二.無音の窓ガラス
前回の続きです。
「真鈴、ちょっと思ったのだけど」
「何?」
「こうのんきにお喋りしている間にもさ、犯人が帰っていったりするんじゃないか」
ああ、そのことね、と真鈴。
「校舎の形の関係でここから三つ目の階段は見えないけれど、二つ目と一つ目の階段の両方は見えるでしょ? だからなるべく目を光らしていたの。でもいちおう、完全下校時間直前までには残っているらしい三階中央階段前にいる子と『もう少しいてね』と頼んでおいた三階の一つ目の階段前にわたしの友達がいる。誰かひとりでも通ったら、わたしに連絡が来るようにもしてあるよ」
こういうときの彼女の行動力は中々目を見張るものがある。
そういうことなら、大丈夫か。
「じゃあ、今回の事件について、順番に考えていこう」
真鈴がうんうんと頷く。同時にポニーテイルが揺れる。
「まずは動機。このケースの場合はなぜ窓を割ったのか。割れたのが事故だという可能性はもちろんあるけど、それはひとまず置いておこう。窓を割ったのが故意だったら。その目的は」
真鈴は僕の次の言葉を待っている。考える気は既にないようだ。
「割れた窓から手を伸ばして、ネジ締り錠を開けて、教室に侵入。そして金目の物を盗んだ」
つまり窃盗。割れた穴は小さく、危ないけれど、できないことはない。現にネジ締り錠は開いている。
「何を盗むの? 生徒がいない教室になんて、金目の物はないと思うけれど」
「……」
あるかもしれないじゃないか。
「犯人が狙っているのなんて誰にもわからないだろ。じゃあ、ひとまずこれは保留。……次、犯行方法。どうやって窓を割ったか。……どうやって割ったのだろうな、これ」
真鈴は首を傾げる。
「さあ? さっぱり」
実はここが結構難しい。
「真鈴が言うように音はしなかったしな。さてどうやって音を出さずに窓を割ることができたか」
一見、ボールが割ったように小さい穴。音が出ないように工夫をしてあるようには見えない。それに音が出なかったせいで、放課後のいつ、犯行が行われたかがわからない。
「わからんな。じゃあ、保留で。……じゃあラスト、犯人の正体」
指折りをして容疑者を数えてみる。
「今、この高校に残っているのは、教職員方と野球部とあわれな真鈴の友人と文化祭の作業をしている生徒達と」
真鈴が僕の言葉の先を継ぐ。
「美術部と、図書室にも数人いたね」
腕を組んで考える。
「四階にはいない人達は除外。残るは、美術部と、図書室にいる人。それと僕とお前、それとこっそり隠れているかもしれない人」
そもそも廊下に隠れることができる場所などない。トイレには後で覗いてみる必要があるだろうが。念のため、この被害にあった教室の窓を開けて覗いてみたところ、ひとはいなかった。
「わたしは違うよ」
「僕でもない」
「その根拠は?」
僕は訊かなかったのに、お前は訊いてくるのか。しかしここは真面目に答えておく。
「僕が犯人だったら、教室でのんきに勉強なんかしていない。もう帰っている」
なるほど、と真鈴。
「じゃあ、お前の根拠は?」
真鈴はわざとらしく頬を膨らませた。心外だ、とでも言いたげに。
「わたしが犯人だったら、わざわざ花川くんに犯人探しを頼まない」
それはそうか。もし真鈴が犯人だとしたら、やはりこんなことをせずに帰っているだろう。
「今誰かがいるのは図書館か、美術部。行かないといけないのだろうなあ」
「もちろん。じゃあ、図書室から先に行こう。いつ、人が帰るかもわからないし……先生達には後で伝えても遅くないんじゃない?」
言うが早いか、真鈴は歩き出した。
まあ、いいか。図書室のほうが、職員室や美術室より近いし。
二人してドアから中を覗く。
図書室にいたのは三人だった。本を読んでいる生徒は一人もいなくて、テスト勉強をしているみたいだ。教員はいない。貸し借りはセルフサービスで手続きをするらしいし、先生の役目は図書室の鍵の開け閉めだけみたいだ。
「真鈴、さっきまでここにいたのだろう? 誰かいない人とかは?」
一度、図書室を見渡す。
「ううん。さっきと同じメンバー。わたし、終礼後、すぐにここに来て、さっきまでずっといたんだけど、誰一人として出て行ってないよ」
「じゃあ、今、図書室にいるこいつらに犯行は無理か。……しかし、確かにこの静かさと距離なら、窓が割れた音ぐらいすぐわかるよな」
「うん。ここにいる間は、どこかのドアが開いたときに聞こえるような金属がすれる音と野球部の打撃音とかしか聞こえなかったし」
僕もそれぐらいしか聞いていない。
「じゃあ、次行くか。……ええと、美術室だっけ?」
「うん。美術部員がまだ残っていると思うから」
美術室は図書室と同じく、四階の端の教室だ。だが角部屋ではない。この校舎に角部屋はないのだ。どの教室も職員室や図書室など一部を除いて、ドアから窓まで全て同じつくりになっている。美術室はつくりは一緒だが、中にあるものが違う。机のサイズが違ったり、蛇口があったりする。
廊下に出る。やっぱり人はいない。廊下の曲がり角までがらんとしている。念には念を、誰かが潜んでいるかもしれないから、向かう途中の教室のドアの施錠を確認しながら進む。ついでに僕と真鈴でそれぞれトイレも調べておいた。
少し早く歩きながら、真鈴が言った。
「窓をみたとき、少し違和感があったんだけどね」
「違和感?」
「窓は木製のサッシにはまったガラスが二枚で一組だったでしょ」
角を曲がる。ここの校舎はL字型の四階建てで、L字の下横線の部分は二階、三階、四階にそれぞれ三年、二年、一年の教室が学年ごとに順番に並んでいる。職員室は一階のL字型の縦線部分にある。目指す美術室は、同じく縦線部分の四階の端部屋だ。
「それで?」
「割れていた窓と、もう一枚の割れていない窓。どこか違うような気がしたんだよね」
「割れているか、割れていないかの違いなんじゃないのか」
「わたしを馬鹿にしているの?」
……実はしていたりする。
真鈴はそういうけれど、僕に心当たりはない。
「気のせいだろ」
「……そうなのかな」
話しているうちに、美術室の前まで来た。
「あれ……?」
真鈴じゃないけれど、僕も何か違和感が……。なんだろうか。
真鈴が僕を振り返る。
「どうしたの?」
「いや」
気のせいだろう、多分。
「……人いるかなあ」
そう言って真鈴は躊躇することなく、ドアを開けた。いいのか勝手に開けて。
「わあっ!」
「おわあっ!」
そして二人の驚きの声が続く。一人は真鈴、一人は中にいた男子生徒。彼は真鈴がドアを開けてすぐの位置にいた。真鈴がノックもせずに開けるから、こうなるのだ。バッグをかけているところを見ると、今から帰るみたいだが。
可哀想に驚かされた男子生徒が胸を押さえながら言う。
「びっくりした……。ノックぐらいしてくれよ……」
「すいません。まさか、目の前にいたとは」
しかし真鈴のその言葉には気持ちがこもっていなかったと思う。
首を伸ばして、彼の肩越しに中を覗き込むと、どうやら美術室にいるのは彼一人だけのようだった。
男子生徒が下がった距離を詰めるように真鈴が美術室に入る。そして僕も同じく。
真鈴が深く会釈をした。
「一年六組の真鈴あやめと申します」
真鈴につられて僕も自己紹介する。ここまで頭を下げはしないけれど。
「……同じく花川春樹」
男子生徒は髪をかきながら言う。
「いいよ、そんなにかしこまらなくて。ぼくも一年だから」
彼の足元を見ると、確かにスリッパは一年生のカラーである濃い赤色だった。
「四組の細草です。……で、何の用? 早く帰りたいのだけど。……もしかして入部希望?」
「そうじゃなくて、ちょっと聞きたいことがあって」
細草がどこか悲しそうに、そうか、と呟く。思わず質問する。
「部員が少ないのか?」
どうやら、悲しそうにした理由はこれだったらしい。細草は自嘲気味な笑みを浮かべて答える。
「少ないも何も、僕一人。上の学年は一人もいなくて、三年生は早めの引退。顧問は来ないし」
それは可哀想に。この高校では、規定人数に満たない部は同好会に格下げになるのではなかったっけ?
細草は無理やり笑顔を作って言う。
「それで聞きたいことって、何かな?」
ここは真鈴に任せようか。目で真鈴に任せたとサインを送る。どうやらうまく伝わったらしく、真鈴が頷いた。
「さっき、四組の……あ、細草くんも四組だったんだっけ? 四組の教室の窓が割れていたんだけど」
「……そうなんだ。それで?」
真鈴が細草と喋っている間、失礼、と一言断って美術室を散策する。教室の隅の机には、おそらく選択授業の美術で作れられた作品だろう、小さい何かの彫刻が並んであった。なんだろうな、これ。どの学年が作ったものだろうか。僕は美術選択ではないからわからない。
「犯人がわからなくて。いつ割れたか知りたくて、それで、窓の割れた音、聞いた?」
いちおう、二人の会話に耳を傾けておく。……お、これはすごい絵だな。なんかこう、心に残るというか。
「いや。というか、ここからじゃ聞こえないんじゃないのか? ……それにしても、犯人がわからないってどういうことだい?」
今度は緑色の細長い作品だ。草? いや、宇宙人の手?
「そのままの意味。テスト週間で、廊下に誰もいないから、目撃者がなくて」
「へえ。そうなんだ。……案外、野球部が打ったボールが当たったのかもしれないね。ちゃんと確認してみた?」
真鈴達のほうを振り返る。真鈴はかぶりを振った。
「してみたんだけど、野球部じゃないみたい」
「そうなんだ」
再び、作品達に目をやりながら歩く。壁には、大きな紙にコピーしたらしい、モナリザだの、泣く女だのが貼られている。……と、一周してしまった。真鈴と細草はまだドア付近にいる。
「じゃあ、それぐらいかな。ありがとうございました」
どうやら聞き込みが終わったらしい。戻るか、と思ったとき。廊下の窓際の机の一つに一枚だけ置かれていた紙が目に入った。
「うまいな、これ」
「ああ、スケッチなんだ、それ」
描かれていたのは、硬球だった。影のグラデーションも中々で、かなりのリアルさ。いや、僕はあまり絵画を嗜まないのだけど、うまいというのぐらいはわかる。隅に今日の日付と細草のサインが記してある。
「花川くん、行くよ!」
もう外に出ていた真鈴の声に応えて、美術室を出ようとするその直前に、もう一度細草のほうに向いた。
「最後に一つ。この教室、今日の放課後に細草以外の人が来たりした?」
細草は少しだけ苦いものを噛んだような顔をした。部員が少ない美術部にするような質問ではなかったか。
「いいや。もちろん来ていないよ」
「そうか。ありがとう」
教室を出る。
カバンを肩にかけた細草が美術室に鍵をかける。そして、ふと――さっきの違和感に気づいた。硬球のスケッチが置いてあった机のすぐ脇にある窓のサッシが、他の窓のサッシと色が違う。どういうことだろうか?
「どうしたの、立ち止まって」
真鈴が僕を振り返っている。
「いや、ちょっと」
――いや、ちょっと、音を出さないようにした方法が分かったかもしれない。
しかし、この推理を完成させるのには、あと一つだけ、確認しなければならないことがある。
続きます。