三.イカサマサカイ。
前回の続きです。解決編。
とにもかくにも、約束の時間は刻一刻と迫っている。
友達がピンチとなれば、僕も少しは気を揉む。ピンチヒッターとして真鈴の代わりをすることはしないけれど、見守ってはおきたかった。
放課後、真鈴と一緒に将棋部として使われているらしい化学講義室を開いたドアから覗き込む。中には男子生徒がひとりしかいなくて、こっちに背を向けていた。
真鈴に耳打ちする。
「あれが浦風部長か?」
真鈴はちょっと考えてから、かぶりを振った。
「違うよ。部長さんはもっと背が高かった。将棋部の人でもないみたい。……なんにしても、声を掛けないわけにはいかないでしょう。部屋に彼しかいないのだし」
そうだ。まだ浦風部長も、堺さんの姿も見えなかった。
「堺さんはもうちょっとで来るだろうけど……すみませーん!」
真鈴が言うと、男子生徒がこちらを振り向いた。縁の細い眼鏡をかけた、インテリっぽさそうな印象だ。校則的にはしなくてもいいネクタイをしているが、かなり緩めている。おそらくあれもファッションのひとつのつもりなのだろう。
彼は目を細めてこちらを見据える。
「ここに用なんか」
「はあ、そんなところです。ちょっと部長に用があって」
僕が返答すると、男子生徒はぱっと顔を輝かせて立ち上がる。そしてずんずんこちらに近寄ってきた。
「ふむふむ。じゃあ、ポニーテールの娘が堺さんやな?」
「あ、いえ、違います」
「え、それ、ポニーテールじゃないの?」
そういうことではない。
堺さんを知っているということは、この関西弁交じりの男が真鈴の相手になる人なのだろう。
苦笑いをしながら真鈴が名乗ったあと、男子生徒は僕を見た。
「で、君は僕の対戦者ってわけか」
「いや、違う……違います」
「ん? じゃあ対戦車ってこと?」
あほかこいつ。
苦笑する真鈴の訂正を聞いたあと、男子生徒は思い出したように自己紹介を始めた。
「俺は飛燕。浦風に助っ人として呼ばれた映研部の部長さんや。三年生。ヨロシク。そんじゃあ真鈴さんの相手ってことになるんかな」
「そうですね」
飛燕先輩が歩き出して先程の席に着いた。手招きしてきたので、僕たちもややためらいがちに、彼の近くの席に並んで座った。飛燕先輩の前の机に将棋盤が置いてあるのに気づいた。
「映研部なんてあったんですね。知りませんでした」
と僕。
「見たことないかなァ、校舎のあちこちで撮影しているよ。校外にも出るんやけど。文化祭に向けて頑張ってるねん」
「ああ、わたし、見たことあります。機材を色々持ってる集団ですよね。……ああ、文化祭かあ。確か今週までに六組の出し物を決める予定なんだっけ、ハル」
僕を見て言われても知らない。僕は先生の話はあまり聞かない方だから。できれば楽なやつがいい。
「楽しみだね。だって大きな行事だよ?」
そんなことを言うこいつはやっぱり僕の妹の椿と似ている。
見せかけインテリが口を開いた。
「楽しみにしている真鈴さんの興を削がさせるかもしれないんやけどね、我らが坂月高校において、文化祭はさほど面白みのある行事ではない。三年生は毎年例外なくどのクラスも何らかの劇をすることが暗黙の了解になってるし、他の二学年も、模擬店、喫茶店、ゲームと決まってる。言うなればマンネリ化している。どこも失敗を恐れて変わったことをしようとしないんやね、これが」
なんだと思ったら、いつの間にか映研の話を逸らされていた仕返しなのだろう。
隣を見れば飛燕先輩を見る真鈴の目が細くなってる。それに気づいたのか、彼は慌てて手を振った。
「――ああ、真鈴さん、そんなきつい目せえへんといて。マンネリ化は事実やけど、三年生は最後に思い出を残そうと、何らかのパフォーマンスをしたり、有志でダンスをしたりしてる。そうやから、三年生だけは見所があって楽しいよ」
そして眼鏡を格好つけたように押し上げてから、
「俺ら映研部は毎年、例年以上の映画を作ってるから、君達も見に来てな。今年の一年生は押し並べて演技も顔もいいんや。美人が三人も増えたし。出来の良いパンフレットの販売もしております」
としっかり映研部の宣伝を持ってきた。
「話を戻しますけど、飛燕先輩は将棋、得意なんですか」
「そうだな、たまに浦風に勝てるくらい」
……うん、真鈴より強いのはわかった。――普通に勝負すれば、まず負けるだろう。
その時、入口に見るからに背の高い男子生徒が現れた。痩身だ。あまり喧嘩には向いてなさそうだと思った。
飛燕先輩が「うらかぜぶちょー」と手を挙げた。やっぱり彼がこの件の引き金となった人物――本当の引き金は堺さんの魅力なのかもしれないが――、将棋部部長・浦風なのだろう。
「おお、ヒエン。協力ありがとう。……あれ、堺さんは?」
言いながら、浦風部長は首を巡らせて教室を見渡した。
「まだ来てないです」
「本当? まさかとんずらしたとか……」
「わたしは友達だから知っています。堺さんはそんな人じゃないです」
真鈴が食ってかかる。中々強気だ。
「じゃあ、どうする? 先に俺と真鈴さんで始めるか?」
「そうだな……」
「駄目ですよ」
頷きかけた浦風部長を真鈴が制す。
「堺さんのいないところで始めるのはどうかと思います。もしわたしが負けても堺さんが納得しないかもしれないじゃないですか」
「んん……。確かに君の言うとおりだけど」
「じゃあ、おとなしく待ちましょう」
真鈴が言い終えた時、ぱたぱたぱたとスリッパで廊下を小走りに進む足音が聞こえてきた。だんだんこちらに近づいている。
「ごめんなさい遅くなりました!」
予想通り、戸のところに堺さんが現れた。よっぽど急いで来たらしく、髪は乱れて、肩で息をしている。深呼吸を一、二度して息を整えてから、彼女はこちらに歩いてきた。「お、可愛いやん。映研部に欲しいなァ」と飛燕先輩がひとりごちるのが聞こえた。僕は堺さんに訊く。
「どこに行ってたんだ堺さん」
「ちょっと母親と電話をしてました」
「何の用だったんだ」
「それがですね――」
「いいじゃないかそんなこと」
僕と堺さんの会話を止めたのは、浦風先輩。
「さっさと勝負を始めよう。まずは僕と堺さんからだ」
「それがですね、浦風先輩」
堺さんは言いにくそうに続ける。
「私、さっきの電話で急用を思い出したんです」
「なんと……。じゃあ、別の日にあらためるか?」
飛燕先輩が提案するが、堺さんは首を横に振った。
「いえ、それでは悪いです。せっかく待ってくれたんですし。急用と言っても、あと二十分程度なら余裕があるんです。……そこで提案があります」
彼女は細い人差し指をすっと天井に向けた。
「二つの対局を同時にしませんか? それなら急げば二十分以内に終わるでしょう」
「残念ながら、それは無理だ、な」
と浦風先輩。
「将棋盤は一セットしかないんだ。この化学講義室は将棋部の活動場所だけど、普段は教室として使ってるため荷物を置いておくわけにいかないから、部員たちが将棋盤を持ってきてるんだよ」
椿の言うとおり、持ってきておいてよかった。僕は自分のバッグからあるものを取り出す。
「ああ、大丈夫ですよ」
今回の、僕の唯一の見せ所と言ってもいい。
「将棋盤ならあります。本当にたまたま、バッグの中に入れてたんです。いやあ運が良かったです。ねえ皆さん」
んん……。自分で思った。芝居がかりすぎじゃないか僕。
そうして、堺さんの手筈通り、二つの対局は同時に始めることとなった。対戦者同士が、駒の配置の済んだ将棋盤を挟んでお互いに向き合う形になる。僕は脇から真鈴と堺さんの勇姿を黙って見ておくことにした。
「確か、先手後手は私たち側が決めていいんでしたよね。では、私は先手でお願いします。真鈴さんはどうします?」
「わたしは……。そうだね、堺さんが先手なら、わたしは後手で。よろしくお願いします」
真鈴が小さく頭を下げる。
「じゃあ、俺から行くで」
言うが早いか、飛燕先輩は『歩』を進める。駒が盤を打つ子気味いい音が響く。間を置かず、堺さんが手を動かした。続いて浦風部長。真鈴は少し考えるような素振りを見せたが、迷うことなく『歩』を動かした。
勘の良い人なら、もうすぐ気づくだろう。もし二人のどちらかに気づかれた時は……。
勝負は予想通り長く続いたけれど――途中で飛燕先輩がやめた。諦めたのだ。そんなわけで、なんとか勝ちをおさめた堺・真鈴ペアだった。
「本当にありがとうございました、真鈴さん」
「もういいって。堺さんの気持ちはわかったから」
「でも、こんなことに付き合わせてしまって」
校門から出ても、堺さんは礼の言葉を言うことをやめなかった。隣を歩く真鈴が少し呆れている。
それから堺さんは思い出したように、僕を見た。
「あ、花川さんもありがとうございました。あの将棋盤は、もちろん偶然ではないんでしょう? 真鈴さんを経由して聞いたのに、私の猿知恵なんて簡単に見抜いてしまってたんですよね。感心します」
僕より早く『猿知恵』を見破った椿は、さらに僕を経由して話を聞いたのだから驚きだ。
「堺さんはあの作戦を最初の、浦風部長に言い寄られた時に咄嗟に思いついたのか?」
「いえ、知ってたんです。私の知り合いに、私より何歳か下ですけど、すごく悪知恵の働く子がいて。その子に教えてもらいました」
その作戦とはこうだ。
今回の、真鈴VS飛燕、堺VS浦風を例にとる。
始めに、先手となった飛燕が駒を進める。
次に、真鈴がすぐに駒を差すのではなく、堺が飛燕がとった行動と同じ行動をする。飛燕が進めた駒を同じ数だけ動かすのだ。
真鈴は浦風が行動するのを待ってから、浦風が差した駒を同じ数だけ動かす。
そうして飛燕に順番が回ってくる。
あとはこの要領で、飛燕――堺――浦風――真鈴――飛燕、とゲームを進めていけばいいのだ。こうなれば、堺と真鈴を介しているが実質、飛燕と浦風が対局しているようになる。さすれば絶対にどちらかが勝ち、どちらかが負けるのだから、今回のようにこちら側に有利な勝利条件なら必ず成功する。
性質上、駒落ちなどをすればこの作戦は実行不可能になってしまう。だから堺さんはそのアドバンテージを断り、重要な先手後手の選択権のみを受け入れたのだ。
ただ、今回の場合は途中でその作戦に気づいた飛燕先輩が降参したのだが。浦風部長は一時中断するというあがきも見せたのだけど、真鈴は絶対に自分からは動かず、粘りに粘ったのだ。
勝負の後、飛燕先輩は逆に感心して笑っていたが、浦風部長はなんとも言えない顔をしていた。キレたりしなかったところが大人だと思った。僕だったらまず間違いなく怒る。それか、再勝負を申し込むだろう。
真鈴と堺さんは、化学講義室に向かう前に、あらかじめ相談しあっていたのだ。同時に将棋を始めるための方法を成功させるために。真鈴が変に強気だったのはその作戦を知っていたからだし、堺さんの急用などもない。
「堺さんが真鈴じゃないといけないと言ったのはつまり、真鈴程の慎重さと根気を持った人が他にいないからなんだろ」
「ええ、まあ。一つでも差し間違えてしまえば、この作戦は全部水の泡となって消えてしまうので。手帳に『どこの部活動からどの順番に回るか』をメモする程の細かさを持つ真鈴さんなら適役だと思ったんです。――あと、信頼もしてましたし」
真鈴を見れば、照れて少し俯いている。こいつらしくもない。
「でも、もしわたしが失敗したりしたら、どうするつもりだったの?」
「その時は普通に戦うつもりでしたよ。むしろ半分以上その気でした。今回は単に運が良かったです」
堺さんは出し抜けに「あっ」と言って、パンと手を叩いた。何か思いついたらしい。人差し指を一本立てて、顔を真鈴に向けた。
「やっぱり、このままでは私がスッキリしません。お礼に、何か言うことをひとつ聞きます。どんなことでも構いません。それくらいの感謝の気持ちが私にはあるんです」
ホントに? と真鈴が確認する。堺さんが頷いたのを見て、真鈴は腕を組んで悩むような仕草をした。わざとらしく、うーんとうなっている。本当は決まっているんだろうなと僕は思った。多分、女友達には優しい真鈴のことだから、疲れるようなことは言わないはず。形だけの軽いもので済ませようという考えなんだろう。
「じゃ、質問するから、答えてくれるかな」
「なんでしょう」
にこやかに堺さんが応じる。
前から気になっていたんだけど、と前置きをして、真鈴は問いを口にした。
「堺さんは六月に登校してくるまで、どうして休んでいたの?」
ああ、そういえば僕も聞けずじまいでいた。とにもかくにも、真鈴が堺さんに簡単に恩を返させようとしているという僕の予想は当たったわけだ。
しかし、意外なことに、堺さんは答えに戸惑ったようだった。
「……堺さん、どうかした?」
真鈴が心配そうに声をかける。
「いえ、なんでもないです。それで、休んでいた理由ですね。実はずっと海外に住んでいたからなんです。小さい頃からずっと。それが急遽、こっちに戻ってくることになって」
「えっ、……ってことは、帰国子女?」
驚いたように真鈴が訊く。僕も内心かなり驚いている。
「そうなりますね。私がいつもこの口調なのがその証拠ですよ。こっちに来てからは一日中ニュースばかりを見て日本語を勉強しなおしたんです。おかげで丁寧語が身体に染み付いちゃって」
困ったような笑みを浮かべる。
それから、思い出したように堺さんが言った。
「あ、真鈴さんに花川さん。あと一つだけ、お願いしていいですか」
「なあに」
「流石にこんな方法で勝ったのが後ろめたくて、結局、浦風さんと約束をしてきましたんです。今度、私と浦風さんと飛燕さんと、あと誰か私の友達を入れた四人で食事に行きましょうって。どちらか来てくれませんか?」
真鈴が僕を見る。
僕は首を横に振った。パスだ。それを見て、真鈴は頷く。
「うん、じゃあ、わたしがついて行ってあげるよ。それだけで友達の役に立てるのなら、お安い御用だからさ」
ありがとうございました。