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妖怪世界 春①

「という訳で俺もそれなりに苦労してる」


うーむ、と母は考える顔をした。

真っ直ぐな長い黒髪に、瞳の中で縦に割れた細い虹彩。大きめの口からは絶えず二股の舌が出入りしている。母は蛇女だ。


「困るわねぇ。よっぽど人見知りなのかしら」

「あれは人見知りの域を超えてる。人嫌いだよ。んで妖怪嫌い」

「妖怪も嫌いなの?」

「だって俺にも厳しいし」


白米、味噌汁、焼き魚の朝餉を流し込むように平らげる。妖怪世界での私服である裾上げした子供用着物の上に、人間世界から輸入された黒くて丈の長いパーカーを羽織る。玄関から三和土に下りて草履を履いていると、父が寝床から起きてきた。


「もう出掛けんのか」


父の尻からは俺と同じように、巨大な尻尾が生えている。父は一人前の古狸である。父ほどになると尻尾も自分の意志で引っ込めることができるのだが、休みの日には締りなく垂らしたままだった。


「行ってきます」

「あー怪斗」父は今思い出したかのように慌てて呼び止めた。「試験、よくできたそうだな」

「まぁね」


さらりと受け流そうとしても、勝手に頬が緩むのを感じる。

玄関を出ると、墨を流したような群青色の夜空と大き過ぎる月が待ち構えていた。

響き渡るのは日迎鳥ひむかえどりの鳴き声だ。


○○○


妖怪世界には昼がない。日光で弱る者や夜行性が大半を占めるために、創造されたこの世界にはそもそも必要がないらしい。


それでも人間的に文明化されてしまった現代には、ある程度の規律が必要とされた。そこで指針となっているのが日迎鳥である。


日迎鳥は鳩くらいの大きさで黒い羽毛に覆われた、一つの巨眼を持つ怪鳥と言われている。言われている、というのはその姿を見た者がほとんどいないためである。

日迎鳥は闇夜に紛れてしまうのだ。しかし一度鳴き出せばあちらこちらで共鳴が起こり、瞬く間に大気はその声で埋め尽くされていく。


日迎鳥の鳴くタイミングは、なぜか人間世界の太陽の動きと関連がある。

水平線から太陽が昇る一時間と、沈んでいく一時間がぴたり一致するのだ。


また時間帯によって鳴き声が変わる。日の出時間は人のすすり泣くような声で鳴き、日没には高笑いのような声を出す。だから妖怪たちは便宜的に、日迎鳥が「泣いて」からを活動時間に、日迎鳥が「笑って」からを休息時間と決めている。


○○○


日迎鳥が「すすり泣く」中を俺は駆けていった。


長屋の立ち並ぶ住宅地を抜けると人通りの激しい往来に出る。

そこには蟇蛙と猫又がいた。褐色のぬめりとした肌質の蟇蛙が、俺を認めて手を振った。


「怪斗ぉ、久しぶり!」


俺も大きく手を振り返す。


蟇蛙の名前を(みどり)、猫又を穂室(ほむろ)いった。


妖怪の小学校である「寺子屋」で学んでいた頃からの親友だ。

いつぶりだろうか。俺が人間世界に行くようになってから初めて会うことから計算すると、二月は経っているだろう。


寺子屋を卒業したのち、妖怪は一人前として扱われる。緑は丁稚奉公に出て、穂室は親の店を手伝っていると聞いている。

しかし学生時代とどこも変わっていないように見えた。それがかえって居心地がよく、心の底から安堵感に包まれる。


往来を下っていくにつれ、妖怪はどんどんと増えてくる。


道の両脇には大きな暖簾を目印とした店が立ち並び、軒から垂れ下がった提灯が月夜を赤々と照らしている。

時折地獄車の人力車が大声で妖怪を散らしながら走り抜けていく。

この小国で最も栄えた商店街なのだ。


妖怪世界は、基本的に人間世界の「江戸の町」を参考にして創られている。

その時代が妖怪にとっての全盛期であり、また思い入れも強かったからだ。


俺たちは本屋へ行き、呉服屋を見て、屋台でおにぎりを買って昼餉とした。


緑は奉公の店の近況を得意気に披露した。大きな旅籠で下働きをしているが、女将にも見込まれ、なかなかいい思いをしているらしい。


「悪くないよぉ、賄いおいしいし」

「確かに旅籠ならねぇ」俺はおかかのおにぎりを口に運ぶ。「どんなのが出るの」

「海鮮、旬野菜、肉……」

「雑食だな」穂室がぼそりと呟く。

「まぁ緑は蛙だし。動いてるものならとりあえず食べるんだよ」

「だな。口より小さいものなら何でも食うな」


俺と穂室が頷く傍らで緑が頬袋を膨らませる。


「どうしたの?」俺が聞くと

「人を両生類扱いして」

「認めろ、あんたは両生類だ。それよりも」穂室が俺に話題を振る。「人間世界はどうなわけ」

「順調順調。この前の試験では三位だったし」


中学校では一学期に二度、学力をはかる試験が行われる。そのうちの中間テストと呼ばれる試験で、俺は学年三位という好成績を収めたのだ。


「そっかぁ、いいな怪斗ぉ。お偉方の道一直線じゃん」


緑が羨ましそうに俺を見た。


確かに人間世界への出向は、「小国」と呼ばれる妖怪が住む集落における、役人になるための入り口だと言われている。志願をすれば誰にでも許可が下りるものではなく、また寺子屋で一定の成績を収めるといった条件があるためだ。


しかも出向期間は小国の直接の管理下に入るため、人間世界で成果を上げれば上役の目に留まりやすい。実際上昇志向のある者はそれを狙って人間世界を目指すという。


でも、俺は――。


心の中で反論する。

俺は富や名声には興味がない。ただ人間世界を見てみたかったのだ。


妖怪が住みやすいように、生きやすいようにとひたすら都合よく創造された箱庭のごとき妖怪世界。

そんな小さな世界の中の、さらに細分化された小国に引き篭もったままでいたくはなかった。

小国は悪いところではない。かといって同じ夜空、同じ山脈を何十年も見続けることを考えると人生を浪費しているようで憂鬱になった。


なんとなくの惰性で生きて、風に吹き飛ぶ灰のように跡形もなく消えていくのはごめんである。


そんなことは口に出さないが。


「俺はいいんだけどね」曖昧に笑いながら別の話を持っていく。「もう一人の生徒が問題でさぁ」

「どんな子?」と緑。

「雪女。あまりに愛想なしで。いつも不機嫌だし」

「人間に慣れてないんじゃないかなぁ。それで肩に力入ってるんだよ」

「もう二ヶ月になるんだよ。それに人間ってさ、けっこう俺たちと変わらないよ。どう見ても雪女の態度が悪い」おにぎりの最後のひとかけらを飲み込み、熱い茶を啜った。「無感情ってわけじゃないらしい。喜怒哀楽の少なくとも怒だけは持ち合わせてるみたいだからね。なんかいっつもピリピリしてる」

「それは辛いかも」


緑はのんびりとお茶を啜っていた。おにぎりはとうになくなっている。


俺と緑が完食する中、ただ一人ゆっくりとシャケにぎりを咀嚼していた穂室が、行儀よく口を空にしてぼそりと言った。


「その雪女、知ってる」

「え? あの子別の寺子屋だったじゃん」


俺が聞き返すと


「けっこう有名だったみたいよ。俺のところにも評判が入ってきてる」

「さすが穂室」緑がからかう。「猫耳妖怪だけあるね」

「確かに地獄耳」俺も神妙に頷く。「いい耳持ってるよ、相棒」

「うるせぇ」


猫耳が男らしくないと、常々コンプレックスに思っている穂室がついに切れる。にたにた笑う俺たちを睨み付けると


「もう教えねぇ」

「そう言わないで」


俺と緑が恭しく頭を下げると、穂室は馬鹿らしくなったのか臍を曲げるのをやめた。


「すごい優秀だったみたいだ、彼女。勉学も運動も常に首席。しかもぶっちぎりの成績を掻っ攫っていく割に、当たり前みたいな顔をしてる。それで猛勉強して追い縋ろうとする並みの秀才たちが、どんどん戦意を削がれてったわけだ」

「なるほど」


納得できる節があった。


件の試験で、妖奈は中の上、いいとも悪いとも評価しにくい地味な位置につけていた。

しかし人間世界を頑固に拒み勉強もしていないであろう現状を考えると、なかなかの好成績だったと言えるかもしれない。きっと地頭がいいのだろう。


「だけどあんたの言うような悪評は聞かなかったな」穂室は続ける。「愛想はなかったみたいだけど、物静かで大人しくて、人畜無害だって印象」

「人畜無害だってぇ?」

「少なくとも話し掛ければちゃんと答える子だったんじゃないかね」


俺はむすっと考え込んだ。


穂室の言うことを信じれば、寺子屋時代の妖奈はいたって普通の優等生だったのだ。

それがなぜ人間世界でやさぐれてしまったのか。何をもって彼女をそんなにも変えてしまったのか。

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