最強の部隊である。
首都機能を持つ第一の小国を発った首長は、この第三の小国で鬼の隊と合流する。鬼の隊は普段は第三の小国に留まって、反人派への諜報活動を行っているといわれている。表に出てくるのは首長の護衛任務のときだけだ。
庶民妖怪は護衛任務がある度に、まるで祭りのように囃し立てる。その隊列を「百鬼夜行」に見立てるのだ。
テレビやインターネットもない妖怪世界で、首長や鬼の隊といった有名人を目にすることのできる物珍しさ。そして人間化されつつあっても風格を失わない行列に、妖怪としての威厳を掻き立てられるのだ。
目の前をゆったりと通り過ぎていく行列に、惜しみのない歓声が送られる。妖奈はこれを見たかったのだ。
俺もいつしか胸を高鳴らせ、ぞくぞくとした興奮に包まれていた。
「言ってくれればよかったのに」
俺が茶化しても聞こえていないようで、妖奈は一心不乱に行列を見つめ続けていた。その様子がなんだか面白く、そっと表情を拝んでみる。しかし慌てて目をそらした。
彼女は微笑んでいたのだ。
口元を綻ばせ、火の玉の白っぽい明かりの中で頬をほのかに紅潮させ、どこか満ち足りたような顔をしていた。
そして熱烈な視線は行列に向けられているわけではない。ただ一点に固定されていた。
鬼の面を被った男。
つまり隊長である。
恋する乙女のようなその表情には見覚えがあった。
わざわざ記憶を辿る必要もなかった。
三ヶ月間毎日のように顔を合わせ、彼女が不機嫌以外の感情を見せたことは一度しかない。
幼馴染二人と遊んだ帰り、街角で偶然見かけたあの時だ。
では黒髪の男は鬼だったのか。鬼の隊がこの小国を拠点にしている限り、可能性はゼロではない。
ただ鬼といえば、親人派妖怪ならば誰もが知っている雲の上の存在だ。
しかし黒髪の男、そして鬼に向けた彼女の微笑みは、同じものに見えた。